第12話「感想」
俺の人生が、今、終焉を迎えようとしている。
こんな轢きガエルみたいな格好で人生に幕を下ろすなんて、誰が予想できただろうか。
……いや、ふざけても一向に事態が改善しないんだけど、マジでどうしよう……。
俺が置かれている状況は最悪と言って良い。
今まさに俺はリリンを押し倒し、あろうことか両手がリリンの慎ましい膨らみを掴んでしまっている。
うん。非常にヤバイ。
なにせ、ほんのちょっと胸について野次ったとたんに、雷人王の掌が飛んできそうになった。
それなのに俺は今、とても柔らかい感触の片手サイズな絶望を鷲掴みなわけだ。
……俺の人生もここまでか。
「ユニク。とりあえず、手をどかして。」
「は、はい!」
俺は恐る恐る手をどかしながら、ゆっくりと顔を上げた。
あぁ、どんな目にあわされるのかマジで怖い。
だけど俺は、リリンに対して誠実であろうと誓っている。
このまま闇に葬られても仕方がない。
俺は覚悟を決めてリリンの顔を真っ直ぐ見つめ、そして……、そこにあったのは、いつもの平均的な表情だった。
「……そこに正座して。」
「……。おう」
いや、微妙に怒ってる……か?
いつもよりも声のトーンがちょっとだけ低い。
「率直に聞くけど、これは事故?それとも私の胸を確かめるために、わざわざ揉みしだいたの?」
「……事故です」
「そう、事故。うん、事故だというのなら仕方がないと思う」
えっ、助かった?
「そもそも私はそんなに怒っていない。体の接触なんて訓練をしているなら当たり前だし、私もよく、姉弟子にダイブしていた」
「そうなのか?」
「……そう。事故であるならば。ユニクが私の慎ましさを確かめたのでなければ、ね」
「だ、断じて事故ですッ!絶対に事故ですッッ!!」
「そう。ならば問題にはしない」
そう言って、リリンはいつもの平均的な頬笑みを俺に向けてきた。
良かった!俺は生存した!
まさに九死に一生、デッド・オア・アライブだった!!
「しかし、訓練中に事故が発生したと言うのならば、事の顛末を弟子は師匠に報告しなければならない。さぁ、ユニク、説明と感想をどうぞ」
「説明と感想?!えっ……感想!?!?」
いや待て、何かがおかしい。
状況の説明をしろというのは分かる。だが、感想ってどういう事だよッ!?
俺は一体、何の感想を言えば良いんだろうか。
ええい!とりあえず、状況の説明を済ましてしまおう。
「リリンがバランスを崩したのを見て、このまま押し切れるかと思たんだ。拳に発動させた空盾で肩を叩いたら俺の勝ちだってな。だけど、思わぬ反撃を喰らって足を掬われ、狙いが大きくずズレた。わ、悪気はなかったんです。ごめんなさいッ!!」
最後の方がだいぶ早口になってしまったが、一応の説明は終えた。
リリンは「うん。まぁワザとではないと思っていた。それに、あの態勢からこの状況を狙いに行けるのなら、それはある意味で天才の所業」とのコメント。小説でよくある奴だな。
なにはともあれ、どうやら俺は許されたらしく、その後は和やかな談笑が続いた。
「正直、私はユニクに負けるつもりが全然なかった。というか、今日のところはドラゴンに翻弄されるばかりで日が暮れ、時間切れで私の勝ちになると思ってたし」
「だよな。すっげぇ実践的だったぞ。戦略が」
「うん。ユニクが思いのほか対応してくるから、つい本気になってしまった。ごめん」
「いや、最終的には俺の経験になる訳だし、謝らなくて良いぞ」
「なお、私がユニクに買ったら、ささやかなお願いを要求しようと考えていた。ちょっと残念」
「ちょ!?そんな話は聞いてねぇぞ!?」
どうやらリリンは、俺を転がした後でお願いを要求するつもりだったらしい。
訓練終了後までエグいのか。
うん、マジで勝てて良かった。
「ん、要求といっても本当にささやかなもの。買い物に付き合って欲しいとか、疲れたから肩揉んで欲しいとか」
「あぁ、その程度か。そんなのだったら約束がなくてもいつでもするぞ」
「えっ、本当!?言質をとってもいい?」
「いいぜ。もとより世話になってるのは俺の方だしな!」
「ふふ、楽しみ」
お願いって、一緒に買い物に行って、荷物持ちをして欲しいって事か。
そんな程度ならいつでもするし、むしろリリンとなら進んで出掛けたい。
その後も暫く談笑し、ひと段落。
日も陰って来たし、ここで帰ろうかと話がまとまりかけた。……その時。
「ところで、まだ感想を聞いていない」
「えっ。……感想って、その、何のだ?」
「私の胸を揉みしだいた感想。その感想を以てユニクを無罪放免としたい!」
胸を揉んだ感想をドストレートに聞いてくるって、どうなの!?
俺の中のイメージでは、リリンはもっと落ち着いた性格だと思っていたんだが!?
「ユニク、感想はよ!」
「お、おう。えっと、その、なんだ、……すごくやわらかくて、触り心地が最高でした!」
えぇい!こうなったらヤケだ!!
思った事を素直に言ってやるぜ!!
……うん、後悔しかねぇな。
「触り心地が良かったんだ……。そうなんだ……」
「あの、リリンさん?」
「むぅ……。ユニクは…………とても変態だと思う!」
「なぁ、このやり取りで誰が得したんだ?」
俺の呟きが、この広い草原の中に消えていった。
此処には俺達二人きりしかいない。
ホロビノや黒土竜だっていない。
身の危険を感じた奴らは、俺を置いてとっくの昔に逃げ出している。薄情な奴らだ。
**********
「じゃあ、ユニクの訓練の評価について話をしよう」
あの後まっすぐに宿に戻ってきた俺達は部屋のテーブルに向かい合って座り、訓練のおさらいをする事にした。
リリンが笛を吹いてもホロビノが中々現れないというハプニングが有ったせいですっかり日も沈んでしまったし、夕食も既に手配済みだ。
つーか、あの裏切りドラゴン、どんだけ遠くに逃げたんだよ。
「さて、今日の訓練で私が感じたユニクの率直な評価だけど……」
「おう、気兼ねなく言ってくれ」
「100点満点中、……80点!」
「お、結構高くないか!?」
「うん。私的にもかなりの高評価のつもり。体裁きといい、魔法の習得度合いといい、戦略といい、並みの冒険者に引けを取らない」
リリン師匠の評価はなんと、べた褒めだった!
まさかの結果に思わず頬が綻んでしまいそうになるが、ここは気を引き締めていこう。
なにぶん100点まであと20点もあるしな。
「もっと褒めておくと、ユニクの剣捌きは既に常人の域を超えている。ランクの高いバッファ魔法を使ってないとはいえ、私と打ち合いが続けられた。これは才能が無い者には難しい」
「はは、なんか褒められっと照れちまうな!村の生活じゃ、馬鹿にされる方が圧倒的に多かったし」
「凄いことは凄い、謙遜することない。それに、剣捌きだけじゃなく魔法の上達のスピードも良い。最初の試験では出来なかった空盾の呪文無し詠唱も出来るようになったし、ファイアボールの呪文も短くなっている。普通はもっと時間がかかること」
リリンさんの猛プッシュが止まらない!こんなに俺を持ち上げてどうするつもりだよ!?
つい嬉しくてニヤけてしまいそうになるが、頑張って気を引き締める。
20点分の悪い点があるはずだしな。
「しかし、問題点も存在する」
「やっぱりあるよな。で、それはどこだ?」
「それは……私の胸について野次を飛ばしてきたこと!!」
「それで20点も減点されるのかよ!?……って、挑発はリリンから仕掛けてきた事だぞ?俺だって雑魚って言われて少し傷ついたんだからな!」
流石の俺も、面と言われて雑魚と言われるのはちょっと悲しい。
なお、タヌキに勝てない以上、雑魚だという自覚はある。
「……ユニク。世界中の人間が崇拝するような美しい大魚でさえ、生まれた時は雑多な魚の群れの一匹だったという。その魚のように自身を磨きあげれば誰もが羨む存在になれる。という意味を込めての『雑魚』」
「へぇー。そんな意味があったのか。ちなみに『タマが小さい』は?」
「……どんな英雄の魂でも、生まれた瞬間は名もなき小さな魂だったという」
「さっきと同じじゃねーか!」
誤魔化すつもりなら、せめて別の理由を用意してくれよ!?
俺からツッコミを貰ったリリンは目を泳がせ、机の上にあったクッキーへ苦し紛れに手を伸ばす。
……美味そうにクッキーを喰っても誤魔化せないからな。
「冗談はさておき、私がユニクを煽ったのは冷静な判断をさせないようにする為で、ただでさえ優位な状況を覆させないようにする装置だった。それに気が付いたユニクは同じ事をしようとしたのだと思うけど、それは悪手と言わざるをえない」
「そうだな、正直失敗だったと思うぜ。もしこれが訓練じゃなかったとしたら、俺は今頃、消し炭になっていただろうな」
「消し炭?雷人王の掌を防御魔法が掛ってない人の身なんかで受けたら、かけらも残らない」
「恐ぇぇよ!」
「それはおいといて、ユニクの場合なら相手を煽るのではなく、誤情報を与えて翻弄するようなやり方が望ましい。この方法なら相手の思考に制限を掛けつつ、先手を取れる」
なるほど、確かにその方がリスクが少なそうだ。
迷いや不安が有ると体の動きが鈍るだろうしな。
「まぁ気になったのはそのくらいで、後の細かい不具合は訓練をして修正していけばいい。それよりも、ユニク。この訓練でユニクは勝利した。なので約束の通り、どんなお願いでも一つ叶えてあげようと思う。なにがいい?」
あっ、そうだった。そういえばそんな約束をしていたんだった!!
思いがけずに得たとんでもない機会は、確定された未来へと変わったのだ。
それにしても、リリンが何でも一つお願いを聞いてくれる……か。
理不尽な戦闘力に、多大な財力、眼がくらむような可愛い容姿。
どれを主軸に置いても、すっごく夢が膨らんでいく!!
「よし、決めたぜ。俺のお願いは――」




