第9章プロローグ「神が聞いた会談」
「なぜ無敵殲滅がここに居るんですの!?答えなさいっ悪辣!!」
鼓膜を突き刺すような金切り声を発したのは、金髪の縦ロールがゆさゆさと揺れているお嬢様風の女だ。
彼女こそ、世界を導く準指導聖母の一人『悪質』。
舌を噛んだノウィンに水を差し出していた女である。
彼女は綺麗に片づけられた自分のテーブルを強く叩き、周囲の注目を集めるようにして立ちあがっている。
これこそ、彼女が最も得意とする処世術『息巻く陰謀』。
それは、己の発言が怒りに任せたものであるかのように振る舞う事で、事態の主導権を鮮やかに掌握。
そのまま、一切の反撃を許さずに決着を付ける手法だ。
……だが。
「いきなりどうしたんだい?悪質。……あぁもしかして、真っ赤なD・S・Dを見て興奮しちゃったのかな?どうどう。ひひーん」
「馬扱いしないでくださいまし!」
「本当に落ち着け。赤色を見て興奮するのは牛だろ。キミは馬と牛の区別もつかないのかい?」
「そのくらい分かりますわ!」
「まぁ、どちらにせよ有蹄目だし、似たような音を出して歩くキミとはお友達だろう?」
「ヒールと蹄は違いましてよ!」
感情に任せた言論統制など、ワルトナには通用しない。
『怒りを剥き出しにしている者は、何をしでかすか分からない』
それは、本能的に感じる恐怖。
言い換えれば、不測の事態へ陥ってしまう事への恐怖であり、平均的な表情で何をしでかすか分からない姉妹の面倒を見続けて来ているワルトナにとって、計算された怒りをいなすなど造作もない事なのだ。
ワルトナに『落ち着け、馬鹿』と言われた悪質はぐぬぬ。っと歯を噛みしめ、本当の意味で怒りに身をゆだねている。
だが、怒りは彼女が最も慣れ親しんだ感情だ。
ならばこそ暴発する事もなく正気を取り戻し、計算された怒りへと戻ってゆく。
「人の事を馬鹿だというなんて……、あなたちょっと偉ぶり過ぎじゃありませんこと?」
「身分の違いを理解せず、あまつさえ、人の肩書きを間違える奴なんて馬鹿で十分だろう。僕の肩書きはラルラーヴァーになったと大聖母ノウィン様より紹介があったのを聞いていなかったのかい?」
「……本当に性格が悪いですわ」
「あぁ、そうだとも。指導聖母に真っ当な人間がいないのは、キミ自身だって良く知っているだろう?」
そう言いながら、ワルトナの仮面で隠れていない口がニヤリと笑う。
それは、精錬された悪人の笑顔だ。
指導聖母として名を連ねる者達の中で、ワルトナは一番の若輩……年下だ。
だが、経験してきた人生の密度は誰よりも濃厚であり、レベルがそれを証明している。
事実、ワルトナとノウィン、那由他と神を除いたこの場に居る人物の中で、レベル10万に達している者はいないのだ。
あらゆる不条理を経験し研ぎ澄ましていたワルトナのバランス感覚は、タヌキ出現以外では簡単に揺るがない。
「話を戻すよ。なぜここに無敵殲滅がいるのか……だったかな?」
「そうですわ。指導聖母にとって、心無き魔人達の統括者は敵。決して相容れぬ宿命でしょうに!」
「確かにそうだね。僕らは精錬無垢な世界の指導者。悪魔やら魔王やら言われている集団とは正反対さ」
「なら、なぜ呼んだのですか!」
「使える手駒だからだよ」
「手駒ですって!?」
ワルトナはまったく悪びれる事無く言ってのけた。
『無敵殲滅は便利な駒であり、それを目の前で言ってしまえる程度には信頼関係を築いている』……と宣言したのだ。
「これは今日の議題にも絡んでくる事だけどね、昨今、危険生物の動きが活発になっているのは知っているだろう?」
「当然ですわ。……なにせ、私が討伐するはずでしたドラゴンジョーカーを、誰かさんに奪われたばかりですもの」
「おっと、アレは不慮の事故だ。まさか僕の領地にドラゴンモドキドラゴンモドキモドキドラゴンリザードが出現するなんてねぇ」
「白々しい。南にある生息地に居たドラゴンモドキドラゴンモドキモドキドラゴンリザードが激減したという情報が上がっていますわ。あなたが捕まえてばら撒いたんでしょう」
「言いがかりはよしておくれよ。ドラゴンモドキドラゴンモドキモドキドラゴンリザードを僕が連れて来たという証拠はあるのかい?」
「ドラゴンモドキドラゴンモドキモドキドラゴンリザードが自然発生したと?状況証拠から言って、貴方が連れてきたとしか考えられませんわよ」
「状況証拠ねぇ。喧嘩を吹っかける時はしっかり物証を用意しな。たとえそれが冤罪でもねぇ」
これは本当に忠告だよ。
しっかり物証を用意しないまま計画を進めると、気が付いた時には取り返しのつかない事態になる。
……神とタヌキを容疑者にしちゃうからねぇ。
自分の苦い実体験を思い出しつつ、適当な当てつけをして話を終わらせたワルトナは、更に適当な咳払いをして場の空気を切り替えた。
そして、ここからが本題だが……とワザとらしく宣言して叩きつけられた疑問に答える。
「無敵殲滅を指導聖母へと推挙した理由、その一つは『単純に戦力が欲しかった』からだ。ドラピエクロと直接対峙した僕としちゃ、あんな経験は二度とごめんでね。この大陸でもっとも名の馳せた殺し屋を呼び寄せたってわけさ」
「だから、殺し屋を指導聖母にしてどうするんですの?使いたいなら勝手に部下として雇えばいいでしょう」
「彼女の持つ戦力を独占したかったんだ。一時的な雇用契約じゃ裏切られる可能性がある。なにせ彼女が在籍している心無き魔人達の統括者は利益主義。侵略を繰り返している『運命掌握』や人の感情を値踏みする『戦略破綻』などは、金銭の支払いが多い雇い主を優先するだろうしね」
さらに一歩、ワルトナは斬り込んだ。
無敵殲滅に続いて運命掌握と戦略破綻の名を出し、友好関係を結びたいと思っていると匂わせたのだ。
もちろん、ワルトナ自身が戦略破綻であり、心無き魔人達の統括者の実質的なリーダーでもある。
友好関係を築くどころか、その気になれば全員をこの場に召集する事さえも可能。
ただ、それは悪手だ。
この場はあくまでも、『心無き魔人達の統括者』と共謀する前段階で無ければならない。
それが、ワルトナが描いた計画なのだから。
「ドラピエクロは強大だったよ。僕がもしもの時の為に用意しておいた切り札を使ってもギリギリ鹵獲するのが精一杯であり、戦力不足を痛感した。それは悪才も知るところだろう?」
「無論だ。個別特殊脅威の中でもアレは異端だったからな。ピエロなどという戯れが無ければ取りつく間もなく殺されたかもしれない」
ワルトナの言葉に相槌を打ったのは、金髪の美青年だ。
一見して優男であり、切れ長の目が冷酷なイメージを加速させる。
漆黒のスーツを着こなしているからこそ、聖母というよりも役人と言った方が正しいとすら思わせるだろう。
そう、誰の目にも明らかな男装をしている彼女もまた……指導聖母。
しかもワルトナが座っていたと同じ『指導聖母』であり、暗躍の実力では格上だとされていた人物だ。
「だが、ユニークな個体だけあって、だいぶ儲ける事が出来た。未来的な予測値を踏まえると2000億エドロを超える経済効果があるだろう」
「と、このように、ただ殺して素材を売るだけじゃ真価を得る事は出来ない。僕は強欲だからね、目に見える利益を取りこぼさない為に『無敵殲滅』を欲したんだ」
経済効果2000億エドロ。
それは小国の国家予算を超える程の金額だが、それが実現する可能性は極めて高い。
ブルファム王国を取り巻く各国の配置と、侵略国家レジェンダリアとの関係。
それを良く知る指導聖母達は、戦争のキーパーソンとして頭のおかしいピエロドラゴンが配置されたと理解している。
だからこそ、利益を奪われたばかりか、不利益が発生しそうな悪質は溜飲を下げる事が出来ない。
「確かに、戦闘力は大事だと存じております。ですが、それとこれとは話が別。悪魔に魂を売るとはまさにこの事ではありませんこと?」
「僕の魂は非売品だから売ってないよ。言ってるだろう、無敵殲滅は手駒だと」
「……それは、場合によっては捨て駒にするという意味でして?」
「そうだとも。僕は魔王集団なんかよりも自分の事が大切で、それゆえの共謀なのさ」
「言葉に意味が込められていませんわね?何がいいたんですの?」
「いいかい、心無き魔人達の統括者は不確定因子であり、毒にも薬にもなる。だからこそ、うまく管理すれば彼女達は『毒薬』になるんだ。僕らの前にある目障りな雑草を取り除くための除草剤みたいなもんさ」
その言葉に、複数人の指導聖母が眉をひそめた。
ワルトナの真意に気が付いた者たちは、それぞれ思考を回し物語の行く末を計算し始める。
そして、情報収拾役を良い渡されている悪質は、更に事態を進めるべく声を荒げた。
「目障りな雑草?それはまるで、敵は特殊個別脅威ではないような言い方ですわね」
「まさにそうだとも。僕と無敵殲滅の利害は一致していて、それこそが二つ目の理由だ」
それだけ言うと、ワルトナは背もたれへ体を預けて座り、口を閉ざした。
そして、入れ替わるようにメナファスが口を開く。
「コイツの思惑なんて知ったこっちゃねぇが、オレはお前らの中の誰かに用があってここに来たんだぜ」
「なんですって?」
「オレは腹の探り合いなんざ好きじゃねぇから素直に言ってやる。この中にオレの保育園に手を出した奴がいるな?名乗り出ろ」
メナファスの酷く重低音な声を受けた者たちは……一切顔色を変え無かった。
その雰囲気は「何を訳の分からない事を言っているんだ?」というものであり、関係性など微塵も浮かばせない。
感情のコントロールなど、出来て当たり前。
指導聖母に名を連ねるものが、言葉で問い詰められただけでボロを出す訳が無いのだ。
「まぁ名乗り出ねぇよな。出る訳がない。いくら狂人と名高い指導聖母でも自殺願望がある訳がねぇ。ここは闘技場とは違うんだからな」
カチャリ。と金属を鳴らして、小型小銃の引き金が引かれた。
その音はメナファスの手から発しており、当然、それに応じた演技を指導聖母達は行う。
そうなると知らされているメナファスは、あらかじめ決めたセリフをすらすらと並べ、相棒の思惑に乗ってゆく。
「全員ぶっ殺せば復讐は成し遂げられる。それが早くて良い。シンプルだしな」
「野蛮ですわね。これだから小汚い悪魔は嫌ですわ」
「と、ここに来るまでは思ってたんだがな。止めだ。あれには勝てん」
メナファスは親指を立てて後ろを差した。
そこには、静かに座る大聖母の姿。
いつの間にか、その横には漆黒の球体が浮かんでいる。
「賢明な判断です。ここは会議をする場所。血を流す場所ではありませんから」
大聖母ノウィンは虚無魔法の使い手であり、本気の戦闘時は、破壊の化身である漆黒の球体を召喚するというのは有名な話だ。
だがそれはノウィンによって偽られた情報であり、漆黒の球体自体には大した殺傷能力はない。
ノウィンの横に出現した球体は、タヌキ帝王ゴモラが持つ、『万物昇華』の『悪喰=イーター』。
内蔵された万物知識を解析し昇華召喚する力を秘めた、カツテナイ暴力だ。
それを最近知ったメナファスは本当の意味で肩をすくめて脱力し、銃をホルダーに収納。
ここで戦う意思はないと示し、その場を収めた。
「だが、無実の子供へ牙を向けた代償はいずれ払って貰うぜ。自覚がある奴は覚悟しておくことだな」
「そもそも、それが意味分かりません事よ。何がありましたの?」
「それこそ白々しいが……本当に知らない可能性もあるか。簡単に言うとだな、殺しから足を洗ったオレを手に入れるべく暗躍しやがった馬鹿が、オレの職場を荒らしてくれてな。何も知らねぇガキが何人かやられた」
「ガキ……?あぁ、なるほど。無敵殲滅は子供を殺さないという噂は本当で、児童施設に勤めているという情報も真実だったと」
「へぇ。有名な話なんだな?」
「指導聖母ともなれば、危険人物の動向ぐらいは把握しておりましてよ」
悪質が言っている事は嘘であり、先ほどの言葉はメナファスの言動を分析したが故の推察だ。
悪質が悪質だと言われている所以は、冷静に分析する思考回路と、その言動が一致しない事にある。
人が人である以上、言動は本心と連動している。
僅かな声の機微から人は相手の感情を読みとりコミュニケーションを行っているのだ。
だが、悪質にはそれが無い。
生物として異常、欠陥とも言うべき感情の乖離は、持って生まれた天然の――ツンデレとも言うべきものなのかもしれない。
「話を聞いて事情は分かりましたが、それこそ悪辣の暗躍なのでは?」
「可能性は否定しねぇ。だが、コイツは誠意を見せた。心無き魔人達の統括者全員に素顔と素性を晒し、同盟関係を結びたいと言ってきたんだ」
「悪辣が素顔を?信じられませんわね」
「今は戦略破綻に素性を洗って貰ってる最中さ。黒だったら当然始末するが、可能性でいえばお前らの方が断然高い」
メナファスは嘘を言っていない。
戦略破綻=ワルトナなのだから、素性を洗うまでもなく熟知しているだけのことだ。
だが、事情を知らない物からしてみれば、その真実に辿り着く事は出来ないだろう。
なぜなら、この場には彼女達を結成させた黒幕がいる。
「大体の事情は私の方でも把握しております。指導聖母・悪弾が無垢な子供を傷つけられた復讐の為にここに来たという事も、そして、これから先は子供達を導く指導者になりたいという事も」
「ノウィン様、彼女は心無き魔人達の統括者ですわ。貴方様も、害があれば処断すると仰られていたでしょう!」
「確かに、噂に聞く心無き魔人達の統括者は不気味であり、正体も定かではありません。ですが、素性が公表されているレジェリクエがレジェンダリア国を率いるようになってから、良い意味での革新が起こっているのも事実です」
「革新……ですの?」
「レジェリクエ即位前のレジェンダリアは富裕層と貧困層の二極化が進み、国として危機的な状況でした。ですが今は、この大陸一栄えていると言えるでしょう」
「たった数年で?ありえませんわ」
「かの国にあるのは、心の豊かさとでも言うのでしょうか。確かにまだ不安定な部分は多く、国を維持する為に他国を侵略し外貨と労働力を手に入れている。ですがそれは、あと数年もすれば無くなるでしょう」
「それはなぜですか?」
「レジェリクエの施策によって命を繋いだ者達が、次の担い手として国を育てるからです。貧しい思いをした者、理不尽に奪われた者達だからこそ、パン一つの価値を知っている。戦争というのは勝っても国力を消費するものですが、かの国は侵略を連続して行い、そして、全てに勝利している。それを成せる理由は分かりますか?」
「いえ、そこまでは……」
「かの国の臣民は『価値』を見定め尊ぶ賢さを持っています。だからこそ命の重さを知っており、敵黒の兵士であっても無意味に命を奪わないのです。レジェンダリアと戦い敗戦した国にはこのような言葉が広まるそうですよ。『あぁ、全て終わりだ。くそったれな人生が終わり、新しい人生が始まっちまう』と」
「そんな夢物語……。もし仮に優れているのだとしても、魔王などと名指される者の政策など」
「私は大聖母であり人類を導く者。世界平和の為ならば勝戦国と敗戦国という分別など些事なのです。指導聖母・悪弾が人間同士の争いを無くすというのなら、その為の弾丸には目をつむります」
当然ながら、ノウィンとワルトナはグルである。
そもそも、ワルトナがリリンサと接触したのですらノウィンの指示であり、そこから派生した心無き魔人達の統括者は様々な暗躍の結果に発露したものだ。
これは既定路線であり、決定事項。
後はいかにして指導聖母をまとめ上げるかが重要であり、ノウィンからワルトナへ与えられた課題の一つだ。
ノウィンの言葉により、指導聖母・悪弾の存在は認められた。
先ほどまでノウィンと会話していた悪質はすっかり勢いを削がれ、静かに着席している。
それを見たノウィンは頬笑み、「では、ここまでに対しての質疑応答の時間を設けます。質疑がある方は発言を」と切り出した。
これは形式ばった話の終わらせ方。
言外に「この質疑が終えたら言葉を蒸し返す事は許しません」という宣告なのだ。
「……ひとつ聞きたいんだけど、いいかな」
そこに、一石が投じられた。
その声の持ち主は、指導聖母・悪性。
闇の様な雰囲気を纏う彼女は、聖母に相応しくない不躾な態度で切り出した。
まるで聖母の服を着ただけのマネキン人形が言葉を発してるかの如く、人間味のない声が会場に響く。
「ラルラーヴァーはさ、どうやって無敵殲滅に辿り着いた?どう考えても不自然でしょ」




