第53話「バトルトーナメント⑪毒吐き食人花VS七騎士終」
喧騒を振りまいていた観客は一斉に沈黙し、ただ呆然と、闘技石段の上に出現した異常物体を見やった。
観客席に居る10万の瞳に映るそれは、直径100mの擬似的な太陽。
燃え盛る表面には、轟々とした炎の波が蠢き、熱気と光を周囲へ叩きつけている。
これは、セブンジードが召喚した『荼毘に臥す火之迦具土』だ。
炎熱系の上級魔法であるこの荼毘に臥す火之迦具土は、高密度に圧縮された炎の塊であり、直接触れた万象の殆どを灰塵へと帰す。
恐ろしいのは、その凄まじい熱量だけでは無い。
空中に出現した本体たる擬似太陽の熱を使用し、様々な特殊効果までも発生させる事が出来るのだ。
そんな、肌を突き刺すような熱を見上げ、小さい体のリリンサはポツリと呟いた。
「凄い……。まさかランク9の魔法を使われるとは、思っていなかった」
その声の中に混じっている感情は、感動。
様々な魔法を持つリリンサでさえ、扱ったことの無い魔法である荼毘に臥す火之迦具土。
肌で感じる熱気は正真正銘のランク9であると直感させ、思わず感嘆の声を上げてしまったのだ。
リリンサは、卓越した知識を以て、目の前の擬似太陽を分析した。
今までセブンジードに向けていた評価を『獲物』から『好敵手』へと変化させながら。
あの荼毘に臥す火之迦具土は、私の雷霆戦軍の炎版だと推測できる。
ああいった本体が有る魔法は、能力を見た目に表している場合が多い。
たぶん、炎に関する事象を、術者の意思のままに発生させる事ができて、通常の炎弾や炎の壁、変わった使い方をするのならば、周囲の空気を燃焼させて酸素濃度を低下させるなんて事もできるかも?
大雑把でありながらも、リリンサの考察は正確に荼毘に臥す火之迦具土の効果を言い当てた。
荼毘に臥す火之迦具土は、使用した術者を『炎の支配者』へと至らせる魔法だ。
数千年の文明と共に、多岐にわたる姿で人類と共に歩んできた『炎』。
そんな、ありとあらゆる形態の炎を顕現させる事が出来るようになったセブンジードは、雷の支配者たるリリンサへ向け、今までとは違う声色で言葉を放った。
「総指揮官、どうです?案外、俺もやるもんでしょう?」
「素直に称賛を贈りたい。ランク9の魔法を、一対一の戦いの中で使用するのは難しい。しかも、それを前衛職が行ったとなれば、その価値は計り知れないものとなる」
「お褒めを頂き光栄です。では、ついでに一つ、進言させていただきますね」
「どうぞ。今のあなたは、私と同じ立ち位置にいる。こんなに優れた部下がいるという事を、私は『誇り』だと思う」
「ありがとうございます。さて……。あなたを倒させて頂きます。総指揮官、殿」
礼儀正しく一礼し、セブンジードはリリンサへ勝利を宣言した。
今までの、狼狽し逃げ惑っていたチャラ男は、もうここには居ない。
セブンジードという男は、本性を現したのだ。
心の奥底に眠る、貪欲なまでの向上心と闘争意欲。
しかし、過ぎた志は身を滅ぼすと、過去の経験にて学んでいるセブンジードは、滅多なことではこの姿を人に見せる事はなく、この姿を知るのは、テトラフィーアと、幼馴染のメイだけ。
そして、三人目にリリンサを選んだ理由は、当たり前になっている今の日常を、当たり前に過ごしたいという小さな願いを守るためだ。
「俺はね、総指揮官殿。あなたを信用しちゃいない。俺を含めた『終末の鈴音』に属する者の中で、新参者は大体そう思っているはずだ。そりゃあそうだろ。あなたの姿は偶像で目に見えない。名前だけのお飾りだと思われてもしょうがないってもんだ」
「確かに、そう思われてもしょうがないと思う。事実として、私は総指揮官の使命を全うしていないのだから」
「ですが、考えが変わりました」
「前向きになった?」
「えぇ。たまには高い所から景色を見たくなりまして。偶像を踏み台にして見る景色は、中々に絶景だと思います」
「それはとても浪漫があると思う。できるなら、だけど」
「できますとも。えぇ。俺が本気になれば、出来ない事なんか無い!俺は……できるチャラ男だからな!!」
「それなら私は、こう答えるとしよう。あなたと私の間にある技量の差を知ると良い。ランク9の魔法一つでは、覆す事の出来ない『絶対』もある」
鋭く交差する視線は、即座に反応できるようにと、お互いの動きを観察している。
やがて、呼吸が10回ほど繰り返された頃、ゆらりとセブンジードが動き出した。
「《魔弾・獄炎殺》」
セブンジードは、上空に出現した荼毘に臥す火之迦具土へ炎の弾丸を打ち放ちつつ、後ろに飛んでリリンサから距離を取った。
放たれた炎の弾丸は擬似太陽へ衝突し、有爆。
着弾点から波紋として広がった炎の揺らぎは乱反射し、やがては収束して、目に見える形で変貌を遂げてゆく。
擬似太陽が纏っているプロミネンスが、着弾地点へ流れ込むように集結。
360度全方位から押し寄せた炎の津波は、逃げ場がなく衝突し……火柱となって吹き上がった。
擬似太陽から湧き出た、長さ10mの炎柱の剣。
非常に堅い事で知られるダイヤモンドですら容易に熱断するそれは、擬似太陽の表面を滑るようにして、リリンサへと向かい落ちてゆく。
「抜刀せよ《火之十束剣》」
迸る炎熱の剣とは対照的な、冷めきったセブンジードの詠唱。
荼毘に臥す火之迦具土によって詠唱破棄が可能になった現在、高位と呼ぶべき強力な魔法も、魔法名一つで呼び出す事が出来る。
そんな、か弱き人間が受ければ骨すら残らない熱断の剣を前にして、リリンサは冷静に対処を開始した。
「……《魔導書の閲覧》」
「は!今更、何をしても遅いっつうんだよ!くたばれ!!」
放たれた炎熱の剣によって、セブンジードの視界は遮られていた。
それゆえに、リリンサが何を召喚したのかがセブンジードには見えておらず、勢いに任せただけの安い挑発を放っただけに過ぎない。
そして、リリンサの周囲に、合計131冊という空前絶後の力の象徴が出現した。
その一冊を素早く手に取ると、リリンサは対抗の呪文を唱える。
「《魔導書の使用・凝結せし古生怪魚》」
出現したのは、見渡す限りに続く、津波。
……いや、、推定数万リットルの津波だと錯覚させる、巨大な怪魚の群れだ。
それらは連なり、炎熱の剣と真正面から衝突。
加熱の力と冷却の力は拮抗し、お互いの存在を対滅させた。
「馬鹿な!ランク9の魔法で作った炎の剣だぞ!?」
「別に不思議ではない。なぜなら、私が今使ったのもランク9。威力的には同等以上」
リリンサが召喚したのは、ランク9の魔法『凝結せし古生怪魚』。
皇種が存在しない程の遥か昔、海中最強の覇者とされた怪魚を模した水弾の群れだ。
特殊な効果を蓄えた水で出来たこの魚群は、取り込んだ物体の分子の動きを阻害し、強制的に凝結させ『個体化』するという力を持つ。
それが水分や気体、そして、魔法で出来た現象であろうと、凝結された状態となるのだ。
生物の肉体は固体であり、表面上は凝結されているといってもいい。
しかし、体内には流動体たる血液やリンパ液の流れがある。
この魔法は、それらの動きすらも完全に停止させ、凝結させる。
すなわち、どんな物体であれ、『化石』とする事が出来るのだ。
衝突した炎熱の剣は、炎という状態を凝結され崩壊。
それと同時に、凝結の魚群も熱に巻かれて消滅し、結果的に相撃ちとなった。
それを理解しつつも受け入れられないセブンジードは、高ぶった感情に任せて、思いを吐き出す。
「ランク9?ありえんだろ!詠唱はどうしたんですか!」
「ん。非常に品質の良い魔導書には、魔法を発動するための全てが詰まっている。つまり、声に出して発音しなくとも、魔力を注げば発動は可能」
「そんな無茶苦茶な理論があるかぁぁ!」
リリンサが言っている事は、世間的な常識では考えられない事だった。
『魔法は声に出して詠唱するか、魔法陣を描いて世界に示すことで発動する事が出来る』というのが当たり前であり、セブンジードもその常識に従い、闘技石段の上に魔法陣を描いて魔法を発動させた。
それは、間違った知識ではない。
魔法という現象は神が作りし機構であり、詠唱または魔法陣は、魔法を出現させる扉を開ける為の鍵の役割を持つ。
ランクが高くなればなるほど、鍵は複雑化していき、長い詠唱が必要となるのだ。
神が作りし魔法の概念は、覆す事の出来ない絶対の真理。
しかし、リリンサは呪文無しで魔法を出現させた。
これは、神の真理を犯したのではなく、魔導書の内部に魔力を通し、複雑な形の鍵を極限まで簡略化させている為だ。
一本の鍵には数千万に及ぶパターンが秘められているように、魔法の呪文を唱えるという行為は、その形に適合するように模索しながら、鍵を作っていく行為に近い。
だが、リリンサは魔導書の中に魔力を流し、鍵の形を把握。
後は魔法名を唱えて鍵を作るだけで、魔法が発動できるのだ。
これは、リリンサの持つ特殊な才能で、決して、誰でもできるというものではない。
事実、心無き魔人達の統括者の中でもリリンサだけが行える事であり、ワルトナやレジェリクエに「チートも大概にしろ!」と度々、怒られた。
当然、セブンジードもどうしてそんな事が出来るのか、理解が追い付いていない。
しかしながら、火之十束剣が無効化されたのは事実。
なんだと!?と思いつつも、再び意識は戦闘へと向けられた。
「つーか、今、気が付いたけど……。その魔導書の山、なにっそれ!?!?」
「私のコレクション。見た人は、それなりの確率でブチ転がる」
「なんだその初見殺し……そういうのは、俺達の領分なんですよ!《誘う火産霊》」
炎熱の剣は巨大な為に、大雑把な狙いでも迎撃されてしまう。
だったら今度は……膨大な物量で押し潰す。
セブンジードは荼毘に臥す火之迦具土へと魔力を注ぎ、とある形態へと進化させた。
擬似太陽から、炎の精霊を宿す卵へ。
表面を覆っていた炎の波は成りを潜め、代わりに光沢のある結晶へと姿を変えてゆく。
うっすらと見える内部では、細長い何かが、絡み合うように蠢いていた。
「へぇ、見たこと無い。どんな魔法?」
「教える訳ないでしょうが!《生まれよ!火の蛇》」
空にある赤い結晶の表面がひび割れて落ち、ぬるりと何かが産まれ、這いずる。
それは、ドロリとした溶岩でできた全長4mの大蛇。
たった一匹でも近づけない程の熱を持つその蛇は、闘技石段の上で鎌首を持ちあげ、リリンサを睨む。
そして、特出すべきは、その蛇は一匹では無いという事だ。
闘技石段の上に居るのが、3匹。
空にある結晶の割れ目から、頭を出しているのが10匹。
そして、結晶の内部で蠢いているのが、87匹。
合計100匹の蛇を生み出すこの形態こそ、荼毘に臥す火之迦具土の真の姿。
その暴威は、現実に起きる火砕流に劣るものではない。
「炎の蛇とか、造形がショボイ。私の光の子竜の方が数倍かっこいい。手足も翼も、角だってある!」
「……。だったら、さっきの光の子竜で、受け止めてみやがれ!」
普通はその蛇を見て絶望を抱くものなのだが、リリンサの感想はちょっとだけ辛口だった。
そんなやるせない感想を貰ったセブンジードは、ヤケクソになりながらも、全ての蛇に特攻を命じる。
蠢く熱。
その熱により闘技石段は溶けて、ぬかるんだ溶岩地帯へと変貌してゆく。
そんな危険地帯を、軽い気持ちで散策でもするようにリリンサは駆け抜け、走り廻る。
奇しくも先程の光景とは真逆であり、今度はリリンサが追われる番となった。
「んだよ。あんだけ偉そうな事を言っておいて、逃げるのかよ!」
自分が勝てない上官が崇拝に近い信頼を置くという、総指揮官。
予期せぬ出会いとなってしまったが、セブンジードは、総指揮官に会ってみたいと思っていた。
自分の知らない高みに居ると聞いて、少なからず好奇心が刺激されたからだ。
しかし、リリンサが逃げる光景をみて、セブンジードは失望を覚えた。
……戦闘マシーンの連中はなにより、あの厚顔無恥なメイですら一目置いている。
散々、すごいという話を聞かされていたが、所詮、俺と同じ一般人か。
だったら、俺の国をを5人で滅ぼしたと噂の、心無き魔人達の統括者とかいう連中もどうせ居ないに違いない。
常識的に考えて、そんな事が5人で出来る訳ないしな。
女王陛下は嘘つきか。そんなチープな嘘をつくなんて……。
不敬になると、セブンジードはそこで思考を打ち切った。
時間にして、およそ3分。
たったの200秒という時間は、炎の結晶から火の蛇が全て生まれるには十分な時間だった。
最早、足の踏み場すら無くなった闘技石段の上の空を踏み、リリンサは指折りしながら蛇を数えている。
そして、切り良く100匹になったのを確認して、平均的な微笑みをセブンジードに向けた。
「全部出てきたっぽいね。これで準備は整ったといえる」
「準備が整った?後は総指揮官が蛇に食われて死ぬだけだろ?」
「残念。死ぬのは私じゃなくて、蛇の方。《魔導書の使用超越……》」
空を闊歩するリリンサは、天に杖を掲げ、祈りを捧げた。
その祈りは、恋に焦がれた想い人に逢いたいという、ささやかな願い。
しかし、その願いは叶う事は無かった。
願いは残酷な現実へと変貌し、やがて、死を具現化した八つの雷へと至る。
「《『大雷』、『火雷』、『黒雷』、『拆雷』、これらは上体を滅ぼし、『若雷』、『土雷』、『鳴雷』、『伏雷』、これらは肢体を滅ぼす。終りが来たのだ、我が愛しき者よ―八の雷―》」
詠唱破棄ができる状態にあるとはいえ、この魔法を扱うには最低限の詠唱が必要だった。
この魔法は、雷系最高位、八の雷。
目標とした物体に死という概念を与えるこの雷は、どんな防御魔法を持ってしても防ぐ事が出来ない。
神が、この世界で初めて生物を殺害した時に使用したとされる神話の魔法は、概念を操るといった方法でしか、防ぐ事が出来ないのだ。
「……なんだこれ……。俺の荼毘に臥す火之迦具土が……。砂に描いた絵みたいに、光に飲まれて、消えてゆく……」
「この雷光は、森羅万象を弔う静滅の光。ただのランク9程度では、抗う事はできない」
そして……。
視認することすら困難な光が過ぎさった後、そこにはたった一つの生命しか残されていなかった。
つい先ほどまで地上を支配していた炎の蛇や空に有った結晶は跡形もなく消え去り、残っていたのは、意図的に攻撃の対象から外されたセブンジードだけ。
呆然とし、訳の分からないまま、へたり込んでいるセブンジードの前にリリンサは降り立つ。
平均的な微笑みを浮かべたリリンサは、セブンジードに向け人差し指をクルクルと回して注意を惹きつけながら、優しく語り掛けた。
「セブンジード。あなたは頑張ったと思う。けど、私にはまだまだ届かない。もっと精進して欲しい!」
「……己の未熟を恥じ、これからは訓練に精を出したいと思います。リリンサ様」
虚ろな目をして、セブンジードは呟いた。
フィートフィルシア領を攻める、4人目の戦闘マシーンの誕生である。




