第23話「リリンの追憶3」
ダダダと裏口から寝室の方へと駆け上がってくる足音。
ドアが激しく叩きつけられてから、幾間もなく真っ直ぐにこちらに向かってくる。
(――躊躇がない。泥棒?手慣れすぎてる?)
フワフワした寝具には似合わない武骨な杖を構えて、リリンサは短く声を発する。
「みんな窓の方へ集まって。場合によっては離脱する」
横目で奥様方の動向を確認したリリンサは、基本方針を固める。
まずは籠城。敵が手間取っている間に壁をぶち破り背後から一撃。
足音は一人分だ。一対一なら負けはない。
射出速度の早い雷光槍で意識を奪ってやる。
戦略を組み終わったリリンサは、ドアに向け幽玄の衝盾を発動、内側からもしっかりと施錠し籠城に備えた。
その時、ダダダダァンと寝室の扉を叩く音が響く。
「おい!俺だ!ウリカウだ、開けてくれ!!」
「あ、あなた……?」
予想していない声と言葉。
まさしく聞き覚えのあるこの声は店の主人、ウリカウの声だ。
「おい!開けてくれ!そこにリリンサ殿はいるのか!?おい!」
「あなた……落ち着いて、商談はどうしたの?」
「それどころじゃない!リリンサ殿は何処だ!」
壁越しにウリカウは言葉を投げ散らかした。
いつも冷静なウリカウが見せるとこの無い慌てた声は、奥様方を必要以上に不安がらせている。
様子が変だと気づいたリリンサは、どうやら私が何かしたようだと感付き、問いかける。
「……私が何かした?」
「おお!そこにいるのか。ワタシと一緒にご実家に帰りましょう。早く!」
「意味が分からない。説明が出来ないなら貴方を依頼主本人と認められない。侵入者として排除するしか無くなってしまう」
「あなた!少し落ち着きなさい。いい歳でしょう?」
「っ!あ、あぁ、そうだったな……みっともない」
リリンサは警戒を解かないまま、室内にいる全員に幽玄の衝盾を発動。
これで、もしもの場合も初撃は防げる。
万全に準備した上で、扉の施錠を外した。
キィと軋みながら開く扉。力一杯に叩きつけられていたせいだろう、蝶番が曲がってしまっていた。
そして現れたのは、この店の主人、ウリカウ。
本人である。本人であるが顔色は青く、商人にあるまじき、くたびれた表情。
「私に何か用がある様子だった。理由を話して」
「リリンサ殿の住む町、『エデュミオ』にはリンサベル家は複数有るのかい?」
ん?と首をかしげるリリンサ。
意図する思惑が分からず、困惑しながらも質問には答えた。
「いや、無いはず。エデュミオの街に親戚は居ないし、聞いたこともない。不安定機構でも、リンサベルという名字は私とお母さんしか登録されていない」
待ち構えていたのは、絶句だった。
この答えは、質問に対して的確な答え。
そして、もっともウリカウが聞きたくなかった答えだった。
「そう、ですか……」
明らかな落胆の色に変わってしまった顔を奮い立たせ、ウリカウは意を決して話し出す。
「リリンサ殿。落ち着いて聞いてください。あなたの家族が悲惨な事故に遭われ、少なくとも、家族の内の誰かは亡くなられました」
「………………え?」
再び訪れた絶句は、室内にいたリリンサと奥様方のものだった。
目を見開き固まっているリリンサは、ふるふると頭を揺らし、かすれた声で「嘘。」とだけ呟く。
「嘘などでは御座いません」
「嘘だ……」
「いいえ、リリンサ殿。ワタシはこの目で見てしまいました。貴女様の自宅はもう……」
「なにかの、まちがい……」
「白い壁と茶色い屋根の自宅ではないですか?もしそうなら、ワタシと共に帰りましょう。家族の方が貴方を待っているかもしれません」
「そんな、お母さん……セフィナ……」
それから、呆然としているリリンサを置いて急速に事態は動き出す。
早馬車を借り受け、身支度もままならないリリンサと荷物を詰め込むと、ウリカウは再び馬車に飛び乗る。
そして、「東の転移屋へと走り出せ!」と声を放った。
リリンサは馬車の中で事のあらましを聞いた。
ウリカウの宿は偶然にも、リリンサの自宅付近だったこと。
日の出よりも少し前に起き出し、商談内容の確認をしていた時、外で激しい爆発音がしたこと。
暫くしても騒ぎは大きくなる一方で、上がる煙は商談相手の店の方角、なんとなく気になって見に行ったこと。
燃えていたのはただの民家で、凄惨にも原型を止めていないほどの爆発があったらしいということ。
倒壊した家屋の横に、遺体収容用の天幕があったこと。
聞いた話では、逃げ出した指名手配犯が苦し紛れに魔導具を暴発させたということ。
そして、ふと見たその家の表札が、リンサベルだったということ
――それからは全てを放り出して、馬車を走らせました。そう締め括られた言葉を最後にウリカウは沈黙を始める。
百戦錬磨の商人とて家族を失ったことはなく、駆ける言葉が見つからない。
ただ響くのは馬跌の響く音だけだった。
※※※※※※※※※※
「おい!転送屋、早く開けろ!」
「はいはい~いらっしゃいませ~おや、ウリカウの旦那ではないですか」
町外れにひっそりと佇む、縦に長細い小屋。
四面が豪華な装飾で覆われたこの小屋は、『転送屋』を利用する為に設置された専用の転移ゲートだ。
安心、安全、最速。を謳い、なにかと事故の多い異空間魔法で安全に人間を運ぶ職業、『転送屋』。
ウリカウは急を要する事態だと判断し、躊躇いもなく、ここにリリンサを連れてきた。
世間では利用料金が高すぎて商人の敵とすら言われ、ウリカウも利用したことはない転送屋。
しかしウリカウは、急を要する場合ー例えば妻が急変した場合などーに備え、近隣の位置は調べさせていたのだ。
「ワタシ達二人を、『都市エデュミオ』まで頼む」
「はいな、お一人様35万エドロ、お二人で70万エドロになります」
「な!高すぎではないか!?」
「時は金なりですよ、旦那。私共は、どの組織、国家、言うなれば一介の商人とて贔屓したりは致しません。すべて平等にて一律。払うか、払わないか。それだけが切符なのです」
ウリカウは生粋の商人だ。
だからこそ、この言い分は正しいと理解している。そして、迂闊にここに来てしまったことを恥じた。
ウリカウの財布の中には、個人としてのお金しか入っていない。
急な物入りにも対応できるようにと多目には入っているが、その額は50万エドロほどで、二人分には程遠かった。
「くっ!仕方あるまいて!リリンサ殿。ここからはワタシは行けません。幸にして私の宿には転移ゲートが有りました。自宅はすぐそこです」
ウリカウは表情を閉ざしてしまった少女を前に、不安が過る。
いざとなったら担いででも家族の元に送り届けとようと決めていたからだ。
ウリカウとリリンサは初めて会ってから、事務的な言葉しか交わしていない。
それでもなお、ウリカウが身銭を切ってまで手厚く対応した理由。
それは商人としてではなく、近々生まれてくる我が子に恥じぬ為。
父親足るもの、家族と共にあるべし。
実家がそうでなかったが為に、家族の絆には思うところがあったウリカウ。
ワタシは結婚はしない、と口癖のように語っていた彼は、いつの間にか父親となっていた。
時期的にも感情的だったかもしれない。
しかし、悲劇を知ってなお無視をすることは、お人好しな性格のウリカウには出来なかったのだ。
「さぁ、転送屋。早くリリンサ殿を送ってやってくれ!」
「ほい。承りました。こちらへどうぞ」
ガチャリと扉が開く。
小屋の中は人が三人ほどしか立っていられないほどの広さしかなく、小柄なリリンサでさえも圧迫感を感じるほどだった。
「リリンサ殿、今は緊急時です。ワタシの事など忘れてくださいませ」
「……うん。ありがとう」
短い挨拶をかわし、ウリカウは頷く。
その意思を理解してか、転送屋は扉を閉めた。
すぐに小屋の中から鳴ったシュワリと弾けるような音は、転送魔法特有のものだ。
「あぁ、どうか神よ。あの少女に慈悲と希望を与えたまえ……」
彼は一点の曇りもない純粋な心で、居るとされている神に祈りを捧げた。
届くことの無い、祈り。
そんな彼の祈りなど、神は見ていないだろう。
たとえ偶然見ていたのだとしても、神はただ眺めているだけ。
この世界を作りし神は、『傍観者』なのだから