第65話「バトルトーナメント⑳アルカディアVSタイタンヘッド」
「……あれ?どこに消えた?」
アルカディアは視線をぐるりと巡せたが、タイタンヘッドの姿を捉える事が出来なかった。
反射的に疑問の声を上げてみても、当然、返事が帰ってくる事は無く、キョロキョロと無為に視線を迷わせるばかり。
……このまま、ここに居ても仕方がない。
少し走り回って、色々確認してみよう。う”ぎるあん!
タイタンヘッドの事を強者だと理解しているアルカディアは、冒険者が使って来る視覚阻害の魔法を使用されたのだと思った。
アルカディアの知る視覚阻害の魔法は、一方向から使用者を視認できなくする魔法で、レベルの高い危険動物達を冒険者が狩る為に使用する。
だが、反対方向から見ればまるで効果が無く、人間が来ると木の上に隠れている事の多いアルカディアは無様な姿を晒す冒険者を何度も目撃していた。
経験上、角度を変えれば姿が見えると知っているアルカディアは、鼻歌交じりで走り出す。
その走り出した真正面に、拳を振りかぶるタイタンヘッドがいるとも気付かずに。
「う”ぃ~ぎる……あっ!?」
「《釣鉤打撃》」
目の前に突然出現したタイタンヘッドの匂いに気が付いたアルカディアは、反射的に、左側に進路を変更。
しかし、それは悪手だった。
タイタンヘッドが振りかぶっているのは、右の拳。
つまり、タイタンヘッドの拳の前に躍り出てしまったのである。
これは、アルカディアの運が悪かった……のではない。
タイタンヘッドはワザと体を左に傾けた状態で、故意的に認識阻害を緩めて隙を作り、進路を誘導したのだ。
「う”ぎるあっ!」
アルカディアはタイタンヘッドから速く離れる為に、速度を上げていた。
つまり、拳と衝突した際のエネルギーを高めてしまったのだ。
曲線的な軌道で放たれた、威力と重量が乗った鋼鉄の殴打。
たった一発の拳により、アルカディアは10mほど吹き飛ばされ、地面を転がってゆく。
「けほ。パンチを喰らってしまった。う”ぎるあ」
「立て、アルカディア。ただのパンチで沈む為に、お前はここに立ったのか?」
「違う。オレンジの仇を取って、お前を成仏させる為。あと練習」
「……練習?お前は恨みを晴らす為に、わざわざ俺を探して、ここに来たんだろ?」
「違う。お前はたまたま居たから、ついでに恨みを晴らすだけ。本番は今夜だし」
「本番?それじゃあ何か?俺の事を練習台として見てんのか?」
「……。お前に教える必要はない。大人しく成仏しろ!う”ぃーぎるあ!」
あ、今夜の集会は秘密にしろって、ソドム様に言われてるんだった。
勢いに任せて言っちゃったけど、バレてないよ……ひぃ!ソドム様めっちゃ見てくる!バレたっぽい!?
予想外の一撃を貰い、アルカディアは冷静さを欠いてしまっている。
気持ちを誤魔化すために殴りかかってみたものの、タイタンヘッドは余裕を持って回避し、再び行方をくらましてしまった。
「すんすん……。おかしい。見えなくても匂いは追えるはずなのに……」
アルカディアは視覚だけで敵の存在を知覚しているのではない。
なにせ、アルカディアは野生(?)のタヌキだ。
当然、嗅覚も鋭く、視覚では分からない情報……どんな生物が、どのくらいの間その場所に滞在しているのかが分かるのだ。
それにより、敵の行動パターンを把握しやすく、敵の動きに先手を打つことも可能だった。
だが、アルカディアはタイタンヘッドの存在に気が付かず、無防備に接近してしまっている。
普通じゃないと気が付いたアルカディアは、最近こんな事態に遭遇した気がすると、思考を巡らした。
こんな事をしてくる人間……あ、思いだした!
わるなんちゃらだ。アイツは姿も見えず、匂いもさせないで、私とリンなんちゃらの戦いに乱入してきた。
そして、私を踏み台にした!う”ぎるあ!
そんで、後から聞いたソドム様の解説では……認識阻害の仮面っていうのを持ってると、ああいう感じになる?
「だったら……《英雄の技巧・流れで狼と戯れる》」
『流れで狼と戯れる』
これは、英雄ユルドルードが、狼の皇種『月皇狼・ラグナガルム』と対峙した際に思いついた、視力と嗅覚と知覚を格段に引き上げるランク8に相当するバッファだ。
新月の暗闇ですら完全に見通し、深き霧の中で数km先の獲物を捕らえる嗅覚。
狼の皇種・ラグナガルムと対等の戦いをするには、同じ性能の感覚を得れば良いとユルドルードは無茶を言い出し、アプリコットは膨大に広がる魔法次元の深淵の中から、それらしい魔法を繋ぎ合わせてこの魔法を作り上げた。
そして、ラグナガルムと同等の知覚を得たユルドルードは、己が持つ肉体の性能に物を言わせて、ラグナガルムを調伏させたのだ。
もともと鋭敏な感覚を持つアルカディアとは、このバッファは相性が良い。
皇種程とは言えなくとも、凄まじい視覚と嗅覚を得たアルカディアは、タイタンヘッドの居場所を突き止め、拳を打ちだした。
「う”ぎるあ!」
「おっと!知覚されたのか!」
がきぃん!と金属が弾ける音がして、二人は相対した。
アルカディアに知覚された事により、タイタンヘッドは腰に付けていた認識阻害の魔道具を停止し、姿を現したのだ。
使用中は魔力を絶え間なく消費するこの魔道具は、タイタンヘッドが『対リリンサ』として用意していた切り札の一つ。
しかし、完全に看破された今、魔力を無駄に消費するだけの道具であり、使用を取りやめるのは当たり前の事だ。
やっと試合らしい戦いになりそうだと観客席が沸く中で、タイタンヘッドはニヤリと笑った。
「すげえじゃねえか。認識阻害の中でも最上級の魔道具だぞ、コイツは。とある暗劇部員が開発したという匂いも消せる魔道具で、『無警戒で来る破滅』なんて物騒な名前が付いてるほどだ。何で分かった?」
「お前の匂いは、私の夢が破れた屈辱の匂い。忘れるわけない」
「お前にとって、オレンジは何なんだよ……」
「オレンジは、私にとって宝物!!……あとちょっとで食べ頃だったのに!」
「……。さて、こっからは真っ当に行くか《多層魔法連・瞬界加速・怪力・怒れる一撃》……轟け《魚灯連撃》」
「無視するな!う”ぃーぎるあ!!」
ビシビシと筋肉を軋ませて、タイタンヘッドは拳を奮う。
それはまるで、灰銀色の流星雨。
一撃一撃が重く、致死の破壊力を秘めたそれは、激しく瞬く星の様だと観客を魅了した。
未だ太陽の光が燦々と降り注ぐ昼に現れた光を纏う撃打は、寸分の狂いもなくアルカディアの急所を容赦なく狙う。
そして、アルカディアはその全てのパンチを見切り、その全てのパンチに対し、迎撃を行った。
しかし、時間が経つにつれて迎撃は劣化していき、次第に、その身に拳を受けるようになっていく。
「どうして!?全部見切ってるのに!対応しているのに!?う”ぎるあ!」
「あぁ、確かによ、お前は俺よりもスピードも速けりゃ、一回の拳に乗せる威力も強い。だが……精錬されちゃいねえ。不思議なもんだぜ、まるでその体に慣れていないみたいに感じられるぜ?」
そりゃそうだよ!私、タヌキだし!!う”ぃぎるあぁーん!!
アルカディアは自分の正体がタヌキだと暴露したくなった。
……が、それこそ、そんな事したらドエライ事になるのを理解している。
『アルカよ、お主の美貌でユニクルフィンを骨抜きにしてくるのじゃの!もちろん、正体がバレテてはならんぞ!』
絶対なる皇・那由他からの下された命令。それを破ることは死を意味する。
普段はふざけ切っているソドムが真面目な顔をして注意してくる事からも、その本気度を理解しているアルカディアは、絶対にタヌキだとバレないように猛特訓を重ねてきた。
そして、ソドムから「ま、こんなもんだろ」というお墨付きを貰ったことにより、アルカディアは満を持して出陣したのだ。
まだまだ人間の体の扱いに不備があることを指摘されながら、アルカディアは、打ちつけられる体の痛みに耐えている。
アルカディアの人間としての肉体は、魔力で構築されているものであり、例えるのならば防御魔法を使用している状態に近い。
当然、人間としての肉体機能を発現させている為に、痛覚はある。
しかし、タヌキとしての肉体へのダメ―ジはなく、致命傷になりえないのだ。
ユルドルードとの訓練やソドムとの地獄の特訓を耐え抜いたアルカディアは、肉体の強度についてキッチリと理解していた。
タイタンヘッドの拳ならば数十発貰っても、変身が解ける事はない。
そう計算し体で拳を受け止めたアルカディアは、フリーになった両手をタイタンヘッドの腕に添えた。
そして、引き戻されるタイタンヘッドの腕の力を利用し、膝蹴りを繰り出したのだ。
だが……。
「むん!《幽玄の衝盾!》」
バキリと空気が弾けたが、アルカディアの膝はタイタンヘッドに届く前に失速し、微々たる威力しか発揮できなかった。
弱々しい膝蹴りを額で受け止めたタイタンヘッドは、ふん!っと意気込むと、アルカディアの腕を掴んで振り回し、投げ捨てる。
再び10mの距離を吹き飛ばされたアルカディアは、改めて、タイタンヘッドの強さを認識した。
……。昔に戦いを挑まなくて正解だった。
あの時戦ってたら瞬殺されて、オレンジの木で炙られる所だった。マジ怖い。う”ぎるあ!
で、どうしよう。真っ当から殴り合っても負けた。
他のバッファを使おうにも、『流れで狼と戯れる』を解除しないと使えない。
そしたらまた隠れられるだけ。先に、あの魔道具を壊さないと……。
アルカディアは、タイタンヘッドが腰に付けている魔道具の位置を確認し、記憶に留めた。
そして、おもむろに地面に手を突いて……四つ足の体勢を取り、呼吸を本来のタヌキに近しい物に戻してゆく。
「すぅ……すぅ……。……ヴぃぎるあ!」
「ん?……んん!?なんだこの動きは!?人間のそれじゃねえぞ!」
人間には真似できない、獣の動き。
それを人間の体躯で行うことにより、アルカディアの動きは、常人には理解できない軌道を通るようになった。
これは、おじさまですら困惑した技!
5分くらい固まってたし、アイツにも効くはず!
不意を突いて、魔道具を壊してやる!
闘技石段という平面の舞台を、アルカディアは立体的に翔けた。
空間に飛行脚で足場を作り、飛び、跳ね、駆ける。
アルカディアが入れた数十回のフェイントに、タイタンヘッドは対応できていない。
攻撃には移らなかったものの、確実にダメージが入る体勢だったと確信したアルカディアは、いよいよ狙いの魔道具を奪取するべく、跳躍をした。
「《 模倣する目撃者・忍び寄る白い女!》」
「《奥義・一網打沈!》」
そして……。その瞬間を待ち構えていたタイタンヘッドは、溜めていた力を解放し、十連撃をアルカディアに放った。
複数に分裂して見えるほどに高速で放たれた拳を、攻撃態勢に入っていたアルカディアは防ぐ事が出来ず、全ての拳が着弾。
あまりの衝撃的光景に視界は点滅し、死を悟り、恐怖する。
それでも必死になって、拳が着た方向を睨んでみれば、憮然と立つタイタンヘッドの姿が目に映った。
これは偶然じゃない!狙ってやったってこと!?
なんて……。なんて……ことを……。
アルカディアは、叫ばずにはいられなかった。
「どうして!いくらなんでも、今のはダメ!!謝って!!」
「俺がお前の動きに反応出来たのが、そんなにダメなのか?まぁ、謝罪がわりに解説してやるよ。俺はお前の狙いがこの魔道具になるように誘導していた。だから、待ち構える事が出来……」
「違う!私のカードを殴った!!だから謝って!!謝って!!う”ぅ”ぃぎるあ”!」
「は?カード?」
タイタンヘッドは、何の事だ?とワザとらしく頭を捻った。
カードって言えば、アルカディアが付けている胸のカードの事だ。
可愛らしく『あるか』って書いてあるが、なんか触れちゃいけねえ禁忌だと思ったんでな、あえて言葉では触れていないが……。
そんな心臓の上に付けてりゃ、殴られても仕方がねえだろ。
それにな……。
タイタンヘッドは、そのカード事を、アルカディアの年齢で付けるにしては幼稚すぎるデザインだと思っていた。
故に、名札という機能よりも、精神的な意味、『誰かの遺品』や『思い出の品』として身につけていると理解しており、あえて殴ったのだ。
先程の光景、バナナを馬鹿にしたビリオンソードと同じく、アルカディアを激昂させるために。
「おいおい、そんなカードが大切なもんなのか?俺のガントレットに殴られて壊れなかったのは大したもんだが、存外、金属のプレートってのは曲がりにくいもんだしな。それ以上の価値があるとは思えないぞ」
タイタンヘッドは、さらに嘘をついた。
まるで悪びれない態度で、カードが壊れなかった事を褒めている。が、実際は傷つけないように手加減をして殴っていたのだ。
その理由は二つ。
一つ目は、本気で殴ると、アルカディアの心臓を破壊し、勝利してしまう可能性があった。
タイタンヘッドの興味は、アルカディアが所持をほのめかしたガントレットに向いており、それを使わせようと挑発を仕掛けていたのである。
そして、二つ目は、カードが破損する事を、タイタンヘッドは望んでいなかったのだ。
昔の俺の不注意で、アルカディアのオレンジの木を燃やしちまった。
あの態度から察するに、おそらく、アルカディア個人の持ち物というよりも、集落全体の所有物で、貴重な果実だったのだろう。
ああいった場所に住む原住民は、自然に生き、自然と共に死ぬ。
一本の植物ですら生き死に直結する、まさに生命の樹のはずだ。
聖樹セフィロトの皇種化によって滅びちまったが、あの周辺は美しい森が広がる良い場所だった。
その地で生きたお前から、これ以上何かを奪うのは、俺はしたくねえ。
タイタンヘッドは悪人ではない。
むしろ、不安定機構の支部長にしては非常に珍しい善良な人間であり、良識ある人間だ。
挑発の為にカードを狙ったのも、戦いが終わった後にアルカディアが言いがかりを付けやすいようにする為で、その後、昔の補償と賠償をするつもりでいる。
……そんな人間的優しさは、野生のタヌキたるアルカディアには通じなかった。
いつまで経っても謝るそぶりを見せないタイタンヘッドを見たアルカディアは、怒りと戦慄を抱く。
「このカードは絶対なる御方によって下賜された、絶大なる秘宝。……お前は二度も、私の宝物に拳を振るった。それは、許されざる事!」
アルカディアは、那由他より授けられたこの『ユニクらぶカード』と毛並みが、何よりも誇らしかった。
全メスタヌキからは、憧れの目線で毛並みを褒められ、全オスタヌキからは、黄金に輝くカードは力の象徴だと称えられる。アルカディアのタヌキ生は、今が絶頂なのだ。
そのカードを殴られたのだ。
それこそ、サラサラだった毛並みが逆立つ程に怒りに燃え、そして、それは自分だけでは無いと悟る。
とある観客席から漏れ出た凄まじい程のエネルギーが遥か上空で凝結し、直径5kmの強大な魔法陣を完成させているのが、視力を強化しているアルカディアには見えているのだ。
このエネルギーは、ソドムから発せられているのではない。
その隣、ゴモラから発せられているものだ。
『タヌキ帝王・ゴモラ』
その戦闘スタイルは完全魔導師タイプであり、古の魔法ですら、容易に使いこなす。
魔道具を使わない戦いではタヌキ帝王の中でもトップクラスの戦闘力を誇り、集団殲滅能力はソドムですら及ばない。
そして、那由他に対する忠誠心も随一であり、那由他からアルカディアに与えられた至宝を殴られて、黙っている訳が無かった。
ひぃぃ!ゴモラ様が、涼しい顔して怒っていらっしゃる!
ソドム様ですら、ビクっ!てなってるし、これは危険!お仕置きが怖いとか言ってる場合じゃない!!
恐ろしき魔法陣が自分に向けられている可能性を考慮したアルカディアは、全ての思考を停止し、本能に従った。
それはすなわち……ガントレットの召喚だ。
「もういい。ガントレットの使用許可も下りったぽい。何でも使っていいから、凄惨に成仏させろって」
「ほう?そうかそうか。それは楽しみだ」
「楽しみ?だったらせめて…………。数秒は、持ちこたえて。《サモンウエポン=千山海を握する業腕》」
アルカディアが行った武器の召喚は、正しい真名を唱えた、真なる召喚だった。
封印されていた力は目覚め、この漆黒のガントレットは『海千山千』という至宝クラスの魔道具から、『千山海を握する業腕』という伝説の魔道具へ、覚醒したのだ。
漆黒の鋼に赤き紋様が浮かぶ、妖艶なる手腕。
アルカディアの腕全体に合わせた細いフォルムとなってはいるが、それでも抑えきれない武骨さは、見る者すべてを圧倒させ、屈服させる。
アルカディアは、武の頂点たるその腕をゆっくりと構え、意識を同調させてゆく。
その光景を見て、ごくりと唾を飲み込んだタイタンヘッドは、小さく、「すまねぇ、リリンサ。俺はここで死ぬだろう」と呟いた。
そして……。
千山海を握する業腕が、動き出す。




