第6章余談「たぬきにっき!」
「ヴィギルア…………」
タヌキ将軍アルカディアは、沼の傍でたそがれていた。
ゴワゴワになってしまった毛並みを水面に映して何度も確認し、その度に「ヴィギルア……」と悲しげに、ため息を吐く。
野生(?)に居た頃からアルカディアは、一応は年頃のタヌキとして毛並みを気にしていた。
だが、アルカディアが居た集落のタヌキの毛並みと言ったら、どこを見てもゴワゴワのボサボサ。
そんな環境でアルカディアがいくら毛並みを気にかけていようとも、比較対象がそれでは向上のしようが無い。
だが、乙女なアルカディアに、転機が訪れた。
タヌキの皇にして、究極。
神とも呼ぶべき絶対なる支配者であり、絶大なる知識の化身『那由他』と出会い。
ソドムによって仕組まれたこの出会いは、文字通り、アルカディアの運命を変えた。
そもそも、一端のタヌキ将軍でしかないアルカディアにとって、皇たる那由他とは、想像することすら難しい、生きる伝説。
力のない普通のタヌキ将軍では、親しくなるどころか謁見することですら、100年に一度の奇跡とさえされる、幻の存在。
群れの長老タヌキのありがたい話に出てくるような存在の所へ、何も知らずに向かわされたアルカディアは、流されるがままに膝に乗せられ、そして……ブラッシングされた。
それは、アルカディアにとって、いや、タヌキ帝王を含む全てのタヌキにとって、途方もない恩賞。
生きとし生けるすべてのタヌキが、羨み、妬み、憧れる事だった。
そんな大事件が自分の身に起きたと理解したとき、アルカディアは感情が高ぶりすぎて、一度死んだ。
直ぐに蘇生されて事無きを得たが、『那由他様に毛繕いをして貰った超幸運なタヌキ』として、アルカディアは一躍、時のタヌキとなる。
サラサラに流れる毛並みを見れば、出会ったタヌキは必ず二度見。
理由を話せば、憧れと羨望の眼差しを叩きつけられ、妬みや羨みによって、襲われる事もしばしばあるほどだ。
まさに絶頂。毎日が夢の中。
アルカディアは、この毛並みを維持し続けようと心に決め、朝昼晩の毛繕いは毎日の習慣になった。
……しかし、2匹の心無き大悪魔によって、艶やかな毛並みは失われる事となってしまった。
アルカディアは、もう一度、水面に姿を映し覗き込む。
……なんだこの毛玉。
自分でもそう思って、アルカディアはむせび泣いた。
「ヴィギルゥア……ヴィギルゥア……」
滑らかだった毛は縮れてクルクル。
もさっと膨らんで、体が一回り大きく見える。
アルカディアはむせび泣いた。
やがて、アルカディアは視線を横に向けた。
そこにあるのは、むさ苦しい冒険者から奪った、小さな紙袋。
中身は、甘い菓子パン。
一つ味見をして減ってしまったが、まだ三つも入っている。中々美味しかった。
気分転換にもう一つ食べようとアルカディアは手を伸ばし――ふと、名案が浮かぶ。
近いうちに那由他様の所へ、定期報告しに行って来い。
そうソドムから言いつけられていたのを思い出したのだ。
アルカディアは思考を巡らせた。
よくよく考えてみれば、手ぶらで謁見しに行くのはどうかと思う。
『おじさま』は別にどうでもいいとしても、那由他様には最大限の敬意を払うべき。
そして、あわよくば、もう一度毛繕いをしてもらって、あの艶やかな毛並みを手に入れたい!
アルカディアは素晴らしい計画だと自負し、それならば褒めてもらえるような面白い話を用意しようと、”空の戦い”へ視線を向けた。
「ヴィーギルア!」
今、アルカディアの真上では、『ゆになんちゃら』と『りんなんちゃら』と『わるなんちゃら』と『変なドラゴンの群れ』が戦っている。
そこへ、ソドムが「ちょっと、奴らをからかってくる」と向かったのは数分前。
「お前も来い」と言われたが、沼の辺でたそがれていたら置いて行かれてしまった。
さらにイジケそうになったアルカディアだったが、結果的に都合のいい展開になった。
アルカディアは空間をまさぐると、一冊のノートと鉛筆を取り出す。
それは、『おじさま』に貰った文字の練習用ノートで、表紙には『よいこの日記帳』とか『ゆにくるふぃん』とか書いてある。
『おじさま』が、アルカディアへ「数ページしか使って無いから、これで文字を練習しろ」と気まぐれに授けたものだった。
アルカディアはさらに思考を巡らす。
これにユニなんちゃらの戦いを記録して、見せて、喜んで貰う。
ご機嫌になった那由他様は、きっと褒めてくれる。
そこで菓子パンを献上し、さらに褒めて貰う。
そしたら……もしかしたら。また毛繕いして貰えるかも!
一石二鳥をタヌキが狙う。
何だかんだ、アルカディアは打算的な性格だった。
「ヴィ~ギルア~」
そうと決まれば、後は行動に移すのみ。
器用に鉛筆を両手で挟み、ノリノリで文字を書き始めるアルカディア。
その光景を『おじさま』が見たら「人に化けてから書けよ!」とツッコミを入れる事だろう。
そして、記録を付け始めて数分。
激しい戦いを繰り広げる『りんなんちゃら』と『わるなんちゃら』を眺めていると、颯爽とソドムが現れた。
「あ、でてきた。もしかして戦うのかな?」
アルカディアは期待半分、恐怖半分で見つめている。
「……もし、ソドム様が本気を出したら、速攻で逃げよう」と心に決めながら。
そして、ソドムの手によって、空に魔法陣が輝いた。
そんでもって、同胞たるタヌキ将軍が降り注ぐ。
「ヴィギルア?」
理解を超えた事象が起こっているが、とりあえず、事実をありのままに記録しようと、アルカディアは夢中で鉛筆を走らせる。
だからこそ、同胞のタヌキ将軍に奇襲された真っ白いドラゴンが、自分に向かって一直線に落ちてきている事に気が付かなかったのだ。
「……?……ヴッ!?」
気が付いたのは、ノートに影が落とされたから。
すなわち、アルカディアの上空10mまで接近してからだった。
それでもアルカディアは持ち前の反射神経を活かし、ノートを抱えて緊急避難を試みて、見事に成功。
湧き立つ土煙りに咳き込みながらも、アルカディアは真っ白いドラゴンへ視線を向けた。
「ヴィー……ヴィギロギア!」
一応威嚇はしつつも、戦いに巻き込まれたら記録が出来ないと、アルカディアは撤退を選択。
ノートは異空間に仕舞ったし、後はお土産のパンを回収して離脱するだけ。
アルカディアは、回収するべきパンへ視線を向けようとした。
しかし、向けた視線の先にパンは無かった。
「ヴィ!ヴィギルアッ!?」
えっ!?なんで!?と声を漏らしながら、パンを置いておいた岩に駆け寄るアルカディア。
そして……その途中。
ふと視線を向けた沼の中に、見覚えのある紙袋が沈んでいると気が付いた。
「……。」
アルカディアは無言で沼に手を突っ込み、紙袋を引き上げた。
そして、恐る恐る、中を覗く。
「……。」
パンにザリガニが群がっている。
とても食べれそうにない。
「……。」
果てしない沈黙。
時間にして、およそ、5秒。
それを破ったのは、間の抜けた鳴き声だった。
「っつ。きゅららら~」
ナナメ前で、真っ白いドラゴンが腰をさすりながら呻いている。
実際には、真っ白いドラゴンには、外傷がまったく無い。
ただ、心無きトラウマにより、大げさにリアクションをして誤魔化すのが癖になっているだけだ。
だが、真っ白いドラゴンの意図しないふざけた行動が、起死回生の切り札たる菓子パンを失ったアルカディアの逆鱗に触れた。
「ヴィィギルゥゥゥァァァァッッッ!!」
「きゅあらっ!?」
**********
ズドドドドドドドドドドドドッッッ!
ズガガガガガガガガガガガガッッッ!
森に響いているのは、痛烈な打撃音。
怒り狂うアルカディアは、記録をつけるという目的も忘れ、真っ白いドラゴンに襲いかかっていた。
よくよく見れば、その真っ白いドラゴンの傍らには同胞のタヌキ将軍が何匹か落ちている。
ソドムの命令によって奇襲を掛けたが、返り討ちにされたのだとアルカディアは瞬時に悟り、仇を取るべく、怒りを乗せて拳を打ち込こんでいるのだ。
今のアルカディアは既にバッファ形態になり、腕にはガントレットを装備している。
その漆黒のガントレットは、「使いこなせば、タヌキ界の英雄になれるぞ。実際に英雄が使ってた奴だしな!」と『おじさま』が言っているほどの武器だ。
しかし、アルカディアはこのガントレットの力を完全には引き出せていない。
それでも、五段階あるとされる内の、第三形態までは使用する事ができ、もう既に、第一形態を解放している。
ガントレット『海千山千』、第一形態『四季折々』。
この形態には、春夏秋冬、季節の彩りを模した4つの機能が備わっている。
身体機能の向上の『春の目覚め』
戦闘時間によって殴打の威力が向上してゆく『夏の成長』
最善の結果になるように運命力を操作する『秋の実り』
受けた傷が自動で修復される『冬の眠り』
これら4つの機能を駆使して、アルカディアは真っ白いドラゴンを葬るべく、拳を放つ。
『食べ物の恨みは、必ず晴らすべし!』
それは、タヌキ界の絶対的戒律。
『食べ物を奪われたら、必ず報復するべし!』は、那由他が自ら定めた数少ない掟なのだ。
だからこそ、アルカディアは本気を出す。
本気を出して、この白いドラゴンをぶち殺してやろうと思っている。
菓子パンの恨みと、ついでに、気絶している同胞の仇を果たすべく本気で拳を放つ。
「ヴィィィギルアアアア!!」
「きゅあっ!きゅあっ!」
しかし、真っ白いドラゴンは強かった。
アルカディアの繰り出す怒濤の連撃を、腕と尻尾を使って余裕で捌き、完全に無効化している。
殴っても殴っても、手ごたえが無い。
殴り方を変えても、フェイントを入れても、簡単に回避される。
それでも、アルカディアは殴り続けた。
「ヴィッ!ギルアアアア!!」
「きゅあら~ん」
アルカディアは、この真っ白いドラゴンがとっても嫌いだ。
そもそも、このドラゴンと戦うのは今回が初めてではない。
ソドムに連れられて行った先で昼寝していたコイツに、喧嘩を吹っ掛けたのはいつの事だっただろうか。
『ゆになんちゃら』と『りんなんちゃら』に敗北したが故に行う事となった、地獄の猛特訓。
その最中に出会い、ソドムが爆笑しながら、「アレを倒せたら、すぐにでも特訓をやめてやるぞ!」と提案し、戦いになったのだ。
その時から因縁が始まり、アルカディアは、今まで一度も勝てた事が無い。
それどころか、死にそうになった所をソドムに助けられるのがお決まりパターンだった。
最近では、明らかに舐めた態度をとるようになった真っ白いドラゴン。今も、間の抜けた鳴き声でアルカディアを挑発してきている。
「きゅあららーん!」
「ヴィーヴィギロギアッ!」
アルカディアの凄まじい猛攻。
それをものともしない真っ白いドラゴン。
そして……激しく散る戦いの火花を、楽しげに眺める存在がいた。
「……くっくっくっ。まったく無様な戦いだ。頭に血が上って動きが単調なアルカもそうだが、お前はもっと酷いぜ?……”ホープ”」
そいつは、手頃な岩の上に鎮座し、バナナチップスの袋を片手に、楽しそうに笑みを浮かべていた。
”タヌキを支配するもの”にして、アルカディアの保護者、タヌキ帝王・ソドム。
ソドムは、ボリボリとバナナチップスを貪りながら、激戦を繰り広げている当事者たちへ野次を飛ばす。
「アルカ!なにぼっさっとしてんだよ!右だ右!わき腹を狙え!!」
「おい、ホープ!腕がなまってんな!そのまま負けちまえ!!」
「そこだ!いけ!そこ、あーなにやってんだよ!アルカ!!」
当事者たち、特にアルカディアは必死で戦っているだけに、野次が飛んでくるというのは、邪魔以外の何物でもない。
しかも、ソドムもそれを分かってて、あえてやっている。
周りには、天から降り注いだタヌキ将軍達もチラチラ集まりだし、この場は混沌と化し始めた。
「ヴィーギルア!」
「きゅあーん」
アルカディアの渾身の一撃!
海千山千の『成長』の機能によって蓄えられていた力を、解放したのだ。
拳の先に三重の魔法陣を浮かばせ、それを拳と共に真っ白いドラゴンへ叩きつける。
直撃すれば、真っ白いドラゴンがいかに強かろうと、タダでは済まない。
だがしかし、それは、直撃すればの話だ。
真っ白いドラゴンは真正面から迎撃し、拳と拳を衝突させた。
ドゴンッ!と鈍い音を響かせ、そして……アルカディアの拳だけが一方的に宙を舞う。
「あー、衝突のエネルギーを受け流して逆流させやがったか。やっぱり戦闘センスはホープの方が上だよなー」
ソドムは、残り少なくなったバナナチップスの袋を漁りながら、適当な解説を述べた。
周囲で観戦しているタヌキ将軍にとっては見た事のない驚愕の攻防も、ソドムにとっては特に価値のないもの。
バナナチップスの最後の一枚を口に放り込みながら、ソドムは周囲のタヌキ将軍に命令を飛ばした。
「もぐもぐ……そろそろ飽きてきたし、変化が欲しい。……お前ら、やっちまえ!」
「「「「「「「「「ヴィギロア!」」」」」」」」」」
「きゅ、きゅあらっ!?!?」
いきなりの、1対10の戦い。
百戦錬磨の真っ白いドラゴンも、流石に焦りの声をあげた。
「きゅあらららららー!!」
「「「「「「「「「ヴィギロアー!」」」」」」」」」」
一匹のドラゴンに群がる、茶色い魔獣。
一撃離脱を基本戦術とし、上下左右あらゆる場所から放たれる隙間のない連撃は、真っ白いドラゴンから余裕を奪ってゆく。
それでも、戦況は固着状態。
どちらも致命症は受けないが、決定打も与えられないという状況。
真っ白いドラゴンは、敵の数の多さゆえに狙いを絞り切れず。
タヌキは、ドラゴンに掛っている第九守護天使のせいで、傷を与えられず。
イマイチだな……ソドムがそう思いながら空間からリンゴチップスを取り出した時、事態は急展開を見せた。
「……ホロビノ、本気出して良い。源竜意識も竜滅咆哮も完全解禁!」
「きゅあら!」
突如、真っ白いドラゴンは嬉しそうに鳴いたかと思うと、体内に宿していた魔力を膨張させた。
そして、体を脈動させながら輝やかせ…………。
滅びの呪文を唱えた。
「……《源竜意識の覚醒》!」
……。舞台裏の戦い。まさに、余談。
余談なんですが、一話に収まりきらなかった……。
ので、続きます!




