第36話「美しき温泉郷」
「おぉ、ここが関所か……結構デカイな!」
ホロビノの背から降りた俺の達の目の前には、この街の唯一の入り口たる『関所』がある。
この温泉郷『極楽湯』のシステムは、関所にて入場料3000エドロを支払い温泉宿入浴手形を購入する、前払い方式だ。
この手形さえ持っていれば、どの温泉宿のどの温泉もタダで入浴し放題。
その宿特有のサービスを受ける為には別途料金を支払う必要こそあるものの、純粋に温泉を楽しみたい人にとっては随分とお得なシステムだと思う。
なにせ、関所から出なければ、この温泉宿入浴手形に期限は無い。
そしてこの温泉郷は、宿だけでも20軒以上、温泉の数ともなれば実に100種類を超えるらしいし、一か月以上も滞在する人も珍しくないのだとか。
まさに、夢のような観光地。
大魔王様監修の極楽施設に、人類は成す術なく籠絡している。
「これはすごい……聞いていた報告よりも凄い人。サチナ、商売繁盛?」
「そうなのです!ここ一カ月は特にお客様が多くて、どの宿も満員に近いのですよ!とても儲かって、サチナのお小遣いもうなぎ上りなのです!!」
そして……このシステムの基礎を作った人物こそ、悪辣利益主義者のワルトだ。
一見してお得なこのシステムも、しっかり利益が得られるようになっているらしい。
そもそも人は、生活する上でお金を支払って生きている。
そして、その生活費が丸ごと手に入るのだから、笑いが止まらないほどの利益が出るというのだ。
宿によってサービスや料理も随分と違うようで、お手頃ランチから、高級ディナーまで千差万別。
最上級ディナーともなれば、なんと一食1万エドロを超えるらしいが、予約をしないと食べられない程の人気だとか。
流石は食べキャラ魔王様の本拠地。
食に対するこだわり方が半端じゃない。
「よし、早速町に入ろうぜ!」
「うん、ユニクはきっと驚いてくれると思う!」
「自信があるのです!」
「どれどれ……。おおぉーーーー!こりゃすげぇーー!」
入場料を支払い、関所をくぐり抜けた俺の目に飛び込んできた景色は、圧巻の一言だった。
趣のある石畳が真っ直ぐ伸びて、左右に露店がずらりと並んでいる。
それぞれの店によって何を取り扱っているのかは違うが、店の外見が統一されている為に、精錬された一体感があるのだ。
そして驚くべき事に、真ん中を流れる川からは湯気が出ている。
どうやら掘り起こした湯の残りを流しているらしく、様々な成分の温泉が混ざった結果、川の色は薄緑色。
日常では出会う事のない色合いで、すごく神秘的だぜ!
「おぉ……。流石は心無き魔人達の統括者監修の温泉郷。全てが美しいぜ!」
「うん、街並みはカミナが考えたデザインで、『なんとか美術』とかいうのを参考にしているらしい。ワルトナも気に入って、世界遺産に認定させたいって言ってた!」
「出来て2年も経ってないのに『遺産』認定は無理ある気がするが……美しい町100選とかなら、間違いなく認定されるだろうな」
「帝主さま、そういうのはもう認定されてるのです!この本に載ったらお客さん増えたですよ!!サチナパワーなのです!」
そう言ってサチナが取り出したのは、『月刊・温泉倶楽部』という温泉特集雑誌。
そして、ページを開くまでもなく、この温泉郷が特集されてるのは明らかだ。
なにせ、この雑誌の表紙を飾っているのはサチナなのだ。
可愛らしくお化粧して、傘を差して振り返っているサチナの後ろ姿は、最早、芸術作品。
キツネ耳とキツネ尻尾が生えているのがまた、良い味を出してる。
あぁ、この街を訪れているお客の半分が、サチナに会おうとして来たファンだと言われても納得できる可愛らしさ。
というか、サチナは現在進行形で全方向から声を掛けられ、手を振られているし間違いないな。
名実ともに、サチナは名物女将だッ!
「あ、見てユニク、美味しそうな露店がある!焼きまんじゅうだって!」
「焼きまんじゅう?」
「焼きまんじゅうは、ふわふわな蒸しパンを串に刺して、甘味噌を塗って焼いたお菓子なのです!一本食べたら病みつきになるですよ!!」
「もふふだ!とってもおいふい!!」
「もう食ってるだと!?バッファ全開じゃねえか!」
「あの10エドロ饅頭も美味しいのですよ。鈴カステラも名物なのです!」
「この饅頭を20個ずつ。そこのカステラ屋さん、全ての味のカステラを10個ずつ。こっちのクレープはトッピング全乗せで!」
「動きがすげぇ……。あ、ランク7のバッファ中だったな!!」
それから俺達は、頂上にあるリリンの自宅の温泉宿に向かいつつ、露店を楽しんでいった。
この街はペット連れ込みOKらしく、ホロビノも一緒に入場し、リリンとサチナに全力で甘やかされている。
驚くべき事に、ペットと一緒に入れる温泉もあるのだとか。
ちなみにホロビノは、この温泉に来るとそこに入り浸るらしい。
というか、ドラゴンと触れ合えるという名物の一つに指定されており、触ると幸運になれるらしい。
よし、俺も今の内に触っとこう。
これで白銀比との会談も上手く行く……!、といいな。
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「着いたです。ここが主さまのお宿で、サチナが女将を務めている『銀鈴の湯』なのです!」
山頂付近に立てられた、一軒の宿。
今までの宿は、川を挟んで左右のどちらかに分かれていたが、この銀鈴の湯は川を跨いで建造されている。
どんな構造になっているのか気になり、空を踏んで見下ろしてみたら、この宿は大規模な湯船を複数所持しているようで、川の始発点になっていた。
当然、建屋の大きさも他の宿より3倍は大きい。
外装も豪華で、この温泉街で一番良い宿なのは間違いない。
「こりゃまたすげえ宿が出てきたな……これがリリンの自宅って事になるのか?」
「そうなのです!この建屋は主さまの持ち物なのですよ!屋根に乗ってるお魚さんも純金なのです!」
「リリンがお金持ちだというのは知っていたが……。純金のシャチホコとは恐れ入ったぜ!」
「ふふ、でもこの家は直ぐにユニクの家という事にもなる。今夜は寝かさないと思う!」
うんうん、そのお誘いはとっても嬉しいが、サチナの前で言うのは自重しような。
8歳児には教育に悪い。
「帝主さま、中に入って驚くです!」
「おう、楽しみだな……」
サチナはリリンのボケを完全にスル―して、銀鈴の湯の暖簾をくぐっていった。
俺とリリンもそれに続き、細い砂利道を歩いてゆく。
そして、扉を1枚通り抜けると、これまた別世界が広がっていた。
「なんだここ……桜と紅葉が同時に咲いている……だと……?」
「この庭は、全ての季節が一度に体感できる『四季なる庭園』なのです。母様の時を操る力で、最も美しい状態を維持しているですよ!」
俺の目の前には、見事という他ない和風庭園が広がっている。
綺麗に整地された砂利と岩も美しいが、それは引き立て役に過ぎず、見るべき主役が堂々と構えているのだ。
俺の目と心を奪ってゆくのは、まるで絵画の世界のような、異常な光景。
『春の息吹』と『秋の実り』、『夏の隆盛』と『冬の閑散』が完全に調和し共存しているこの光景は、一度見たら簡単には目が離せない。
春夏秋冬、その季節にしか見られない色とりどりの草木が見事に咲き一度に観覧できるのだ。
感受性の乏しい俺だって、風景を見れば綺麗だなと感じる。
が、それ以上の評論など出来ない。
そんな俺ですら、思わず語ってしまいたくなるこの光景は、キツネの皇種が作りし景色なのだとサチナは言っている。
なるほど、これが皇種の力か。
すごいぜ、白銀比!
「本当に綺麗な場所だな、リリン。確かにこれは……良いデートスポットになるだろうな」
「……!ユニク、私と、でーと……したい?」
「あぁ、ここで夜空を見ながら、美味い飯でも食えたら最高だな」
「そ、それは、とっても凄く良い案だと思う!!というか、それしかないと思う!!決定!」
「決定か。よし、夜が楽しみだぜ!」
「ふふ、そうと決まったら、全ての要件をささっと片付けてしまうべき。サチナ、白銀比様はどこにいる?」
俺としては、リリンと一線を超えるつもりは無く、自重するつもりでいる。
……が、昼間ですらこれだけ美しいこの庭園で、可愛らしい女の子と夜桜を見ながらのディナーとか、童貞には耐えられる気がしないのも事実だ。
うん、可能な限り自重したいので、リリンにはタヌキパジャマを勧めよう。
だが、それでも自制心が効かなかったら……。
俺は今宵、『童貞見習いユニクルフィン』を卒業し、『タヌキ亭主・ユニク』になるぜッ!
……そんなピンクな妄想も、無事に白銀比に会えたらの話だけどな。
もし本当に親父が育児放棄をしていて、恨まれていた場合、無言で殺しに掛って来る可能性もある気がする。
「母様なのです?母様は今日は御祈りの日なので、お社に居るですよ」
「お社?」
「そうなのです。主さま、帝主さま、行くですか?」
どうやら、白銀比はこの温泉郷にはおらず、山にいるらしい。
お社という場所で今日は一日祈っているらしく、そこに行けば会えるとサチナは言っている。
そして、リリンは「帰ってきたのに白銀比様に挨拶しに行かないのは失礼だし、先に話を聞きに行こう」と言って来た。
俺としても、一刻も早く『あの子』の正体を突き止め、すっきりした気分で温泉に入りたい。賛成だ。
「そうか、じゃ、先に会いに行っちまおうぜ」
「そうしよう。サチナ、転移門を出せる?」
「もちろん出せるのです!《天道地道、狐門送り!》」
サチナが呪文を唱えると、さきほどの赤い鳥居が地面から湧き出て来た。
リリンの補足説明によると、サチナはこの『狐門送り』を温泉郷の至る所に設置してあるらしく、いつでもどこでも転移できる。
欠点は特になく、転移失敗などのリスクなど絶対にないそうだ。
うん、俺の妹(仮)がすげぇハイスペックなんだけど。
そして、バッファと防御魔法しか使えない俺の肩身が狭い。
「どうぞなのです!」
「ん、サチナは行かないの?」
「サチナは、主さま達が泊まるお部屋の準備をしておくです。それにお仕事もあるですよ」
「うん、サチナはお仕事も頑張ってて、とっても偉いと思う!」
そう言いながら、リリンはサチナの頭を撫でた。
サチナは嬉しそうに頭を撫でられ、くすぐったそうにしている。
あ、いいなそれ、羨ましい。俺も撫でたい。
俺の中で密かに保護欲が沸き立ってくるも、サチナは直ぐにリリンから離れてしまい、密かに撫でよう作戦は失敗。
どうやら本当に仕事が有るらしく、キョロキョロと周囲を確認している。
「ユニク、サチナの仕事の邪魔になってしまうし、もう行こう」
「分かった。……ちょっと緊張するな」
「大丈夫。白銀比様はとっても優しい」
そういいながらリリンは俺の手を引いて、躊躇なく鳥居をくぐった。
あぁ、俺は今から皇種に会う。
それが一体どんな結末を産むのかは分からないが、できるだけ友好的に接したいもんだな。
……。
…………。
………………親父のせいで、白銀比を『お義母さん』と呼ぶ事になったらどうしよう。




