第67話「皇の怒り」
「ここが皇種・白銀比の居城か」
「居城というか、私室だと思う」
「あぁ……行く星霜の旅の果て、ついに辿り着いたな」
「そんなに苦労してないと思う、隣だし」
タヌキ大量侵入に気が付いた俺達は、怒り狂う皇種・白銀比が住まう居城にやってきた。
……やってきたんだが、部屋に入る前なのに、既にものすっごい危険なオーラを感じる。
これ、襖を開けた瞬間に俺の首が飛んだりしないよな?
言うまでもない事だが、機嫌の悪い皇種に会いに行くなんて、タヌキの目の前でバナナを貪り食う行為に等しい。
何を言ってるんだろ、俺。
ちょっと恐怖で、どうかしてるかもしれない。
「なぁ、リリン。この雰囲気、明らかにギンは怒ってるよな?」
「うん。でも、セフィナの為には行くしかない」
「大丈夫です、骨はサチナが拾うですよ」
骨を拾われてるなら大丈夫じゃねぇな。大惨事だ。
流石に俺達だけで突入は怖いので、サチナについて来て貰っている。
まぁ、一応の保険だな。
ついさっきまでギンとは仲良くしてたんだし、いきなり攻撃されるとは思っていないが、警戒するに超した事はない。
相手はビッチ。ナニをしでかすか分かったもんじゃないしな。
「いくぞ……」
「うん」
俺は決意を口にして襖に手を掛け、ゆっくりと引き開いた。
閉め切った室内では行燈に火が灯され、ゆらゆらと揺れている。
その複数ある明りのほぼ中心、そこに銀色の尻尾が九本、不穏に揺らめいていた。
ここからでも充分に分かる、強い怒りと殺気。
やべぇ、声を掛けられる雰囲気じゃねぇぞ!
だが、行くしかねぇんだッ、頑張れ、俺!!
「ギン……?」
「こっちに来るなんし」
ひぇっ。
振り返りもしないとか、すっごい怖いんですけど!!
ギンは俺達に背を向けて、黙々と何かをしている。
姿勢を見る限り、何か書きの物をしているのか……?
「あ、あぁ、今行くぞ」
「……。」
俺は、ゆっくりと部屋の中心に向かって歩き出し、そして突如、汗で湿っていた俺の手に何かが触れた。
ひぃ!っと悲鳴を上げそうになったが、ぐっと我慢。
すぐにその正体がリリンの手だと分かったからだ。
そして俺は、リリンの手を引きながら白銀比に近づいて……。
出来るだけ気さくに、「何をしてるんだ?」と話しかけた。
「ギン、何をしてるん……だッ!?」
「明鏡止水、心のままに精神統一をしているなんし」
……いや、待ってくれおかしい。
半紙に書いている文字が、なんかおかしい。
『タヌキ殺 タヌキ殺 タヌキ殺 タヌキ殺 タヌキ殺 タヌキ殺』
白銀比の達筆な文字で書かれていた文字は、ものすっごく殺意に満ち溢れていた。
明鏡止水……一点も曇りのない静かな心で、タヌキへの殺意を剥き出しにしていらっしゃる。
「……あれ、なんか思ってたよりもヤバそうだぞ」
「何がヤバいでありんすか?もし、わっちの郷にタヌキが入るのを手引きしたと言うのでありんすなら、確かにヤバいでありんしょうなぁ」
その言葉を言い終る瞬間、俺とリリンの間に何かが通り過ぎた。
それは……尾だった。
いつの間にか、俺達の横には白銀比の尾が有って、ゆっくりと頬を撫でて来ている。
……まるで……見えなかった……。
「約束の時間には、まだちと早いでありんしょう。何しに来たでありんすか?」
「あ、あぁ、実はな……」
「白銀比様、実は、私の妹のセフィナがこの温泉に来ている」
俺の言葉を遮るように、リリンが語り出した。
それに驚いて視線を向けると、ゆっくりと頷くリリンの姿がある。
どうやら、ここから先の説明はリリンがしたいらしい。
なら俺は、不測の事態に備えて万全の準備をしておくべきだな。
「セフィナか?会えたでありんすな」
「うん、とても吃驚したけど……。それで、ちょっとお話したい事がある」
「姉妹の再会なら慶事でありんしょう。かしこまる必要は無いなんしな」
リリンの声を聞いて、ギンの雰囲気が少しだけ柔らかくなった。
よし!これは良い兆候だ!このまま慎重に事を進めれば、なんとかなりそうだぞ!
「ん!昨日の御昼過ぎ、セフィナと会った……ゴモラと一緒!」
「……あぁん?」
「セフィナはゴモラを飼っている!だから、この温泉郷にも連れて来ちゃったんだと思う!」
「……ほほう?よくも抜け抜けと言えたなんしな」
しくじったぁああああああああああああああああッッッ!!
逃げろッッッ!!惑星重力制御ッッ、全開だッッッ!!
「リリン出直すぞッ!」
「んっ!」
俺はリリンの手を引いて、一直線に入口へ向かった。
現在位置から襖まで、おおよそ6歩。
白銀比が立ちあがる前に辿りつければ――
「詳しく話を聞きたいなんしなぁ……のう、ユニクルフィン?」
「あ、あれ……?」
「ん……。」
あ……、あれ?ここはどこだ?
俺は確か、入口に向かって走り出したはずだ。
だが、俺の背中は柔らかい布団に抱かれており、仰向けに寝転がらせられている。
……ん?布団……だと?
いや、これが布団だというのか……?
この、包み込まれるような良い匂いのする柔らかい布が、布団……?
俺の知る布団とは比べ物にならない存在感に抱かれ、俺は動けないでいる。
横に居るリリンも同様のようで、視線を上に向けるしかできない。
「用件だけ言って帰る奴は好かんと、わっちは言うたでありんすが……、わっちの事を舐めているでありんすかぇ?」
「ははは……すまん、正直に言うが……マジでビビってる」
「……あの一瞬で回り込まれて布団に押し倒されたというの……?」
リリンが驚くのも無理はない。
俺達が横たわっているのは、入口から反対側にある、奥座敷だ。
ギンは、入口に向かって走り出した俺とリリンの前に回り込み、尻尾を使って弾き飛ばした。
その接触は、無衝撃、無痛。
人間二人を吹き飛ばしたのだから、防御魔法越しであってもそれなりの衝撃を感じるはずなのに、結果はご覧のあり様だ。
親父の訓練によって鍛えられた俺だけが、辛うじてギンの動きを目で追えただけの攻防。
圧倒的力量差を前にして、俺達は布団に寝そべる事しかできない。
「ゴモラと聞こえたでありんすなぁ。クソタヌキの片われ……あ奴もいるなんしか?」
「ふぐぅ!」
「命が惜しくば、答えるでありんす」
「うぐぅ!」
答えますとも!
答えるから、その足をどけてくれ!!息が出来ない!!
タヌキの出現に不機嫌になったギンは、苛立ちを隠しもせず俺に向けてきた。
具体的に言うと、腹を踏まれてぐりぐりされている。
……なんか最近、こんな役回りばっかりだな。
「白銀比様、それじゃ喋れないと思う!」
「……そうなんしな。わっちも戯れが過ぎたでありんす」
戯れだと!?そのまま腹を貫通するかと思ったぞッ!!
流石にこれ以上踏まれたくないので、俺は速攻で起き上がり正座。
あ、動きが精錬されている気がする。親父の訓練、役に立ったぜ!
「リリンにはセフィナっていう妹がいるんだが……それは知ってるよな?」
「当然でありんす」
「じゃ、セフィナの死が偽装だったって話は……?」
「ダウナフィアから聞いておる。そも、わっちは相談に乗る側でありんした」
なるほど……。あの子がいなくなった後も、ギンとダウナフィアさんは付き合いがあったと。
ダウナフィアさんがどんな人物であろうと、夫を亡くしたばかりじゃ心細かっただろうしな。
「なら、説明は不要だな。で、肝心のゴモラについてだが……」
「ゴモラは、リンサベル家の守護獣!」
「……なに?聞かせるでありんす」
それから、俺達が分かる範囲でリンサベル家とタヌキの関わりについて話した。
主に、リンサベル家の墓でカミナさんが言っていた事――リィンスウィルとかいう歴史上の人物の話、それと、幼かったセフィナとリリンの思い出話だ。
それらを聞き終えたギンは何ともいえない表情をし、小さく愚痴を漏らした。
「それは知らなかったでありんすなぁ」
「ギンでも知らない事ってあるんだな?」
「ダウナフィアと付き合い出してから、20年も経ってはおらん。そも、あ奴は隠し事の多い女でありんす」
ダウナフィアさんは隠し事が多い?他にも何か隠してるってことか?
だが、そう言っているギンの顔を見る限り、そこまで怒っている訳でもなさそうだ。
なら、ここはいったん保留。
俺達はタヌキ対策で忙しいしな。
「まぁ、それならギリギリ許容範囲でありんす」
「許容範囲?なんでだ?」
「ゴモラはな、タヌキ帝王が集いし時には大抵姿を現すが、それ以外はてんで見かけんでありんす。一匹で何かをしたという事も聞かん故に、未知の怖さがありんしたが……」
「何をしてるのかを知ったから、警戒しする必要が無くなったってことか?」
「そうなんしな……リンサベル家に仕えているというのならば、ダウナフィアの元にもいるという事。ならば、他の害獣共の侵入には関与しておるまい」
……今、完全に害獣って言い切ったな。
そうじゃないかと思っていたが、タヌキとキツネは仲が悪いらしい。
「白銀比様、一体何があったの?白いのと黒いのがいたって聞いたけど……」
「お前達も知っておくべきでありんしょうなぁ。よいか、昨日サチナが連れて来たタヌキ帝王・アヴァロンは帝王に成り立ての雑魚でありんす。お前さんらでも工夫次第では十分に勝てる程度でありんした」
マジか。惜しい事をしたかもしれない。
初めてタヌキに勝利するチャンスだったのに。
「そうなんだ。師匠とかいるの?」
「アヴァロンの師匠はソドムのはずでありんす」
前言撤回。まだ俺には早いと思う。
親父の訓練を終えた後にでも挑戦したい。
「で、問題の白いのと黒いのなんしな……。この間お前さんらに話したエデンとゲヘナこそ、この白いタヌキと黒いタヌキでありんす」
「それって、タヌキ真帝王とかいう、滅茶苦茶ヤバいタヌキって話じゃなかったか……?」
「そうなんし。まさかアヴァロンを鹵獲してから数刻で来るとは、本当にクソタヌキでありんす……」
ギンの話では、俺達との訓練を終えた後、アヴァロンをからサチナに関する記憶を奪い、結界の外に放逐する予定だったらしい。
すぐに行動を起こさなかったのは、サチナに一晩の世話をさせ、未練を断ち切らせるためだとか。
だが、そんな優しさを嘲笑うかのように奴らやってきた。
クソタヌキよりも上位に君臨するクソタヌキ。
タヌキ真帝王・エデンと、その側近、タヌキ帝王・ゲヘナ。
コイツらはマジで危険らしい。
「他のタヌキ帝王共は飯さえ食わせておけば、対話できん事もないなんしな。するかどうかは置いておいて」
「そりゃ、タヌキだからな」
「だが、エデンとゲヘナはそうじゃないでありんす。あ奴らは戦闘狂なんし、わっちも何度、奴らの襲撃を受け住処を捨てる事になったか」
「それって、ギンと同じくらい強いって事か?」
「それも分からんでありんすが……。百回以上は殺し損ねているのは確かでありんす」
マジかよ……。
どんだけやべぇんだよ、タヌキ真帝王。
名前からしてヤバいのは分かるけど、それでも、世界で6番目に強いギンが殺し損ねるって相当だよな?
そんな弩級のクソタヌキが、徒党を組んでこの温泉郷に侵入している。
というか、現時点でタヌキ帝王4匹とか、手に負えない感が半端じゃない。
「しかも、何度調べようとも侵入経路がまるで掴めんなんし……。もしやと思うが……那由他様がこの地に来ておるのかも知れんでありんす」
「か、カミジャナイタヌキまで……?」
「その胃袋の広さ、まさに神のごとし。もしそうとなれば、この程度の領地など瞬く間に食いつくされてしまうでありんしょうな」
うわ……ギンですらまったく手も出ないのに、俺の天敵たるタヌキの親玉がいるかもしれないだと……?
ちょっと言葉にならないの絶望感が俺を襲っている。
くぅ!同じくタヌキ嫌いなワルトが居ないのが悔やまれるぜ!
「ん、ゴモラの主人って事?」
「主”人”ではないだろうな。タヌキだし」
「いや、那由他様はわっち同様、人の姿をしているでありんす。この方が飯を食いやすいからと」
「会えるなら会ってみたい……かも?」
「それはダメだリリン!食われるぞッ!!」
「そうなんしな。わっちほど那由他様は甘くないでありんす。むしろ、肉を食いちぎりながら「甘露じゃの」と笑みを溢すやもしれん」
何それ、やべぇぇぇぇぇッッ!!
肉を食いちぎるって、俺達のって事だろ?
どんだけ凶暴なんだよ。まだ、性的な意味で喰われた方がマシじゃねぇかッ!
「ん、宿に来ているなら帳簿に載ってるはず……。というか、サチナは知らない?」
「いや、タヌキは宿を利用しねぇだろ……?」
「そうでありんす。那由他様なら、そんな面倒はせず飯を強奪するなんし」
リリンの疑問に対し、俺とはギンは否定的だ。
それでも、なんとなく視線をサチナに向けたのは、リリンの視線に誘導されたからか、虫の知らせ的な感が働いたからか。
三人の視線が集まったサチナは、ビクリ!と肩を震わし、ちょっとだけ後ずさった。
……んん?
「サチナ……?知ってるの?」
「まさか、そうでありんすか?サチナ」
「……お、お客様の事は話せないです!こんぷらーらんす?に抵触するですよ!?」
「それを言うならコンプライアンスだと思う。じゃなくって、知ってるっぽい?」
「母に隠し事とは、説教が必要なんしなぁ」
「ひぅ!お、怒られても、だめなのですよ!!お泊りしているお客様の個人情報は話しちゃダメなのです!」
……割としっかり教育されてるんだな。
誰の仕込みだ?たぶん、ワルトあたりだな。
だが、まだまだ脇が甘いな。その言い方だと殆ど自白と変わらないぜ!
ここはサチナの肩を持つと見せかけて、一気に情報を引き抜く!!
「まてまて、リリンもギンも、そんな怖い顔すんなって!サチナが怖がってるだろ」
「帝主さま……」
「サチナが言う事も筋が通ってるしな。しっかし偉いなサチナ。一週間くらいは一人で頑張ってたんだろ?」
「そうなのです。給仕とか、サチナが頑張ったですよ」
「よしよし、いい子だ」
よしこれで、リリンとギンには、大体どこら辺に潜伏しているのかが分かったはずだ。
サチナが給仕をする場所なんて限られているし、一週間前からの行動を遡れば、大体範囲が絞れるだろう。
そして、どうやら俺の目論見は正しかったらしく、リリンもギンもしっかり頷いている。
サチナには悪いが、これも生存戦略。
タヌキが相手とならば、仕える手段はすべて使うぜ!!
「リリンサ、ちと、頼みがあるでありんす」
「何でも言って欲しい。白銀比様には返しきれない恩がある!」
「訓練の無い昼間は暇であろう?なら、タヌキの痕跡を見つけ、わっちに報告をするなんし。そうすれば、わっちが出向き……潰す」
あの様子じゃ、サチナはどこに那由他が居るのかを知っているんだろうが……リリンとギンは自力で探す事を選択した。
理由を聞いてみると、すごく簡単は話だ。
タヌキ……というかエデンとゲヘナの狙いは、サチナに秘められた潜在的な力であり、要はサチナと戦いたいらしい。
だが、サチナは白銀比の娘であり、タヌキ側もむやみに手を出す事はしないというのだ。
が、サチナが那由他の居場所を告げ口し、追い出したともなれば、話は別。
サチナは敵認定され、飯の邪魔をされるのが嫌いな那由他は全軍を率いて宣戦布告。ここは地獄と化す。
……流石はタヌキ。飯の邪魔をした対価が戦争とは、実に理不尽だ。
こうならない為には、サチナは出来るだけ関わらない方が良い。
あくまでも、白銀比個人が嫌がった結果として片付けた方が後処理が楽なのだ。
「分かった。今から訓練をする時間まで4時間くらいある。ちょっと探してみる」
「一応聞くが……俺達に危険は無いよな?」
「お前さんらの顔はゴモラやソドムを通じて知られておるだろうが……リンサベル家の関係者としか認識されておらんでありんしょうから、手を出さなければ問題ないなんしな」
ちぃ、顔はバレてるのか。
俺の脳裏にクソタヌキが嘲笑っている光景が浮かんでくる。
……お前だけは特別に相手してやるからな、クソタヌキ。
できれば訓練が終わった段階で出て来てくれると嬉しいぜ!
「ほれ、わっちの魔法が仕込まれた札でありんす。この札を破ればすぐに行くから、安心して探すなんし」
「へぇ、こんな魔道具があるんだな」
ギンから渡されたのは、長さ10cmくらいの紙の御札だった。
使い方は凄く簡単で、これに触れながら『使う』と強く念じればいい。
よしっ!タヌキ狩りの時間だぜッ!!




