第54話「眷皇種」
「何だ……あれ……」
空間から生えた腕が、飛び去ろうとしたドラピエクロを鷲掴みにしている。
体長が80mもある巨体を、片方の手のひらで握り締め、捕らえて離さない。
逃げようと暴れもがくドラピエクロを、文字どおりに掌握している謎の腕は、俺達の危機感を煽るには十分すぎるほど巨大。
空間から生える二の腕までで、おおよそ400m。
頭のおかしいピエロドラゴンよりも、意味不明な生物がタヌキ以外にいるとは、世界って広いんだな。
俺はとりあえず、思っていることを素直に口に出した。
「これは、予想外。……いや、ある意味で予想通りの事態って奴だよな?」
「うん。フラグ回収ってやつ?」
「キミら。僕をいじめてそんなに楽しいのかい?おい。おい!」
面白いかって?
うん。なぜだか知らんが、ワルトをからかうのは、ちょっと面白い気がする。
大悪魔相手になんて大それた事をって、自分でも思うけど。
冗談めいたことを考えつつも、俺は現実へ目を向けた。
歪む空間から出現した赤銅の腕。
未だ上腕のみしか出現していないにもかかわらず、楽に400mを超えるその腕は、至る所から炎を噴き出している。
俺は心底、思った。
アレと戦うのは、覚悟がいる。
償う事が出来ない、『死』という決別を、迎える覚悟が。
「だが、ふざけている場合じゃないだろうな。どうする?」
「どうするって……。まさか、本当にやってくるなんて思って無かったし……。リリンがフラグを立てるから……」
「ワルトナ、冗談を言ってる場合じゃない。見て、アレはこちら側に出てくるつもりらしい。警戒するべき」
色んな裏計画があったらしいワルトですら、驚愕の表情を浮かべて固まっている。
小声で、「僕はここまで計画していない……いないんだよ……」っと若干、いじけているようだ。
そしてリリンは、平均的な表情を崩しつつ、星丈ールナを握り締めている。
その瞳は強い意志を灯していた。
今まで見たことも無い、本気の視線だ。
これは、心底ふざけている場合じゃなさそうだな。
そもそも、俺の危機感は、油断すれば一瞬で殺されると告げている。
緊迫した空気が辺りを支配する中、最初に口を開いたのはワルト。
落ち着いた、しかし、一切の嘲笑を含まない真面目な声が、静まり返る空に響く。
「でてこい。《サモンウエポン=暗黒杖―アキシオン》」
ワルトが出現させたのは、黒一色の魔道杖。
先端に掲げられた宝珠も、精密な細工も、持ち手の杖も、黒一色。
しかし、シンプルな作りなのに放たれる波動はリリンの星丈―ルナと同等かそれ以上だった。
明らかにワルトの本気装備。
それだけ余裕が無いという事が、見て取れる。
「ワルトナ。アキシオンを出したということは、本気で戦っても勝てない可能性があるという事?」
「……こんなことを言うのは気が引けるけどね。もしあれが本当に眷皇種であるのならば……勝ち目はない。逃げるだけで精いっぱいさ」
「逃げる、か。なぁ、今逃げ出さないのは、ドラピエクロが捕まっているからか?」
俺は疑問に思っていることを素直に問うた。
今は謎の腕が出現したのみ。
逃げるというのなら、絶好のチャンスのはずだからな。
だが、ワルトは逃げ出さずに、戦う事を選んだ。
それはおそらく、ドラピエクロとの別れ際に言った一言が、原因なのかもしれない。
「ほら、もうお行き。幸せになるんだよ」
この言葉だけ切り取ってみれば、聖女そのものって感じだな。
言葉や態度、一部の行動も悪辣極まりないワルトだが、きっと、さっきの言葉は本心だ。
もしかしたら、ワルトは、本当は優しい良い子なのかもしれ――
「まったく最悪だ。悪才と契約を交わしている以上、不履行なんて出した日には僕は身ぐるみ剥がされてしまう!どーにかして、ドラピエクロを取り戻さないと!!」
あ、違った。ドラピエクロを助けようとしているのは本音ぽいが、動機が全然違う!
どこまで行っても大悪魔は大悪魔か。まったくブレやしねぇ!!
しかし、ワルトは本当に運が無いんだな。
大悪魔同士で契約を結んだ瞬間にこんな事になるなんて、ちょっとだけ同情するぞ。
一秒の逡巡のあと、俺はグラムを構え直し、揺らぐ空間に視線を向け直した。
「……動き出したか」
無意識的に声に出して呟いた。
バカでかい為にゆっくりとした動きに見えるが、急速に腕は前のめりに動きだしている。
揺らぐ空間が軋みを上げながら、擦り合わせるようにして出現したのは、もう片方の腕。
そして、二本となった赤銅の腕は、空間を引き裂くようにしてこじ開け……空をブチ壊しやがった。
「空間がひび割れていく……だと」
「あの、現れた黒い空間は何?ワルトナ」
「虚無空間や魔法次元なんて呼ばれているけど、結局は正体不明の何かだね。だけど、超高位の生物は皆、あの空間を往来できると聞いたことがあるよ」
「もしかして、クソタヌキもあの空間に出入りしているのか?」
「えっ?魔法次元に出入りしている……?あのタヌキが?」
「できるだろうけど、何でもかんでもタヌキに話を持って行くんじゃないよ!」
あ、怒られた。すまんすまん。
俺は思考の中のタヌキを追い出しつつ、真面目に現状へ目を向けた。
今まさに抗いがたい化物が、姿を表そうとしているのだ。
タヌキなんかに構っている暇はない。
ひび割れ破壊された空間に流れ込む空気が暴風となり吹きすさぶが、そんな事は些細なことだ。
深紅の顎と純金の兜。
鱗と呼ぶより、宝石と呼ぶ方が相応しい、鎧。
体の至る所から吹き出し燃え盛る、炎。
体長600m。
鎧武者のようでもあるが、腕が異常にたくましく発達した姿は、確実に人類以外の何者か。
いや、二対の翼や強靭な尾を見るに、ドラゴンで間違いないだろう。
ただし、その存在感は、俺の知るどのドラゴンよりも圧倒的に格上。
純紅に輝く巨躯を見せつけ、そのドラゴンは姿を現した。
噴火する火山と同じように、体の至る所を燃え上がらせながら。
そして。
……災厄の出現は、まだ終わっていない。
「リリン、ワルト。素直に聞くぞ?……アイツだけじゃねえよな?」
「何も無い反対側から圧力を感じる。姿を見せていないだけで、絶対に何かいると思う」
「僕らの空間に干渉を掛けている奴がいる。それはあのバカデカイ炎ドラゴンじゃない。確実に何かが潜んでいるね」
どうやら俺の直感は当たってたらしい。
ワルトの太鼓判も貰った事だし、これで心おきなく呼び出せるな。
「リリン、あそこにいるんだよな?よし……。隠れてないで、出てこいッ!!」
力任せに叫んだだけの、宛ての無い挑発。
そんな俺の無謀とも呼べる行動へ、結果が示された。
まるで鏡映しのように、炎を纏うドラゴンの反対側の空間が、揺らめく。
雲ひとつない晴天だった空が瞬く間に霧がかり、そして。
霞みがかった空間から、新緑が芽生えた。
数百年の時を一瞬で再生したかのように瞬時に樹海へと成長し、やがては意味のある模様へと形作られてゆく。
たったの数秒の後、そこには深緑で出来た巨大すぎる魔法陣が完成していた。
全長600mの鎧武者竜と同等の大きさとなったそれは、命そのものであると感じる光を称えながら輝き、役目を全うして消失。
朽ちて消えた魔法陣の代わりに出現したのは、巨大すぎる木の化物竜。
直径500mはあろうかという規格外過ぎる球根のようなものから胴体と尾が上下に生え、伸びる体のほとんどは、絡み合う数千本の樹木によって保護され、露出していない。
唯一生身だと言えるのは、頭部だけ。
果てしなく続く体の末端のその部分は、8本の頭部が束ねられ、蕾のような形となっている。
そこに規則的に並ぶ8色の瞳が、俺達の『小ささ』を蔑んでいるようだった。
「アレが、眷皇種……。しかも二体も来るなんて……」
リリンは出現した二体の化物竜を見て、平均的な顔を完全に崩し、焦りの色を見せている。
三頭熊の群れに出会った時にも見せた表情だが、あのときよりも顔色が悪いように見えた。
あぁ、ホント、酷い状況だ。
……でも、最悪じゃない。
最悪になるのは、これからなんだろ?
なぁ、ワルト。
「ワルト。状況の説明を頼む。お前なら、アレが何者かで、この後何が起こるのか知っているんじゃないか?」
「なんだいユニ。藪から棒にさ」
「何故かさ、アイツらだけで終わりだとは思えないんだよ。なぜだか、自分でも分からねえけどな」
「英雄のカンって奴かい?すごいねぇ。さて、知っているから答えてあげよう。炎の鎧武者が『無炎焼竜・ゲンジツ』。木の化物が『樹界竜・カイコン』。そう呼ばれているよ」
「また凄そうな名前だな。しかも、名前負けしてねえ所が恐ろしい。……で、終りなのか?」
「いや、終わりじゃない。僕があいつらの名前を知っているのは、とても有名だからだ。『大厄災の前触れ。火と木の巨竜は、王竜を呼ぶ』。……来るんだよ。手下たる奴らが来たという事は、確定なんだ」
確定、か。
俺達を見下げている化物竜達は、興味がなさそうに静観している。
まるで、命令が下されるのを待っているかのように。
ワルトと俺の会話を聞いていたリリンは、「信じられない」と呟いた後、自らの意見を口にした。
「そんな……あれよりも凄い奴が来るというの?」
「来るんだ。正真正銘の大厄災。眷皇種・『希望を費やす冥王竜』がね」
ワルトがその名を呼んだ瞬間のことだった。
突然、太陽が力を失い、赤黒く変色。
いきなりの超常現象に、思考が付いて行かない。
だが。
日食とも違う異常な光景を引き起こしているであろう存在は、もう既に、俺達の目の前にいた。
その存在は、どこまでも正しい、”竜”の姿をしている。
首は長く、翼は荘厳で、四肢は鋭く、黒い鱗は強靭で、頭には美しい角を生やしていて。
その体躯は、通常のドラゴンと比べても少しだけ大きい程度の全長20m。
だが、異形とも呼ぶべき巨大竜が臣従している姿を見れば、全てのドラゴンの原点とも呼ぶべき至高の存在であると、簡単に察することができた。
アレが、眷皇種・希望を費やす冥王竜。
そして冥王竜は、捕らえられているドラピエクロに向かって視線を走らせ、ゆっくりと語りだした。
「嘆かわしい事だ。幼き竜の子よ。よもや人間に敗れ去る事は致し方無し。されど、軍門に下ろうとは竜族の誇りは如何に?」
「ピエ……ピエロン!マッテテクレタ!アイタイッテイッテクレタ!!」
「黙れ。恵まれた力を宿すものが種族を率いるのは摂理。使命であり運命なのだ。力無き人類に飼われるなど、恥と知れ」
「ピエロン……ハジジャナイ。ドラピエノコト、ホメテクレル!!」
ドラピエクロは巨大な腕の隙間から頭を出し、冥王竜を睨みつけた。
瞳に涙は無く、威厳とした意思のみが宿っている。
その瞳を真っ直ぐに見据えた冥王竜は、「お前の意思は、叶う事はない」と否定を告げた。
冥王竜の言葉にドラピエクロは反抗の視線を向けるが、それ以上のやり取りは続いていない。
……なんだか知らんが、冥王竜を見ていると、妙に腹が立ってくるな。
いかにも偉そうなこの態度。ドラゴン仲間なんだから、少しくらい話を聞いてやっても良いだろうに。
そして、このままじゃ、ドラピエクロはお持ち帰りされてバットエンド間違い無し。
仕掛けるなら、今しかねえな。
「おい、そこのドラゴン。お前がどんなに強かろうと、そいつの人生にまで口を指す権利はねえだろ」
「え?」
「ちょぉおぉ!ユニ、なんて事を言うんだよ、ほら、謝って、ほら!!」
「小さき人よ。我ら竜族は絶対なる階級主義だ。弱者は強者に従わなければならない。何故、知った風な口を叩く?」
「だからソイツは、弱者じゃねぇんだよ」
「何を以て、弱者では無いと?」
「弱者じゃなくて、役者だぜソイツ。なにせピエロだからな!」
あ、冥王竜が、ぽかーん。としている。
なんという抜けた顔。まるで寝起きのホロビノのようだ。
そして俺の後ろの二人。
俺の背中をつつくのはやめなさい。
片方は必死感が伝わっていくるし、片方は笑いを堪えているだろ?
叩き方に若干の違いがあるぞ!
「我に向かって、戯言を吐く。不敬であると知らぬのか、愚かな人間よ」
「戯言?俺達人間の言葉なんて、聞く価値が無いってことか?案外、心が小さいんだな?」
「ちいさ……」
おい、今、俺の後頭部を殴った奴誰だッ!?
第九守護天使中だから痛くもかゆくもないけど、格好がつかないから、やめてくれッ!!
「だったら……殴られる様な事をするんじゃないよ……」
俺のすぐ後ろから、恨めしい声が聞こえてきた。
あ、これはヤバイ!そろそろ種明かしをしておかないと、後ろから刺されそうだ!!
おい、ワルト!俺の心を読んでいるよな!?
俺が隙を作るから、ドラピエクロを奪い取れ!
出来るだろ!?
俺は心の中でそう念じ、ワルトに意思を示した。
そして、ワルトは俺の背中に丸を描くと、少しだけ距離を取った。
「今、我の事を小さいって言ったのか?なぁ、小さいって?」
「小さいってのは、心の器の話な?体はそこら辺のドラゴンと同じサイズだろ」
「そ、そこら辺のドラゴンと同じ……?天龍嶽にて生を受けた純粋なる血統の我が、そこらの雑種と同じ……?」
「俺にドラゴンの違いなんて分からねえよ。区別して欲しかったら、背中に『良い血筋!』って書いとけ」
「ふ、ふざ……」
「ふざけていない。至って真面目だ!」
「どこら辺が真面目だこのにんげんがぁあああああ!?」
お?流石に怒ったか。
眷皇種とかいっても所詮コイツは……あれ?なんだっけ?
なんか、この黒トカゲ、妙に親しみやすいんだよなー。
ぶっちゃけて言えば、俺の封印された記憶の中にコイツの姿がある気がする。
……思い出せないけど。
まぁ、いいや。とりあえずコイツが怒りだしたせいで、後ろの化け物たちの視線が向いているし、作戦は順当に進んでるしな。
「俺が!!俺がッ!!どんな苦労をしてきたのかお前ごときに分かるのかッ!?」
「一人称が代わってるぞ?少し落ち着けって、黒トカゲ」
「く、くろとhfれbつsなbくぉx!?」
後半、言葉になって無いんだが?
せめてドラゴンっぽい言葉にしとけよ!!
さて、怒り狂って頭を抑え始めた黒トカゲを眺めつつ、グラムを構える。
いきなり魔法弾なんて撃ち込まれた日にゃ、余裕で死ぬからな。
俺は精神を集中し、重力星の崩壊を準備。
いつでも発動可能な状態を作りつつ、追加で煽った。
「……小さき人間よ、我を黒トカゲと呼ぶとは、よほど死にたいらしいな。我をそう呼んで生きている者は殆どおらぬ。我、自らの手で殺し尽しているからな」
「殆ど、か。少なくとも、人間一人は殺し漏らしているよな?なんでだ?」
「……なぜ、それを知っている?」
「この赤い髪は、見覚えが有るんじゃねえのか?なぁ、黒トカゲ」
俺はワザとらしく髪を掬いあげて見せつけた。
まるで俺が、コイツよりも強者であるかのように。
これはハッタリだ。
特に確証のない既視感を頼りにした、見せかけだけの駆け引き。
だが、俺の罠に冥王竜は見事に引っ掛かった。
露骨に眉間に皺を寄せ、コイツは動揺したのだ。
そして、主の戸惑いに異形の竜達は俺への警戒を強めた。
自らの手元を疎かにするほどに。
「《再び顕現せよ! 雷人王の掌!》」
「《再び途絶えよ! 氷終王の槍刑!》」
ドラピエクロを捕らえる巨大な腕に、雷光の嵐と冷氷の豪雨が突き刺さった。
雷光は上から打ち下ろすように、冷氷は打ち上げるように。
お互いに最大の威力を発揮するように計算されたその連撃は、リリンとワルトが起こしたものだ。
二人はいつの間にか鎧武者竜の手元に移動し身を潜めていた。
そして、俺が奴らの意識を引き寄せた瞬間を見計らって、魔法を撃ち込んだのだ。
……計画通り!
俺と話している黒トカゲに二人の行動がバレる可能性は少ないと思っていた。
なにせ、俺の後ろにはリリンとワルトがずっと控えている。
……姿形は二人ともそっくりの筈だが、顔を歪めた悪人面をしているだろう。操り物質だし。
「ピエエエエエエロン!ダイダッシュツ!ハクシュカッサイ!オマエユルサナイ!」
さて、俺の思惑どおりに、ドラピエクロは脱出を果たした。
後はどうやって、この場を鎮めるかだな。
俺達は3人+ドラピエクロ。
敵は3体の化物竜。
数こそ俺達の方が多いが、敵は相当の強者。
命を掛けた戦いは、必然となるだろう。




