第39話「ローレライ⑦」
「よぉ、チュインガム。息災にしておるか?」
身の丈にあった玉座に君臨しているローレライは、呆けている背中に声をかけた。
奇しくも、魔法陣の中央に座り込むチュインガムは玉座に背を向けている。
変わり果てた室内を見ても、ここが慣れ親しんだ謁見の間だと気が付かず、無様にも視線をキョロキョロさせていたのだ。
だが、その声を聞いた瞬間、チュインガムは全てを悟った。
あ。ここは地獄だったか。と覚悟を以て振り返り――。
玉座に座すローレライ王と、見知った老爺と、見知らぬ子供を見て涙した。
「おぉぉぉ。真王・ローレライ陛下よ。ご、ご機嫌麗しゅうございます……?」
「余の機嫌はどうでもいいんだよ。お前は息災かって聞いてんの」
「そ、息災ではございませぬ。なにぶん、つい先程まで死んでおりましたので……」
「うんうん、状況は理解しているみたいだね」
ローレライが問いかけた理由は、可愛い妹に王っぽい姿を見せる為ともう一つ、チュインガムがどこまで状況を把握しているかの確認だ。
レーヴァテインの人知を越えた能力を一般人に説明するのは面倒だと思ったローレライは、チュインガムに押し付けようとしているのだ。
そして、願った通りの答えを貰って満足したローレライは、馬鹿みたいな王様ぽい態度でチュインガムを恫喝した。
「チュインガム、状況は分かっているな?」
「はい。真王ローレライ陛下に忠誠を尽くさぬ愚者共を滅ぼすのですな?」
「全然違うけど」
「はい。では、重税を敷いている不安定機構を叩き潰すのですな?」
「それも違うけど」
「やや、もしや神に反逆をッ!?」
「神にも喧嘩を売らねーよ。というか、お前が余に喧嘩売ってんのか?あぁん?」
「滅相もございませぬ!!かくなるうえは、自害してお詫びを」
「片付けるのが面倒だからしないでね―。つーかなんか変だな、コイツ。……あ。」
ローレライはレーヴァテインの能力が不具合を起こした可能性を疑った。
流石のローレライも神殺しの真なる能力を扱うのは初めてであり、多少の不安があったのだ。
だかそれは、すぐに誤解だったと気が付く。
横に立っていたレジェリクエが、「ロゥ姉様、たぶんこの人、頭がおかしくなってる」という言葉がヒントになったのだ。
「あー。なるほど。洗脳が解除しきって無いんだな?だからおねーさんが何を言っても全肯定すると。ほれ、《洗脳解除》」
「はぐあっ!……真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を……!」
「やっべ、壊れた」
電子回路がイカれたおもちゃのように、チュインガムは頭を揺らしながらローレライへの忠誠を口にする。
目に半死半生な光を灯しつつ、口だけが高速で動いているというホラーな光景だ。
そんなものを見たレジェリクエが怯え始めたので、ローレライは足元に落ちていた石を投げてぶつけた。
そして、負けじと超高速で洗脳解除を唱え始める。
「真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!真王ローレライ陛下に忠誠を!!真王ローレライ陛下に忠誠を!!」
「《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》《洗脳解除ッ!!》」
「真王ローレライ陛下にぃ……忠誠……お?」
「トドメだっ!!《 五十重奏魔法連・洗脳解除!!》」
チュインガムが一回忠誠を尽くす間に、ローレライは倍の数の魔法を発動。
そして段々と効果が出始めた所で、駄目だしの洗脳解除50連発を叩き込む。
「真王……陛下……に、……忠誠……を……。がくっ」
「よっし!倒した!!」
「ロゥ姉様、倒してはダメだと思うわ。《豊穣する活性》」
目的がズレてきたローレライに代わり、レジェリクエが回復魔法を唱えた。
この魔法はランク6に分類されるものであり、対象者の肉体を癒す他、精神的な落ち着きを与える物でもある。
「はて……?余は……。いや愚男はなぜ、このような所に居るのだ?」
「思い出せないのか?衝撃を与えると直るって聞くし、2、30発叩いてやろうか?」
「ふむ、今度こそ今生の別れですな」
「なんだ、正気じゃん。おい、そこに座れチュインガム」
『今度こそ今生の別れ』
それは、レーヴァテインの能力を知るからこそ言える言葉であり、チュインガムが場を誤魔化そうとしていた事の証明だ。
額に青筋が浮かびそうなローレライは、ちょっと沸き立った感情のままに、ギロリと鋭い視線を向けた。
「ボケて誤魔化そうとすんな、チュインガム。余はお前にレーヴァテインの能力を把握しておるかと聞いているのだ」
「……はい、存じております」
「よし、言ってみろ」
「はい。……あの、これは一応国家機密なのですが、そちらのお嬢様は……?」
「口を開くか、瞳孔を開くか。選べ」
「ほわっ!口を開かせていただきます!!」
瞳孔が開くとは、『死んどくか?』という暗喩である。
洒落た物言いを好む王族が稀に使う言葉であり、チュインガムもすぐに意味を理解した。
そして、瞳孔の代わりにまぶたを見開いて、ついでに口も大きく開けて語り出した。
「国宝剣・レヴァテン。いや、犯神懐疑・レーヴァテインは神殺しと呼ばれる神の力に匹敵する神具です」
「うん、続けろ」
「その能力は、『装備者が起こしたあらゆる事象を、無かった事にする』というものです。レーヴァテインで人を斬っても、後日、その傷を無かった事に出来る訳ですな」
「そう、そして、真なる覚醒状態のレーヴァテインなら、人の死すらも無かった事に出来る」
チュインガムに続くように、ローレライが言葉を重ねた。
そして、それを聞いていた老爺も、肯定だといわんばかりに頷いて見せる。
『犯神懐疑・レーヴァテイン』
神を騙し、移ろう姿は世界の具現化と等しいと謳われた、『進化』と『疑心』の魔剣。
この疑心の能力とは、刀身に魔法を宿して相手を惑わせるというものではない。
あくまでも、敵を騙して斬り伏せるのは準備過程でしか無く、その本質は事後に起こるものなのだ。
装備者が相手に与えた影響は、レーヴァテインの能力によって発生させられた事象として置き換わる。
『剣で人を斬れば、傷を負う』。これは神が造りし概念であり、世界の法則だ。
だが、レーヴァテインで人を斬った場合は、その能力によって『負傷した体』が創り出されて入れ替わり、無傷の体はレーヴァテインに内包されるのである。
これは、神の造りし闘技場のシステムを個人に適用する様なものであり、レーヴァテインは過去に行った事象を全て内包している。
そして、装備者はそれらを意のままに操作する事が出来るのだ。
初代のレジェンダリア王は、裏切った親友を斬り伏せて殺し、その死を取り消す事で、真実の忠誠を誓わせた。
歴代のレジェンダリア王は、先王を斬り伏せ掌握する事で王位継承とし、無為な争いを抑止した。
そして、歴史書で語られる事のない何者かは、カツボウゼイが持つ特性『社会性混蟲』の王位継承システムを封印する為にレーヴァテインを使用したのだ。
だからこそ、レーヴァテインの中には、その刀身で斬り殺した眷皇種や皇種などの超位生物が内包されている。
「改めて問うよ、チュインガム。気分はどうだい?」
「えぇ、とても悪いですな」
「興味本位で聞くけど、死んだってどんな感じ?」
「何もありません。何も。ただ睡眠から目覚めた時がそうであるように、死んでいたという感覚はあるのです」
チュインガムは心の底からの本音で答えた。
ローレライを憎んでいないかと言われれば、答えは否だ。
親しい家族を目の前で皆殺しにされた憎しみ。
仕えてくれた臣民を斬殺された悲しみ。
そして、それを引き起こした自分に対する深く重い悔恨が、その身を包んでいるのだ。
あぁ、余は……愚王だ。
自分がそうであったが故に、王位に挑むというのは家族を失う事だと思ってしまった。
優秀すぎたローレライが悪い……とは言うまい。
転機や好機など、そこらじゅうに転がっているものだ。
それを手に取り、よく確かめもせず利用した余は、なんと愚かだった事か。
この償いは、必ず支払おう。
その為に、冥府の淵から呼び戻されたのだから。
「真王陛下よ、この愚男に何なりとお申し付けください。その為に生き返らせたのでしょう?」
「そうそう、話が早くて助かるよ。じゃ、詰問と行こうか」
「受け入れましょう」
「お前はこのじじいと顔見知りで、しかも、レーヴァテインに内包されている化け物の処理を依頼していた。そうだな?」
「その通りでございます。確かにそれらは王としての力となりましょう。ですが、人の身には余る代物です。そんなもの無い方が良い」
「同意だね。でだ、カツボウゼイの名を知っているという事は、お前もレーヴァテインを覚醒させられるよな?」
「王紋を刻まれた指輪があれば可能ですな」
「なら、何で使わなかった?レーヴァテインの疑心の能力を使えば、『ローレライ』を制御できただろう」
それは、レーヴァテインの能力を把握したからこそ辿りつけた意見。
大粛清を行ったローレライがそうしたように、臣民に一切の疑心を持たせずに支配する事が可能なのだ。
だからこそ、それをしなかった事にローレライは疑問を抱いた。
「それは……いや、きっと余は誰かに王位を明け渡し、全てを投げ出したかったのかもしれません。その為に自分とは関係ない少女を生贄にしようとした。愚かですね」
「あぁ、愚かだね。お前も……余も」
「……陛下、今一度だけ、尊大に振る舞う事をお許しください」
「許す」
「誠に申し訳ない事をしてしまった。すまない、ローレライ」
「あぁ」
「僅かにでも気が晴れるのなら、この身をどうしてくれても構わない。だから、何も知らぬ無垢な国民を許してやってくれ。そして出来れば、導いてやって欲しい。愚王としての最期の願いだ。頼む」
チュインガムはそれを言い終ると、自分の額をボロボロになった大理石の床に擦り付けた。
過去の自分がどうであろうと関係ない。
今はただ、王に願いを奏上する民の一人でしかないのだ。
「……顔を上げなよ、チュインガム。お前の願いは理解した」
そしてローレライも王としての度量を見せた。
可能な限り冷静に、そして慈愛に満ちた声色で語りかける。
そして、チュインガムは礼節通りに顔を上げて畏まり――。
「……だが断る!」
「は?」
「つーか、余は王位を譲る事にしたから」
「はぁ?」
「で、おねーさんの後を継ぐのはこの子だ。名前はレジェリクエ。知ってるっしょ、お前の妹だよ、妹。先々王のヴィターダークが色街でこさえた子だ。どうだ?可愛いだろー?」
「はぁぁん!?」
「レジィは女王になる事を御所望だが、まだ12歳と幼い。つーことで、最善を尽くし育て上げろ」
急転直下。いきなりの王位継承にチュインガムは戸惑った。
だが、その思考は直ぐに再起動し、すぐに考えを廻らせ始める。
チュインガムは自他共に認めた愚王だが、無能ではないのだ。
「は、はい!!余の、いや、この愚男の命を賭し必ずや成し遂げて見せましょう!!」
「全力でレジィをサポートしてね。あ。ぶっちゃけ言うけどレジィはお前達を瞬殺できるから。余がしたようにね。くれぐれも反旗を翻そうとしない方が良いよ」
「もちろんですとも。それをしたら私は愚男ですらなく、何も考えぬ家畜以下でしょう」
何を当たり前な事をと言いたげに、チュインガムは笑って見せた。
それが王として使い続けてきた虚勢では無い事をローレライは見抜いている。
「そうそう、おねーさんが出ていくのは一週間後だ。その間にレジィを法学的に女王の地位につかせ、臣民どもを掌握して見せろ。その働きに応じて余が殺した500人の死を無かった事にしてやるよ」
「ほわぁああ!?本当ですか!!」
「暑苦しいね。ちょっと落ち着けよ。おねーさんは人殺しの汚名なんて返上したい訳で、どのみち全員が生き返るよ」
「おぉ?」
「だがしかーし、どこで誰の死を取り消すのかは、おねーさんの気分しだい。ちょろっとお小遣いを稼ぐために、うら若き姫君を奴隷商の馬車の中にうっかり出しちゃうかもしれないねー」
「それだけは!!それだけはぁ!!」
「それが嫌なら、こんな所にいないで働いてこい。ほら、真王陛下の命令だぞ!!」
「仰せのままに!!」
突然降って湧いた希望に、チュインガムは落涙しながら謁見の間を駆け抜け、入口付近にあった瓦礫につまずいて盛大にすっ転んだ。
それを見たローレライとレジェリクエは、
「ほら見てごらん、レジィ。アレが愚王だよ。感想を言ってみて」
「……立てば白菜、座ればボタモチ。走る姿は見てらんない」
などと野次を飛ばし、子供らしく笑い合った。
「さてと……。形式だけでも継承しないとね」
それから暫く談笑をして、ローレライは真面目な顔でレジェリクエに向き合った。
身の丈に合わない玉座に座っているのは、レジェリクエ。
それでもしっかりと王座に座する光景は、国を背負うにふさわしい威厳を放っている。
「レジェリクエよ、第62国王・ローレライの名に於いて、そなたを次代の国王へと任命する」
「はい。この国を愛し、育み、豊かにする事を誓います」
「できるよ、レジィなら」
「うん、頑張る。頑張るから……」
レジェリクエは座したまま、ローレライの瞳を見つめた。
本当は、ずっとそばに居て欲しい。
本心では、二人で国を育てていきたい。
でも、それは私の我儘だから、我慢しなくちゃ。
そんな心の動揺をひた隠しにして、レジェリクエは笑った。
だが、そんな妹の本心を姉は見通している。
「ごめんね。レジィ。寂しいよね」
「……うん」
「だからこれは、ちょっとの別れにしよう。もう一度会いに来るよ。用事もあるしね」
「用事って?」
「レーヴァテインは国王の象徴だからね、コレを持ってないと真の意味での国王に成れないんだ。だから返しに来るよ。レジィが立派な女王様になったらね」
「どのくらい立派になれば会いに来てくれる?」
「どこに居てもレジィの名前を聞くようになったら、かな」
そんな抽象的な答えは、約束としては相応しくない。
だが、それでいいのだ。
聡明なローレライとレジェリクエは、その言葉に秘められた『いつでも会える』という意味を正しく理解している。
この約束は、『二人が再会した時に、約束どおりだと納得する為の口実』なのだから。
「……じゃあ、帰ろうか。レジィ」
「うん」
そして、仲の良い姉妹は手を繋いで、歩き出した。
それぞれの瞳はお互いの顔に向けられているが、その目は別々の未来を映している。
**********
「それからぁ、余はロゥ姉様とあまぁい一週間を過ごして、王になったのぉ。どう?面白かった?」
「うん!ホーライが凄くカッコ良かった!!」
大魔王陛下の知られざる過去が、割と壮絶だった件について。
ついさっきまで、恋愛包囲陣でぐるぐるげっげーしていたとは思えない怒濤のシリアス展開。
途中はどうなるかと思ってハラハラしたが、おおむねハッピーエンドだし、俺としても満足だ。
「……陛下、ツッコミどころが割とあるのですが?」
「なぁにテトラぁ。余とロゥ姉様の関係にケチを付けるのぉ?」
あれ?ゲロ鳥大臣は納得してないのか?
腹ペコ大魔王さんですら頷く程には、良い結末なんだけど?
「いえいえ、そんなことしませんわよ。ただ……」
「ただ……?」
「チュインガムなんて名前の人、この国にはおりませんわよ?」
……なんだって!?




