第86話「衝撃的な朝」
「ふぁ~あ。昨夜はホント、酷い目に遭ったな…… 」
昨晩、童貞的ワクワクに焦がれていた俺を包んだのは、魅惑の温泉……ではなく、魔王様な恐怖の波動だった。
ベッドから抜け出し自分の体を確かめてみると、絞れるくらいに寝汗をかいている。
それは間違いなく、夢の中でタヌキが魔王な槍を装備しやがったせいだろう。
はぁ……。と、抗議の溜め息を吐きつつ、まだ寝ているタヌキリリンへ視線を送る。
まったく、無邪気に寝やがって。
寝込みを襲って、おいしく食べてやろうか!
……やめとこう。魔王な槍で串焼きにされて、俺が食われる。
はぁ……。さっさと顔でも洗って、気分を変えるか。
やれやれと昨日の出来事を思い出しながら、俺は脱衣所に向かい歩き出した。
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「やばいやばいやばい……!!なんとかしないと、恐怖で死ぬ!」
脱衣所に出現した大魔王様に対し、俺の持っている装備はハンドタオル1枚と、非常に心苦しい。
どうにか防御面を強化しようとして、シャンプーハットと風呂桶を装備してみたが、焼け石に水だ。
……というか、大魔王相手に風呂桶でどう戦えってんだよッ!!
グラムを召喚しようにも、召喚陣の刻まれた鎧は脱衣所、つまり大魔王様に人質に取られている。
混乱する俺。
絶望する俺。
落涙する俺。
そして……恐怖に震えながらも、四苦八苦し……。
俺は覚醒したのだ。
「うぉおおおおおおおお!《来いッ!!グラムッ!!》」
もはや、こんな紙防御のタオル1枚にこだわる必要はない。
俺は最後の砦を脱ぎ捨てて、声高らかにグラムを呼ぶ。
すると、グラムは俺の呼び掛けに答え、空間を引き裂いて現れたのだ。
……どうして、グラムを召喚出来たのか?
恐らく、全裸が関係しているのではないかと思われる。
そうして無事にグラムを召喚できた俺は、生存本能のままに、魔王の右腕へ剣を向け――。
「あ、凄い。そんな格好で魔王の右腕に戦いを挑むなんて、ユニクはやっぱり英雄だと思う!」
……おう、リリン。
俺の全裸を興味深げに見ながら、英雄っぽいなんて言わないでくれ。
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結局、部屋に戻ったら、アルカディアさんは帰っちゃった後だったし、両手に花作戦は失敗。
リリンに「何で魔王シリーズなんかを召喚したんだ?」と聞いたら、アルカディアさんを尋問するためだと言っていた。
そして、それは無事に終了し、晴れてアルカディアさんは無罪放免となったらしい。
……どうやら、アルカディアさんの方が一枚上手だったようだ。
親父の弟子である事がリリンにバレたのなら、みすみす逃がすわけがない。
地の果てまでも追い掛けて、全裸親父に会いに行くだろう。
だが、リリンはアルカディアさんが帰った後も部屋に居た。
だとすれば、親父の存在は気づかれなかったって事だ。
それにしても……。
親父の関係者だと説明せずに、よくリリンを納得させられたもんだな。
リリンに理由を聞いても教えてくれないし、最終的に「そこまでいうなら、特別に譲歩して答える。……アルカディアは、ペット枠!」とかいう、よく分からない事を言い出した。
ペット枠……。
それがホロビノと同じ扱いだという事なら、主従関係を結んだってことか?
……俺が風呂に入っている間に、初恋の人が大悪魔に奪われたんだけど。
両手に花どころか、気が付いたらボッチだったとか非常に笑えない。
「それにしてもアルカディアさん、可愛かったなぁ。次に会えるのはいつになるんだろ……」
俺は脱衣所の扉に手を掛けて、普通に引いた。
別に何かを意識したわけじゃない。
さっきの呟きも、なんとなく言っただけで深い意味はない。
……だから、狙ってやったわけでは断じてない。
「……。え”。」
「う”!?う”ぃぎるあ!?」
脱衣所の扉の先には、俺が恋焦がれている褐色肌の天使が居た。
………………全裸で。
艶めかしい首筋。
華奢な肩と滑らかな背中。
圧倒的ボリュームの果実は、背中に隠れきらず、こぼれ出している。
そして細い腰周りと、ふっさふさな、し―――。
そこには、見てはいけない物が存在していた。
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う”ぎるあ!おじさまは容赦なさすぎ!!
酒盛り?を邪魔されたくらいで怒らなくても良いと思う!
おかげで、毛並みが砂だらけ。
う”ぎるあ!!この恨みはその内、晴らす!!
帝王試験を終えたアルカディアは、朝方、この部屋に戻って来た。
激しい戦闘を行ったせいで空腹になり、パジャマを返すついでに食事にありつこうと画策したのだ。
コンコンと控えめにドアをノックしてみると、リリンサがその音に気が付き、眠い目を擦りながらもアルカディアを迎え入れた。
そして、投げやりに食べ物を渡すと、「……ん。私はまだ眠い……。あっちで食べてて……」と脱衣所を指差す。
オレンジジャムパンを貰えた事に感動を覚えたアルカディアは、素直に脱衣所に潜り込み、一時の休息を堪能した。
そして、腹は満たされた以上、次に気になるの汚れた毛並みだ。
「う”ぎるあ……。毛並みの手入れは大事。洗って毛繕いをしよう」
アルカディアの姿は、人間の少女そのものだ。
そしてこの姿は、本来の姿であるタヌキとは決定的に異なる部位が存在する。
それは……尻尾と耳。
人間には尻尾がなく、耳も側頭部についている。
故に、人化をしていると、耳と尻に違和感を抱くのだ。
それはむず痒くもあり、圧迫感の様なものでもある。
簡単に言えば不快感であるそれは、慣れていないと非常にストレスを感じるのだ。
だからこそ、アルカディアは、耳と尻尾を解き放った。
汚れた毛並みを手入れするのなら、耳と尻尾を洗わないわけにはいかないと、己が信条を振りかざして。
「お湯で洗うの気持ちいい……。よし、次は毛繕い!う”ぃぎるあ~う”ぎるお~」
脱衣所に入る為の扉は閉まっている。
それは、光が漏れていると寝づらいだろうという思いやりであり、アルカディアに恥じらいがあった訳ではない。
アルカディアは、つい先日まで野生のタヌキだった。
裸を見られる事に恥じらいがある訳がなく、むしろ、人間はなんで服を着ているの?と疑問に思っている。
今も、頭にはタオルを乗せているものの、それ以外はまったく隠しておらず、完全に無防備だ。
そんなアルカディアは、サラサラでフッサフサな尻尾を、股の間を通して体の前面へと出し、櫛でとかし始めた。
まさに、頭隠して尻隠さず。
そして、偶然入口に背中を向けていたばかりに、致命的な事態を引き起こす事になったのだ。
鼻歌交じりでブラッシングに夢中なアルカディアは、背後の扉に人影が近づいている事に気が付かなかった。
やがて、扉は開かれた。
「……。え”。」
「う”!?う”ぃぎるあ!?」
開かれた扉の先に居たのは、ユニクルフィン。
もちろん、裸を見られた事に恥ずかしさを覚えたりはしない。
ただ……今は見られてはいけないモノが出ている。
だからこそ、まるで生娘みたいな反応を示し――。
「見ないで!《英雄の戦技・怒る皇牛に火を見せる!》」
「い”っ!?《第九守護天使ごっっふぅううううううッ!!》」
アルカディアの渾身のストレートパンチが、ユニクルフィンの腹に突き刺さった。
**********
「……ごっっふっ!!」
ごっふっ……。
天使のビンタなんて、生易しいものじゃない。
まさに、魔王な一撃は深々と俺の腹に突き刺さり、軽々と体が宙を舞った。
壁に叩きつけられた俺の意識は、朦朧として……いない。
ダメージを受けていない訳ではなく、気絶していられないくらいに、衝撃的すぎるモノを見てしまったからだ。
俺は閉まった扉に視線を向け、アルカディアさんに謝罪をした。
これは、俺の心からの謝罪だ。
誰だって、女の子なら特に、他人に裸を見られて恥ずかしくないはずが無い。
すまない……。アルカディアさん。
悪気はなかったとはいえ、本当にすまないことをした。
今見てしまったモノは、2度と思い出さないように記憶の奥底に封印し、油をぶっかけて燃やした後、灰ですら土に埋めて隠滅するよ。
……だから一度だけ、心の中で感想を呟く事を許してくれ。
これは俺の気持ちの整理をつける為に必要な事なんだ。
後で、土下座でも何でもするから、この瞬間だけは心の中で、叫ばせてくれ。
……。
…………。
………………尻毛がッッッ!!
尻毛がすんげぇ事になってたッッ!!
ちょっとはみ出しているとか、そういうレベルじゃねえッ!!!!!
アレはまるで、勢いよく噴き出す大瀑布!!
轟々と流れる荘厳な滝のように、茶色い尻毛が、フォォルンダウゥゥンしてたッッ!!
もはや、アルカディアさんの裸を見てときめくとか、そんな感情は吹き飛ばされた。
……だって、尻毛が。
尻毛がッ!!
尻毛がッッ!!!!!
**********
「う”ぎるあ……。つい殴ってしまった。大丈夫?」
「あ、あぁ。なんとかな」
身体の方は、特に問題ない。
精神的には、全然、大丈夫じゃねえが。
「あの、それで……見た?」
アルカディアさんは速攻で服を着て、俺に謝罪しに来た。
あの拳は受けた感じ、第九守護天使が間に合って無かったら致命傷を負った気がする。
しっかりバッファを掛けてたし、目撃者を消して証拠隠滅を計りに来たとしか思えない。
それでも、冷静になったアルカディアさんは、自らの非を認めて謝罪している。
ここで許すのが男ってもんだな。
というか、そもそも俺が悪い。
知らなかったとはいえ、女の子の裸を見てしまったのだから、殴られても文句は言えない。
そして、根本的な原因は俺に有るのだから、ここは俺が一芝居打って、アルカディアさんを安心させる必要がある。
だって、あんなもん見られたら、俺ならベランダから飛び降りるレベルで恥ずかしい。
アレはもう、手入れがどうとか、そういった次元じゃ無かったし。
俺はキリリとした表情を作ると、アルカディアさんに向けて本気で謝罪した。
「すまん……。俺の視線は、アルカディアさんの胸に釘づけだったッ!!一瞬たりとも、目が離せなかったッ!!」
「……見たのは胸だけ?お尻は?」
「断じて、尻は見てないぞ!俺は胸がす――」
「へぇ。ユニク。朝からとても楽しそうだね」
ひぃ。
おはようございます。タヌキさん。
本日は日差しの眩しい、気持ちの良い朝ですね。
……ごめんなさいごめんなさい!!
謝るからその斧を下してくれ!!
「むぅ。アルカディアも、朝から騒ぐのはダメ。自重して欲しいと思う。あと、萎ませて!!」
「ごめん。油断してた……。そしてこれは萎まない」
タヌキリリンの恫喝を受けて、縮こまる俺とアルカディアさん。
なお、縮んだのは気持ちだけだ。
リリンがアルカディアさんに抱きついて、「萎ませて!!」と揉みしだいているが、風船じゃあるまいし萎むわけねえだろ。
そして、可憐な少女二人の触れ合いを見ても、俺の情熱が湧き立つ事は無かった。
片方はタヌキ。
そしてもう一人は……下半身が魔獣だ。
あぁ……。
心の中で宣言しよう。
俺の初恋は、終わった。
「どうしてこんな事に……」
「ん。どうしたのユニク?」
「いや、何でもないんだ。それでさ、何でアルカディアさんがいるんだ?帰ったんじゃなかったのか?」
「早朝になって戻って来た。お腹が空いたんだって」
つまり、腹が減ったから、飯を貰いに来たってことか?
うん。これは間違いない。
アルカディアさんは『ペット枠』だッ!
「リンなんちゃら。今日のご飯は何?」
「このホテルのモーニングセットは、フルーツを中心としたさっぱりしたもの。アルカディアの好きなオレンジもあるはず」
「う”ぎるあ!リンなんちゃらはオレンジを食べさせてくれるから、好き!」
「まかせて。とびきりに美味しいオレンジメニューを選ぶ!」
……昨日も思ったが、飯を前にすると意気投合し過ぎだろ。
リリンとアルカディアさんは、まるで幾度となく戦場を共にしたかのように打ち解けている。
初恋は終わってしまったとはいえ、仲間はずれは寂しい。
俺も二人の会話に混ざるべく立ちあがり、壁から抜け出した。
うん、しっかり大穴があいてるな!
「それじゃあ、アルカディアさんも一緒に町に行くか?」
「町?」
「アルカディア。私達は町に行って友人と会う約束をしている。一緒に来ても良い」
「昨日の夜、服の持ち合わせが無いとか言ってただろ?買い物をする時間もあるだろうし、一緒にどうだ?」
「……午前中までなら」
「ん。その言い方だと、午後はダメなの?」
アルカディアさんは、美味そうにモーニングセットを食べながら、しばらく考えて「午前中だけなら問題ない」と言ってきた。
どうやら午後に用事があるようで、ちょっと震えている。
ん?震えているっておかしくないか?
「アルカディア。どうしたの?」
「……今日から、お師匠様の地獄のシゴキがスタートする。マジ怖い」
「そうなの?」
「うん。もう一度鍛え直しだって……。今度は、千山海を握する業腕を完全に使いこなすまでやめないって……」
「なるほど……。これは、ユニクも負けてられない。ちょっとメナフも交えて一緒に訓練しよう。もちろん、2対1の戦いとなる!」
「それは、俺が”1”じゃねえよな!?」
俺のツッコミに、コクリと頷くリリン。
ふざけんな!同じ戦闘力の大悪魔が二人とか、勝ち目がねえってもんじゃねえぞ!!
ここは応援を呼ぶしかあるまい。
かもん!ホロビノ!!
ちゃんと躾けておくなら、黒トカゲを連れてきても良いぞ!
「ん。電話だ。……もしもし?」
「おう。オレだ」
俺が対大悪魔の作戦を練っていると、リリンは空間から携帯電魔を取り出した。
電話口から聞こえてきた「オレだ」という声に、誰だよ!っとツッコミを入れていたら、相手はメナファス。
リリンはジュースを一口飲むと、電話へ意識を向けた。
そういえば、電話が掛って来たのって初めてだな。
リリンの着信音はハンドベルでの演奏で、俺も聞いた事のある曲だった。
レラさんが料理をする時に鼻歌として口ずさんでいたその曲は、荘厳ながらも、どこか悲しげなメロディで凄く耳に残る。
何処かの国歌だと言われても納得してしまいそうな感じだ。
「メナフ。どうしたの?」
「あぁ。待ち合わせ場所の変更をしたくてな。人が多い所は避けたい」
「それは……。敵の手掛かりを掴んだという事?」
「そうだぜ。んで、この町の奥に潰れた教会があるから、そこに来てくれ。今は管理もされてないし、人が近づく事もない。再会するには良い場所だろ?」
「ん。再会なんて大げさだと思う。昨日も会ったばかりなのに」
「くくく、そういやそうだったな」
「場所の変更は分かった。時間の指定はある?」
「午後12時。お昼の時報が目印だ」
「うん。それも承知した。それにしても一晩で敵を見つけるとは、メナフは凄いと思う!」
「くくく。なぁリリン、敵は手強いぞ。心の準備をしておけよ」
メナファスは怪しげに笑うと、ぷつりと電話を切った。
なんか、すごく大魔王してたんだが?
大魔王保母さん……いや、保母さんは退職したんだったか。
大魔王清掃員さん。
掃除する対象は、人類です。
「ユニク。今日の予定が決まった。午前中はアルカディアの服をお買いもの。午後はメナフと会う。それでいいよね?」
「いいぞ。俺としても、まさにご褒美イベントだしな!」
今はタヌキなリリンも、町に行く時は美少女魔導師に変身する。
そして、アルカディアさんの魔獣な部分も当然見る事はない。
極めつけに、女の子の服を買いに行くという、デートイベントと来たもんだ。
例え恋していなくとも、『両手に花』は楽しいからな!
そして俺達は、和気あいあいと朝食を堪能した後、町へ向かった。
青い空も輝いているし、充実した一日になりそうだ。




