第12話「リリンとお勉強~蛇峰戦役(上)~」
「《崩壊せよ。偽装天蓋》」
エアリフェードは高ぶる感情を隠しもせずに空を仰ぎ、そして、空は、その呪文を正しく読み取り、術者エアリフェードの意思を反映した。
ほんの少しだけ明るさが陰ると同時に、けたたましい破砕音と共に空が崩れ落ちてゆく。
『偽装天蓋』
この魔法はランク9、人類の叡知の最高峰に位置する、魔法郡の一つ。
指定した地域の上空で偽の天候を作り出し空を覆い尽くす、大規模戦略魔法。
おおそよ戦争に於いて、野外の天候は勝敗に大きく関わってくる。
晴れには晴れの、雨には雨の、夜には夜の戦略があり、人類は抗うことのできない自然の猛威に対し、自身の工夫や知恵によって柔軟に対応してきた。
しかし、時代は、魔法は、進化してゆく。
この戦場を支配せんとする、彼の魔導師エアリフェードこそ、人類の頂点に君臨し続ける最高峰の一人。
ランク9、レベル99,999に到達した彼にとっては視認出来うる天空の全てを覆い尽くすことなど造作もない事で、事実、彼はこの魔法を正規の使い方とは違う方法で活用していた。
それは、自身の切り札、究極の光魔法の存在の隠蔽。
この光魔法こそエアリフェードの扱える最強の魔法であり、強力であるがゆえに発動までに相当の時間が必要で、準備段階でさえ非常に目立つ、諸刃の魔法。
だからこそ、エアリフェードは目隠しとして『偽装天蓋』を発動し、その存在を隠蔽していたのだ。
砕け散る魔法の残滓が降り注ぐ空から現れたのは、九つの球体と、どこまでも広がる宵闇。
時間にして昼の正午を回ったばかりにしては暗く、夕暮れと見間違う空模様はこの球体が引き起こしているものだ。
『絶望の雛』と呼ばれるこの球体は、指定したあらゆる物を吸収する高位魔法。
今回は自然のエネルギーの中でも最も身近かつ偉大な物、即ち、太陽光を吸収し続け、辺り一面の照度を下げる結果となっている。
そして、雛はやがては巣立つ。
朱に輝くこの球体達こそ、『殺戮』の上位に君臨する『殲滅』となりうる雛たちなのだ。
「≪彼の英雄こそ真にて唯一の英雄であり、それに追従する者共は、狂言を騙る虚実なのだと誰が言った?この光こそが英雄の証。この力こそ、人を超えし者の原拠となりうるものだろう。発動せよ……。―明星殲滅―≫」
ついに、最後の引き金たる呪文が唱えられた。
エアリフェードはこの殲滅のエネルギーの威力を完璧には把握していない。
自身の身に危険が及ぶ可能性があると、何十分の一かに弱めて使った時でさえ、対象は塵一つ残らなかったからだ。
しかし、今回ばかりは怒りが思考を上回ってしまった。
エアリフェードは願うのだ。
ただただ、あの蛇を殺したい、と。
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「 よくも好き放題殺ってくれたなァァ!ヘビごときがァァ!!溜めに溜めた俺様の熱い抱擁を喰らいやがれッ!《蓄積衝撃解放!!》」
偽装天蓋が崩壊したのを見て、アストロズは自分の咆哮が正しくエアリフェードに伝わった事を認識した。
あの魔法ならば、いかにコイツとて生存することは出来まいと嗤い、眼前に存在するアマタノを睨み付ける。
刹那、アマタノの身体中のあらゆる場所が血飛沫をあげ、幾度となく命を刈り取った頭蓋が音を立てて歪み始めた。
自ずとアマタノの全ての頭は、動きを止めることとなる。
離れた場所に存在する8つの頭を含む全身に、同様の症状が出始めていたからだ。
「はっはァ!痛てぇだろ?俺様の『蓄積衝撃機構』全開放だぜ?」
『蓄積衝撃機構』
この魔法はアストロズが常時発動しているランク7の魔法。
与えた衝撃をその術の対象者に蓄積し、術者の意思を以て解放、即ち再び肉体に衝撃を発生させる遅滞型の魔法だ。
この魔法自体は、ランク7という高位と言えば高位だが、戦場を一変させるような程の大規模なものではないというのが一般的な評価だ。
あくまでも個体に対し発動可能なこの魔法では、集団に対し有効に成り得ることは少なく、過去の歴史を紐解いてみても、この魔法を扱った偉人たちは殆ど存在しない。
しかし、この魔法こそ、アストロズの強さの全てであり、原点とも言えるものだった。
アストロズはこの魔法を常時発動している。
これはおかしいことなのだ。
通常ならば敵は倒せば死に、対象は失われるのだから。
しかし、どんな状況であれ、敵を倒した後さえもこの魔法を発動し続けているのはなぜか?
その答えは簡単であった。
アストロズはこの魔法を、自分自身に対し発動させていた。
今までの人生の中で自分が行った、または受けた全ての衝撃、エネルギーの蓄積。
今もなお体の中に蓄え続けられているこのエネルギーは直接的な破壊の力で、その四肢や頭や体躯が唸る度に、辺りに暴力を撒き散らす。
『人類最強の肉体』
アストロズがそう評される由縁はここにあり、拳一つで池を蒸発させうるのは蓄えられたエネルギーを拳に乗せ解放しているからだった。
……そして、この魔法が戦況を覆す。
この戦争に勝つためのプロセスとして、アマタノの動きを封じ込め最大火力を以て殲滅するというのが、この幾度となく繰り広げられた蛇峰戦役の理想的手段。
最も、これは容易ではなく成し遂げられることはなかった。
しかし今まさに、目標の大蛇は動きを止めたのだ。
どうしてこのような事が起こったのか?
幾千の人が命を犠牲に行った度重なる攻撃。
その攻撃は外見上では何も効果が現れておらず、何度繰り返していてもアマタノの動きに変化は見られなかった。
しかし、アストロズはアマタノに対しても『蓄積衝撃機構』を発動していたのだ。
それは、全身を縛る蔦のように浸透し、今この時、アストロズの意思により発芽した。
結果、アマタノは吹き出る血飛沫を止める為、その動きを止めた。
目標の束縛。
当初の目的を完遂するべく、アストロズは体に秘めたエネルギーを声に乗せ、さらなる魔法を発動するべく、再び咆哮する。
「≪彼の英雄になりたいなどと誰が言った?そんなものに興味などない。私は彼の英雄を超えるのだ。この闇を以て全を統べ、暗澹たる世界にて、私は、笑うのだ。―晦冥刻限―≫」
『晦瞑刻限』
対象者の五感、すなわち『視覚』・『聴覚』・『嗅覚』・『味覚』・『触覚』を奪い、意識を幽閉する幻惑魔法の最高峰、ランク9の魔法郡の一つ。
この魔法は、肉体的なダメージこそ発生しないものの、五感を奪われた対象は自我さえも保てなくなり、事実上の死を迎える魔法だ。
アストロズ自身は、この魔法が嫌いだ。
この魔法は自分のポリシー、肉体言語主義に反するものであり、感覚を研ぎ澄ませて戦う自分の訓練に相性がいいと覚えただけで、今まで一度も戦闘に使ったことはない。
しかし、今は自身の命だけを賭けている訳ではなく、自分の力の無さの為に多くの命を失ってしまっている。
この状況にてアストロズは頑固なポリシーを捨てた。
眼前の蛇を殺すためなら、悪魔にでも魂を売ってやると、仲間が一人減る度に、強く強く誓っていたのだ。
そして、眼前の蛇は完全に沈黙する。
他者を感じるための五感は封印され、朦朧とした意識の闇に囚われた。
「…………しくじるなよ、シーライン。俺はちっとばっかし、休む……ぜ」
ようやく訪れた静寂を分かち合う仲間は、回りには誰も残されていなかった。




