第36話「転座する思惑」
「取引ねぇ……。キミはそういうのとは縁遠いもんだと思っていたよ」
「普段は面倒じゃからしないんじゃがの。今は火急の用件があっての。既知のお前さんに会えてラッキーじゃ」
「急ぎの用事?普段から何してるのか不明なお前が、用事ねぇ。まぁいいさ。言うだけ言ってごらんよ」
ワルトナはワザとらしく肩をすくませて仕方が無い風を装いつつ、準指導聖母・悪喰の出方を窺っている。
興味が無い風を装いつつも、実際の心の内では、謎の男の正体を知りたくてしょうがない。
謎の男を見失ってしまった以上、次に出会えるかは運次第だ。
セフィナに確かめた話では、謎の男は優勝を辞退したらしく、バトルロイヤルの決勝戦には出場しない。
そして、運が無いと自他ともに認めるワルトナは、たった一度きりのチャンスだったと後から後悔した経験を思い出し、思考の海へ潜る。
逃げられてしまった以上、次は無いかもしれない。
そして、コイツ……悪喰から話しかけてくるなんて、とても珍しい事だ。
通常ならば、指導聖母に名を連ねる人物の提案なんて、聞くべきじゃないんだが……。
コイツに関しては、ぶっちゃけ存在自体から謎だし、判断が付かないね。
食い意地が張ってるコイツの火急の用事って何だ?
同じ指導聖母の仲間でありながら、ワルトナは悪喰についての情報を殆ど持っていなかった。
これは『悪辣』と『悪喰』の関係が不仲だという事ではなく、全ての指導聖母同士が、あまり仲が良くないのだ。
全ての指導聖母が自らの利益を優先させるが故に、敵にも味方にもなる。
利用し、裏切られ、敵対し、共闘する。
そんな事を日常的に繰り返している指導聖母は、お互いの知能を武器に、日々死闘を演じている。
「ふむ。警戒しているようじゃが、そんな事をしても腹は膨れんから無駄じゃの」
「これは癖みたいなものさ。いいから取引の内容を提示しておくれよ」
「くくく、手に入れて欲しい物があるのじゃの」
「物品の捜索かい?そこそこ伝手は有るけどね。で、それは何だい?」
バレないようにごくりと唾を飲み、ワルトナは身構えた。
どんな無理難題を吹っ掛けられようとも、その条件を飲むしかない。
ユニクルフィンに害を成す存在を、ワルトナは放置する事は出来ないのだから。
そして、悪喰の口から、取引の内容が伝えられた。
「……B級グルメじゃの!」
「………………は?」
「じゃから、この闘技場の周りにある屋台で飯を奢って欲しいんじゃの!あぁ、腹が減って死にそうじゃー。火急に腹を満たさんと大変な事になってしまうのー」
「……そうかい。誤解しないで欲しいんだが、僕はキミの取引に前向きに応じようと思っている。食事を奢るくらいどうってことないさ。だが、あえて言わせてくれ………………買えよ」
やっぱり食い気か!薄々、そうじゃないかって思ってたよ!
肩に入った力を抜きつつ、ワルトナは鋭い視線を悪喰に向けた。
これは睨んでいるのではない。
呆れているのだ。
指導聖母の地位に就く人物は、貧困とは程遠い。
というのも、少なくない金額が不安定機構から給料として支給され、かなり贅沢な生活水準で日々を過ごしても問題ないからだ。
この給料は主に、任務で使用する道具代にあてられるもの。
もともと魔道具という物は高価であり、指導聖母として色々な装備を揃えなくてはならないのだから、不安定機構から現金が支給されるのは当たり前の事だ。
当然、必要な金額は桁違い……になるのだが、上手に転売を繰り返す事によって、必要経費は最小限に抑えられる。
第一、指導聖母になる為には、難解な筆記試験を突破せねばならず、知能レベルは最高水準。
そして与えられた資格を利用すれば、大富豪と呼ばれる存在になるのは簡単な事だった。
それを良く知るワルトナは、もう一度、悪喰の服装や身なりを見やり、溜め息を吐く。
そう言えばコイツ、貧乏そうだな……。
ワルトナは、ちょっとだけ同情した。
「一応聞くが、お金を持ってないって事でいいのかい?」
「そうじゃの。儂の婚約者の奴が逃亡しおっての。だから今は財布が居ないのじゃ!」
「……まずキミに婚約者がいた事に驚きだし、婚約者の事を『財布』と呼ぶ図太さにも驚きだよ」
「イイ男なんじゃがの、案外、器が小さくての。いじけるとすぐ居なくなるのじゃ。食費くらい置いて行けというもんじゃの!」
「……いや、給料が出てるだろ。指導聖母として、それなりの金額が」
「持ち歩くのが面倒だから放置じゃの。今更、数える気にもならんしのー」
貧乏じゃないのか……。
つーか、数える気にならないって、どんだけ貯め込んでいるんだよ……。
呆れが失笑に変わり始めたワルトナは、やれやれと大ぶりに肩をすくめて笑って見せた。
表面だけ取り繕った、愛想笑い。
それでも悪食はその笑みを好意的に捉え、満面の笑みを返した。
表情のみで交わされた契約。
これは、あえて明言しない事でお互いに利用し合うという、指導聖母の暗黙の了解だ。
ふふふ……。と不敵に笑う悪辣と悪喰。
それを横で見ていたセフィナは、訳が分からずオロオロとし始めており、抱えられていたソドムとゴモラは遠い目で空を眺めている。
「あの……その……。」
「あぁ、紹介が遅れたね。コイツも僕と同じ指導聖母さ。準指導聖母・悪喰。階級はやっぱり僕の一個下。ちなみに働いている所を見た事が無いって評判の聖母様さ」
「飯に繋がらぬ労働など、まっぴらごめんだの。そもそも、儂がこんな肩書きを持っているのも、不安定機構の晩餐会に出席するため。飯は何よりも優先されるべきなのじゃの!」」
「……なんか分かる気がします!」
「理解するんじゃないよ!『働かざるもの、食うべからず』だからね!?」
「儂の座右の銘は、『棚からぼた餅』じゃの。働かずに食う飯は美味いか?美味いに決まっておろう!」
「はい!ごはんはいつ食べてもおいしいです!」
「ダメだコイツ……。指導聖母にあるまじき、ダメさ加減。教育に悪いったらありゃしない……」
「森羅万象、この世界は我が舌の上にありじゃの!……で、お主は何もんじゃの?」
「あ、はい!えっと、私、セフィナ・リンサベルって言います!13歳です!」
「リンサベル?もしや、父親の名前はアプリコットかの?」
いきなりの話の急展開に、ワルトナは焦り始めた。
セフィナの父親の正体については、セフィナはおろか、リリンサですら知らない秘密。
どういう訳か、セフィナの名前からアプリコットを結び付けた悪喰の感の良さに、評価を改めつつもすぐに軌道修正を始めた。
「パパを知っているんですか?」
「もちろん知っておるぞ。指導聖母で知らん奴はおらんくらいには有名じゃしの」
「悪喰。純粋無垢なこの子に余計な事を吹き込むのはやめておくれ。さもないと、食事代が減るよ」
さりげなく言ったワルトナの警告は、悪喰の心を撃ち抜き、会心の一撃を与えた。
雷に打たれたように目を見開いた悪食は、「訂正じゃ。アプリコットなんぞ知らん!」と意見を変える。
セフィナだけが首をかしげているが、ワルトナが「キミのお父さんは人柄が良いって有名だったんだよ。毎日、気持ちいいの挨拶をしてくれるってね。キミもそういう風にならなくちゃダメだよ?」と適当な事を言うと納得し、「頑張ります!」と頷いた。
「元気な挨拶は大切ですもんね!私も、ワルトナさんみたいに凄い聖女様になって見せます!!」
「……。」
「……ほう」
「あ、あれ?」
「あのね、セフィナ。僕らが今掛けている認識錯誤の魔法は一体何のために掛けているのか、キミは理解していないのかい?」
「もしかして、名前で呼んじゃいけない奴……でした?」
「当たり前だね、愚問だねぇ。これじゃぁ、聖母になる為にはすごくいっぱい勉強が必要だねぇ」
「あうぅ。ごめんなさい……」
ワルトナに叱責され、セフィナはションボリし、ソドムの毛を弄り始めた。
それを絶妙な真顔で受け入れるソドム。
ワルトナは「このクソタヌキは、何でこんなにも大人しいんだ?」と疑問に思ったが、その答えは有らぬ方向からもたらされた。
「ふむ。『セフィナ・リンサベル』に『ワルトナ』か。覚えたぞ」
「くっ。普段は食い意地しか発揮しない癖に、こういう時だけ賢いのかよ」
「いやなに、ちょいと点と点が繋がっただけじゃの。それにしても、リンサベル……『リィンスウィル』の末裔かの。そりゃ、ゴモラも懐くというもんじゃな」
「……は?今なんて?」
「この子はリンサベルなのじゃろ?なら、カーラレスの末裔じゃ。そうじゃの?ゴモラ」
「ヴィギルーーン!」
表面上は笑顔を灯し続けてるワルトナだが、心の中では酷く混乱している。
……なんか、新しく謎が増えたんだけど。
誰だっけカーラレス。どこかの歴史書で読んだのは間違いないんだけど、すぐには思い出せないな……。
というか、リンサベル家にタヌキ帝王が居たのは、歴史的な理由があるのかよ……。
僕はてっきり、アプリコット様がゴモラを殺し損ねたから監視されてるのかと思っていたよ。
だとすると、一見して懐いているように見えるのも、人質的な何かじゃないってことかい?
ワルトナはここまで思考を進めた段階で、保留していた事案を問う事にした。
今もセフィナの膝の上で大人しく鎮座している、二匹の大厄災。
両ひざの上に一匹ずつ乗ったその姿は、まるで神殿を守護する狛犬のようだ。
ワルトナは、この意味不明な情景を見て眉一つ動かさない悪食の図太さが、気になってしょうがなかった。
いくらなんでも、タヌキ帝王を前にしてする態度じゃないと、質問を投げかける。
「つーか、悪喰。当たり前に平然としているけど、このタヌキ、タヌキ帝王だよ?なんで取り乱さないんだい?」
「まぁ、タヌキ帝王は数が少ないからのー。SSRじゃの!」
「レアリティの話をしているんじゃないよ!『タヌキ帝王は世界を滅ぼす』。このくらいの知識は、流石に持ってるだろ?」
「ふむ、世界を滅ぼす、か……大体滅ぼすのは蟲なのじゃがの。ま、都市くらいなら割と滅ぼすの。『ソドムゴモラ』と、『エルドラド』と、『ム―』と、『アヴァロン』と――」
「名だたる伝説の土地ばかりだねぇ。……何でもかんでも、タヌキのせいにするんじゃないよ!」
「ま、儂にとってタヌキ帝王は手下みたいなものじゃし、驚く程の事じゃないの」
「手下って……それは無いだろ……。そんな事が出来るなら、お前は指導聖母どころか、英雄と呼ばれているよ」
「信じていないのかの?仕方があるまい、証拠を見せてやるの……」
なんだって?随分と自信がありそうだけど、まさかホントに従えてるのか?
疑問に思いつつ、様子を窺うワルトナ。
そして、信じられない光景を目のあたりにした。
「ほれ、ソドム……。お手!……お座り!……三回回ってワンと鳴くのじゃの!」
「ヴィギル!ヴィギル!……ヴィギルオォーン!」
「わーすごーい!上手だね、ソドム!」
あまりの衝撃映像に、硬直し目を見開いたワルトナ。
無邪気にはしゃぐセフィナにツッコミを入れることすら忘れ、ただただ、呆然とソドムを見つめている。
「マジかよ……。タヌキ帝王を操れるとか……」
「これくらい朝飯前じゃの!」
「私も私も!……ソドム、お手!」
「ヴィギルオン!」
「セフィナも出来るのかよッッ!?!?」
何だコイツら……。ビビりまくってる僕が馬鹿みたいじゃないか。
あまりの事態に、僕がおかしいのか?と疑問を持ったワルトナは、そっと手を差し出して、ソドムへ語り掛けた。
「……お手。」
「……がぶ。」
「ぎにゃあああああ!?噛まれたッッッ!!」
手首から先をガッツリと噛みつかれたワルトナは、必死に腕を振り回して、脱出を試みる。
防御魔法が掛っていると言えど、相手はタヌキ帝王。
本日最大の危機感に刈られながら、何度か魔法を唱えてやっとの思いでソドムを引き剥がした。
そしてソドムはタヌキ語で「……解析完了」と意味深な事をひっそりと呟いた。
「このクソタヌキィ!いつか必ずお前をぶち殺してタヌキ鍋にしてやるからなッ!!余った毛皮はスリッパにでもしてやるよ!!」
「さっきも言ったが、やれるもんならやってみろ。眠っている草団子を目覚めさせた後、グラムとシェキナ、それにメルクリウスの完全開放まで行ければ勝負になるかもな」
「お前……どこまで知っているんだ?」
「くくく、お前が紅団子の所に来る前からの付き合いだしな。調べろと、我等が”皇”より仰せつかってもいるぞ」
「そんな……那由他まで……?敵は蟲だけじゃないってのかい……」
知りたくもなかった情報を手に入れたワルトナは、人目を気にせず、頭を抱えた。
そんなワルトナへ、か細い声をかけたのはセフィナだ。
セフィナは、「どうしたんですか?困っているのなら、私、頑張ってお手伝いします!」とワルトナを励ます。
その声を聞いて少しだけ元気を取り戻したワルトナは、「ありがとね。ホント、セフィナは僕の癒しだ」と言い、空間から自分の財布を取り出した。
「さぁ、心優しいセフィナには、僕からご褒美だよ。今から屋台に行って好きなだけ食べ物を買って来ると良い。遊戯の屋台もあるだろうし、少しくらいなら遊びに使っても良いよ」
「え!?そんな、悪いですよ!?いつもお世話になってるから、恩返しのつもりで、だからその……」
「遠慮することなんて無いんだよ。それに、僕はこの悪喰に食事を奢らなくちゃいけないからね。だから僕と悪喰の分も含めて多めに買ってきて欲しいんだ。これはご褒美でもあるけど、お使いの任務でもある。さぁ、皇宝の魔導師、セフィナ・リンサベルよ、ただちに屋台に向かって、おいしそうな食べ物を手に入れてくるんだ。できるね?」
「……はい!できます!!」
「よろしい。では一生懸命、任務に取り掛ってくれ」
「はい!頑張ります!!」
元気よく返事をしたセフィナは、ワルトナの財布を大事そうに抱きしめると、元気よく歩き出した。
そしてそれに続くのは、タヌキ帝王、ソドムとゴモラ。
偉大なる魔獣達は王が道を歩くように威風堂々と、セフィナの後を追従していった。
「……食い物を買いに行くと話したら、何の迷いもなく後をついて行きやがった。ホントにクソタヌキだ……。セフィナ!ポップコーンだけは買うんじゃないよッ!!」
「色んな物を買ってくるのじゃの!もちろん、大盛りがいいの!!」
元気よく手を振って返事をするセフィナと、それはそれは良い声で高らかに鳴いたソドム。
一人と二匹は人ごみの中に紛れて消え、座席には二人の指導聖母が残った。
「さて、本題に入ろうかね。悪喰、情報交換のお時間だよ」
「望む所じゃの。全知を知るこの儂に、何を聞きたいじゃの?」




