第44話「極色万変・白銀比、特別な結末」
『イミリシュア』
ギンは、唐突にその人物の名を口にした。
そしてその人物こそ、俺の母親であるらしい。
なんとなく、その名には聞き覚えがあるような気がしている。
だが、思い出や感情はまったくと言っていい程に湧いてこない。
俺には、その存在がとても遠くに有るように感じた。
「わっちの求愛を断ったあ奴らは、丁寧な対応であるものの、しっかりとした拒絶の意思を持っておったなんし」
「うん、好きな人がいるのなら、絶対に断ると思う!」
「仮にも、わっちは数千年の時を生きた皇種。拒絶を付きつけるなぞ言葉ほど簡単ではないでありんしょう。……のう?リリンサ」
その瞬間、俺の横にいるリリンに何かが叩きつけられた。
それは、……視線。
そう、ただ、ひと睨みしただけだ。
だがそれで、リリンは力なくよろめき、俺にもたれかかって来た。
ギンの覇気に当てられ、腰が抜けてしまったんだろう。
「こんな風にわっちが凄んで見せても、あ奴らの意思は変わらんかったなんし。わっちを怒らせないようにしつつも、どうにか逃げ帰ろうと画策しておったでありんす」
「……パパはすごい、あの視線を受けても交渉を続けられたなんて……。」
うん、リリンがパパとか言い出した。
怯えて、若干幼児化しているようだ。
「力で無理やり組み敷く事は出来たでありんすが、それはわっちの趣味に有りんせん。ならばと酒を盛ったが底抜けの酒飲みがいたせいで、わっちの方が先に酔ってしまったなんし」
「底抜けの酒飲み?親父は酒にも強いのか?」
「アプリコットの方なんし。ユルドルードは途中で酔ってそこらで寝おったなんし。が、アプリコットは化けもんでありんした。あれだけの酒飲みなど恒河沙蛇様以外に見た事が無い。しかも、『魔導師は酒に酔わない』などと法螺を吹く余裕すらあったなんし」
「魔導師と酒は関係ないな」
「逆に酔わされた事でフラフラになったわっちは奴らを解放した。が、当然条件は付けたなんし。それぞれが惚れているメスをわっちに見せること。危害を加えないという条件は当然付けなんした」
「なるほど、そこで俺の母親やリリンの母親とも出会った訳だな」
白銀比に怯えていたリリンも段々と立ち直ってきたようで、再び興味の視線をギンに向けている。
それに合わせるように、ギンは話にダウナフィアさんの過去も混ぜ始めた。
「一ヶ月もしない内にわっちの所に戻ってきたあ奴らは、同じ年頃のメスを連れておった。言うまでもないが、ダウナフィアとイミリシュアでありんす」
「ん、どんな人?」
「当時のダウナフィアは、一束に髪を纏め神官服を着た、見るからに清潔そうなメスであった。一方、イミリシュアは、ふわっとした髪と洋服が良く似合う、雰囲気すら緩いメスだったなんしな」
「みんな一緒に来たって事は、顔見知り?」
「そうでありんす。それぞれ複雑な事情を抱えておったが、この四人は幼馴染だというてたなんし」
「幼馴染?」
「正確には、ユルドルードとイミリシュアとアプリコット、ついでにプロジアは物心付いたときからの幼馴染なんし。で、その三人が学校に通うようになった後でダウナフィアと知り合ったと申しておった」
「ん、だとすると、みんなセフィロトアルテ出身ということ?」
「そうなんし。で、わっちはそのメス共から奪う気満々でありんした。超越者たるあ奴らはわっちを前にしても平静でいられたが、ただのメスなど直ぐに泣いて逃げ出すに決まっておると思っておったなんし」
「その感じだと……お母さんは屈しなかった?」
「ダウナフィアはわっちを見て直ぐに悟った顔をしたなんし。もしかしたらオスどもよりも理解が深かったかもありんせん。して、知った上で平然と挨拶をしおった」
……すげえな、ダウナフィアさん。
凄腕の魔導鑑定士だって話だし、すぐにギンの実力を見破ったんだろうが、肝が据わってるってレベルじゃねえだろ。
「面喰らったが、まぁ、強いオスには強いメスが付き従うのは条理。想定の範囲内でありんした」
「ん。お母さんは無敵!お父さんを自由自在に操る!!」
「が、イミリシュアは完全に想定外でありんした。あ奴はわっちを見てもまったく揺らぎもせん。本能的に逆らえないはずの皇たるわっちを見て、「うわー!綺麗な方ですねー!!」と無邪気にはしゃいだなんし」
「ん!ユニクのお母さんも無敵!!」
「そのとおりでありんした。ダウナフィアはわっちの正体を知った上で、イミリシュアはまったく気が付かぬまま、ヘラヘラと他愛もない話をし、酒を注ぎ、料理をふるまいおった」
「お母さんの料理は美味しい!私とセフィナの大好物!」
「これほど混乱したのは初めての経験でありんした。なにせ、わっちに対し恐れを抱かぬ者など世界の覇権を握るような者ばかり。ダウナフィアはそちらよりであったが、イミリシュアはレベルを見ても一般人でありんす」
ん?ダウナフィアさんはそちら寄り?
ということは、親父ほどじゃなくても強かったってことか?
まぁ、将来的に暗劇部員になるんだし、戦闘力は必須か。
つまり、俺の母親だけがイレギュラーだった訳だな?
「正直、一瞬のすれ違いで終わると思っていた出会いでありんした。が、話せば存外に馬が合う。ユルドルードが酒に溺れた頃にはわっちらは打ち解け、生来の友人の様になっておった」
「最初の脱落者は親父だったか」
「それに、恐れ慄いたでありんす。なにせ、二人目の底なしの出現なんし。備蓄していた酒が減る勢いといったら立ち眩みがする程であった」
「……ちなみに、どっちが飲みまくったんだ?」
「イミリシュアでありんす。ダウナフィアは酒の楽しみ方をわきまえておったが、無理のない飲み方をしておった。が、イミリシュアは樽に升を突っ込んで浴びるように飲んでおったなんし」
「俺の母親、そんななのかよ……」
うん、親父に関する初めての情報は全裸だったが、母親は大酒飲みだったか。
こう言っちゃアレだが、子供が非行に走る典型的な家庭事情な気がするぞ。
なお、その夫婦の息子は、心無き魔人達の統括者とかいう超絶ブラックな所に就職を果たしている。
「落胆する必要はないなんし。イミリシュアは随分と特殊な存在でありんした。数千年生きたわっちですら初めて見た程に」
「……なに?」
「神の因子が多かったでありんした。いや、多すぎたと言うべきでありんすな」
「神の因子って……たしか、神の力の事だよな?」
「そうでありんす。そしてそれは決して、幸のあるものだけではござりんせん。神の力は正負平等。幸ある力もあれば災いの力もある。それらが数え切れぬほどに絡まり合い人の形をしていると、わっちの目にはそう映ったなんし」
急に話がシリアスになった。
俺の母親は神の因子を多く持つ存在で、そしてその中には悪い因子も含まれていたって事か?
そんな感じに俺は納得したが、どうやらリリンはそうじゃないらしい。
不思議そうな顔で、ギンに質問を飛ばしている。
「神の因子って、悪い効果があるの?聞いたこと無い」
「簡単な話なんし。悪い効果……その者に悪影響を与えるような神の力を宿した人間など、数年も生きられまい。大抵は言葉を話すか歩けるようになった時点で死ぬなんし」
「そんな……。宿した人間が直ぐに死んでしまうから、露見しないだけだというの?」
「そうでありんす。勘違いしておるが、それは世界を維持するのに必要な理なんし。例えば『寿命』、時が経てば生物は死ぬ。これも負の神の因子なんし」
「寿命が負の因子?」
「こう考えればよい。『原初の生物は無限に生き、無限に増え続け、世界は滅びに向かった。それを阻止する為に死という概念を作り、その条件として寿命という負の神の因子を設定した』と」
「ん。それなら何となく分かる気がする……」
「そして、イミリシュアは凄まじい数の正と負の因子が絡まり合い維持しているという存在であった。十や二十の神の因子が絡まっている存在はそこそこの頻度で見る。カミナガンデは百を超えておろうが、それも稀に見ることなんし。が、数千規模となるとイミリシュアしかわっちは知らぬ」
「カミナは百個も因子を持ってる?確かにカミナの才能はすごい。けどそれ以上なんて……」
「あぁ、まさに不幸な子でありんした。奇跡的なバランスで成り立っていたが上に生存し、そして、友よりも早く死する運命を知ってしまったでありんす」
「……え?」
「イミリシュアの中には、『計画された自死』という因子がありんした。増えすぎた命を削除するという、酷く強力な神の因子でありんしたそれを持つ者は、永くは生きられない。どれだけ足掻こうとも20歳が限界だと言われておる因子でありんした」
なんだって……?
俺の母親が神の因子を大漁に持っていると思ったら、その因子のせいで永く生きられなかった?
「オスを奪うつもりであったが、友となれば話は別なんし。それぞれの番を祝福しつつ、緩やかな日々を送っていたとある日。イミリシュアを担いだユルドルードが現れたなんし。聞けばイミリシュアは病に倒れたという」
「た、倒れた?」
「じゃが、それは病ではないと直ぐに分かったなんし。病人特有の匂いがしなかったでありんす」
「まさかそれが、神様の因子のせいだというの……?」
「最初は分からなかったでありんす。複雑に絡み合った神の因子を読み解ける者など神だけなんし。どんな創生魔法でも回復しないイミリシュアの容体を見て、初めてその可能性にわっちは辿りついたでありんす」
「創生魔法?そんな凄いのでも治療できないなんて……」
「大昔に聞いたその因子の事を思い出したわっちは、可能性あるとユルドルードやダウナフィアに告げ、調べさせたでありんす。間違っておれと祈りながら」
だが、その祈りは神に届かなかった。
ギンは沈痛な表情で、静かに、その話の続きを告げた。
「運命を知ったイミリシュアの頬には泣き腫らした跡があったなんし。わっちを見て平然としておったあ奴も死は怖いのだろうと、上辺だけの慰めを掛けてやったなんし」
「うん。誰だってそうだと思う」
「じゃが、イミリシュアは死ぬ事自体は怖くないという。死ぬ事よりも、ユルドルードに申し訳ないと、誓いあった未来――家族を残せない事が不甲斐無くて仕方が無いのだと、わっちに告げたなんし」
その時には既に、母さんの体は衰弱し始めていたという。
すでに19歳を過ぎていた母さんは、残された時間では子を残せないと知り、何度も何度も親父に謝ったそうだ。
神の因子は絶対だ。
それをどうにか出来るとしたら神しかいないし、神は人間が一方的に付きつけて来た願いなど叶えない。
もうどうする事も出来ないと諦めて行く中……親父だけは諦めなかった。
「ユルドルードは弱り切ったイミリシュアを連れ、世界中を旅したなんし。体力を消耗するからとその背に担ぎ、『人の四分の一しか生きられないのなら、人の十倍、人生を楽しめばいい』と」
「……かっこいい、ね」
「あぁ、そうなんしな。そして……イミリシュアが20歳を迎え、もう幾らも生きられないとなった時、その腹に子が宿ったでありんす」
「それって……」
「イミリシュアは泣いたなんし。愛しい子を道連れにしてしまうと、その時に初めて、神を呪うとさえ言ったなんし。だが、それは――神が起こした奇跡でありんした」
「……え?」
「その子を宿したイミリシュアの容体が、日に日に良くなっていったなんし。まるでその原因の神の因子が無くなってしまったかのように、あっという間に歩けるまでに回復したでござりんす」
「すごい……奇跡が起きた……?」
「まさに奇跡であり、イミリシュアはその奇跡に感謝した。これで子を残せると、ユルドルードに想いを残せると泣いて笑ったなんし」
死する運命を嘆いた母さんと親父に起きた、奇跡。
俺を宿した事により母さんの容体は回復し、それから10か月の間、親父と緩やかな日々を過ごす事が出来たのだ。
神が定めた20歳という刻限も、気が付けば超えていたという。
「それは一時的な回復だと、みんな分かっておったなんし。子を宿して容体が良くなったのなら、子が生まれれば元に戻る。……神の因子は遺伝などせん。ましてや子に移る事などありえんでありんすから」
「……。」
「やがて、元気な男の子が生まれたなんし。その子を抱えたイミリシュアの笑顔は、わっちは生涯忘れる事はないでありんしょう」
「イミリシュアは、どうなったの?」
「生まれた子は、一つだけ神の因子を持っておった。『神壊因子』と呼ばれるそれは、この世に存在する神の力を停止させる自戒因子。それを一時的に体内に宿したからこそ、イミリシュアは生きながらえて希望を繋ぐ事が出来たなんし」
「……。」
「神壊因子を失ったイミリシュアは、急激に体力を消耗していった。まるで塞き止めていた水が流れ出すように。あ奴が亡くなったのは子を産んでから、一ヶ月後の事でありんした」
「一ヶ月……。そ、それだけしか一緒にいられなかったんだ……」
「一ヶ月しかではない。一ヶ月もなんし。イミリシュアは笑っておった。可愛いと言って子を抱き、笑顔が絶えん、世界で最も尊い一ヶ月でありんす」
「……。ぐす。」
「生まれた子の名前は『ユニクルフィン』。……神から授かりし『特別な結末』という意味を込めてつけられた、イミリシュアの宝物でありんす」




