第75話「続・英雄覇道(表)・雷人王の掌」
「《魔法解錠・”もう一度、見直そう”》」
アプリコットは、机の上に置かれた三冊の魔導書に手をかざし、神撃魔法を唱えた。
そして、まるで砂山が波に攫われてゆく光景のように、魔導書はフワリと空間に溶けて混ざり、傍観しているリリンサの目を輝かせてゆく。
やがて、一回り小さくなった魔導書は、全く別の姿へと写し変わった。
金色の刺繍が施された、厳粛にして荘厳な古書。
一度でも触れてしまえば価値が変わってしまうと思わせる程に美術品めいているそれは、世界最高の魔導師が愛娘のために用意した、とっておきの魔導書だ。
「リリンサ、これは英雄へと至らんとする者が手に入れるべき魔導書。その名も『魔法十典範』と呼ばれる物です」
「英雄になる為の魔導書、オムニバス……。なにそれ……。パパ、早く教えて!」
「おっと、焦りは魔導師の大敵ですよ。魔法の深淵を覗くに当たり、まずはその仕組みからお勉強しましょう」
「分かった!」
「では……。この世界には『魔法次元』と呼ばれる魔法の管理システムがあります。神が造りしそれには明確なルールがあり、基軸となる魔法が存在しているのですが……。少し分かりづらいので、図を見ながら説明するとしましょう」
そう言いながら、アプリコットは白紙の紙の中央に大きな円を書き、その周囲に10個の小さな円を書いてゆく。
そして、中心に『神撃魔法』と記入し終えるとリリンサに差し出した。
「私達のいる世界より上に存在している『魔法次元』。これを図に示すと、このような形になります」
「ん……。神撃魔法から10個に枝分かれしている?」
「そうです。そして、この円の先には数珠繋ぎの円が無数に連なっている。それら一つ一つが魔法なのです」
アプリコットは10個の円の一つの先に、いくつかの円を書き足した。
その円一つが魔法であると説明し、注釈として『雷光槍』や『主雷撃』といったリリンサになじみ深い魔法名を横に書いてゆく。
そして最後に、神撃魔法に触れている円の中に『雷人王』と付け加え、視線をリリンサへと向ける。
「そしてこの10個の魔法こそ、全ての魔法の大元。『魔法十典範』と呼ばれるこれらは、我々の為に神が用意した魔法の根源となるものです」
「それって……。この魔法よりすごい魔法は、神様が使う神撃魔法しかないって事?」
「基本的にはそうなります。確かに、威力だけに注目するならば魔法十典範よりも強力な魔法はあります。ですが、多様性という意味で語るなら、魔法十典範より優れた魔法はありません」
「ん!だとすると、雷人王は光魔法とバッファの性質を持っている原点であり、とっても凄いということになる!?」
「ふふ、理解が早くて大変よろしい。そして……そこにある3冊の魔導書は、『原始守護典範』『原初に生まれし雷人王』『零に戻りし時計王』と呼ばれる魔法十典範であり、これを最適化したものが、ホーライ師匠の『天空を統べし雷人皇』という事になります」
「!!なにそれ、すごい!」
神を中心とした十本の神殺しがある様に、神が造りし魔法の真理にも同等の存在が存在している。
その魔法の内の三つがこの魔導書に記載されていると紹介されたリリンサは目を輝かせ、本日一番の笑顔で本に手を伸ばした。
だが、指が触れる直前で手を止めると、おもむろに空間からハンカチを取り出す。
さらに消毒液も取り出して念入りに手を磨いた後、「見てもいい?パパ」と可愛らしく首をかしげた。
その光景にアプリコットも今日一番の笑顔で答え、「もちろんです」と頬笑みを返す。
そして、心の中でポツリと独白を始めた。
……ふふ、まだ、目覚めていないようですね。
この魔導書に掛けられていたのは、紛れもない神撃魔法。
これを術者たる私以外の者が解除するには相当の魔法知識が必要であり、事実、リリンサは神撃魔法が掛っていた事にすら気が付いていません。
だが……もし、目覚めているのだとしたら、少し無茶をしてでも掛けられた魔法を解除し『原初守護聖界』と『命を巻き戻す時計王』をリリンサに覚えさせたでしょう。
どんな攻撃も無効化する最高の防御魔法と、怪我を含むどんな状態変化も万全の状態へと復元させる最高の回復魔法。
この二つは、特にお気に入りでしたからね。
ねぇ――。・・・・。
「パパ!なにをボーとしているの!?早く教えて欲しい!!」
「おっとそうでしたね。ちなみにですが、この魔法名に馴染みがあるのは雷人王だけですか?」
「ん……違う。全部似たような魔法を使った事がある!」
「おや?命を巻き戻す時計王もですか?」
「うん。私が使ったのは命を止める時針槍といって、親友と二人で研究して覚えた!」
「親友!?おやおやおや、親友がいるのですね。素晴らしいです、ぜひご挨拶をしたい!」
「ん……。実は今日も誘ったんだけどダメだった。ワルトナは指導聖母で、とても忙しいから……」
「……!なるほど、それは仕方がありませんね」
大好きなパパの要望に答えられなかったリリンサは、むぅ。っと頬を膨らませている。
理性では仕方がないと分かってはいても、感情の部分で納得できていないのだ。
「あ、そうだ。パパに聞いておきたい事がある!」
「はい、なんでしょう?」
「昔のユニクと一緒に旅をしていた女の子がいたはず。その子について聞きたい」
「はて、それは何ででしょう?」
「その子はセフィナを誘拐した白い敵!ママも連れ去られた!!」
「なんと……!それは一大事ですね!」
さて、勘が鋭いようでとっても鈍いこの子の追及を、どうやって回避しましょうかね。
アプリコットは、過去に何があったのかを全て把握しており、当然、ワルトナの出自も知っている。
だが、リリンサがあの子の事を思い出してしまえば全てがご破算になる可能性があり、それに繋がる事を言う訳にはいかないのだ。
だからこそ、そういった話題を避け続けていた。
しかし、人類最高の魔導師と言えども、脳味噌が胃袋なリリンサがいきなり核心に触れに来るなんて予想できるはずもない。
一度だけ軽めの咳払いをして驚きを噛み潰したアプリコットは、先ほどとは全く変わらない態度で笑顔を向けた。
「そうですね、確かにそのような子がいたと存じておりましたが……。ユルドと私は別行動でしたので、よく知らないのです」
「だとすると、ユルドルードに聞けば分かる?」
「えぇ。ですが……。あっちにいるユルドルードに聞いても知らないでしょう。あれはユニクルフィンと戦闘訓練をする為に必要な記憶しか有しておりませんから」
「そうなんだ……。むぅ、むぅ……」
回答を聞いたリリンサは、平均的な残念顔で声を漏らした。
アプリコットは、その声に内心で「すみません、リリンサ。それを教えてしまうと、パパはママに怒られてしまうのですよ」と謝罪しつつ、申し訳なさそうな雰囲気を作る。
そして、これからの魔法訓練は丁寧に教えようと背筋を正した。
「さ、リリンサ。実地訓練を始めましょう。この魔法さえ覚えれば、英雄と名乗れる日も近いですから」
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「ぐす……。ノウィン様、ちょう厳しい……。こんなに厳しいのは、きっと僕の事が嫌いだからなんだ……」
「そんなことねーって。元気出せ、ほら、ニンジンやるから」
「それはキミが嫌いなだけだろ。……もぐもぐ……。ニンジンの甘さが身体に染みる……」
満月が鮮やく夜の草原に、複数の人影があった。
それは、ワルトナ・バレンシアを中心とした、『白い敵チーム』。
もっとも、純粋にワルトナの仲間と言えそうなのは極少数だ。
そしてその一人のメナファス・ファント共に、遅めの夕食として弁当を食べているワルトナは、「はぁ。」っと短いため息を吐いた。
「ノウィン様が直接訓練を付けてくれるって言うからさ、戦々恐々としながら万全の準備をしてきたつもりだったけど……」
「恐れ過ぎだろ」
「ちょっと覚悟が足りなかったよ……」
「まぁ、オレもずっと見てた訳じゃねぇけど、20回は転がされたもんな」
さぁ、本日から本格的に訓練をいたします。覚悟はよろしいですね?
昨日の夜に言い付けられた通りに夜の草原にやってきたワルトナ達を見つけたノウィンは、開口一番にそう切り出した。
そして、がっちがちに緊張しながら「はい、よろしくお願いします!」と返事をしたワルトナを待っていたのは、世界最高峰の厳格な教育だった。
ノウィンは世界を導く指導者である大聖母だ。
だが、実質的には指導聖母がそれを取り仕切っており、ワルトナ自身、ノウィンの指導者としての技量に対し、僅かに疑問を持っていた。
おぼろげに能力が高いのは理解しつつも、具体的な事を何も知らない。
悪い表現をするならば、『裸の王様』だと思っていたのだ。
だが、それは違うと身を以て体験した。
戦闘実地訓練を開始して、僅か3分。
数千本規模で降り注ぐ神殺しの矢が、ワルトナの視界を埋め尽くし。
その中を悠然と疾走し、零距離射撃を仕掛けてくるノウィン。
ギリギリで回避したと思ったら服を射ぬかれており、そのまま数百mも吹き飛ばされた。
そんな開幕をした訓練は、ワルトナの『僕は神殺しを扱える、選ばれし英雄見習い!』という矜持を粉々に撃ち抜いた。
そして、2時間みっちりしごかれたワルトナは、「一度休憩をしましょう」と言ってセフィナと食事を始めたノウィンから逃げ出して来たのだ。
「もぐもぐ……。ノウィン様が強いってのは知ってたんだ。でも、同じシェキナを使って、ここまで差があるなんて……」
「それな。つーか、シェキナを出したあの悪喰=イーターって、インチキすぎるだろ。あんなもんどう攻略すりゃいいのか全く分からねぇぞ?」
「ホントにね。……滅びろぉ、クソタヌキぃ……」
「声にいつもの張りがねぇ」
「もぐもぐ……。はぁ、きっとノウィン様は僕の事をよく思ってないんだ。完全に遊ばれてたし……」
「そんなことねーって。オレには、子供と本気で遊ぶ親に見えたしな。もぐもぐ」
なおも落ち込むワルトナを適当に元気づけながら、メナファスも唐揚げを摘まんで口に放り込む。
その弁当はワルトナが食堂に買いに来たものであり、夜食として15人前用意したものだ。
ワルトナ、メナファス、セフィナ、ノウィン、ユルドルード。
そして、ゴモラ、那由他、エルドラドの合計8名分であり、タヌキ補正として倍の数を購入してある。
和やかな家族団欒をしているノウィンとセフィナとは裏腹に、ワルトナとメナファスの空気感はしっとりと重い。
もともと、この二人は独特の雰囲気を出すが、今日は一段と湿り気がある。
そんな二人を見かねてか、人類の希望ユルドルードは「どうだ?お前らも食うか?」と鍋をぶら下げながら近づいてきた。
「おじさん……」
「元気が無いじゃねぇか。どうした?」
「……ノウィン様って、僕のこと嫌い……なのかな……」
「いや、そんな事ねぇぞ」
「でも、訓練めっちゃ厳しいんだけど。なにあれ、鬼か」
「あーそれな。……大きな声じゃ言えねぇが、実はノウィンさんは……ドエスだ」
「は?」
……はい?
今、なんて言ったの、おじさん?
ちょっと落ち込んだ振りしつつ、窮地を乗り切るべく思考を巡らせていたワルトナは、突然のカミングアウトに硬直した。
実は、ワルトナは見かけほどには落ち込んで無く、その悲しげな表情には演技が含まれていた。
こういった心理戦が得意なワルトナは、未だにノウィンとの距離感がつかめていない事を隠す為に、つい演技してしまったのだ。
だが、思わぬところから、とんでもない情報が出て来た。
しまった!なんか自爆したっぽい!っと気が付くも、もう遅い。
目にも止まらぬ速さで隣に腰を下ろしたユルドルードは、音速を超えてお椀に味噌汁を注ぎ、ワルトナとメナファスに差し出した。
「ほれ、温まるぞ。食っとけ」
「あ、ありがとう、おじさん」
「へぇ。英雄謹製の味噌汁か、どれどれ……」
「で、ノウィンさんの事だがな」
「……ごくり。」
「ごくり。お!美味ぇ!」
ゴクリと唾を飲むワルトナと、ゴクリと味噌汁を飲むメナファス。
そして、ユルドルードも味噌汁をゴクリと飲んだ。
「ドエスなノウィンさんは、好意的な相手ほどいじめ……おほん、愛情を注ぎたくなるんだと」
「今、いじめって言わなかった?ねぇ、いじめって言ったよね?」
「おしどり夫婦だったアプリコットも調教……おっと、随分と激しく愛しあっていたぜ。だからそれは、家族としての愛情表現だろ……たぶん」
「間違いなく調教って言ったよね?ねぇ、調教って」
「あー、その、なんだ……。ちょっと我慢すれば、気持ち良くなってくるらしいぞ?」
「僕、そんな趣味ないんだけどッッ!!」
ワルトナとノウィンの訓練を見ていたユルドルードは、慰めるつもりでここに来た。
だが、奇しくもそれはトドメとなって、ワルトナに突き刺さっている。
あぁ、なるほど。
神に仕える為の訓練って、こんなにも厳しいんだねぇ。
……今の所、神は部下だけど。
何とも言えない悲しみに包まれたワルトナは、癒しを求めて心優しい友人へ視線を飛ばす。
そして、良い笑顔で返事を貰った。
「あー。こりゃ、リリンが言ってたラルラーヴァーの意味も、あながち間違いじゃないのかもな。幼虫を調教して変態させますよって事だったりして」
「怖い事を言わないでくれるかな!?洒落になってないからッ!!」




