第15話「リリンとお勉強~蛇峰戦役(結)~」
幾億蛇峰アマタノは分かっていた。
あぁ、また人間が攻めてきたのだと。
幾億蛇峰アマタノは見縊っていた。
適当にあしらってやればその内、何処かに行くだろうと。
幾億蛇峰アマタノは驚愕していた。
人間の中に強力な個体が紛れていると。
幾億蛇峰アマタノは動転していた。
体から血が溢れ、感じた激しい痛みと、後の虚無感はなんなのだと。
幾億蛇峰アマタノは理解した。
どうやら、体の先端は切り落とされ、火に包まれていると。
人間が、自身を脅かしているのだと。
幾億蛇峰アマタノは、憤慨する。
自身を足蹴にするだけでは飽き足らず、あろう事か、孔に剣を向けるとは。
――絶対に、許してはやらぬ。……と。
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「馬、鹿な………」
この戦いの結末を見ていた全ての者が、後は終焉を待つばかりだと思っていただろう。
眼下の暴虐に本体が存在するなど、誰が知り得たのだろうか。
シーラインが、伝説では弱点とされる『孔』の前に降り立ち、剣を構えた瞬間の事だった。
今まで沈黙を保っていた蓋麗山の火口が、突如、爆発したのだ。
その音だけを聞き、瞬時に思考をエアリフェードは巡らせる。
これだけの魔法を撃ち込んだのだから、突然の噴火も仕方ないかと考えた。そうだと、考え付いてしまったのだ。
一瞬の思考の放棄。
誰もが、勝利を確信した瞬間。
本来ならば、一番最初に気が付かなければならない、蛇峰戦役の総責任者・エアリフェードでさえ、モウモウと煙をあげる火口の中の鬼灯色の眼光に気が付かなかった。
この場で気が付いたのは、最も経験が低く、それゆえに、最も起こりうる全てを警戒していた、幼すぎる少女。
リリンサ・リンサベルだけだった。
「師匠ッ!」
この短い言葉ひとつで、エアリフェードは過ちを悟った。
しかし、もう、遅すぎたのだ。
絶望の白い頭蓋は、火口から鎌首をもたげ上げた。
――自身に刃を向ける人間がいる。
痛覚こそ無いものの、斬り刻まれた身体を知覚し、幾億蛇峰・アマタノは判断を下す。
――アイツか。
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「逃げなさい!!、シィィィィラインッッッッ!!!」
エアリフェードは魔力残量など気にせずに、有りったけの声を魔力に乗せ叫ぶ。
しかし、『音声』では遅かった。
その声が地表に到達する頃には、蓋麗山の3分の1の表面が、赤銅の炎から黒茶色の土に変わってしまっていたのだ。
音速を越える速さで、遥か天空から打ち下ろされた大質量を伴う、アマタノの薙ぎ払い。
……魔法ではない。
魔法など、アマタノはまだ使ってはいない。
怒りと不快感に身を任せただけの振り払いは、たったの一撃。
それで、人類最高の叡知の結晶を越えうる破壊力は、何もかもを圧壊させてしまったのだ。
「なにやってんだよッッッッ!!テメェはよォォォォォ!!!!!」
事の成り行きを見守っていた、アストロズの怒声。
それは、誰に向けられた咆哮だったのだろうか。
火口の爆発、地面の爆発、そして最後の、一際大きい爆発はシーラインが居るはずの最終攻撃地点での爆発。
天から振り下ろされた一撃と、シーラインが放つ、天に向けた人類の叡知の結晶、『天羽々斬』。
しかし、炸裂した衝撃の後、残ったのはアマタノだった。
行き場を無くした衝撃が、辛うじて生きていた人間たちを蹂躙していたとしても、その事実は変わることはない。
不完全な体勢で、予期せぬ迎撃をしたための、敗北。
シーラインですら初めて扱う、天羽々斬という武技に不慣れだったことも多少の影響を及ぼしたのかもしれない。
……万全ではなかった。
たったひとつ、只、それだけで全てをひっくり返せるほどに、幾億蛇峰アマタノは膨大な力を持つ者。
人間は、気づかない。
レベル999,999という表記では、その強さを表しきれていないという事実に。
人間は、分からない。
この幾億蛇峰こそ、皇種の中でも上位に君臨する正真正銘の化物であると。
人間は、知らない。
皇種たるものは、人間の言葉をすべて理解している、即ち、眼前での作戦会議など、只の悪手であったのだと。
人間は、理解できない。
五感を封印してもなお、動き続けることが出来たその意味を。初めから、この魔法では足りていない。
蛇として、第六感覚・熱源感知を持つアマタノに対して、人間相手に調整された魔法では、不適格だったのだと。
そして、人間は、至らない。
何一つとして、人の身である以上、幾億蛇峰アマタノには至れない。
力も技術も戦略さえも、永き時を生き、『本当の暴虐』を知る蛇には、到底辿り着けはしない。
アマタノの『尾』を切り落とした程度で喜んでしまった、この場の人間達には、その資格すら持ち合わせていないのだから。
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「うおぉぉぉぉぉぉ!!死んでしまいなさい!!この蛇がぁぁ」
いつの間にかリリンサは、天空で一人ぼっちになっていた。
先程まで傍らにいた師匠エアリフェードは、地に伏していた筈の師匠アストロズと共に、アマタノと戦っている。
魔力など殆ど残っていなかった筈なのに、その技術と体術で、戦線を維持していた。
「……私は、」
仲間が、師匠が、戦っている。
「私は、恐怖に捕らわれ、諦めていた」
今もなお諦めずに、戦い続けている者達がいるその意味は、幼い思考でも理解できた。
「私は弱い。弱いから、討伐には参加してはいけない。でも、もう、諦めたくない。救える命を諦めるなんて、したくはない!」
幼すぎる体躯に、秘めた想い。
また一つ、戦場に駆ける光が加わった。
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「これから先はよく覚えていない。無我夢中で傷ついた仲間を運んだことだけは確かで、気が付いたときには、山の麓に居た」
「……。なんて言うかさ、皇種ってのは、凄まじいんだな……」
こんな普通な感想しか出てこないほど、皇種の凄さが理解できた。
多くの命を犠牲にしても勝利できない、文字通りの化物――『皇種』。
「なぁ、その、リリンの師匠達は死んじまったのか?」
「いや、誰も死んでない。アマタノの攻撃が直撃した師匠・シーラインでさえ、なんとか生きてた」
「そっか………。こう言っちゃなんだが、良かったな」
「うん、そんな簡単に死ぬような奴等じゃないし」
ん?、ちょっと辛口発言だな。ま、師匠相手に信頼を置いているってことか。
さて、幼いリリンは見ていただけだったようだが、今のリリンならどうだろう?
「今のリリンだったらアマタノと戦えるのか?ほら、あの雷ドガーンって魔法でさ!」
出来るだけ明るく、バカみたいな口調で質問をしてみた。
こんな空気を吹き飛ばすには、このくらいでちょうど良いのだ。
「確かに私の魔法、『雷人王の掌』はランク9に位置する魔法の一つ。しかし、私自身はまだ、生物の最高峰、レベル99,999に到達していない。だから、私一人ではどうすることも出来ずに殺されるだろう」
リリンでも、勝てないのか……。
ん、待てよ?確か皇種は他もいるんだよな?
こんなのが沢山いるならば、人間なんて簡単に滅んじまいそうだけど。
「他の皇種もさ、アマタノみたく強いのか?だったら人間なんて直ぐに滅びそうだけど」
「他の、後二種類の皇種については、なんとも言えない。天命根樹の時は幼すぎてよく覚えていなくて、誰かの背に隠れて空を見上げていた記憶しかない。白銀比様は特殊過ぎるので比べられないし」
「ん?白銀比様?狐の皇種には様付けなのか?」
「そう。私は偶然に白銀比様に出逢い、気まぐれに生かされただけ。もし対話ではなく戦闘だったのなら、間違いなく、ここには居ないだろうと思う」
へぇー、狐の皇種は人間の言葉を喋れるんだな。
それで、何が特殊なんだ?
「狐の皇種、極色万変・白銀比様は、とても美しい人間の姿をしている。ちょっと古めかしい口調だったけど、流暢に言葉を話していた。私が敬称を付けるのは、恐らく白銀比様はアマタノと同格なのだと思うから」
「ん?その白銀比様もレベル999,999だったのか?」
「勿論そう。さらに、私がアマタノの話をした時はとても興味深そうで、話が終わると、「あの自堕落なヘビも、そりゃあ、怒るじゃろうな」と笑っていた。というか、爆笑だった。お腹抱えてて息を切らすほどに」
なんだそりゃ? 一体どういう事?
少なくとも、狐の方はあんまり怖いイメージじゃないな。
「んーその白銀比様ってのは一体どんな奴なんだ?」
「えーと、うん。一言で言うなら………」
「一言で言うなら?」
「………………………………………痴女?」
「…………え、なんだって?」
え、痴女?
確かにそう聞こえたぞ?いや、待て待て。
話の流れ的におかしいだろう?
なんだよ?狐が痴女ってどういうことだよ?
「ちょっと待てくれ、痴女ってどういう事だ?」
「うーん。それが一番しっくり来る表現ってこと」
痴女で合ってるだと……?
謎は深まるばかりだ。ぜひ詳しくお聞かせ願いたい。
俺が謎の追及を求めようとした瞬間、完璧なタイミングで、邪魔が入った。
ピンポーーーーン。
「あのー3時のおやつをお持ちいたしました!」
「!!おやつ!」
は、早いッ!
瞬く間に入り口の方に駆け寄ってゆくリリン。
そして直ぐにメイドさんが入ってきて給事を始めた。
俺は今、それ所じゃないというのにだ。
「あれ?私は林檎タルトは頼んでいない」
「あ、これは、その、私のお詫びのしるしといいますか………その、昨晩はすみませんでした」
狐が人間で痴女。
痴女で狐で皇種。
狐は皇種で最強。
……なら、痴女も最強?
「…………。私の好物を覚えているとは、流石一流ホテルの従業員。今朝のクレームを取り下げよう」
「え、リリン様は食べ物なら何でも大好きなんじゃ……?」
「何か言った?」
「いいえ!何でも御座いません!!」
痴女とは一体、何者なんだろうか………………?
結局、そのままおやつタイムに突入してしまった為、この謎は解けることはなかった。