第16話「リリンの里帰り・エルドとアーベル」
「お客さまですよ、あ、な、た」
「……お前が俺の事を『あなた』と呼ぶ時は、大抵ロクでもない事だ。今回は何を持ってきやが……ん?リリンサじゃないか」
アーベルさんに案内された奥の部屋は、キッチリと整理された図書が双璧を成す漆黒の執務室だった。
右手側の壁には精密機器と思われる器具が並んだショーケースもあり、俺の知らない世界が広がっているは明らかだ。
そんな部屋の中に居たのは、身なりもキッチリと整えられた一人の男性。
黙々と一人で仕事をしていたらしく、机の上には数枚の書類が乗っている。
歳は40代前半だろうか?
重く険しい雰囲気を纏っているせいで大人びて見えるので、もう少し若いのかもしれない。
恐らくこの人物が、リリンの家族の身元を鑑定したエルドさんなのだろう。
そして、リリンは何の躊躇も無く部屋に入ると、平均的な頬笑みを部屋の主へ向けた。
「ひさしぶり、エルド。元気?」
「あぁ、元気だぞ。まぁ、最近じゃ上からの圧力が凄いが、慣れたもんだしな」
……ごめんなさい。その上っての、たぶん身内です。
ワルトは何回かここに来ていると言っていたし、リリンの過去を調べようとしたら断わられたとも言っていた。
恐らく、かなり強めの圧力でも掛けたんだろう。
そして、エルドさんは俺達とワルトが繋がってるのを分かってて、あえて言ったっぽいな。
表情は笑っているが、目の奥が笑っていない。
「で、後ろの奴はどちら様だ?指導聖母・誠愛様の使いパシリか?」
俺はワルトのパシリじゃねぇ!!……と抗議しようと思ったが、よく考えてみれば、ここにはワルトの指示で来ている。
ということは……。
実質的にパシリじゃねえか!!なんてこった、いつの間にッ!?
どうやら俺は、知らない内にワルトのパシリ第2号にされてしまったらしい。
なお、第一号は裏切りドラゴンのホロビノだ。
エルドさんは、『知っているが一応聞いた』というような、ある程度察している態度だ。
俺達と話をするついでに休憩もかねるらしく、机の上のティーカップを手に取った。
そして、迷わず口を付けながら、俺達からの返答を待っている。
……ここはリリンに任せた方が面白そう気がする。
俺は視線をリリンに飛ばし、紹介を促した。
「エルド、この人はワル……シンシアのパシリなんかではない!」
「だろうな」
「……私の、旦那様っ!」
「ごっふぁッッ!?!?」
大魔王さんの攻撃!
クリティカルッ!呼吸器系に大ダメージッ!!
エルドさんはむせっている!!
「ゴッホゴッホ!……おい、ふざけんな。せっかく書いた書類が水浸しになっちまったじゃねぇか」
「ごめん。でも、それほど驚く事?」
「おまえ、16歳だよな?」
「そう。でも歳とか関係ない!ユニクは私の恋人で旦那様!」
「速攻で矛盾してるんだが?恋人と旦那様は両立しないだろ」
「……今は恋人だけど、あと1カ月もすれば旦那様になる!」
……え?
ちょっと待って欲しい。
あと1カ月って、どういうこと?
確か俺は、リリンと同じレベル79000になった時に告白すると宣言したはずだ。
で、1カ月後には、旦那様になっているという事は……?
1か月でレベルを5万も上げるって、何をさせるつもりだよッ!?!?
一人でクソタヌキでも倒して来いってかッ!?
なんてことだ。
心無き訓練予定が浮き彫りになってしまった。
このまま話に身を任せていたら、本当に命がいくつあっても足りない!
ここは積極的に会話に参加して、軌道修正を計るぜ!!
「流石に1か月と言うのは冗談だぞ。そもそも、俺達が出会ってまだ2ヶ月くらいだしな」
「……冗談?リリンサはそんな目をして無いが?」
「私的には6年目!そろそろ結婚してもいいと思う!!」
ぐぅぅ!それを言われると厳しいんだよなぁ。
片想いとはいえ、リリンは6年もの時間を俺の為に使っている。
それを考えると、可能な限り頑張らなくちゃとは思っているんだ。
だけど、現状で無理なレベル上げをする為に、クソタヌキへ戦いを挑むのは、自殺と変わらない気がする。
あぁ、ナユタ村で無駄に過ごした5年間が恨めしい。
あんときは、マジで薪しか割って無い。
薪の代わりにじじぃを叩き割ってやろうとかと思った事もあるが、結局一撃も与えられなかったしな。
俺がじじぃへの復讐計画を立てていると、自分のペースを取り戻したエルドさんが視線を向けて来た。
一応、客人として持て成してくれるらしく、人数分のティ―カップに紅茶を注いでいる。
「俺の名前は『エルド・クエストーカー』。このエデュミオ支部の魔導鑑定士で室長をしている」
「……室長って?」
「室長と言うのは、業務において事務指導・監督的立場にある者の事だ。ほら、お前も自己紹介をしとけ。覚えておいてやるから」
「えっと、俺の名前はユニクルフィンだ。色んな意味で有名なユルドルードの息子で、訳あってリリンと一緒に旅をしている」
「そうか、ちゃんと出会えたんだな。おめでとう、リリンサ」
その声を聞いていたリリンは嬉しそうに頷き、俺の腕を締め上げた。
俺達の関係性を明確にアピールしていると思う。
「ん?そういうって事は、リリンの神託を知っているのか?」
「リンサベル家の事件の後、1週間くらいはリリンサをここで預かっていたんだ。神託書も見せて貰ってるし古参の職員は大体知ってるぞ。大聖母ノウィン様が後見人となった後も、ちょくちょく遊びに来ていたしな」
へー、そうだったのか。
自宅が全焼している以上、何処かに身を寄せるしかない。
俺はてっきり、直ぐに大聖母ノウィン様が迎えに来たんだと思っていたんだが違ったようだ。
それにしても、どうしてそこまでリリンに良くしてくれるんだ?
確か、元々、顔見知りだとかいう話だが……、まさか、ヤジリさんの命令でしたって事はないよな?
「随分とリリンに良くしてくれてたんだな?」
「なんだその疑うような目は?」
「いや、暗劇部員に属している以上、疑った方が良いと思ってな」
「何の話だ?」
反応を見る限り、エルドさんは関係ないっぽい。
だが、この人は、暗劇部員のエリート。
ニセモノの表情を作るなんて朝飯前のはずだ。
まずはリリンの身元を保護した理由を聞いてから、様子を見つつ俺達の目的を話して行こう。
「あぁ、それについては後で話すが……。まずはリリンを保護した理由を聞かせてくれ」
「リリンサとは元々の知り合いだ。この建屋にもそれなりに出入りしていた。それじゃあ理由不足か?」
「そうだな……。そもそも、なんで顔見知りだったんだ?」
「リリンサの母親、ダウナフィアさんは俺の恩師だからだ。家庭を持つようになり寿退職した後も相談に乗って貰っていた。家を訪ねる事も多かったし、その過程でリリンサとは仲が良くなったんだ。これで十分だろう」
なるほど、不自然な点は一つも無い。
俺は速やかに謝罪しつつ、本題に入るべく姿勢を正す。
それにしても、リリンのお母さんがエルドさんの恩師か。
つまり、暗劇部員のエリートを束ねる責任者を育てたという事。
うん、どう考えても、リリンのお母さんもエリート中のエリートだな。
娘さん、大魔王ハムスターに育ちましたよ!
……しかも、姉妹ふたりともだッ!!
「で、リリンサ、今日は何しに来たんだ?まさか、彼氏ができたって自慢しに来たわけじゃないだろ?」
「それはそれで自慢したい。けど、他にもとても大事な用事がある!」
「大事な用事か。最近、最上級使徒であらせられる指導聖母・誠愛様が何度か訪問されていた。お前の過去に興味があるとか言ってな」
……指導聖母・誠愛様、か。
改めて聞くと、違和感が半端じゃないな!
つーか、想い人を脅迫しようとしているワルトのどこら辺が『誠実な愛』なんだよッ!?
いや待てよ……?ワルトの事だし、そんな真っ直ぐな意味じゃないはずだ。
だとすると、『誠に、実益を重要視した、愛想笑い』って所だろう。
「エルド、シンシアは私の友達。ここに何度も来ていたのも、私の代わりに過去を調べに来ていたから。無下にしないで欲しい!」
「いくら上官に当たる誠愛様でも、個人情報をおいそれと渡す訳にはいかないんでな。最初っからお前が同伴していれば、こんな事にはならないんだ。覚えておけ」
「分かった。では、本題に入る」
「おう。ダウナフィアさんとセフィナちゃんが亡くなった事件の事が知りたいんだろ?資料はまとめてあるぞ。その机の上だ」
お?流石はエリート暗劇部員さん。
俺達が言うまでも無く資料を用意しておいてくれるとは、本当に仕事ができる人だ。
だが、このタイミングで紅茶を飲むのは致命的なミスだと思う。
ほら、うちの大魔王さんが嬉しそうに口を開いてしまった。
「セフィナが生きていた!間違いじゃない!!」
「ごふふぅぅぅぅっっっ!?げほっげほっ!!」
大魔王さんの攻撃!
クリティカルッ!呼吸器系に超ダメージッ!!
エルドさんは悶え苦しんでいる!!
「なんだって!?それじゃ、あんときの鑑定結果が間違ってたとでもいうのか!?それは、ありえない事だろう!」
「絶対に間違っている!だって、セフィナは生きているから!!」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ……。そんな馬鹿な話が……」
そう言いながらも、手早く椅子を用意したエルドさんは、俺達に座るように促してきた。
疑いながらも、しっかりと話を聞く必要性を感じたようだ。
そして、俺とリリン、エルドさんとアーベルさんの4人は机越しに向かいあった。
話の口火を切ったのはリリンだ。
「私がセフィナに再会したのは昨日の事。唐突にセフィナは私の前に姿を露わした」
「どうなってやがる?たまたま偶然に再会したとでも言うのか?」
「実は、私達には敵対している人物がいる。その敵を捕まえようと捜査していたら、セフィナが出てきた。……敵として」
「セフィナちゃんが生きていて、敵……?いや、話が飛躍し過ぎているな。まず、その敵とやらは何者なんだ?」
「準指導聖母・悪逆と準指導聖母・悪喰!」
「……これは参った。俺が想定していた以上の大問題だ」
それだけ言って、エルドさんは黙り込んでしまった。
なんか、本当に申し訳無くなってくる。
いきなりやって来たばかりか、6年も前の事件を掘り起こした挙げ句に、上官に当たる指導聖母同士の戦いに巻き込んでしまった。
……しかも、家庭崩壊の危機のオマケ付き。
何食わぬ顔で椅子に座ったアーベルさんは、ニコニコしながら事態の成り行きを見守っていた。
だが、エルドさんが黙り込むや否や、好機と見て一気に攻勢に出た。
「あ、な、たぁ。リンサベル家の現場検証の時に、「こんな……信じられない」って泣いていた私に、偉そうな事を言った人は誰でしたっけ?」
「……。」
「なんか、あの鑑定結果、間違いだったっぽいですねー。私、冤罪で破門されちゃいましたねー」
「……。」
「やらなくてもいい試験勉強を1年もした後での再試験、辛かったなー。1からやり直して、そろそろ班長になれそうだったのに、ちょっと油断したらこのお腹です。複雑だなー」
「……。」
「どう責任取るつもりですかー?鑑定してくださいよ、し、つ、ちょー」
「……。」
「黙ってないで何か言えってんですよ!この野郎!!」
俺が気付いた時には、エルドさんの頬には特大の紅葉模様が出来ていた。
まるで止める間もなく放たれた張り手を受けてエルドさんは吹き飛び、本棚に激突。
その衝撃で降ってきた本からも追撃を貰い、悶絶している。
……暗劇部員のエリートさんも、奥さんには勝てないようだ。




