第24話「追憶の、その先」
「……お母さん!……セフィナ!」
リリンサはひたすら走る。
転送屋から別れた後、ただまっすぐ道なりに進めば、自身の家。
良く見知った道順を可能な限り気力を振り絞って走り抜く。
「どいて!」
雑多に好きなことを言うだけの野次馬を乱暴に魔法で弾き飛ばせば、踏みなれた我が家の石畳。
息を切らしながらやっとの思いで辿り着いたリリンサを出迎えた光景は、全て、想像とかけ離れたもの。
花壇には可愛い花が咲いているはずだった。
妹と遊んだ水道があるはずだった。
建てたばかりの綺麗な家があるはずだった。
全てが、無かった。
それらしき残骸はあったものの、記憶と結び付くはずもなく、視線は定まらない。
破壊の痕跡の中ただ一つ、すべてを否定するようにそびえ立っているのは、リリンサの知らない白い天幕。
リリンサはこの天幕だけは視界には入れたくないと目を反らした。
「リリンサちゃん、君は無事だったのか……」
真後ろから掛けられた声。
リリンサとしてもよく知るその声の主は、不安定機構に属する魔導鑑定士の男『エルド』。
振り向いたリリンサは、彼がここにいる意味を瞬時に悟った。
魔導鑑定士は、魔法を使い様々な事を解き明かす職業。
主に、原因や要因が複雑な事件などを調べるために彼は居る。
それはつまり、ウリカウが言っていたことと一致してしまう。
"悲惨な事故に遭われ、少なくとも、家族の内の誰かは亡くなられました "
その言葉を表すかのように存在する白い天幕と、リリンサを差す憐れむ視線は、最悪の可能性の象徴。
動機と息切れの中で、リリンサはエルドに問いをかけた。
「……お母さんは、どこ?」
「ダウナフィアさんは……亡くなられた」
心音が脈打つ。
「セ、セフィナは?」
「妹さんも……だ」
「う、そ、だ……」
リリンサはここに来るまでの時間の中で、この結末を考えなかったわけではない。
ダウナフィアとセフィナは一緒の部屋に寝ている。
どちらかが一方だけ生きているのは、難しい事だと理性的には分かっていた。
しかし、感情や想いでは諦めきれなかった。
何かが間違っていると、誰かの嘘だと、頑なに認めようとしなかったのだ。
崩れ落ちるリリンサを優しく支えて地面に座らせたエルドは、足早に少しだけ離れ、撤収の準備にかかれと号令を出した。
そして再び、呆然としているリリンサに近づき、真正面で立ち止まった。
冷徹かつ事務的な声で自分の仕事を完遂する為に、しっかりとリリンサに向き合いながら、最大限の礼節でを持って、口を開いた。
「リリンサ・リンサベル様。ご家族様のお確認をして頂きたく思います。こちらの天幕へお越しください」
少女はまるで天から何かが降ってきたような動作でエルドを見上げる。
今だ乾いたままの瞳は、何色でもない無色に澄んだままで、感情を無くしてしまったかのようだった。
周囲からあがるのは避難の声。
――あんなに幼い子供に――
――あまりにも酷い――
――確認など、しようがないだろう――
内情を知る者達は各々に、しかし、隠れるようにして偽善を語り出す。
エルドを避難しながらも、この場の責任者に文句は言えないと。
エルドはそんな雑音など気にも止めずにリリンサを立ち上がらせた。
だが、この場の中で一人だけは、若き魔導鑑定士『アーベル』だけが、自身の正義を貫くべく、エルドに詰め寄る。
「班長。流石に被害者をリリンサちゃんに見せるのはどうかと思います。身元の確認は済んでいるでしょう」
「おい?なんの冗談だ?アーベル。被害者は原則として遺族に確認してもらうのがルールだ。そこをどけ」
「嫌です」
「お前は、……ダメだな。別の仕事を探すのをお勧めする。ここから出ていけ、クビだ」
「な!なんで!私は、」
「狼狽えたな。アーベル。私は、なんだ?その言葉の続きは『リリンサの為』なんて言うんじゃないだろうな?それは、被害者様とご遺族様に対しての最悪の冒涜だ」
「なんで、そうなる……んですか、わたしはただ……」
「お前は、テメェの小さい価値観で今の状態の被害者を、人間ではないと値踏みしてしまっている。人の尊厳を踏みにじるなって言っているんだ」
「ッ!」
「いいか、解っていない奴も聞け、テメェらの価値観なんかでルールを曲げるんじゃねぇ!どんな姿に変わろうと、人の尊厳を守るのが俺たちの仕事だろうが!!」
エルドは静まり返った空間の中、リリンサの手を引き歩き出す。
されるがままにその後を付いていく幼い少女を、周りの人間はただ見送るしかなかった。
「こちらです」
天幕の中。
そこにあったのは簡易テーブルと、黒い二つの遺骸。
手も足もよく分からない丸まったような遺体は、常人には判別の出来ないほどに、焼け焦げ炭化していて。
あまりにも想像と違う姿に、リリンサは戸惑う。
行動として表せたのは、頭を振って拒否の動作だけだった。
声すらあげずにエルドを見上げ、ひたすら困惑する中、淡々とエルドは仕事を処理してゆく。
「遺骸が身に付けておられました貴金属類を鑑定したところ、リリンサ様のご家族であると判断いたしました。ご確認下さい」
コトリと、机に置かれたのは母のお気に入りのブローチとセフィナの髪飾り。
見間違えるハズがない。この2つはリリンサが家族に贈ったプレゼント。
熱で歪んでしまっていても、それらは、この一年間、目にし続けた最愛の証。
それを以て、リリンサは、現実に辿り着く。
「そ、んな……ママ、セフィナ。いやだ、やだよぅ、やだ、やだ、やだぁ、……私をひとりぽっちに、しないで、よぅ……」
ついに溢れ出た涙は止まることない。
涙も声も嗚咽も、ありとあらゆる悲しみを表しながら、長い長い時の間、流れ続けていた。
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「ね、ユニク。面白く無かったでしょう?どうすることも出来ない、運が悪かっただけの話」
ぽつりぽつりと言葉切れながらも、しっかりとした口調で話をしていたリリン。
この言葉を最後に、伏せられたままだった視線を上げた。
絡む、視線。
リリンの顔は何時もの平均的な真顔のままだ。
しかし、どことなく寂しいような哀愁を俺が感じた時、分かりやすい形でリリンの目が見開く。
「ユニク……頬が濡れてる……」
「……え?」
俺の右頬に手を当てると、確かに濡れている。左頬も同様で勘違いなどではない。
見ず知らずのリリンの家族に起こった悲劇は、俺の無意識に深い衝撃を与えていた。
知覚しないまま涙として発露し、気がついたことにより、また一粒流れて落ちた。
「私の家族のために、泣いてくれたの……?」
「はは、なんでだろうな……?泣くつもりなんてなかったのにさ」
「ううん。ありがとうユニク。その涙はどんな飾られた言葉より、なによりも嬉しい」
そう言い終わったリリンの頬に、涙の跡が光る。
しかし、その表情はとても晴れやかなものだった。
「……これは、いけない。こんなに感傷に浸るとは思わなかった。こうゆう時にはどうすれはいいかユニクは知ってる?」
「いや、どうだろうな?感傷的になったことがないからなぁ」
暫くの沈黙の後、いつもの調子でリリンは話し出す。ちょっとだけ不穏な空気を出しながら。
「答えは簡単。思い出さないように別の事に熱中すればいい。なので……」
「なので?」
「明日から行う戦闘訓練は、当初のゆるい感じの予定ではなく、超絶難易度のメニューに変更となった。臨死の恐怖と絶望を、ユニクにお届けすることを約束する」
「嫌だッ!何だよ臨死の恐怖って!?もうそれ訓練じゃねぇだろッ!?本番だッッ!!」
「ふふふ、安心して欲しい。別のことを考える余裕なんてないほど過酷なメニューを考える。とりあえず、地獄のドラゴン攻めは確定っと」
「いやだぁぁぁぁぁッッ!!」
こうして、長かったリリンとお勉強の時間は、幕を降ろした。
そして、明日からが本番だろう。
俺は、強くなる。そうだな、まずは冒険者にでもなってみようか―――。




