第54話「追撃とご褒美」
『おぉーと!これはすごい!!八の雷は、神様がとーても昔に使った神撃の一種なのです!いやー久々に見たね!私も興奮を隠しきれません!』
パチパチと鳴る喝采の拍手は、解説者たるヤジリが放っているものだ。
それは、水を打ったように静まり返る観客席の隅々まで届き、聞いた者すべての意識を正常に戻してゆく。
「お……?お、お……!」
「なん、だったんだ?」「すげえ……」「光が……」「神だってよ?」「神?」「え?毒吐きがどうしたって?」「いやだから、神が悪魔を殺す為に使った?」
「悪魔だってよ」「え?毒吐きが悪魔?」「どうみてもそうだろ?」「まぁ、なんだ、毒吐きだしな」
「そうだ。毒吐きなんだから、悪魔だろ!」
そして、観客席で話が転がっていく。
段々と話が大きくなり、やがて、毒吐きは大悪魔だ!とか言われ始め、やがて統率された大歓声へと進化した。
「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」「ポ・イ・ズ・ン!!」
解けていった思考は統一され、観客席に熱が戻った。
誰もが見た事が無い、ランク9の魔法での激戦。
そんな異常事態は、人の感情を簡単に破壊したのだ。
それは、一般人にとって、初めて知る驚愕と興奮。
それは、冒険者にとって、初めて知る恐怖と絶望。
それは、暗躍者にとって、思い出した憧れと羨望。
多くの感情が入り混じって静まり返っていた観客席は、戦場と見間違うほどの活気を噴き出す。
その声や視線の全ては、闘技石段上に立つリリンサへ向けたものだ。
『バトルトーナメント二回戦の勝者は……毒吐き食人花ーー!えー、一応言っておくけど、七騎士は戦闘不能になってないし場外アウトでもない。けど、心が死んでます!これは酷い!なにせ、闘技石段のシステムじゃ心は治りません!ということで、勝者は毒吐き食人花となりました!』
向けられた勝利宣言と観客席からの盛大な称賛を受けて、リリンサは腕を上げて親指を立てた。
その愛嬌のある返答に、再び観客席が活気を噴き出す。
中には、きゃー!っと甲高い悲鳴にも似た声を上げて倒れてしまった者すらおり、今回の拳闘大会は歴史に残る大盛況となった。
……その実、リリンサが行った愛嬌のある仕草は、VIP席に座る赤い髪の男女へと向けられたもの。
そんな事を知る由もない観客が、「俺に向かって微笑んでくれた!」と、勝手に勘違いをして盛り上がっただけである。
その後、十分に歓声を堪能したリリンサは、呆然としているセブンジードへ視線を向けて口を開いた。
「さぁ、立って、セブンジード。いつまでも呆然としていてもしょうがない。訓練に精を出すんでしょ?」
「……はい。頑張ります」
セブンジードは、思う。
なんだこれ……と。心底、思う。
なにが起こったんだ……。
荼毘に臥す火之迦具土はそんじょそこらの魔法とは違うはずだ。
なにせ、100匹の蛇の群れは、自己再生能力を秘めている。
炎というのは不定形であり、簡単に燃え広がる。
そんな特性を十全に引き出している火の蛇は不滅で、絶対に敗北する事がない……はずなんだ……。
でも、リリンサ様の魔法によって、たったの一撃で掻き消された。
……なんだよそれ。そんなんありかよ。
ランク9の魔法を魔法名だけで唱えるなんて、そんなんありかよ。
見るからに分厚い魔導書も数多くあったし、それもたぶんランク9。
ランク9の魔法を使い放題とか、そんなん……勝てるわけないだろ。
なんだよ……。なんだよ……。
なんだよぉ……。
セブンジードは意気消沈し、闘技石段の上で頭を垂れた。
リリンサに立ちあがれと促されても立ち上がろうとせず、虚ろな目で遠くを見ている。
凄まじい程の敗北感で、手足に力が入らないのだ。
「何してるの?早く待機場所に行こう。ご褒美をあげる」
「……え?ご褒美?」
「うん。言ったよね?素直に称賛を贈ると。ならご褒美をあげるのは当然と言える」
「ご、ご褒美……?どんな……?」
「手帳を見せて欲しい。話はそれからしよう」
そう言って、リリンサは闘技石段から下りてゆく。
その後を、訳も分からずについてゆくセブンジード。
未だに心は立ち直っていないが、リリンサが口にした『手帳』という言葉に反応し、辛うじて立ち上がる事が出来たのだ。
揺らぐ瞳に、「え?マジで!?」という光を灯して。
リリンサが口にした『手帳』とは、レジェンダリア国の統治機構たる『隷属手帳』の事だ。
それは、レジェンダリア国民だという証明であると共に、自らの資産価値を示す物。
誰が見ても同じ価値となる『金額』で表された隷属手帳の数字は絶対であり、上位者立ち会いの下でしか、変更する事は出来ない。
セブンジードの隷属階級は『4等級奴隷』であり、示された価値は『資産価値・120,000エドロ/時』。
もし、セブンジードへ何らかの依頼を出したいのであれば、時給換算で120,000エドロが必要になるということだ。
4等級奴隷というのは、女王レジェリクエの『ゼロ等級』から数えて、上から6番目であり、12階級ある中でちょうど半分の位置となる。
しかし、4等級奴隷は、上位者として扱われている。
この奴隷階級のシステムは、当然、上の階級に行けば行くほど在籍する人数が少なくなるからだ。
当たり前の事だが、評価を授ける人物は、自分と同じ階級の評価を贈る事はない。
もし同じ階級となってしまえば、一方的な命令権が失われ、自分の配下ではなくなってしまう。
そうなれば戦力を失い、熾烈な出世競争で敗北する要因となるからだ。
それを良く知るセブンジードは、オロオロとしながらも、リリンサへ問いかけた。
「あの、ご褒美って、もしかして……階級を上げて貰えちゃったりします?」
「そうしようと思う。という事で、手帳を見せて」
「え、えぇ……。どうぞ」
「うん。……あ、これは酷い。あんな芸当ができるのに、4等級なんてあり得ない。テトラはもうちょっと評価するべきだと思う!」
「それは……仕方がないですよ。俺の実家は第一王子派閥でしたから。テトラフィーア姫とは旧敵になりますし、あまり接点が持てていません……」
「……そうなの?だったら、私から良く言っておく。『セブンジードの評価はもっと上にするべき!』って」
セブンジードは、リリンサの平均的なドヤ顔を見て、困惑した。
……え。なんなのその、上から目線。
総指揮官は、戦場で指揮をとる役職だろ?
基本的に2等級奴隷で、1等級奴隷は殆どいないはず……。
第一、1等級奴隷の中でもトップクラスの地位に居るテトラフィーア大臣に、口出しできる訳がないだろ……。
セブンジードの中では、リリンサの階級は2等級奴隷だった。
自らの上官たる戦闘マシーンもそうであるし、国の運営に深く関わる1等級奴隷が放浪の旅に出ているなんて考えられなかったからだ。
しかし、リリンサのその態度が、それは違うとセブンジードに告げる。
なんとなく虎の尾を踏んだような感覚に襲われたセブンジードは、確認の意味を込めて、リリンサへ訪ねた。
「あの、もう一度聞きますが、俺の階級を上げて頂けるのですか?」
「そう。階級が上がれば様々な所で特典が得られる。一回限りのご褒美をあげるよりお得のはず」
「そりゃ、そうですけど……」
当たり前だと言いきるその態度を見て、セブンジードは少し思考を巡らせた後、歓喜に包まれた。
正直な所、セブンジードがこれ以上階級を上げるのは難いことだった。
セブンジードの階級を上げる事が出来るのは、事実上、2等級奴隷以上であり、その数はものすごく少ない。
2等級奴隷とは、1等級奴隷に価値を認められたという事である。
……が、1等級奴隷など、それこそ数えるほどしかいない。
1等級奴隷になるには、レジェンダリア国の大臣を筆頭とする要職に就くしか方法はなく、連戦連勝の指揮官ですら、可能性が考慮され始めるという程の狭き門。
そんな人物には、認められるどころか出会う事ですら難しく、2等級奴隷は数が少ない。
2等級奴隷の数が少ないのだから、3等級奴隷の数も少なくなる……。といった具合に、食物連鎖のような三角形が出来あがっていた。
そんな状況に身を置いているセブンジードは、思いもよらぬ幸運に顔を綻ばせた。
……やったぜ!これで俺も3等級奴隷だ!
3等級奴隷になれば、女の子の居るお店でモテモテになれる!
そのモテ具合は半端じゃないぞ!!
両手両足で、別々の女を揉めるぜ!
それに……。
メイの居る2等級奴隷に、一歩近づけた。
このままもっと功績を積んでいけば、部隊指揮官。……ひいては、2等級奴隷になるのも夢じゃないかもしれない。
ずっと前に交わした約束を思い出しつつ、セブンジードは隷属手帳を両手でリリンサに手渡した。
万感の思いを込めて、「3等級奴隷にして頂き、ありがとうございます」と感謝の念を抱きながら。
「それじゃ、2等級奴隷にするね」
「……え?」
え?なになに?
良く聞こえなかったんだけど。
頭を下げていたとはいえ、ここは人の居ない待機場所の隅っこだ。
リリンサの良く通る鈴のような声が聞こえなかったがはずがない。
セブンジードは、聞こえなかったと思う程、リリンサの言ったことが信じられなかったのだ。
「あの……。ひとつ階級を上げて貰えるって話じゃ?」
「3等級程度にするわけない。ホントは1等級でもいいかなって思うけど、テトラと同じなのは色々と不都合が起きそうなので2等級にする。そのかわり、2等級の中でも金額は高めに設定しておく」
「……え”。」
「抗議したい気持ちは分かる。あれだけの事ができるのなら、不満があって当然。でも、我慢して欲しい!」
「いやいやいや!?そうじゃないんですけどっ!?逆なんですけどっ!!」
何を言ってるんだコイツ!っと、セブンジードは慌てふためく。
それほどまでに、リリンサの言っている言葉は、セブンジードに衝撃を与えていた。
「逆って何?2等級が嫌なんじゃないの?」
「ちがぁぁう!……え?いいの?って思ってるって事ですよ!!それなのに、1等級でも良いかもなんて、おかしいでしょ!」
「んー。戦力的には1等級でもおかしくないと思う。それほど、私の攻撃を裁きながら、ランク9の魔法を使ったというのは評価すべき事」
「一撃で掻き消しておいてよく言いますね!?というか、リリンサ様は2等級ではないのですか!?」
「違うけど?」
「違うのかよ!!」
なんだよそれ!1等級なら先に言ってくれよ!
衝撃の真実を告げられ、セブンジードは思わずツッコミを入れた。
予期せぬ事態に、先程まで落ち込んでいた気分は何処かに吹っ飛び、戦闘マシーンになる事を回避。
偶然の事であったが、いつもの調子を取り戻す事になった。
「2等級じゃない……それじゃ、実力を女王陛下に認められたという事ですか?」
「もちろんそう。レジェは気分で人の評価を変えたりしない。支配者は公平じゃなくっちゃ、ダメなのぉ!とよく言っていた」
女王・レジェリクエは現実主義者であり、人の価値に私情を挟まない。
それゆえに、どれだけレジェリクエと親しくなろうと、階級が上がる事は無かった。
当然、親友と噂のリリンサもそうであるとセブンジードは思っており、隷属階級も自分の上官連中と大した差はないと思っていた。
この誤解が産まれた要因は、レジェリクエが『公共の場以外で余と会話する場合、言葉使いでの不敬を不問にする』という宣言をしているためだ。
「ベッドの上で敬語は無粋なのぉ……。敬語じゃ喘ぎ声を出せないしぃ」と、聞かされた者は大体が頭を抱えたが、それを押し通す女王の圧力とは、怖いものである。
そんな理由により、リリンサが『レジェ』と呼び捨てにしても疑問に思う事は無く、スル―。
そして真実を知った今、虎の尾を踏んでいたどころか、ドラゴンの口に手を突っ込んでいたらしいと、セブンジードは震え上がった。
「1等級だったなんて驚きです……。で、もし仮に、仮にですよ?俺が1等級になったとしたら、リリンサ様と同じになっちゃうじゃないですか。それは流石に……」
「ん。何か勘違いしている?私は1等級じゃないので、あなたを1等級にしても、同じにはならない」
「……は?なんだって?」
は?それじゃ、ますます話がおかしくなるでしょうが!
1等級じゃないのなら、俺を1等級にするなんて出来ない。
それこそ……噂でしかない特級奴隷の、心無き魔人達の統括者にしか、できっこな……。
そんな言い訳じみた答えを出し、セブンジードの思考は、先程の光景を脳裏に巡らせた。
セブンジードが持つ最大最強の魔法『荼毘に臥す火之迦具土』があっけなく崩れていく光景。
そもそも、大量の魔導書を召喚した時点で、何かがおかしかった。
そしてセブンジードは、再び、絶望と困惑の中に舞い戻る。
「………。嘘だ……。そんなの……ありえない……」
「信じられない?じゃあ、証拠を見せよう」
そして、セブンジードが真実に辿り着こうとしている最中、リリンサは自分の隷属手帳を取り出して、セブンジードに見せ付けた。
そこには、セブンジードの見たくない言葉が書かれている。
『リリンサ・リンサベル』
『階級*特級奴隷*』
『資産価値・100,000,000エドロ/分』
「あ……。あ、あぁ……。」
「理解できた?私の階級はテトラよりも上。どう?私とあなたの間に広がる、圧倒的な差を思い知った?」
ちょっとだけ意地悪な平均的悪人顔をしながら、リリンサは微笑んだ。
そしてセブンジードは、己が運命を悟り、嘆く。
……誰か、嘘だと言ってくれ。
たった5人で、俺の国を転覆させた心無き魔人達の統括者。
レジェリクエ女王と一緒に、『他国の人間のプライドをズタズタに引き裂いて回った』とか、『プライドだけじゃ飽き足らず体もズタズタに引き裂いた』とか、『持っていた金銭や資産は綺麗に奪い去った』とか、『米の一粒ですら残さず、全部平らげた』とか、そんな信じられない逸話を量産した大魔王。
そんな大魔王に、俺は散々、暴言を吐きかけ喧嘩を売っていた?
皮肉をこめて、「ありがとうございます」なんて言っちゃった後、「あなたを倒します」宣言まで出しちゃった?
……死んだ。
これはもう、許される気がしない。死んだ。
あ、そうか。なるほど。
俺の階級が4等級から2等級になるのは、2階級特進ってことか。
さっきよりも目が死んだセブンジードは、力なく地面にへたり込んだ。
その横で、平均的なノリノリ具合で手帳の階級を書き換えてゆくリリンサ。
程なくして出来上がった自分の隷属手帳の『2等級奴隷』という文字を見て、セブンジードは、涙を流した。
「泣くほど喜んで貰えたのなら、良かったと思う!」
「はい……。涙がこぼれ過ぎて枯れそうです……。あ、これで俺も、血も涙もない戦闘マシーンに……」
「それはそうと、ちょっとお願いがある。……なお、拒否権はない」
「やっぱり来た……。死んだ……?」
「話を聞くだけだから、死にはしない。あなたはさっき、『ギンが来なければ、フィルシアは落せていた』と言った。それってつまり、『フィートフィルシア領の防衛戦力に、鏡銀騎士団が味方をしている』という事?」
「えぇ、そうですよ。先日行われた先制攻撃にて存在が確認されました。思わぬ伏兵の登場により戦略は大きく変更。拮抗状態が続いています」
「そうなの?ふーん」
リリンサが冷たく言い放った「ふーん」を聞いて、セブンジードは心の奥から震え上がった。
女性が使う『ふーん』とは、興味が無いと取り繕いながらも、実際は興味津津な時に出る、一種の識別信号みたいなものだ。
それを聞いた場合、大体、聞いた男性は不幸になる。
自らの体験談にてそれ知っているセブンジードはその不幸に対応するため、帰ったら真面目に訓練に励もうと思った。
リリンサ様が帰還される前に、フィルシアを落としておかないと大変な事になる。
今度消えて無くなるのは、炎の蛇じゃない。
……この俺だッ!!
テトラフィーアの思惑通り、新たな決意を手に入れたセブンジード。
大悪魔に魅入られた教え子と部下の、邂逅の日は近いのかもしれない。




