第87話「運命の時報」
「う”ぎるあ!人間の町には珍しいものがいっぱい!いろんな匂いもいっぱいする!!楽しい!」
「そうだね。森には無いものも多いと思う。あ、アルカディア、クレープ食べる?」
「すんすん。食べたい!」
「よし。定員さん、このミックス蜜柑スペシャルが二つ欲しい!」
美少女二人を侍らせて、俺は道の中央を歩く。
あぁ、両手に花状態とは、まさにこのことだ。
俺は今、人生の絶頂にいる!
……んだったら、良かったんだけどなぁ。
現実とはかくも残酷なもので、俺が実際に握っているものは二人の手じゃ無く、購入した服やら生活雑貨が詰まった袋だ。
聞いた話によると、アルカディアさんは着ている服以外は、櫛しか持っていないらしい。
むしろなんで櫛を持ってるんだと聞いたら、「おじさまから貰った」そうだ。
なんとなく見せて貰ったら、だいぶ使い込んでいるようで、随分とボロイ……というか、その挟まっているものは……。
おっといけない。これ以上はアルカディアさんの名誉の為に、思い出してはいけないのだ。
「はむぅ。もぐもぐ……う”ぎるあ~ん!」
「もぐもぐ。さっぱりでフルーティな蜜柑と、濃厚な生クリームが完全に調和している。凄く美味しい!」
アルカディアさんは、そんな櫛しか持っていないと言うもんだから、必然的に購入する物は多くなる。
結果的に、俺は合計10個以上の紙袋を持つ事になり、『両手にお荷物』状態。
二人の後ろを着いて行くので精いっぱいだ。
なんか、想像していたのとはだいぶ違う……。
だが……。
「ユニなんちゃらも食べる?はい、あーん!」
「あっ!!」
「もぐ!もぐもぐ……うまいな!」
「クレープおいしいね。好き!」
「……むぅ。油断していた……」
想像していたのとはだいぶ違うが、これはこれで楽しいものだ。
まぁ、女の子の荷物持ちを出来るってだけで、光栄な事なのかもな。
さて、そろそろメナファスとの約束の時間が近づいてきた。
リリンやアルカディアさんを放っておくと、いつまで経っても買い食いが続くだろうし、纏めに入らないと。
「アルカディアさん、他に必要な物は無いか?」
「えっと……。頼まれてた柔らかいタオルとか大きいリュックも買ったし、お土産のバナナも買った。完璧だと思う!」
俺の持っている紙袋の一つには、有名菓子店の『たっぷりバナナロール』が入っている。
町を散策していた時にアルカディアさんが発見し、『これはお土産にする。お師匠様は無類のバナナ好き!』と喜んで購入していた。
……どうやら、アルカディアさんとの友好関係は悪くないらしいな。親父。
だが、バナナはどうかと思うぜ?
それは魔獣の好物だ。
英雄として、食ってはいけない物な気がする。
「じゃ、リリン。俺達はそろそろ、待ち合わせの場所に行くか?」
「ん、そうだね。アルカディア。待ち合わせ場所は、町のはずれの廃教会なんだけど一緒に行く?」
俺達はアルカディアさんに視線を向けた。
午後に訓練があるとは聞いていても、具体的な話は何も聞いてない。
そして、リリンは気が付いていないだろうが、その訓練を行う場には親父がいるはずだ。
これは、ちょっとした緊急事態だ。
なにせ、リリンは『アルカディアの師匠とやらは、年頃の女の子に自分のパンツを履かせるド変態』だと思っている。
そんな状態で颯爽と表れる、全裸英雄・ユルドルード。
……完全に事件だろ。
だから、アルカディアさんの答えによっては、俺は覚悟を決めなくてはならない。
「お師匠様が迎えに来る」などと言われた日には、ついに俺は親父と邂逅を果たし、銀河終焉核を撃ち込む事になるはずだ。
初恋の人が実の父親のパンツを履いていた絶望は、忘れてねえんだよッ!親父ぃ!!
俺が心の中でグラムを素振りしていると、アルカディアさんは、名残惜しそうに口を開いた。
「んー、今日はお別れ。リンなんちゃら、ユニなんちゃら、買い物は楽しかった。また遊びに来ても良い?」
「もちろんいい。いつ来ても、美味しいご飯を食べさせてあげると約束する!」
「そうだぞ。町にも慣れてないみたいだし、困ったことがあったら遠慮せずに訪ねて来てくれ。……っと、リリン、なにか連絡を取れる手段はないのか?」
「不安定機構に聞けばいい。私達は拠点を移動する場合は必ず、不安定機構に話を通してから町を離れる。行った先でも顔を出すし」
なるほど、普通はそうやって連絡を取るんだな。
俺達、心無き魔人達の統括者は携帯電魔という、非常に便利な連絡手段を持っている。
この魔道具は一般には流通しておらず、そうそう手に入るものでもないし、アルカディアさんに渡せる分もない。
しかし、リリンの言った方法なら連絡は取れるだろうし、そもそも、アルカディアさんは俺達を探しだしたんだから問題はないのか。
あ、これだけは、言っておかないと……。
俺はアルカディアさんに近寄り、リリンに聞こえないように、小声で耳打ちをした。
「アルカディアさん……。お師匠様とやらに伝えてくれ。『コソコソ隠れてないで、直接会いに来い。グラムを磨いて待っているぜ』ってさ」
「……?分かった。そういえば、お師匠様は『次に会った時は、遊んでやる』とか言ってた気がする。ユニなんちゃらも頑張って強くなっておいた方が良い」
どんな思惑があるのか知らないが、英雄ともあろう人物が、女の子にお使いを頼むとは情けない。
それに、リリンにだっていつまでも隠していられないだろうし、その気があるのなら、さっさと会いに来て欲しい気もする。
そんな複雑な気持ちを込めた伝言だったんだが、まさか回答が用意されているとは思っていなかったぜ。
……これは、宣戦布告と取って良いんだよな?親父。
だったら、胸を貸して貰うぜ。
覚醒グラムの錆にしてやるよ。
「ユニク。何の話をしているの?……やっぱり飼う?」
「何の話をしているんだと聞きたいのは、俺の方なんだが?」
リリンは、買い物デート中も隙を見つけては、アルカディアさんに餌付けを仕掛けていた。
どうやらリリンの中で、アルカディアさんは完全にペット枠らしい。
直接見た訳じゃないが、魔王シリーズを使って調教している光景が目に浮かぶ。
それにしても、初恋の人がペット枠か。
あんなものを見ていなければ、それもありかと思ったかもしれない。
そういえば、ペットの風呂なんかは、飼い主が入れるものなんだよな?
……うん、ないな!
「リンなんちゃら、ユニなんちゃら。今日はありがと!う”ぎぃるあん!」
「また来ると良い。ユニク、荷物を」
「あぁ、そうだな。結構な量だが、持てるか?」
「大丈夫。魔法空間に入れておくから」
「それが出来るなら、最初からやれよッッ!!!!」
ふざけんな!!俺が荷物を持ってた意味が無いじゃねえか!!
持ち歩いていた重量はかなりの物で、薄らと汗をかく程だった。
なにせ、オレンジジュースが瓶で24本も入っている。
いくらオレンジが好きだからって、買いすぎだろ!
そして、アルカディアさんは悪びれるつもりもなく、さっさと荷物をしまい込んで路地裏に向かって歩き出した。
要件を済ましたら、さっさと帰って行く姿も、どことなくアホタヌキ感がある。
タヌキ系美少女、アルカディア。
その正体は、英雄ユルドルードの弟子。
ただし、リリンはペット枠だと思っている。
運命的な出会いだったが、無難な所に落ち着いたな。
親父が正体を隠して探りを入れに来た理由は不明なままだが、悪いことじゃないだろう。
出来る事なら、みんなが幸せになるシチュエーションで再会したいもんだ。
……どう考えても、無理な気がするけどな。
**********
「……ここが廃教会か?結構、雰囲気あるな。お化けでも出そうだ」
「お化けが出ても問題ない。幽霊は電気が苦手と聞いた事がある。だから、『雷人王の掌』でブチ転がす!」
「完全消滅だな。慈悲も救いもありゃしねえ!」
俺達が見あげている廃教会は、近代化された町並みとは正反対の、歴史を感じるものだった。
古いレンガの廃教会は、屋根も壁もしっかり残っているものの、鬱蒼と茂る森を背後に構え、半分くらいは木々に飲み込まれている。
左右には、管理者不在の墓地園。
そのほとんどは墓石が退かされているが、まだ残っているものもあるようだ。
恐らく、この教会が閉まった時には既に、墓を参る人が居なかったのだろう。
それにしても、森の一部になっている廃教会に、捨てられた墓地か。
流石に幽霊は出なくても、盗賊とか聖女様は出そうな感じがする。
……裏の方で、密売とかしてねえだろうな?
「リリン、待ち合わせの時間はそろそろだよな?」
「うん。もうすぐ12時の鐘が鳴るはず。メナフが待ち合わせに遅れるなんて、珍し――」
未だメナファスは姿を現していない。
そして、約束に送れるのは珍しいというリリンの言葉を遮るようにして、『ゴ―ン、ゴ―ン、ゴ―ン……』という、時報の鐘が鳴り響く。
「時間になったみたいだな」
「うん。そして……メナフじゃない不審な人影がいる」
「あぁ。あれは……誰だ?」
草を踏みしめる足音が、鐘の音に紛れて近づいて来た。
鐘の音が合図であったかのように、漆黒の森から抜け出てきたその人物は、俺達が待っていたメナファスではなかった。
身長はリリンよりも僅かに低く、体つきも華奢な、幼い少女。
そんな不審な少女は、純黒の髪を揺らしながら俺達を見て……唇を釣り上げて、笑った。
その雰囲気は、『闇』そのもの。
しかし、俺達に向けられている瞳は、計り知れないほどの感情を灯しているのが見て分かる程に、輝いていて。
そして、その少女の素顔は分からない。
彼女は認識阻害の仮面を被り、口元以外の素顔を隠してしまっているのだ。
……だが、俺は一目で理解した。
あの少女は、俺達の『敵』だ。
怪しい姿も、妖しい雰囲気も判断材料になったが、なによりも、強大な力を従えているのが見えるからだ。
真っ直ぐに歩み寄ってくる少女の足元には、一匹の大魔獣が悠々と闊歩している。
その少女は、なんとも恐るべき事に、タヌキ帝王を従えているのだ。
……は?
「なんでだよッッッッ!!」
ふざけんなッ!!
タヌキ帝王が敵側に居るなんて聞いちゃいねえぞッ!!
これは、超絶緊急事態だろッ!?
しかもアイツ……星マークが桜色なタヌキ帝王は、闘技場でクソタヌキと一緒に居やがった奴だ。
レベルは当然99999であり、だとすれば格はクソタヌキと同等と見て良いだろう。
つまり、あのタヌキ帝王もまた、眷皇種なのだ。
これは、タヌキがどうとか言ってる場合じゃねぇ。
本気で行かなきゃ、マジで殺される。
「リリン。タヌキ帝王がいる。油断するな」
「……。あまりにも似ている……?それに、そのタヌキまで連れてくるなんて……」
「リリン?」
「……そう。敵は相当に、私を馬鹿にしたいらしい。絶対にタダじゃ済まさない……」
敵を一目見た瞬間、リリンは何かを感じ取り、そして……激怒した。
俺が怖い怖いと何度も言ってきたのが冗談に思える程の、リリンの激怒。
平均的な表情こそ崩れていない……様に見えるが、真実は違う。
人の怒りは、限界を超えると、静かになる。
あらゆる思考が怒りによって統一され、精錬されるからだ。
今のリリンはもう、敵しか見えていない。
人の出入りが無いと言えど、この場所はまだ町の中だし、敵は人間である以上、殺してはいけない。
俺がブレーキ役にならないと、取り返しのつかない事になりそうだ。
どんな事態にも対応するべく、俺はグラムを握り直した。
すると、近づいて来ていた少女は足を止め、笑顔で口を開いたのだ。
「あは。ずっと、ずっーと、会いたかったよ。おねーちゃん!」
「……なに?」
「あれ?どうして怒ってるの?お腹すいてるの?クッキーあるよ?おねーちゃん」
「クッキーなんて必要ない。それより、メナフ……ここに赤い髪の女性がいたはず。どこへやった?」
「ちょっと《遠く》から見てるって。たぶん、《上から》じゃないかな?」
「遠くて上から?……まさか」
「それより見て、おねーちゃん!昼間なのに、お《星》様が出ているよ!《煌めいて》るね!」
「そんなもの、どうでもいい。……絶対に許さない。ユニク。アレは私が相手をする」
メナファスはもう居ないのだと、少女は言った。
そして、何処へ行ったのかを知っているようなその素振りは、一つの仮説を俺達に示している。
まさか、メナファスが負けたのか……?
敵はタヌキ帝王を従えているとはいえ、逃げることも、電話で助けを呼ぶことも出来ずに、一方的に敗北した?
俺は改めて、事態の危険性を再認識した。
リリンは、冷静じゃない。
だからこそ、メナファスを下した少女と一対一で戦わせるのは悪手だ。
だが、タヌキ帝王を放っておく事が出来るわけがなく、必然的に答えは一つしか残されていない。
「リリン、タヌキ帝王は俺に任せろ。直ぐに倒して、そっちに加勢しに行く」
「あのタヌキは……いや、いい。ユニク、そっちは任せた」
「話は纏まったのかな?じゃあ、ゴモラはユニクルフィンさんを足止めしてて。できる?」
「ヴィギル―ン!」
なに……?
タヌキ帝王に命令したばかりか、格下扱いだと……!?
俺が恐れ慄いていると、タヌキ帝王は少女から離れて歩き出した。
そして俺に向かって振り返り、『何をしている?あっちで戦うぞ?』と言わんばかりに鼻先で移動を促してくる。
このタヌキ野郎……俺の事を完全に格下扱いしてやがる!
俺がこの場で最も身分が低い事を瞬時に見抜いたらしく、偉そうに「ヴィギルゥ―ン!」と鳴いて俺を呼んでいる。
……残念だが、お前が偉そうにしていられるのも、今の内だけだ。
俺は、グラムを覚醒させられるようになったんだからな。
瞬殺してやるよ。タヌキ帝王。
「リリン、俺はあっちで戦って来るぜ。くれぐれも無茶はするなよ?」
「分かってる。五体満足でブチ転がして、人生を後悔させてやる……」
***********
「ここで良いのか?」
「ヴィギル―ン!」
タヌキはリリン達から離れつつも、視界で捉えられる絶妙な距離に陣取った。
これは俺にとっても好都合だ。
コイツを倒した後、速攻でリリンの元へ駆けつける事が出来るからな。
この程度の距離なら、惑星重力軌道を全開で使えば3秒も掛らない。
それよりも、まずはタヌキ帝王を倒すことが先決だ。
俺はグラムを構えながら、タヌキ帝王へ視線を向けた。
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
……ち。こんな時に目が霞んで、タヌキ帝王が二匹に見えるとはな。
昨日の夜、恐怖でなかなか寝付けなかったのが、こんな影響を与えてくるとは予想外だぜ。
俺は目を擦り、しっかりとした視野を確保。
そして再び、タヌキ帝王に視線を向けた。
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
あ、あれ?おかしいな……。
どんだけ俺の目は霞んでんだよ。タヌキ帝王が四匹でチームを組んでるように見えたぞ?
いやいや、そんな訳あるか。
タヌキ帝王はレア度が高いんだぞ?
100万匹に一匹の、超絶レアタヌキだぞ?
そんな一杯いるわけが……。
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「ヴィギル―ン!」
「……ふ、増えてるゥゥゥゥうぅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううッッッッッッ!?!?」
***********
「やったね!これでやっと、おねーちゃんと勝負できるよ!」
「おねーちゃんおねーちゃん、と、いい加減うるさい。その名で私を呼んでいいのは世界でただ一人だけ。それを知らぬというのなら――、」
「知ってるよ?だって、リリンサおねーちゃんは、私のおねーちゃんだもん!!私の尊敬する、すっごいおねーちゃんだもんね!」
「なにを……言っている?」
リリンサは、言いようのない感情の揺らぎに襲われている。
目の前で純黒の髪を揺らす少女を見て、表現しがたい程の既視感を感じ、そしてそれは、決して実現する事の無い夢幻の彼方に存在する、ありえない事だからだ。
……ありえない。
ありえるはずがない。
これは、ただ、似せているだけ。
純黒の髪も、その結い方も、甘えるような甲高い声も、全部全部、似せているだけ。
その証拠に、敵は顔を認識阻害の仮面で隠している。
それは素顔を見せてしまえば、別人だと私に見破られるから。
だから、絶対にあり得ない。
セフィナは死んだ。
美味しいお菓子を持って帰ってくるという、私との約束を待たずに死んでしまった。
だから……。
リリンサは楽しげに笑う少女に、愛憎が混ざりあう混沌の視線を向けた。
そして、最愛の妹の死を冒涜する最悪の敵を見据えて、沸き立つ怒りを声に乗せる。
「その姿で、声で、私の前に立つな。私の前でセフィナを騙るな」
「え、なに言ってるの?おねーちゃん。私はセフィナだよ。おねーちゃんの大切な妹の、『セフィナ・リンサベル』だよ!」
「……もういい。どうせ、その仮面を剥げば偽者だと分かる。だから、あなたの態度は不愉快なだけ。直ぐにやめるべきだと警告をする」
「あ、そっかぁ!仮面付けてるもん、分からないよね!?……えっと予定では、おねーちゃんと戦う前に……。うん!もう再会しても良いんだよね!」
独り言を元気よく呟き、リリンサの敵は自分の仮面に手を掛けた。
だが、それがなんだと声を荒げたリリンサは星杖ールナに魔力を注ぎ、憎き敵を睨み付ける。
「いい加減、黙れ。セフィナを騙る不愉快な敵。さっさとブチ転がって欲しいッ!《五十重奏魔法連・主雷撃!》」
「あは。その魔法じゃもう遅いよ、おねーちゃん。《……命は廻る。有象無象の一切を犠牲にして、廻る》」
「な……に……?」
「《光を求め……願い……研磨した希望は、未来は、輝く星骸に飲み込まれて、消えるのだ。星の対消滅、発動》」
甘えるような高い声に続いた50の破壊の音は、主雷撃の魔方陣が砕け散ってゆく音だ。
それを満足げに眺めながら、少女は堕ち逝く魔方陣の欠片に手を伸ばし、嘲るようにしてリリンサを咎める。
そして、「馬鹿な……。」と呟き目を張るリリンサには、眼前に広がる破壊の光景も、それを成した少女の言葉も理解できていない。
まず初めの、敵を認識する段階で思考が停止してしまっているからだ。
声も仕草も、覚えのあるもの。
純黒の髪の結い方も、ふてぶてしい目付きも、記憶よりも大人びているものの、やはり間違えようもなく。
その甘えるようなよく響く声は、時折、困ったことをおねだりしてくる昔のままで。
それでも、リリンサは必死になって、その可能性を否定した。
あり得るはずが無いと、それは夢物語だと、理性で感情を押さえつけていたのだ。
だからこそ、その少女が仮面を外した瞬間、全ての思考が放棄された。
リリンサが途方もなく憧れて、叶うはずの無いものだと理解しながらも、夢見てしまっていた幻の姿をした少女を前に思考が止まる。
――もしも、あの時、セフィナを失わなければ、こんな姿になっていたのだろうか――
「これで『おねーちゃん』って呼んでもいいよね?おねーちゃん!」
「……う、うそ、だ……。そんなこと……あり、え、ない……」
「うん、嘘だったんだよ」
「……え?」
「私ね、死んでないの。生きててね、それでね。……おねーちゃんの神託を壊しに来たの」
「な……なにを、言っているの……?セフィナが生きてて、それで……。私達の、敵……?」
優雅に、滑らかに、年相応の言葉遣いで自身を語るセフィナ。
そして、未だにリリンサの思考は時を止めたままで、事態を理解できていない。
それでも、自分が絶対致死の窮地に立たされているという事だけは、辛うじて理解できた。
「さっきの魔法の打ち消され方は……。もしかして『星の対消滅』なの……?」
「うん!正解だよ!」
「そんな……たったあれだけの詠唱で、どうやって……?」
セフィナが発動したのは、ランク8の魔法『星の対消滅』。
それは、魔導師であるならば、絶対に発動を許してはいけない『究極の魔法排斥手段』だった。
この魔法が発動された瞬間から、指定した空間内で発生した全ての魔法は、『星の対消滅の術者』の意思によって、効果を現す前に消滅させることが出来るようになる。
つまり、発動を許してしまった敵側は、全ての魔法を使用する事が出来なくなるのだ。
当然、効果は攻撃魔法ばかりではなく、バッファや防御魔法、召喚魔法ですら無効化し、ありとあらゆる魔法的手段が発動不可となる。
それは、魔導師にとって絶対致死に等しく、リリンサにとっても例外ではない。
だが、この魔法は長い歴史を辿ってみても、ほとんど使われた記録がない。
あまりにも強力すぎる代償に、この魔法の詠唱は非常に長く難解。
そして、当たり前の常識として『発動を許すことは、死と同意義である』と全ての魔導師に教えられ、疑わしい呪文が始まった段階で妨害されてしまうからだ。
ではなぜ、セフィナはこうも簡単に『星の対消滅』を発動出来たのか。
リリンサの思考が正常ではなかった。それもあるだろう。
……だが、そもそも、リリンサの知っている詠唱はこんなにも短いものではなく、事実、こういった不意打ちで発動される事が不可能とされている魔法だった。
セフィナは、『才能』に恵まれた。
あらゆる魔法を使いこなせる技能を持っているのだから。
セフィナは、『環境』に恵まれた。
世界最高レベルの魔法を、身近で見る事の出来る家庭に産まれたのだから。
セフィナは、『道具』に恵まれた。
どんな財を持っていようとも手にする事が叶わない、世界最高の魔導杖を受け継いだのだから。
セフィナは、『人望』に恵まれた。
努力と根性の末に、世界を支配できる地位を手に入れた、偉大な聖女と出会ったのだから。
セフィナは、『経験』に恵まれた。
様々な体験を、安定した道筋を示してくれる従者と共に、行う事が出来たのだから。
セフィナは、『運命』に恵まれた。
膨大な知識の権化とすら呼ばれる、極大なる皇種の加護を得たのだから。
……そして、セフィナは『幸せ』だった。
頬を膨らませながらも魔法を教えてくれた優しい姉がいたことが、何よりも幸運な事であり幸せだったのだ。
それら全ては重なり合い、『皇宝の魔導師・セフィナ・リンサベル』として帰結し、ここに立っている。
あらゆる不条理を理解しないまま、自らの行いが正しいのだと、信じて。
「えっへん!実はね、会話に詠唱を混ぜていたんだよ!そうするとね、詠唱を凄く短くできるの!すごいでしょ!?」
「そ、そんな事……出来るわけがない……はずなのに……」
セフィナは詠唱を可能な限り省略し、さらに、気付かれやすい冒頭の部分を会話に混ぜ込み誤魔化していた。
それは、理論を越えた、凄まじいまで暴虐。
リリンサですらできない方法で詠唱破棄をやって見せた彼女もまた、『天才』の名を欲しいままに手に入れる、選ばれし魔導師。
セフィナは、少女らしい満面の笑顔をリリンサへと向け、可愛らしく……、笑う。
「私の勝ちだね!おねーちゃん!!」




