第21話「リリンの追憶1」
「行ってきます!マ……お母さん」
「あら!ママって呼んでもいいのよ?」
「もう、そんな歳じゃない!」
「ふふ、10歳じゃ大人だものね、リリン」
そう言いつつも、その少女・リリンサは笑っていた。
銀の刺繍があしらわれた魔導服を着こなしながらも、未だに慣れきっていない装いで、母・ダウナフィアを見上げている。
対するダウナフィアは黒い内政官の制服の上に場違いなエプロンを完璧に着こなした、主婦の鏡とも言える格好。
不安定機構の多忙な内政官をしながらも、家事育児に心血を注ぎ、愛する愛娘たちをしっかりと育て上げていると近所でも評判の良妻だった。
その愛情を一心に注がれながら育ったリリンサは、少しでも母の為にと『不安定機構の使徒推薦』を取得し、今まさに何度目かの任務に赴く。
最初こそ緊張したものの、順応性の高いリリンサはそつなくこなし、今はもう一人で任務に赴くことも多くなった。
しかし、その事を快く思っていない人物が一人。
リリンサにとって、とても大切で、とってもカワイク無い、妹のセフィナだ。
昨日も一昨日も、顔を会わせれば、遊んで!遊んで!!と喚き散らす小さな怪獣は、リリンサが魔法の練習をしたいときでもお構いなしに、遊んでとせがんでくる。
そして、泣く。すぐに泣く。
遊びを断れば泣き、遊んでいて転んでも泣き、勝負に負けても泣く。
そして、泣き止んだかと思ったら、すぐに対策を考えて遊んでと凄んでくるのだ。
色んな魔法を覚えたい年頃のリリンサは、この小さな怪獣に苦慮することも多かった。
セフィナの前で魔法の練習が、どうしても出来ない理由があるからだ。
今日も小さな怪獣は、パタパタとドタドタを混ぜたような足音で、純黒の結われた髪を揺らしながらも、リリンサの元に駆け寄った。
「あ!おねーちゃん!どこ行くのーー!!」
「任務。」
「ダメー!遊んでー!」
「今日は無理。セフィナとは遊んであげられない」
「嫌なの!遊んで!」
「……セフィナ」
リリンサはセフィナの名を読んだ後、自身の首元に付いている小さな鈴を指で弾いた。
リィンと短くなる音を聞いたセフィナはビクリと体を震わせながら、リリンサを見つめる。
この鈴はリリンサが通う魔導学校の制服に付いている装飾品で、ダメージ軽減の効果がある魔導具だ。
そして、この服を来ているときはセフィナと遊べない。したがって叱責をするときは必ずと言って良いほど鈴が鳴り、セフィナはこの音に恐怖を覚えていた。
「セフィナ。お姉ちゃんがこの服を来ているときは、お仕事か学校だって知っているよね?」
「……うん、でも、」
リィン。
「お姉ちゃん、怒るよ?聞き分けの無いセフィナにはいっぱい怒っちゃう?」
「むぅ、嫌なの……どーしてもダメなの?」
「そう、どーしても。あ、もしかして、セフィナはお姉ちゃんが何しに行くのか知らない?」
「知ってるわけ無いもん。連れてってくれないもん」
「ふふ、聞いてセフィナ。お姉ちゃんはお菓子を貰いに行くんだよ?」
「お菓子?」
それは、セフィナを言いくるめるためにリリンサが考えた、取って置きの、嘘。
今回の任務は一週間と長い。
任務から帰ってきたときにセフィナが泣きじゃくるのは確定的だった。
ならばと、リリンサは予め考えておいた嘘を餌に、セフィナを釣ることにした。
「ふふ、隣町にはそれはもう、とっても美味しいお菓子がある。甘くて蕩けて、サックサクな夢のようなお菓子。その名も『ハチミツ練乳・キャラメリゼ』という」
「ハチミツで練乳でキャラメルなの!?美味しそう!」
「そして、私が今から行くのはお菓子も取り扱うお店の護衛任務。その報酬は食べきれない位のお菓子と決まっている」
「食べきれないくらい!?すごい!!」
「セフィナが良い子にしてるなら分けてあげても良い。一緒に、『ハチミツ練乳キャラメリゼ』を食べたくない?」
「食べたい!」
「じゃあ、セフィナにも任務を言いつけます。『鈴令の魔導師・リリンサ』の補佐官、セフィナ・リンサベル。私が帰還するまでお母さんのお手伝いをしながら護衛をしていて」
「わかった!お姉ちゃんも、途中でお菓子つまみ食いしちゃダメだからね!ちゃんと半分こだからね!」
「分かってる」
リリンサはセフィナの頭をゴシゴシと撫で付けると、どうやって自分の分のお菓子を確保しようかと考えていた。
お菓子で釣った以上、美味しそうなものは全部とられる勢いでワガママを言ってくるに違いない。
ふっと笑みがこぼれ、だったら本当に食べきれない程のお菓子の山を作ろうかと密かに決心した。
その時、無抵抗で大人しく頭を撫でられていた小さな怪獣は、再びリリンサを悩ませるような事を言い出す。
「あ、おねーちゃん!コレだけは見てって!ママ!何かない?」
「?」
「まあまあ、セフィナったら。んーその古いスリッパならダメにしても良いわよ」
そのやり取りを聞き終えたリリンサに、悪寒が走る。
まだ言葉足らずなセフィナの思惑に気付いてしまった。
そして、それこそがセフィナの前で魔法の練習が出来ない理由。
そんな馬鹿な、セフィナの前では新しい魔法は使ってないはず、と思いつつも事の成り行きを見ているしかなかった。
「見てて!おねーちゃん!《幽玄の壁、悠久の光、あまねく一つの矢は放たれしも、願った想いすら届かずに、この盾に阻まれ、潰える運命なのだ!―幽玄の衝盾―発動!」
これはリリンサもよく使うランク3の魔法。
比較的使いやすいとされながらも、魔法の才能がなければ扱えないとされる、ランク3の代表格みたいな魔法。
この魔法は、とてもじゃないが7歳の子供が扱えるようなものではない。
10歳のリリンサが使うのでさえ周囲からは天才少女と持て囃されているくらいなのだ。
しかし、古くなっていたスリッパに、虹色の光が一瞬だけ灯った。
紛れもなく魔法の成功によしっ!と小さな怪獣は跳ねる。
しかし、リリンサは、さして驚かない。
この幽玄の衝盾はリリンサが教えたものだった。
身を守る為の魔法をリリンサは、積極的にセフィナに教えている。
だからこそ、この魔法では驚かないことなどセフィナも分かっているはずなのだ。
まさかと思う当たりは、一つだけあった。
リリンサは魔法の練習をするときに目標に幽玄の衝盾を掛けてからその目標に魔法を撃ち込む。
魔導学校で習った、威力を図るやり方。
一度だけ見せてしまったことの実演だと気づいたのは、セフィナが2度目の魔法詠唱を始めた後だった。
「《天駈ける閃雷は人智を越えし囀り。轟く破砕の唄を、鼓動を止めし弱者は迎えよなーのだ!―雷光槍―発動!」
「なっ!《三重奏魔法連―幽玄の衝盾―!!》」
カッと室内に光が走る。
とっさにリリンサは自分と母と妹に『幽玄の衝盾』を発動させる。
ギリギリ間に合ったのはリリンサが詠唱破棄で魔法を唱えられたからだろう。
そして、光が収まった後には、無傷なスリッパと破壊された下駄箱が玄関に散らばっていた。
「あ、靴入れ壊れちゃった……ごめんなさい」
「あらあら、まあまあ、」
「せ、ふい、な!」
直ぐ様、リリンサに捕獲されたセフィナ。
ワチャワチャと脇の下をくすぐられ、悲鳴をあげた。
リリンサが怒ったときにする最上位のお仕置き、『くすぐりの刑』は的確にセフィナを攻め立てていく。
「うひゃ、やめてぇ、おねーちゃ……らめぇ!ら、や、らめなのぉぉぉぉぉぉ!」
「セフィナ、その魔法いつ覚えた?いつなの?教えなさい!」
「一週間まえから、うひゅ、練習して、たぁの。らめぇ、もうらめてぇ!」
「一週間で覚えた……と?」
リリンサがセフィナの前で魔法の練習が出来ない理由。
セフィナは、リリンサが使った魔法をことごとく真似てしまう。
真似れてしまうのだ。
それは、紛れもない天才の所業。
セフィナの発動させた『雷光愴』はランク4に位置する魔法。
リリンサはこの魔法を扱えるようになったなったのは、つい、一ヶ月ほど前のことで、魔導学校で二ヶ月の特別授業を経て覚えたこの魔法は、リリンサがこの時扱える魔法で最高位だった。
セフィナにこの魔法を見せてしまったのは一週間前。
お昼寝の時間を狙って練習していたリリンサは、いつの間にか起き出してきたセフィナの目の前で発動させてしまっていた。
直ぐに練習は中止したものの、この魔法は自分でも苦労したという経験が、一度見たくらいでは出来るわけ無いと思考を鈍らす。
結果的に、セフィナと、『この魔法は使うな』と約束することは無いままだったのだ。
だが、セフィナはたったの一週間で見事に魔法を発動させた。
破壊された下駄箱を見れば、精度はともかく威力は十分で、扱いを間違えてしまったなら怪我どころでは済む筈もない。
リリンサは自分の迂闊さに冷や汗をかきながらも、胸の中の小さくて偉大な魔術師を見下ろした。
この子が真似をするようになったのはいつの頃からだっただろうか?
リリンサが5歳で覚えた魔法を、セフィナは4歳で使えるようになった。
7歳の魔法は5歳で。
9歳の魔法は6歳で。
そして10歳の今、とうとう覚えたばかりの魔法までも、セフィナはあっという間に覚えてしまった。
魔導学校でも並び立つものが居ないなどと持て囃されているリリンサにとって、セフィナの才能こそが本物なのだと思えてしまった。
……だからこその、葛藤。
愛らしい妹としてのセフィナ。
憧れるべき魔導師としてのセフィナ。
無邪気に、純粋に、褒めて欲しいと、リリンサの真似事をして見せる笑顔は、愛憎混じり合う感情を呼び起こす。
そして、リリンサは――
「……セフィナは凄い。おねーちゃんはビックリしてしまった。これはもう、ご褒美として、お土産は凄いものを買ってくるしかない!」
脇の下からそっと手を抜き、頭を撫でる。
優しく大切なものを磨きあげるように。
リリンサにとって、どんなに可愛げのなくても、姉としてのプライドを傷つけられようとも、たった一人の大切な妹、セフィナ。
その事実は変わりようもないことだった。
「やったー!おねーちゃんに褒められた!」
「でもね、セフィナ。これからは新しい魔法はお姉ちゃんが居ないところでは使ってはダメ、危ないから。約束して」
「うん!靴入れ壊してごめんなさい!約束します!」
華奢な小指同士が絡み合い、指切りを結ぶ。
大事な約束をするときの二人の儀式は一度たりとも破られたことはない。
今回も何事もなく結ばれるかと思いきや、リリンサの頭上から声がかかった。
母、ダウナフィアだった。
「リリン!馬車の時間が過ぎてしまうわ。そろそろ、出ないと!」
「あ、そうだった!あまり時間がない……セフィナ、お姉ちゃんが帰ってくるまで雷光愴は禁止。約束破ったらセフィナの分の『ハチミツ練乳キャラメリゼ』は無いと思った方がいい」
「やだ!『ハチミツ練乳キャラメル』はセフィナのだもん!!」
「では、使ってはダメ。約束だよ」
「分かった!」
もう一度だけ頭を撫でるとリリンサはダウナフィアへと視線を向けた。
「行ってきます。お母さん」
「行ってらっしゃい、リリン。元気で良い子にしてるのよ?」
キュッときつく抱き締めてくる母に身を任せながらも、少し恥ずかしそうなそぶりで、「大袈裟なんだから、お母さんは」とリリンサは微笑み返した。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
「お姉ちゃん!お菓子楽しみにしてるよ!」
リリンサは走り出す。
馬車の時間を気にしながらも、その思考はセフィナに似合う魔導服を探さなければと、巡らせていた。