第95話「裏切り」
「ほら、固まってねえで面白いリアクションでもしてくれよ。リリン」
なんということだ……。
まさか、メナファスが俺達の敵だったなんて……。
くっくっくっとメナファスは愉快そうに笑い、俺達の出方を窺っている。
演技がかったその態度は、ついさっきまでセフィナが追い込まれ窮地に立たされていたとは思えない程に落ち着いたものだ。
『心無き魔人達の統括者、無敵殲滅・メナファスファント』
リリンが全幅の信頼を置く仲間の一人であり、ほぼ、リリンと同じ戦闘力を持つ。
そんな彼女が、俺達の敵。
俺にとってもリリンにとっても、とてつもない衝撃の事実に思考が止まる。
そんな中、リリンはやっとの想いでか細い声を絞り出し、つぶやいた。
「いつから……?一体いつから、メナフは敵になったの……?」
「くくく、それを聞いたらビックリするぜ。なにせ……オレがこっち側に着いたのは昨日だからな」
「……。え?」
「だから昨日だよ。何か勘違いしているようだがな、オレはお前らが言う所の敵じゃねえぞ」
「ど、どういうこと?」
なん……だと……?
敵になったのは昨日?
メナファスは昨日の闘技大会の後で、俺達の敵を探すと言ってくれた。
それが嘘だったのか、それとも、俺達と別れた後で何かがあったのか。
現段階では判別が付かない。
だが、一番重要な事は、これはメナファスの意思なのかどうか、だ。
敵は指導聖母であり、どんな手段を使って来るか分からない。
考えられるのは、洗脳や魔法での意識改変などの外道な手段でメナファスを支配されてるケース。
それに、人質を取られて仕方なく従っている場合など、考えたらきりがない。
そこん所をどうにか探る。
俺は狙いを定めて、メナファスに向きあった。
「メナファス。何があったか教えてくれないか?」
「いいぜ。昨日オレは約束通りに酒場に行った。んで、セフィナに出会ってな。一目で分かったぞ、コイツは面白いことになってるってな」
「俺達にとっては、全然面白くないけどな」
「いいや面白いんだよ。セフィナから話を聞いた時は、笑い転げるかと思ったくらいだぜ。で、オレはお前らからセフィナに乗り換えたって訳だ」
面白いことになってる、だと?
メナファスの態度は本当に面白そうで、くくくと笑い声が漏れているほどだ。
沸々と俺の中で、苛烈な感情が煮え立つ。。
リリンの人生が大きく歪んでいるというのに、笑っている場合じゃないだろうがッ!!
だがこの感情を表に出さないように、必死にこらえた。
ここで俺まで冷静さを失ったら、一気に形勢を逆転されるからだ。
だが、一番の当事者たるリリンは我慢が出来なかったようだ。
平均的な表情を崩し金切り声をあげながら、感情のままに叫ぶ。
「どうして!!どうして裏切った!!私達の友情は、そんなに簡単に崩れてしまうものだったというの!?」
「そうさなぁ。オレはリリンも大切な友達だと思ってるぜ。だからこそセフィナ一人分、こっちの方が優勢だったんだよ」
メナファスは悪びれる事も無く、真っ直ぐにリリンを眺めている。
そんな堂々とした風貌と、一切の揺らぎの無い声で語られた言葉は、俺とリリンの感情を揺らした。
セフィナ一人分、優勢だった?
それはつまり、リリンに匹敵する何かが敵側にあるって事か?
だがこれで、少なくとも洗脳はされていないという事が分かった。
そして、これ以上の詮索は、無駄になるだろう。
心の中に渦巻く疑問を上げたらキリがなく、それを全部検証するには時間が足りなすぎる。
俺達とメナファス・セフィナが敵対してしまった事実に変わりはなく、前に進むしか道は残されていないのだ。
俺とリリンは共に頷き、それぞれ持っている武器をメナファスに向けた。
そして、俺はメナファスに問いかける。
もっとも楽観的な、希望的観測を。
「メナファス。これ以上問答をしても誤魔化されるだけだろうから、結論から言うぞ。セフィナを連れて、俺達に寝返りかえせ」
「おっと。そういうのも悪くねえなぁとは思うんだがよ。……ま、無理な話だわな」
「どうして無理なんだ?」
「そりゃあ簡単だよ。……時間切れだ」
「――そうだとも、時間切れさ。」
その声は、周囲360度全方向から聞こえた。
耳元で囁かれたようにも、遠くから怒鳴られたようにも聞こえるそれは、セフィナやメナファス、当然、俺やリリンのものじゃない、完全な第三者の声だ。
いきなりの声に警戒を発し、身構える。
するといつの間にか、メナファスとセフィナの横に『白』が出現していた。
それは、『白』としか表現のしようのない明らかに異常なオーラ。
それを纏ったその人物は、顔も背格好も体型もまったく認識できず、個人を認識する為の一切が秘匿されている。
辛うじて人の形に見えるというだけの、それ。
色は白でありながらも、まるで、虚偽と欺瞞が光を発しているかのようなその姿に、俺とリリンは直ぐに察することが出来た。
あれこそが、敵の主要人物『白い女』。
ワルトと同じ階級の指導聖母であり、元凶だ。
俺は怒りの感情を瞳に乗せ、その敵を睨みつけ……ぐあああ!眩しすぎるッ!!
直視するのですら困難な眩い光に、俺の網膜が痛みを発した。
「おい!いくらなんでも認識阻害を掛け過ぎだろッ!!」
「これくらいないと、そこのリリンサには見破れてしまうからね。用心さ」
「くッ!流石は、悪人極まる指導聖母の一人だ。まともに視線を向けることすら出来ないとはな……」
「おっと、眩しすぎたかい?ごめんごめん、少し照明を落とすよ。二段階くらいで良いかなー?」
そう言って敵の白い女は、発していた光を弱めた。
直視困難だった光が、普通の炎くらいな眩しさへと変わっていく。
……シリアスムードなのは分かってるが、一つ言ってもいいか?
その光、調整できんのかよッ!?
まるで電球の光度を切り替えるくらいに気軽に変えやがって!
これなら十分に面と向かって会話が出来る。
なるほど一家に一台欲しいかもしれないと思っていると、ふと、良からぬ考えが脳内をよぎった。
……もう少し光を抑えてくれたら、顔が見えるんじゃねえか?
よし、試してみよう。
「くうッッ!確かに光は弱くなったが、まだまだ眩しすぎるぜ!ぐああ!後三段階くらい光を下げてくれ!!」
「そうかい。それじゃあ、もう少し下げ……おっと、手が滑って最大になってしまったよ」
「ぐあああああああ!!目がッ!俺の目がぁああああああ!!」
「そんな手に引っ掛かるのは、脳味噌が胃袋なアホの子くらいなもんだよ。姉妹だねぇ、血筋だねぇ」
くぅうううう!流石は敵のボス。
攻守ともに隙がない!!
……で。敵ですら、セフィナの事をアホの子扱いしてるじゃねえか。
リリンはしっかりしているようで平然とボケをかましてくるし、セフィナは天性のアホの子だ。
脳味噌が胃袋。
うん、納得の暴言だな。
「さて、本題に戻すとしようかねぇ。僕は指導聖母だから礼儀を重んじる。だから自己紹介をしてあげるよ。……僕こそがキミ達の敵だ。どうぞよろしく」
そう言いながら敵は、大仰そうに一礼して頭を下げた。
それはまるで無防備な、ありえない行為。
武器を構えている俺達を前にして視線を外し、急所たる頭を差し出したのだ。
それがどれほど愚かな行為なのかを知らない人物はこの場に居ないし、恐らく敵も、あえてそれをやっている。
つまり、敵はこう言いたいのだ。
『隙を見せた所で、俺やリリンに勝利する自信がある』……と。
「はっ、随分と余裕じゃねえか」
「そりゃそうさ。文字通り、僕と君らじゃ、強さの桁が違うからね」
「桁が違うか……。ふ、それは本当にそうなのか?俺はついさっき、タヌキ帝王をぶっ飛ばしたほどの男だぜ?」
「……は?なんだって!?」
なんとなくタヌキ帝王を引き合いに出してみたら、敵の肩はビクッ!っと震えて、小声で「え。ちょっと待って……」と呟いた。
おう。随分と食い付きが良いじゃねえか。
タヌキ帝王の強さと絶望を知っているなんて、そこらの雑魚冒険者とは大違い。
流石は指導聖母だ。
そして、思わぬ所で収穫があった。
この敵はタヌキ帝王の戦闘力を恐れている。
ならタヌキ帝王よりも弱い可能性が高く、手助けがあったとはいえニセタヌキをぶっ飛ばした俺なら、勝負にならないなんて事はないはずだ。
リリンとメナファスの戦闘力はほぼ同じ。
俺とこの白い女も、どちらか一方が圧倒的という事でもない。
セフィナが復活する前ならば、充分に勝てる見込みはある。
急いで戦闘を始めたい俺は、グラムを握り直して敵にアピール。
だが、敵はニセタヌキの事が気になるらしい。
「ちょっと聞かせておくれよ。まさか……この子と一緒にタヌキ帝王まで来たって言わないだろうね?」
「は?そうに決まってるだろ?」
「マジか……。タヌキに取り憑かれたとか冗談じゃないんだが……。そのタヌキ、キミにあげるよ」
「いらねぇよッ!!」
いやいや、なんでお前まで困ってるんだよ!!
セフィナのペットって事は、お前のペットって事でもあるだろ!?
いや待てよ……?
確かニセタヌキはクソタヌキと双子だという話だったよな?
だとすると、確実に食い意地が張ってるだろうから、餌目当てにセフィナと一緒に居るという可能性も十分にあるぞ?
ここまで思考を進めた段階で、俺に電撃的ひらめきが走った。
タヌキと一緒に屋台を回ってたのって、セフィナかよ!!
ギリギリすれ違うとか、ついてないにも程がある!
つーか、姉妹で屋台村を壊滅させてるとか、さすが姉妹だ!!
「で、本当にタヌキ帝王を倒したのかい?」
「あぁ、スペシャルな方法で、分裂したニセタヌキを全部吹き飛ばしてやったぜ」
「分裂……?うわぁ、何その状況。凄く見たかったんだけど!」
何?その状況を見たかっただと?
またもやニセタヌキが情報をもたらした。
コイツは非常に腹が立つ存在だが、クソタヌキよりは使えるらしい。
この白い女は、俺とニセタヌキの戦闘を見ていないという。
ならば、俺のグラムの力を知られていないかもしれない。
どんどんと俺の勝機が積み上がっていく。
これはチャンスだ。
このまま一気に敵を撃ち滅ぼして、こんな戦いを終わらせてしまおう。
早速、タヌキ談義を切り上げようとした所で、リリンは恐ろしい程に低い鈴とした声で、威嚇を放った。
静かだった超魔王さんの怒りが爆発。
まさに魔王なオーラを撒き散らし、敵味方関係なく恐怖の波動を叩きつけている。
……ごめん。
シリアスムードがいきなりタヌキまみれになれば、怒られても仕方がない。
「いい加減にしろ。タヌキを議題にじゃれ合ってる場合ではない。そして、速やかに死んでほしい。」
「おやおや、死んでほしいなんて軽々しく言うもんじゃないねぇ。……人は死んだら、そう簡単には生き返らない。元々死んでいませんでしたという酷いオチでもない限りねぇ」
「……今の言葉を聞いて、お前が全ての元凶だと理解した。絶対に許さない。」
「いやいや、許すとか許さないとか、そんな裁量権はキミには無いよ。なにせ、キミじゃあ僕に勝てないからねぇ」
「黙れ。どれだけお前が強くとも、この魔王シリーズを攻略できるはずがない。それこそ、英雄でもない限り不可能。」
「ははは。英雄を知らないキミが、英雄の何を語るというんだい。……そんなおもちゃを並べて僕に勝とうだなんて、滑稽だねぇ、愉快だねぇ」
そして敵は、薄っぺらい声で嗤った。
その嗤い声は心の底から笑っているようにも、感情が一切籠っていない嘘のようにも聞こえる不気味なモノだ。
そして、ひとしきり嗤い続けた白い女は、パチリ!っと指を鳴らし場の空気を切り替える。
厳粛な語り部のような雰囲気を出し始めた白い女は、白々しい程に簡単に、俺達へ事実を突きつけてきた。
「これを見てごらん。《サモンウエポン=ゆにクラブカード》」
「な!そ、それは……」
「そう、ご存じ、いや……キミは何も知らない、ゆにクラブカードさ。色だって僕はキミと同じブラック。最上級ということだね」
「だとすると、お前は、ユニクの過去を知っている……?」
「そうとも。知っているんだ、何もかもね」
敵の手に握れられているのは、一枚の真っ黒なカード。
まさか……ワルトの仮説があっていただと……?
だとすると、俺にとっても最悪の展開となる。
死んでいるはずのセフィナ。
俺の過去を知るクソタヌキの双子、ゴモラの登場。
親父の弟子、アルカディアさん。
そして……無くした俺の過去を知る、敵の『ゆにクラブカード所持者』。
バラバラだった物語が、一つに収束してゆく。
俺もリリンも、誰かの掌の上で踊らされているのは確定的。
そしてそれはおそらく、目の前の白い女が引き起こした事だ。
「なぁ、お前の目的は何なんだ?俺が忘れている過去に、何があったんだ?」
「後半の質問に答えるつもりはないよ。だけど、サービスして前半の質問には答えてあげよう。……ユニクルフィン。僕のものにならないかい?」
「……なんだと?」
「いろいろ理由はあるんだけどね。一番の理由は……好きなんだよ、キミの事が」
いきなりの展開に、鈍器で殴られたかの様な衝撃が走る。
ワルトが立てた仮説では、ゆにクラブカードが示す階級とは、俺と一緒に過ごした時間である可能性が高いらしい。
だが、そんなの関係ないな。
これだけの事をしでかしてるんだ。今更、幼馴染だと言われても簡単に許せるわけがない。
それにタイミングも遅かったぜ。
初恋すら知らない俺だったのならば、そんな真っ直ぐな好意向けられたら揺らいだかもしれない。
だが、甘酸っぱい初恋が茶色い絶望に包まれ夢も希望も葬った今、そんな気分じゃねえしな。
だからこそ、俺は敵に思い切り決別を叩きつける事が出来た。
「はっ!悪いがな、お前のものになるつもりはねえよ!」




