第35話「ローレライ③」
「チュインガム・B・レジェンダリア国王陛下の式辞であるッ!!静粛に傾聴せよッ!!」
国王直属の執務官の号令が響き、ざわついていた群衆が一斉に身を引き締めた。
此処は王城中庭に設えた屋外式典場であり、用意された椅子を超える数の人員が詰め寄っている。
式典場に集められた臣民の数は2400人にも上り、王宮に務めている官僚、執事、メイドのほぼ全てがここに来ている。
仕事をしていた者は勿論、非番である者にも召喚命令が下っているのは、チュインガム王自らが「余に関わりを持つ全ての人員を集めよ」と指示したからだ。
そう言われてしまえば、不参加などという不義理を働く者がいる訳がない。
それは「王に対する関心がない」という意思表明となるからだ。
事実、より王に近しい者ほど前列にて畏まっており、血を分けた王族達は最前列で椅子に座し、頭を垂れている。
そんな光景を見たチュインガム王は、悲壮感を僅かにも顔に出せないまま、粛々と壇上に登壇し式辞を始めた。
「皆の者、本日は謝らなくてはならぬ事がある」
礼節やしきたりを無視した言葉に、事態を把握していない者たちがざわついた。
王が発する式辞としては、異例中の異例。
威厳と尊厳の塊たる王が開口一番に謝罪をして頭を下げるなど、どんな歴史書を紐解いたとしても、同様の記述を見つけることは困難だろう。
「愚王たる余は、私利私欲に塗れた施政の為に、途方もない者を呼び寄せてしまった。それは余の様な弱者が触れて良いものではなく、その贖罪は一人では到底行えぬ。貴殿らに尻拭いを押しつけてしまう事を、誠に、誠に、遺憾に思っている」
チュインガム王は再び頭を垂れながら、最前列にて畏まっている家族を見た。
皆が皆、恐怖に染まった表情ながらもピクリとも動かない。
……いや、指先一本ですら、動かせないでいた。
「余が犯した失策とは、王位継承権争いを無為に引き起こそうとした事だ。その為に、乾いた大地が川になる程に無垢な血が流れてしまった。もはや、王などと名乗る資格があるはずもない」
チュインガム王は、この式辞こそが最期の仕事だと分かっている。
王としてではなく、正真正銘の、人生最期の仕事。
まるで己の人生そのものを否定しているかのような式辞は、当然、チュインガム王の本心ではない。
魔法によって心と体が乖離している操り人形は、奏者ローレライの意図しか口にする事が出来ないのだ。
「よって、此処にいる余の一族は施政から退く事にした。次代の王の名は『ローレライ』。レジェンダリア国は新王ローレライを頂点とした国となり、利己にまみれた悪政を浄化する事になる。……新王陛下、前へ」
チュインガムは感情を微塵も出せないまま、厳粛に椅子から立ちあがった。
そして、真正面から登壇した幼い少女を前にして、揺らぐ瞳で賛辞を口にする。
「ローレライよ、第61代国王・チュインガム・B・レジェンダリアの名に於いて、そなたを次代の国王へと任命する」
「そうだね。貰ってやるよ」
「うむ、『国宝剣・レヴァテン』を前へ」
レジェンダリア国にて代々執り行われてきた国王継承式には、前代の国王の宣言ともう一つ、特殊な儀式が必要となる。
それは、国宝剣・レヴァテンの継承。
新たなる国王は、王位を継承した証として、まず初めに国宝剣・レヴァテンを振るう事になるのだ。
「ローレライよ、国宝剣・レヴァテンにて国を導くがよい」
「もちろん、一人残らず導いてやるとも。この《犯神懐疑・レーヴァテイン》でね」
差し出された宝剣・レヴァテン。
それをローレライが手にした瞬間、黒いベールに包まれていたレーヴァテインは目覚め、蠢いた。
真名を呼ばれた事により、幾重にも張り巡らされていた結界が解除されたのだ。
世界最強・十の神殺しの一本。
『犯神懐疑・レーヴァテイン』
その『神をも騙す、偽りの剣』たる乾いた刃が、温かみのある”真紅”を求め、ローレライへ力を注ぎ込んでゆく。
「へぇ……。この剣を持ち出されたら、ちっとは戦いになったかもね」
レーヴァテインを受け取る為に傅いていたローレライは立ちあがると、真紅の両刃剣を群衆に見せつけるように薙ぎ払った。
一見して細身のロングソード。
だがそれは、本当にロングソードと呼んでいいのかと永久の疑惑を抱かせる程に、悪意と殺意に満ち溢れていて。
「……ベリタルトよ。長きに渡り余に仕え、ひいては妻となり、苦楽を共にしてくれたこと、誠に感謝している。……すまない」
カツカツカツ、とゆっくり演説台から下りてゆくローレライには目もくれず、チュインガムは一人の女性へ労いの言葉を掛けた。
眼前にて椅子に座している30名の集団のうち、もっとも前にいる者の名は『ベリタルト・C・レジェンダリア』。
チュインガムが最初に愛した女性であり、一生涯を共にした王妃だ。
もし、ローレライの魔法によって言葉に制限が掛っていなければ、チュインガムは魂の限りに「逃げろッ!!」と叫び散らしていただろう。
だが、それを成し得ない未熟な男は、掻き毟りたくなる激情の中、ただの傍観者になるしかなかった。
――刹那、最愛の夫からの謝意を聞き、頬笑んだベリタルトの首が跳ね飛んだ。
ローレライが振るったレーヴァテインは、一切の痛痒を感じさせる事もなく、剣としての欲求を満たす。
「……レモネよ、そなたとの出会いは唐突であったな。兄との争いで傷ついた余をそなたは看病してくれた。あの時の温かみがあったからこそ、余は王たりえたのだ、感謝している。……すまない」
”一人”から”二つ”へ変わり果てたベリタルトの横、静けさを纏う女性『レモネ』は頬笑んでいた。
艱難辛苦を舐め続けた彼女だが、その人生で一度たりとも他者を罵倒する事が無かった、心優しき聖女。
そして最期の時であっても、最愛の夫に看取られながら、レモネは頬笑みを浮かべて天の国へと旅立った。
「……ストロジャム。余の愛しき子よ。余が真に人の上に立つ事を決意したのは、そちがベリタルトに宿ったと知った時であった。よくぞ生まれて来てくれた。感謝している。……すまない」
ストロジャム・R・レジェンダリア。
チュインガムの第一子であり、順当に行けば王位を継いでいたであろう青年。
慎重な王とは違う勝気な性格は、枯れた国を蘇生させうるのではないかと期待されていた。
だが、その未来は斬り取られ、重力という自然の理に従って地面に転がった。
「……ミルティーナ。余の愛しき子よ。蝶よ花よと育てられたそなただが、素直な良い子になってくれた。余は笑顔を見るだけで心が清まる日々であった。感謝している。……すまない」
ストロジャムの陰に隠れ、お淑やかな姫だと称されていたミルティーナ。
だが実際は、チュインガムの子の中で最も苛烈な性格をしており、魔法の実力は国軍総長をも上回るのではないかと噂されていた傾国の姫。
第九守護天使を得意としていた彼女の柔らかい首筋を、神殺しの刃が通り抜ける。
真紅に染まった刀身こそが本来の姿であるように、レーヴァテインは太陽の光に照らされて輝いた。
「ラムソーダよ、…………感謝している、すまない」
「パンニャよ、…………感謝している、すまない」
「ソフクリムよ、…………感謝している、すまない」
「グミフルよ、…………感謝している、すまない」
粛々とローレライの手によって”浄化”が進む。
それは、長き歴史の中で代々執り行われてきた、国王継承の儀式。
レジェンダリア国は、策謀と裏切りの果てに建国されたとされている。
初代国王は親しき友人から向けられた刃を制し、レーヴァテインで切り伏せ、王となったのだ。
それにちなみ、次代の王は前代の王をレーヴァテインで斬り敗北させる事で、王位継承とする習慣が出来あがった。
歴史書の多くの記述では数mm程の切り傷を付けるだけの、形式めいた継承。
だが、ローレライは初代と同様、いや、それ以上の罪業を以て国王を継承しようとしている。
「すまない……。すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない、すまない……」
集められた2400人の臣民。
その5分の1たる500名あまりの人間が、物言わぬ死体となった。
ローレライは式辞が始まる前に、臣民に向かって洗脳魔法を発動していた。
それは、ローレライに対して悪意を持つ者とそれに加担した者を前列へと集め、頭を垂れさせる魔法。
リョウシンを失ったローレライは、堰き止められていた感情のままに、選別していた不要な官僚を処分したのだ。
事前に処分していた6万の兵と、出兵する事がない害悪官僚。それら全ては駆逐された。
これで、ローレライへ向けられた敵意は、たった一人を残して居なくなったのだ。
真紅の絨毯を歩むローレライは再び演説台に登壇すると、枯れ果て頭を垂れる老人へ剣を突きつけた。
「ほら、浄化してやったよ。薄汚れた血もこんだけ混ぜれば見事だね。《洗脳解除》」
「……悪魔め。いや、もうどうでもよいな、そんな事は……。王よ、真王ローレライよ。この国をよろしく頼む。せめて、無垢な民だけは――」
「さあね」
洗脳を解除され、制限が解除された言葉で紡いだ今際の言葉。
そんな、チュインガムの心からの遺言も、最後まで聞き遂げられる事は無かった。
ローレライは500回以上も振るった剣筋の中で最も乱雑に、チュインガムの首を撥ね飛ばした。
それは、雑草を鎌で刈り取る様な、無感情な薙ぎ払い。
そして、たった一人だけ演説台の上に残されたローレライは……ポツリと呟いた。
「……こんだけ殺しても、ちっとも心が動かないや。あーあ」
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あれから、どれくらいの日が経っただろうか?
有能な臣民へ命令を飛ばし事態に収拾を付けたローレライは、薄暗い部屋で虚空を見つめていた。
部屋には他に誰もおらず、窓にはカーテンが掛けられ明かりすら点いていない。
ただ一人、広すぎる謁見の間の玉座に座するローレライは、見失った未来を探している。
「……珍しいね。こんな所に人が来るなんて」
王命により、謁見の間は立ち入り禁止となっている。
残った善良な臣民はそこに王が座していると知ってはいるが、与えられた命令どおりに執務を遂行していれば問題など起こりようもなく、会いに来る必要性もない。
だからこそ、コツコツコツという足音は良く響いた。
静まり返った廊下から聞こえる音は二人分であり、その片方に心当たりがあったローレライは、開いた扉を見て僅かに目を細めて先代の王そっくりの『作られた笑み』を溢した。
「あぁ、ひさしぶりだね、レジィ」
「ロゥ姉様っっ!!」
ローレライは普通を装いながら、『レジェリクエ』へ声を掛けた。
ただ、王となった今ではもう、そのカードにも価値がない。
そう断じようとして、ふと、レジェリクエの後ろに立っている人物が目に止まる。
ローレライであっても、その老爺は見た事がなかったからだ。
「……で、そこのお爺さんはどちら様かな?」
「ほっほっほ。まだ名乗る訳にはいかないのぅ」




