第35話「横転する思惑」
ワルトナは脱力し、ポスンと軽い音を立てて座席に腰を下ろした。
用事を済ましてくると言って立ちあがってから、おおよそ5分。
目まぐるしく変わる状況を経て、静観を選択したからだ。
そして、その成り行きを見守っていたセフィナも座席に戻ったワルトナを見て、純黒の髪を斜めに傾けながら疑問を口にした。
なお、ゴモラはバナナチップスを貪り食っている。
「どうしたんですかワルトナさん?」
「うーん。少し、様子見をしようかと思ってね」
「様子見?」
「あぁそうだ。さっきの閃光は、かなり強い力を感じたからね。キミ一人をここに残して、怪我でもされたんじゃ大変だ」
当たり障りのない事を言いつつ、ワルトナは闘技石段へ視線を注ぎ続けている。
そして、訳が分からず事の成り行きを見守っていたセフィナも、闘技場に現れた人物を見て驚きの声をあげた。
「あ!おねーちゃんだ!」
「そうだね、乱入だねぇ」
ゴモラとの必死の格闘を終えて、やっとユニクルフィンの元に向かえるとワルトナが気持ちを改めた瞬間、闘技場から途方もないエネルギーが放出。
そのエネルギーは認識偽装のドームを破壊し、周囲の観客席へ届いてしまった。
それは、認識を偽られているはずのリリンサへ真実を伝える行為。
つまり、ユニクルフィンの危機を知らせるものだった。
それを理解したワルトナは、シャキナを構えつつも様子を窺っていた。
そして、危惧したとおりリリンサが闘技石段に現れた事によりワルトナの行動は制限され、その代わりにと心の中で悪態を吐いた。
……ち。タヌキのせいで、タイミングを逃してしまった。
やっぱりリリンは出てくるよねぇ……。
あんだけ強い波動を放たれたら、過保護なリリンなら間違いなく心配で出てくるってもんだ。
リリンが視覚錯誤に捕らわれている内ならば、介入が出来た。場合によっては、相手の拘束も出来ただろう。
だが、リリンが出てきた以上、あそこに近づくのは危険だね。
正体が僕だとバレない程の認識錯誤を掛けたりしたら、敵だと自己紹介する様なもの。
第一、リリンは勘が鋭いからねぇ。
いきなり、「どうしたの?ワルトナ」とか言われて、一発で見破られたら取り返しのつかない事になるし。
ワルトナは、ゴモラをチラ見しながら声に出る程の溜め息をつくと、もう一度、闘技石段へ視線を向けた。
そこではユニクルフィンとリリンサ、そして謎の男が楽しそうに談笑している。
「ユニクルフィンさんと戦っていた人、おねーちゃんの友達だったのかな?楽しそうにお話してますね」
「んー違うんじゃないかい?なんか、リリンサは警戒しているように見えるよ」
実際、リリンサはエルに対し最大限の警戒をしていた。
リリンサの直感は、目の前の人物の技量が、いままで出会ってきた者の中で最強クラスであると見抜いていた。
それは、『希望を費やす冥王竜』よりも遥かに格上であり、不意に出会う事になってしまった皇種『極色万変・白銀比』を彷彿とさせる程のもの。
エルはバナナが好きらしい?と理解したリリンサは、自分のコレクションの一つである『新商品パンフレット』を使い、窮地を乗り切った。
リリンサの趣味と観察眼の鋭さを良く知るワルトナは、「それを手放すほどか……」と驚愕しつつ、セフィナに質問をする。
「セフィナ。さっきの光を見て、何か思った事は無いかい?」
「えっと、すごく危ないなって思いました。でも、あの光……見たことある……かも?」
「どこで見たんだい?」
「よく分からないくらい昔……?パパが居た頃だと思います」
セフィナの自信の無い声を聞いて、ワルトナは確信を得た。
パパ……。アプリコット様だね。
あのお方の力に近いのならば、やはり間違いないね。
あの光は、神殺しの光だ。
虹色の光は世界を超越した証。
だとすると、二つあった光の内の一つは、終焉銀河核……なのか?
グラムを覚醒させられないユニがなぜ……?
だめだ、ここに居ても情報が集まらない。なんとかして、あの謎の男に接触を計らないと……。
ワルトナはこれからの計画を素早く立て、タイミングを見計らう。
現状、リリンサがいるあの場所へ行く事は出来ない。
ならば、あの男が退場した所を狙おうと、ユニクルフィン達の会話が終わるのを待つ事にした。
「あの、ワルトナさん」
「なんだい?セフィナ」
「これから、おねーちゃんもあそこで戦う予定ですよね?でも、戦う場所が壊れちゃったから、もしかして中止なの?」
「いやいや、それは問題ないよ。すぐに直るからね」
「でも、すっごくバラバラですよ!?地面に落しちゃったクッキーみたいですよ!?」
「あぁ、セフィナは知らなかったねぇ。あの闘技石段は神様が作った特別仕様でさ、魔力を注ぐと元の形に戻るんだ。たとえどんな風に壊されても元通り。神様の御技って奴だねぇ」
「神様ってすごいんですね!私ちょっと憧れます!」
「神様は凄いとも。でも、憧れようが神様にはなれないからね」
「それじゃ、神様が直す為に魔力を注ぐんですか?手伝ってって言われたら、私も頑張ります!」
「それも心配いらないよ。闘技石段の上で戦うと、魔力を少しだけ取られるんだ。そんな風にして貯めた魔力で闘技石段の維持や、挑戦者の復活などをしているんだよ」
「へぇー!すごいですね!神様凄い!最強です!」
僕としては、タヌキ帝王を膝の上に乗せて平然としてるキミの方が、よっぽど凄いと思うよ。
そんでもって、おいタヌキ。
ストーブの前に陣取る猫みたいに、物凄くリラックスしてるんじゃないよ。
野生に帰れ。
密かにタヌキへツッコミを入れつつ、事態の進展を見守るワルトナ。
だんだんと謎の男とリリンサが打ち解けて行く姿を見て、あれ?っと首をかしげつつも、他愛もない雑談をしながら時間を潰していく。
そして、司会者がユニクルフィン達に近づいていくのを見て、そろそろかと準備を始めた。
「ほら、あの司会の人がいるだろ?アイツは実は僕と同じ指導聖母で、この闘技場の管理をしているんだ」
「え。そうなんですか!?」
「そうそう。アイツの名前は『準指導聖母・悪逆』。階級じゃ僕の一個下だから、僕の方が偉いけどね!」
「じゃあ、お友達の聖母様ですか!?」
「そうそう、友達なんだ。だからちょっと会いに行って……ひやぁああああん!」
妙な甲高い声で、ワルトナは悲鳴をあげた。
それは、年相応の少女があげるような本気の叫び声。
その声はセフィナが先ほど上げた声とほとんど同じであり、根底にあるのは同じ驚愕の感情。
状況が分からずオロオロとするセフィナを放置し、ワルトナはさらに声を荒げた。
「今、僕の足を、何かが『サワサワ』ってやった!サワサワって!!」
「今度こそ猫さん?」
「ひゃああん、またやられた!……これは嫌な予感がする!凄く嫌な予感がする!!」
奇しくも、そのやり取りは先程ワルトナとセフィナがしたものと真逆だった。
ただ違うのは、ワルトナの危機感が警笛を鳴らしているということだ。
ワルトナは心当たりがあったのだ。この『サワサワ』に。
そして、何度目かの『サワサワ』を受けた時に、ふと、懐かしい思い出の中の『絶望』が登場する時、椅子の下から出てくるというパターンがあったということを思い出した。
そして、凍りつく背筋をギギギ。と動かし座席から降りて、椅子の下を覗き込んだ。
「…………。ひぃ。」
「…………。」
嗚咽を漏らしたのは、指導聖母、ワルトナ・バレンシア。
沈黙を返したのは、茶色い毛並みの恐ろしき絶望、タヌキ帝王・ソドム。
2体目のタヌキ帝王を目の当たりにしてワルトナの体は硬直し、うっすらと瞳に涙がにじむ。
そして、沈黙するしかできないワルトナは、じっとタヌキへ視線を飛ばした。
どっかいけ!と切に願いながら。
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
だが、タヌキ帝王は動こうとしなかった。
まさに、『動かざる事、山の如し』。
どっしりと鎮座し、ワルトナへ鋭い視線を返す。
まるで、タヌキに睨まれたバナナのように、ワルトナはその場で固まり、ただ恐怖を感じている。
どうすればいいのか分からないまま事態は進み、そしてとうとう、タヌキ帝王は口を動かした。
「……ポップコーン買ってこい。ギルギル」
「……滅べよッ!!クソタヌキィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッッ!!」
その瞬間、ワルトナの怒りが恐怖を超越した。
**********
「わぁー!二匹目のタヌキさんだ!お友達かな!?」
「ヴィギルーン!」
「ヴィギルオン!」
「ひぃぃぃぃい。僕の膝の上に再びタヌキがッ!タヌキがッッ!!」
怒りにまかせ暴言を吐いたワルトナは、自制心が吹き飛び、タヌキ帝王を無視するという行動に出た。
無言で座席に戻り、何事も無かったかのようにセフィナへ視線を向け雑談を再開……しようとした瞬間、再び恐怖の感情が湧き上がる。
足元から這い寄る、茶色い絶望。
あろうことかソドムはワルトナの足をよじ登り、我が物顔で膝の上に鎮座。
そして、座り心地が気に入ったようで、高らかに「ヴィギュリオン!」と鳴いた。
それに耐えきれなくなったワルトナは、ソドムを叩き落とそうと、必死に腕をふるう。
しかし、ソドムは全弾回避。
数千年の時を生きる伝説の魔獣は、簡単に平手打ちを許す程、甘い性格ではなかったのだ。
混乱と恐怖と怒りで訳が分からなくなりつつあるワルトナは、それでも必死に思考を巡らせる。
……滅びるの!?ソドムとゴモラが揃っちゃったけど、この町、滅びるのっ!?!?
あまり役に立ちそうもない思考回路が渦を巻き、とうとう涙がこぼれ落ちそうになった瞬間、ワルトナの膝が急に軽くなった。
そして、ワルトナの隣ではソドムを抱きかかえるセフィナの姿。
セフィナは、今度はソドムへ「ワルトナさんが嫌がってるでしょ。め!」と叱責。
それを見たワルトナは絶句。
なお、ソドムはゴモラが貪っているバナナチップスへ視線を向けている。
「……助かったよ、セフィナ。……でも、そのタヌキはクソタヌキだがら、あんまり触っちゃダメだ。ゴミ箱に捨ててきな」
「ゴミ箱……。でも、なんかゴモラと似てますね。お友達なの?お名前は?」
セフィナの膝の上に着地したソドムは、問いかけられた質問に答えるべく、空間に手を突っ込んだ。
取り出したのは、一本のペン。
そして、華麗な手つきでキャップを外し、おもむろに手を伸ばして、達筆な字で『☆そどむ☆』と名前を書いた。
……半ズボンから延びる、ワルトナの細い太ももに。
「ぎにゃあああああ!?!?」
「あ、こら!め!そんな所に書いちゃダメでしょ!」
流石はタヌキ帝王と言うべきだろうか。
自分の名前をワルトナの太ももにサインしたスピードは、とてもじゃないが目で追えるものではなく、阻止する事は事実上不可能。
そして、ワルトナは涙目になりながら、ハンカチを取り出してゴシゴシとペンを拭った。
「どうして僕ばっかりこんな目に……。というか、落ちない……。油性だこれ……」
涙目になりながら、それでも必死にペンをハンカチで拭う。
やがてペンは滲んで、周囲へ広がった。
「ユニ……。キミがもたもたしている内に、僕はタヌキに汚されてしまったよ……。ぐす……」
落ち込むワルトナ。
オロオロするセフィナ。
バナナチップスを貪り食う、ソドムとゴモラ。
混沌とする空気が暫く続いた後、だんだんと事態は沈静化。
やっとの思いでペンを落としたワルトナは、鋭い視線をソドムへ向け、声に出して「滅びろ!クソタヌキ!!」と叫ぶ。
その声に対しソドムは「ポップコーンはまだか?ギルギル」と答えた。
「……喋った!?この子、今喋りましたよね!?ワルトナさん!!」
「そいつはクソタヌキだから喋るよ。で、そろそろマジで捨てて来てくれるかい。セフィナ」
「でも、珍しいですよ!……あれ?喋れるなら、さっき名前をペンで書かなくても良かったんじゃ……?」
「言ったろう。クソタヌキだって。コイツよりも腹の立つ生物は世界中探してもいないと思うねぇ」
セフィナは興味津津で、「喋れるの?好きな物は?」と問いかけ、ソドムは「バナナだ」と答えた。
少女とタヌキの和やかな邂逅を横目で見ていたワルトナはキリキリとした胃の痛みを感じつつ、シェキナで滅ぼせないかと真剣に考察を開始。
やがて「無理だろうな」と答えを出したワルトナは、虚しい感情を誤魔化す為、闘技石段へ視線を戻す。
そして、接触するべき謎の男の姿がないという事に気が付いた。
「……あれ!?あの男はどこに行った!?」
「さっき、すごい速さで走って行っちゃいましたよ?」
「……。おのれ、クソタヌキ。一度ならず二度までも僕の邪魔をするとはね……。いつか必ずぶっ殺してやる……」
「やれるもんなら、やってみろ。ギルギル」
バチバチと視線を交差させながらワルトナとソドムは睨み合い、どちらかともなく視線を外す。
そして、謎の男と接触する絶好の機会を失ってしまい、ワルトナは途方に暮れた。
「はぁ……結局あの男は誰だったんだ……?」
「ふむ。あ奴の正体を教えてやってもよいぞ。儂と取引をしてくれれば、だがの」
突如、ワルトナへ真横の通路側から声が掛った。
予想外の出来事に、反射的に視線を向けたワルトナは、そこに立つ褐色肌の少女を見て悪態を吐く。
「……。なんでお前がここに居るんだよ……。悪喰」
「儂がどこに居ようと、儂の勝手じゃのー。悪辣」
その褐色肌の少女は、フワリとしたワンピースを揺らし、小さい指をワルトナに向けてニヤリと笑った。
「それでどうじゃの?取引はしてくれるのかの?」




