第19話「聖女の保護」
ブライアンは机の上に広げていたノートを閉じた。
このノートはブライアンの日誌であり、今日の昼過ぎに対峙したリリンサやユニクルフィンとの戦闘情報が書き綴らている。
記されたのは、ブライアンにとって経験のない魔道具を中心に添えた、未知の戦法。
それらを見れたことを幸運なだったと思い、記憶が鮮明なうちにと筆を取ったのだ。
そして、その情報『未知の道具による戦略の拡大』は、ブライアンの目指す目標『大師範』へ辿り着くために必要な力だと感じていた。
ブライアンはジャフリートの師範でありながらも、放浪の旅をしている。
それはある意味で、ジャフリートの剣士全てが患う病のようなものが理由だった。
『己が限界を感じ、道を見失う』
ジャフリートの多くの剣士が、ある一定の時期に達すると、自分の力の限界を感じ立ち止まることになる。
それは個人差が有るものであり、少年期に経験する人もいれば、上級門下生に勝てなったり、師範代試験に何度も落ちたりと様々なものだ。
中には、皇たる蛇の前で剣を折ったのが初めての挫折だったと言う、稀な人物もいたりする。
そんな中、ブライアンの挫折のきっかけは幼女だった。
ある日突然出会い、そして、剣を交えずに済んだ事に安堵した瞬間、己の中の何かが崩れた。
自分よりも強いであろう先輩達が積み上がりできた、屍の山。
その山を積み上げたのは成人どころか、10歳になったばかりの幼女だという戦慄の光景は、ブライアンの心を激しく破壊したのだ。
やがて、渦巻き続けた思考の果てに、国外には恐ろしい強さの化物がひしめき合っている事を知った。
様々な人から話を聞けば、国外に修行の旅に出る師範は多いと言う。
その大体が戻ってくる事がないから話に上がらないだけだと知ったブライアンは、己が技能を見つめ直す為、自らの道場を真面目な師範代に引き継ぎ旅に出た。
そして、真面目じゃない方の師範代が二人ほどついて来たのだ。
「やれやれ、ボスがいねえんじゃ道場に通ってもしょうがねえんだなぁ!」
「オラ達も、出会いを求めて旅に出るんだぁ!」
そう言いながら、ウワゴートとモウゲンドはブライアンの隣を歩き、一緒に旅をする事になった。
出来上がったのはむさい男達の奇妙な3人組。
そんな暑苦しくも遠慮のいらない旅の果てに、ここに辿り着き、再び旅をする事のきっかけになった『幼女』と出会った。
その事に「何の因果だ?」と内心で頭を抱えていたが、原因と別れてから半日ほどたった今、もう過ぎ去った話。
ブライアンは、未来に向けて想いに浸る。
あいつらは、一命を取り留めただろうか。
いや、あいつらがそう簡単に死ぬはず無えか。今頃、ケロッとした顔をして看護師にちょっかいを掛けているだろうから、心配しても無駄だな。
……だがまぁ心配しないにしても、死地を引き受けてくれた事に感謝はしないとな。
思えば、あいつらへまともに感謝した事は無かったかもしれねえ。
奴らの治療代は、まぁ、2億もありゃ足りるだろう。
が、トラウマは深刻のはずだ。……特にタマを焼かれたモウゲンドは超深刻だ。
だったら完全物理防御と完全魔法耐性の服でも買ってやるか。
治療費の余りを購入資金として、足りなかったら出してやるとしよう。
二人の現状を見る限り、生き残ったとしてもトラウマになっているのは確実。
ウワゴートとモウゲンドとの旅を楽しんでいるブライアンは、これからも旅を続ける為ならばと、懐から通帳を取り出し残高を確認した。
「……まぁ、なんとかなるだろ。俺の剣は……とりあえずはこれで十分。森ドラぐらいならソロでも行けない事も無いしな」
通帳を見て満足したブライアンは、再び、戦闘の考察に戻ろうかとノートをめくりかけ……近づく物音に気が付いた。
コツコツコツ……。
軽い靴の音が、深夜の廊下から響いている。
現在の時刻は午前零時を過ぎた頃合い、こんな時間であっても不安定機構の支部内には職員が常駐しているが、ここには古びた倉庫と待合室が有るだけで人が近寄るような場所では無い。
それでも足音が響いているのは、ブライアンが居る待合室へ向かっているためだ。
「ん?来たか……」
後ろに置いてあった大剣を手繰り寄せ、ブライアンは身構えた。
今から来るのは、ユニクルフィン達の仲間『聖女シンシア』。
自分の身を保護しに来てくれるという彼女に対しても臨戦態勢を取ったのは、ブライアンが卓越した経験を持つ一流の冒険者だからだ。
どんな相手だろうと、出会った瞬間は身構えて戦意を研ぎ澄ましておく。
それは冒険者としての常識であり、そして今回に限っては、虫の知らせのような良く分からない”感”が働いているからでもあった。
足音が次第に近づき、ドアの前で途絶えた後、独特の間をあけてノックと入室を求める声が響く。
「……入っても良いかい?」
「あぁ。良いぞ」
無理やり低くしたような少女の声を聞いたブライアンは、謎の動悸を感じながらも、声の主へ入室を許可した。
「そうかい。じゃあ、遠慮無く……」と意味深な返事が返され、やがて、ゆっくりと扉が開く。
現れたのは……ブライアンにとって、顔が認識できない真っ白い女だった。
その真っ白い女は、にやり。と笑い、流れるような手つきで扉を閉める。
そして、ブライアンの運命の扉はパタンと音を立ててあっけなく閉ざされ、代わりに真っ白い女が口を開いた。
「やぁ、ブライアン。どうやらリリンサとユニクルフィンの捕獲は失敗したようだね」
「な……、なんで、何でお前がここに……」
ブライアンは驚愕のせいで、ロクに声を発する事も出来なかった。
もう2度と会いたくない相手が、最も遠いはずのこの場所に現れる。
それは、一流の冒険者たるブライアンにとっても、予想の範疇を超えた危機だったからだ。
「なんでも何も、僕は真っ当な手段でここに来たよ。呼び出されたんだから、むしろここに来るのは当然と言える」
「な……に……?」
「あぁ、阻害が邪魔をしているのか。じゃあ、改めて名乗っておこうかね。僕の名前は『聖女・シンシア』。……ここまでくれば、ほら、全てが繋がっただろう?」
真っ白い女『ワルトナ』の言うとおり、ブライアンは全てを悟った。
今、目の前にいる聖女を名乗るこの人物こそが、自分達の元々の依頼者であると言う事。
自分達は裏切りを行い、この聖女に牙を向けたと言う事。
そしてそれが露見し、こうして再び邂逅を果たしてしまったと言う事も、全て理解したのだ。
「言わなくても分かると思うけど、僕はリリンの友人であり敵、そして、キミの依頼主であり保護者となった。あぁ、怯えなくていいよ、僕は依頼主を裏切ることを絶対悪だとは思わない。ただそれはね……逃げられる確証がある場合の話だけど」
「……あぁ、そうだな。俺の知る限り最悪な事態だと思うぜ」
「懺悔でもするかい?僕は聖女だけどね、指導聖母でもある。懺悔くらい聞こうじゃないか」
「指導聖母……だと?おいまさか、聖典を知っているんじゃないだろうな?」
「知っているとも。僕は悪典を葬りこの席を奪った。おっと、恨まないでくれよ。悪典だってその席を誰かから奪ったんだ。おあいこさ」
「そうか、お前が、聖典を……」
ブライアンは巡らせた思考の果てに、一つの決断をした。
構えた大剣をもう一度強く握り直し、静かに魔力を高めて呪文を唱える。
「……《多層魔法連―剣客棟梁―磨ぎ澄ました道具―金剛金属体―》」
「へぇー、いいバッファだ。流石は上級の冒険者だと褒めておこうかね」
ブライアンの決断は、ワルトナと戦い逃亡を計ることだった。
一度は戦闘を避けるために言いなりになる事を選んだブライアンが、ここで剣を取ったのには理由がある。
表向きには、どう言い訳しても許してもらう事が出来ないだろうという、打算。
脅されているとはいえ、金銭を支払った依頼者を裏切るということは、罰せられても文句は言えない事だからだ。
そして、当たり前の常識の他に、ブライアン個人の感情が戦闘を選んだ為でもある。
「今、お前に寝返り返すような事を言っちまうとあの少女から逃げることになる。それをしちまったら、もう2度と取り返せない後悔が俺の中に生まれるんだよ」
「言っている意味が良く分からないが……まぁ、僕に矛を向けると言うのならそれも良いと思うよ。最も、僕はリリンサほど甘くない。それは理解して欲しいかな」
「そいつはどうも、忠告ありがとうよ。……んで、さようなら、だッ!」
ブライアンは大きく一歩を踏み出すと、横薙ぎに大剣を振った。
加速する思考で組み立てた判断は、確かな勝利への道筋を示している。
ここは室内だ。天井は低く上には逃げ場は無い。
後ろの扉は閉じてあり、後退も出来ない。
アイツは何も持ってはおらず、剣を防ぐ手立ても無い。
……ならば己の剣技を信じるのみ。
ブライアンの強い意思を乗せた剣がワルトナに迫ってゆく。
剣の到達まで、あと、わずか0.5秒。
ここまで接近すれば魔導師風情には何もできやしない、とブライアンの経験は語り、その絶対なる自信は……。
ワルトナが腰から引き抜いた短剣によって、あっけなく受け止められた。
「馬鹿な……大剣の振りが短剣に受け止められただと?力学的に信じられん……」
「そりゃぁ、一般人VS一般人の話だろう?ことこの瞬間に関しちゃ、その公式は破綻しているよ」
「なにをほざくっ!」
大剣を引き戻し、上段斬りの構えをブライアンは取った。
その剣圧だけでワルトナは後ずさり、不敵な笑みを称えたまま、その剣を見上げている。
ブライアンは最も威力のある技を放つために全身の筋肉を強張らせ、怒号と共に剣をワルトナに叩きつけた。
「……《殺生撃・玄翁石打ッ!!》」
その大剣での一撃は、確かな威力を持っている……はずだった。
直撃すればどのような防御魔法、たとえ最強の防御力を誇る第九守護天使でさえ無事では済まないような、途方も無い一撃の筈だったのだ。
しかし……。
「しかし、振り降ろした剣に刀身が無いんじゃあ、意味が無い。もしかして素振りのつもりだったのかい?おやおやこんな局面で練習とは、一流の冒険者様は余裕がおありなんだねぇ」
「……嘘だろ……?いつの間に……こん……な……」
ブライアンの持つ剣は、もう既に、剣では無かった。
あるべき刀身が消失し持ち手のみとなっていた剣を手放しながら、ブライアンは、体を前のめりに倒してゆく。
「いつの間にって、そりゃ、キミが気がつかないうちにさ。強いと言えど所詮は『冒険者』。僕らが居る高みに辿り着くには、キミじゃ少々素質が足りな過ぎる」
ドサリと倒れ伏し、ブライアンは静かに息をするのみとなった。
意識は狩り取られ、ワルトナが許可をするまで永遠に目覚める事は無い。
人間として時を止めたブライアンを見下ろしながら、ワルトナは言葉をこぼし、強き者のみが扱う事の許された魔法を唱えた。
「英雄を知らないキミが、英雄を知る僕に勝てるわけないだろ。自惚れが過ぎるよ《魔法次元乗・途絶された世界移行》」
そして、二人の姿は忽然と消えた。
喧騒に包まれていた部屋は、いつもの静寂を取り戻したのだ。
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「あ、ワルトナさん、おかえりなさい!」
純黒の髪をピコピコと揺らし、セフィナはワルトナを出迎えた。
リリンサから電話を受けた後、細々とした雑務を済ましてくると言って出掛けたワルトナ。
その際に、セフィナはワルトナから試練を言いつけられている。
そしてその試練の成果を見せようと、セフィナはとある物を取り出し駆け寄った。
「見て見て、上手に縫えました!」
「おや?僕が思っていたよりも上手に縫えてるね」
セフィナが嬉々として広げているのは、純白の法衣。
指導聖母・誠実としての正衣装であるそれは、思わぬリリンサからの反撃により右側の袖が焦げつき、神聖さを失う事となっていた。
異空間に転移してすぐに、理不尽な攻撃を受ける事になったワルトナとセフィナ。
転移してすぐという油断しやすいタイミングであったことと、光の槍の矛先がセフィナに向かっていたが為に、無理やり乱入し迎撃を行ったが故の大惨事。
純白の法衣は右腕の部分を真っ黒く焦がし、無残な姿となった。
一応、本当の意味での聖女として振る舞う事もあるワルトナは、このままではまずいと焦げた法衣を見ながら頭を抱えた。
この法衣は不安定機構から貸し付けられている超高級品。
様々な特殊効果を備えているが故に交換用の服は存在せず、用途に応じた3種類を使い分けながら任務を行う。
だからこそ、焦げてしまったとしても着るしかない。
そして、聖女であるがゆえに、焦げた法衣を着るなんて論外なことだった。
ワルトナに残された選択肢は、『大聖母ノウィンへ謝罪し、補修して貰う』か『自力で直す』の二択。
あまり裁縫が得意でないワルトナは、「3日……3日くらいでなんとかしたい……」と低めに見えてすごく高い目標を掲げ、いそいそと裁縫道具を召喚した。
その時に立ちあがったのがセフィナである。
「ワルトナさん。お裁縫なら私は得意です!」
「……。得意な理由を聞いても良いかい?」
「お金が無いので、服が破れたら自分で直します!」
「凄く現実的……。いや、家庭的というべきかな?」
そう呟きながらも、ワルトナは目ざとくセフィナの服を観察した。
一見して、ほつれや綻びなどが見当たらない。
しかし良く見れば布自体が痛み始めており、買ってから時間が経っているという事が分かった。
なるほど……あながち間違った事を言っていないんだねぇ。それなら……僕がやるよりかは……。
そう思ってワルトナはセフィナの好意に甘え、自分が雑務をしてくる間に挑戦してみてくれと法衣を渡していたのである。
「うんうん、綺麗に出来上がってる。右と左を比べても、遜色はな……ん?」
「でしょ!?すごく頑張りました!」
「……。それなら早速、袖を通してみても良いかい?」
「はい!お願いします」
元気よく返事をするセフィナへワルトナは生温かい笑みを向けると、今着ていた法衣を脱いで補修した法衣を羽織った。
まずは左手から手を通し、問題の右腕へ。
しゅるしゅると調子よく腕は通って行き、そして最後のフリルのついた袖口まで到達。
後は手首を外に出すだけという所まで来て、ワルトナの動きは止まった。
……いや、強制的に止められてしまったのだ。
「……うん。綺麗に袖口が縫い付けられてる。袖の筈だったが、靴下みたいになってるね」
「あ、あれ!?なんで!?」
「さぁ、なんでだろうねぇ。聖女たる僕でも答えが見つからない。文字通り、手も足も出ないや」
ここまで上手に縫えるのに、反対側を縫い付ける凡ミスか。
姉妹ともども、僕の予想を軽く超えてくるねぇ。可愛いねぇ。
ワルトナは、やれやれ、と内心で溜息をつきながらも、「ご、ごめんなさぁい!」と慌て始めたセフィナをなだめた。
「後でもう一度やり直してくれればいいさ」と話を区切り、さっさと元の法衣を着た後、軽く咳払いをして話の流れを変える。
「さて、セフィナ。これからキミに大事な話がある」
「私に大事な話?」
「そう、キミとリリンサの未来に関わる大事な話さ」
ワルトナの言葉の真意が分からず、セフィナは首をかしげた。
しかし、愛する姉の名前が上がった事により、直感的に話の方向性は理解したのだ。
「おねーちゃんと、ユニクルフィンさんの関係の話ですか?」
その問いかけに、悪辣な聖女は笑みで肯定を示した。




