第19話「暗転する思惑」
「どうだいそのタルトの味は?美味だったろう?」
「はい、とってもおいしかったです!」
ワルトナの視線の先に居たのは黒い修道服を来た二人の女。
一人は、黒銀の髪を揺らし、慣れない手つきでティーカップを手に取っている少女。
もう一人は、上から下まで真っ黒い修道服を着た長身の女。
二人はティーカップから口を離し、現れたワルトに頭を下げて挨拶をした。
「それは良かった。……だけどね、キミはお腹を壊したばかりだね?ダメじゃないか、食べ過ぎは」
「ななな!なんでそれを知ってるんですか!?もしかして、お医者さん、バラしちゃったの!?」
「それはあり得ませんよ、シスターファントム。記憶はちゃんと消しておきました」
「おや、いつもながら手際が良いんだね、シスターサヴァン。助かるよ本当に」
「それが務めです。私は従者ですから」
ワルトナが寄贈する扉を潜り訪れた先は、絢爛豪華な金・銀・宝石の意匠が眩しい貴賓室だった。
さっきまで居た、重厚ながらも暗く落ち着いた雰囲気の部屋とはまるで趣の違う部屋。
ここは、貴族ですら滅多にお目にかかれないほどの、王族御用達の特別室。
大書院ヒストリアでもこの部屋以上に豪華な部屋は無く、ワルトナの悪辣計画に”見栄”が必要な時は必ず使用している。
「何度見てもこの部屋は凄いですねー。こんな凄い部屋でお仕事しているワルトナさんも凄いです!憧れます!」
「いやいや、表面的な物はすぐ揃えられるんだ。でも、優秀な部下はそうはいかない。キミみたいな凄い人材に恵まれた事こそが、僕の最も凄い所だって言われているよ」
「えへへー。褒めて貰えるなら、もっともっと頑張ります!」
「そうそう、素直で良いね。お土産にさっきのタルトと同じ物を用意してあるよ。持ち帰って後でゆっくり食べるといい」
「わーい!やったぁ!!」
ちょろいなぁ。
ワルトナは上機嫌で微笑み、心の中で苦笑をする。
美味しい物を与えておけば言う事を聞くなんてホントちょろい子だと、百戦錬磨の外道共と対等に渡り合うワルトナには少々物足りなさを感じるくらいだった。
「さて、キミの近況を聞かせておくれよ、シスター・ファントム。例のお姉さんについては何か進展があったんだろう?」
「そうなんです!あのね、おねーちゃんね、魔導師じゃなかったの!」
「ん?」
「杖でブン殴る格闘家だったんだよ!!」
「な、なんだって!?」
ワルトナは壮大に驚き、声をあげた。
もっとも、それは驚いたふりをしているだけ。実際の戦闘内容を戦った本人から直接聞いているのだから驚く事はあり得ない。
ただ、リリンサが意図したように情報操作がうまくいっている事に、若干の関心はしている。
嬉々として話し始めたシスターファントムの報告を聞きながらワルトナは、このまま放置をするのはまずいと考えた。
ワルトナはリリンサとシスターファントムの両方の戦力を完全に把握している。
魔導師型のシスターファントムの戦闘力はリリンサに引けを取らないが、情報操作をされたままでは勝ち目は薄いと判断したのだ。
ワルトナは手早く対策を練り「いいかい?」と優しげにシスターファントムを諭す。
「キミのお姉さん、リリンサは普通に魔導師だったよ。おそらく、盗賊相手に本気を出すまでも無いと、運動がてらに退治したってだけだろう」
「え!?そうなの!!」
「そうそう、この僕の観察眼に狂いは無いよ。リリンサは間違いなく、魔導師だ」
「そうなんだぁーよかったぁー。魔導師やめちゃうなんて、おねーちゃんらしくないもんね!……あっ!!」
「どうしたんだい?」
「という事は、ワルトナさん、おねーちゃんに接触出来たって事ですか!?」
「あぁ、勿論だとも。この指導聖母の情報網にかかれば一介の冒険者を補足するのなんて簡単だからね。後は策を講じればあら不思議。彼女たちとは半日くらい話をする事が出来たよ」
事も無さげにワルトナはティーカップを手に取り一口だけ飲んだ後で頬笑み、シスターファントムはその優雅な仕草へ尊敬の眼差しを向けながら、キラキラと瞳を輝かせている。
ワルトナが内心では、「情報網?使ってないけどね」と、ぺろりと舌を出していることを知らないが故の行動だった。
「それで!それで!!おねーちゃんは元気でしたか!?」
「それは……凄く元気だったなぁ。うん、元気過ぎて、ドアを一枚ブチ壊していたよ」
「えっ、ドアを!?」
コロコロと表情を変えるシスターファントムを眺め、ワルトナは大層満足げだ。
この表情を見ていると、何故だか心が安らぐ。
一切の偽りのない感情を顔に出すこの子相手ならば、ちょっとくらい気を抜いても大丈夫だという事も計算の内に入っているが、根底にあるのはもっと別の感情だった。
ワルトは、リリンサの話を聞きたそうにうずうずしているシスターファントムへ、ずいぶんと歪めた話をしてご機嫌とりをした後、「さて、」と言葉を置いて本題を切り出した。
「そろそろ本題に入ろうか」
「うん。……あの、それで、やっぱりおねーちゃんは、ユニクルフィンさんに騙されているんですか?」
これこそが、シスターファントムがここに来た理由。
シスターファントムとワルトナの出会いは偶然を装った必然だった。
不安定機構の窓口へ、冒険者になりたいとシスターファントムが訪ねてきたのは、3年も前の事。
その時に窓口に立っていたのは普通の職員であったが、レアケースであるために指示を仰いだ先の上司がワルトナの部下だったのだ。
もっとも、そもそも彼女が不安定機構の受付に来るように仕向けたのもワルトナであったため、事態は一切の狂いも無く予定されたものだった。
実質的にワルトナの部下になったのは、心無き魔人達の統括者が解散した後の事であったが、内情を完全に把握しているワルトナと打解けるのに時間は必要無く、すぐにシスターファントムは信頼を置く事となる。
そして、彼女はワルトナの手駒となった。
表向きは『リリンサの神託の妨害』という、途方もない難題に挑むシスターファントムに、ワルトナが協力するという名目で。
「リリンサは神託によってユニクルフィンと一緒にいる事を運命付けられた。それにリリンサが従っているのは、ユニクルフィンに騙されているから。それがキミの見解だったね?」
「そうです!おねーちゃんは優しいから、きっと嫌って言えないんだと思います。それにおねーちゃんは美人さんだから、ユニクルフィンさんも調子に乗ってるんだと思います。酷いですよね!!」
「確かにその通りだったら酷いねぇ。でも、僕が彼女らと接触して抱いた感情は、それとは違うものだ」
「……え」
「いいかい?リリンサとユニクルフィンはお互いに認め合っている。真っ当に相思相愛だろうね」
「え……?そ、そうなの?」
「そうなんだよ。これには僕も困ったんだけど、意外とリリンサの方も積極的でね。普通に街中にいるカップルみたいだったよ。……あぁ、胸やけがする」
やれやれと肩をすくめながら、ワルトナは再びティーカップを手に取る。
今度は口を付けて唇をぬらす程度にしか飲まない。
これで今日は3杯目。いい加減、腹の中がたぷたぷいっているのだ。
つくづく、コイツらはこの細い体のどこに食べ物を舞い込んでいるのかとワルトナの興味が尽きない。
「そ、それじゃ、私は……」
「ん?」
「……唯のお邪魔虫さんじゃないですか……。それじゃ、私が居ない方が、おねーちゃん、幸せじゃないですか……」
リリンサとユニクルフィンは相思相愛。
計画を一段階進めるために事実を打ち明けたワルトナは、その言葉に打ちのめされているシスターファントムを見て、本当に心優しい素直な子だねと、心の中で笑う。
アレほど元気一杯だった彼女の表情は曇り、今にも目尻に溜まった涙がこぼれ落ちそう。
ワルトナは柔らかいタオルを空間から取り出してそっと涙を拭った。
やれやれ、こんな仕草までそっくりかいと微笑みながら。
「……他人に計画された人生じゃ、幸せになんてなれない」
「ぐすっ……」
「いいかい?リリンサの人生は歪んでしまっている。キミやお母さんを失ったと思い、失意にくれる中で掴んだ細い糸がユニクルフィンだったというだけさ。それはね、最善じゃない。最悪の中で一番マシだったってだけだ」
「じゃあ、私が居ても、いいの?おねーちゃんに会いに行ってもいいの?」
「いいんだ。この『指導聖母・誠愛』の名に掛けて僕が保証する。暗劇部員・シスターファントム……いや、キミはもう暗劇部員と名乗るべきではないね。……さぁ、キミの名前をここで宣言してごらん?」
優しく、慈しむように。
それはまるで聖母の囁き。
朗らかな笑顔の下に何が隠されていようとも、当事者の受け取った感情が全てなのだ。
シスターファントムは、ワルトナの言葉の意図を正しく理解し、かつてワルトナに言われた言葉を思い出しながら、こくりと頷く。
「キミはあの燃えて崩れた家の中で、母と共に死んだって事になっている。……亡霊。それが今からキミの名前で全てだ。僕が許可するまで絶対に本当の名前を名乗ってはいけないよ。分かったね?シスターファントム」
その約束の日を待ち続けていた黒銀の髪を持つ少女は、もう一度だけタオルで涙を拭った後、強い決意を秘めてポツリと呟いた。
「……セフィナ」
「フルネームで、それにキミの願いも込めてだ」
「私の名前は、『セフィナ・リンサベル』。リリンサおねーちゃんの妹で、それで……また一緒に、お姉ちゃんと暮らしたい」
「良く言えたね、セフィナ。キミはリリンサの妹として、これからお姉さんを正しい運命へ導くんだ」
「正しい運命に導く?」
「そうだ。神から授けられた『神託』という名のリリンサの運命。だが、時にそれは判断を間違える。だからね、僕ら指導聖母が正すんだよ。有るべき姿、本当の幸せにね」
「本当の幸せ……?」
セフィナはきょとんとした顔をワルトナに向けると、「そうだね……」と再び呟いた。
その瞳の中に輝かしい光が宿り、セフィナは想いを口にする。
「私がおねーちゃんを助けてあげなくちゃ。そしてもう一度、一緒に暮らしたい。ううん、絶対にいっしょに暮らすんだ。他の誰にも邪魔なんかさせないよ!!」
「そうだよ。姉妹が一緒にいる事こそが自然で正しい運命なんだ。さぁ、今こそ邪魔者を排除して、大好きなおねーちゃんに会いに行こう。大丈夫、きっと喜んでくれるさ」
「わかった、頑張るよ!」
「よしよし、そんなガンバリ屋さんのキミに、僕も手を貸してあげよう。既に冒険者は雇ってあるんだよね?」
「うん。ちゃんと言われたとおりに集まって貰ったよ」
「よしよし、それじゃ、作戦を授けよう。いいかい?僕がリリンサ達と接触した際に聞いた話なんだが、共同で任務にあたる仲間を探しているらしい。そこに、雇った冒険者を紛れ込ませるんだ」
「うん、分かった。けど、私が行っちゃダメなの?早くおねーちゃんに会いたいよ」
「それはダメだ。実は……一緒にいるユニクルフィンの方が何やら怪しくてね」
「どういう事?」
「セフィナは、心無き魔人達の統括者っていう集団を知っているかい?」
「もちろん知ってるよ。もの凄く悪い人たちで、人を騙したり困らせたりする極悪人だよね?絶対に近づいちゃダメって噂だもん」
あぁ、なんて純粋な眼差しだろうかと、ワルトナは笑みを浮かべる。
今まさにその極悪人と楽しく談笑をしているなんて微塵も思っていないだろうなと、ワルトは計画が順調な事を喜び、そしてまた一歩、悪辣計画を進めるのだ。
「そう、奴らは危険なんだ。そして……彼、ユニクルフィンは心無き魔人達の統括者と接触している。これは僕が確かな筋から仕入れた情報だ。間違いない」
「え……そんな……」
「だからもしかしたら、彼はリリンサを心無き魔人達の統括者に差し出すつもりかもしれない。そんな事になったら、もう二度とキミとは会えなくなってしまうよ」
「やだ!そんなの絶対に嫌だ!!」
「助けられるのは君だけさ。でもキミだって相当可愛いからね。もしかしたら狙われてしまうかもしれない。だからここは関係ない冒険者に様子を見てきて貰うんだ。もちろんキミの正体は隠したままでね」
「分かった、そして絶対に許さない。おねーちゃんが優しくしてくれてるのを良い事に、ユニクルフィンさんは酷い事をしようとしてるんだね。そんなの……私が絶対に許さない。謝っても許さないんだから!!」
「その調子だ。セフィナはやればできる子だからね。僕と一緒に頑張ろう」
ワルトナは白々しくセフィナの手を取り、僕が付いているから大丈夫だと鼓舞をした。
大丈夫、大丈夫。全ては上手く行っているよ。と何度も繰り返し刷り込んでいく。
「さて、キミに渡したい物がある。このカードはユニクルフィンの動向は常に把握できるものだよ。有効に使いたまえ」
「なにこれ……『ゆにクラブ』カード?」
ワルトナは懐から、金色のカードを取り出しセフィナに手渡した。
セフィナは恐る恐るといった手つきでそれを受け取ると、カードに書かれたタイトルと写真を眺め、思ったことをそのまま口にする。
「……これ、ユニクルフィンさんの写真が載ってる……。私はあんまりいらないかなぁ」
そういってセフィナはカードをワルトナに返そうとした。
だがワルトナは動じることなくセフィナの手を取り、くるりとカードを裏返す。
そこには兎柄の可愛らしいシールが貼られていた。
「なにを言っているんだい?このカードはキミのものだろう?だってほら、裏に名前のシールが貼ってあるし」
「あ、これ、ちっちゃい頃に使ってた名前シール……」
「なら間違いなくキミのだよね」
「うん、そうだよね。このシールは私のだもんね。そっか、このカード私のかぁ」
「そのカードは『ゆにクラブカード』と言って、ユニクルフィンに関わりある人物が持つ物だ。もちろんキミとも関わり合いがある」
「え?でも、私、ユニクルフィンさんと会ったこと……」
「……本当にないのかい?思い出してごらん。ずっーと昔、優しいお兄ちゃん役がいただろう」
「…………。もしかして、あの人……『ゆーにぃ』なの?」
「そう、思い出したかい?幼い君はよく、背中に背負われていたんだろう?」
セフィナはか細い思い出の奥に眠る、楽しかった出来事を思い出していた。
暖かな日差しの下で無邪気に遊んだ記憶。
パパ、ママ、おねーちゃん。
そして、おねーちゃんが連れてくる男の子。
そこまで思い出して、セフィナは懐かしさで再び泣きそうになった。
そうだった。あの時間がもう一度欲しいんだったと、思い出したのだ。
「そうなんだ。おねーちゃんの相手、知らない人じゃなかったんだ……」
「あぁ、そうさ。これぞ運命の導き。だからといって、それが幸せであるとは限らないけどね」
「あの『ゆーにぃ』が、今じゃ悪い人……?」
「人生、何が起こるか分からない。彼には彼の人生があったんだろう。さぁ、セフィナ。まずはカードの使い方から教えよう。その後は綿密に計画を立てるとしようか」
「うん、例え相手がゆーにぃでも、おねーちゃんを困らせる人は許さない!追い払ってやる!!」
**********
「ふーやれやれ、無邪気ってのは良いもんだね。あんなに真っ直ぐな瞳で見つめられると困ってしまうよ」
「……あなたは、邪悪そのものですもんね。相性は悪くて当たりまえでしょう」
「邪悪か、言ってくれるね……元指導聖母・悪典」
「私からその席とこのヒストリアを奪っておいて、そうやって私を呼ぶのですか……。本当に邪悪そのものです。それでも人間ですか?」
「誠に不本意ながらも、僕は心無き魔人と名乗っているからね。そんな言葉で動じたりしないよ」
「……そうですね。そんな分かり切った事を問いても仕方がありません。もっと建設的に行くとしましょう」
「なんだい?僕に聞きたい事があるのかい?」
「今日のやり取り、それと以前からの行動も踏まえて仮説を立てました。お伺いしても?」
「いいだろう。僕は今、気分が良いからね、キミがこの部屋から出て行くまで嘘をつかないと、ついでに宣言しておくよ」
絢爛豪華な部屋からセフィナ達が去った後、入れ替わるようにしてシスターバリアブルが姿を現した。
ワルトナは気にも留めず、視線を向けることもしない。
悪人極まる、指導聖母・悪辣へと戻ったのだ。
「すべて、この計画に為だったんですね。あなたが指導聖母という地位に就いたのも、この図書館を乗っ取ったのも。もっというなら、暗劇部員としてあの子を育てたのも、心無き魔人達の統括者という組織を作ったのも、ご友人に偶然を装って近づいたのも全て、一つの計画の為だった」
「……そうだよ。全ては僕の掌の上さ。勿論、さっきの会談もそうだ。リリンとユニへそれぞれ違う思惑を植え付け真実を隠し、意識を書き換えた。これで暫くは時間が稼げるだろう」
「その割には、嘘が少なかったように思えますが?」
「少ないんじゃなくて、嘘はほとんど無いんだよ。彼らが知りたがっていた敵の正体についても、『指導聖母』だってちゃんと教えてあげただろう?」
「まさか、敵から教えられると思わないですもんね……」
「もちろんそれだけじゃないよ。僕の長年の調教のおかげか、リリンはいい感じにダメな子に育っているからね。あの子らが一線を越える事は無いんじゃないかなぁ」
「……ご友人の気持ちまで弄ぶ。外道ですね」
「時系列が違うよ。友人を弄んだんじゃなくて、弄ぶために友人になったんだ。あぁ本当に、リリンは可愛いね」
バリアブルは、露骨にため息をつき、頭を押さえた。
自分はどうしてこんな悪人の部下をやっているのだろうと、嫌悪感に襲われているのだ。
そして、迂闊だった自分を責める。
自分の拠点を手に入れて浮かれていたが故の大失態。それを二度と繰り返さないように。
「……バリアブル。僕は、夢を見た事があるんだ」
いきなり意味の分からない事を切り出され、シスターバリアブルは戸惑った。
夢なんて前向きな言葉が、ワルトナから出てくるとは思ってもみなかったからだ。
「……夢?」
「その温かな夢の中で、ユニは僕の頭を撫でてくれた。僕は問いかけられても返事すらしなかったってのに、優しく頭を撫でて一緒に飯でも食おうって言ってくれたんだよ。それから、僕はユニの所有物になった。僕の人生は彼の為にあるんだ」
「彼からはそんな雰囲気は感じられませんでしたが?」
「記憶を無くしているんだよ、ユニはね。……とても悲しい、ありふれた悲劇を無かった事にする為に」
「ありふれた悲劇……?あなたは何をしようとしているんですか?私の仮説が正しければ、それは――」
「神の理をも足蹴にする禁断の行為だろうね。でも、そんな論理感はどうでもいいんだ。僕はただもう一度、あの温かな手で、頭を撫でて欲しいだけなのさ」
ぞくりと背筋が凍りつき、バリアブルは後ずさる。
ワルトナの深い笑みを見て、本能が悟ったのだ。
関われば、人生を使い潰されるだろうと。
「……ところでシスターバリアブル。キミにはお仕置きを兼ねて任務に赴いて貰うと言っていたよね。今から向かって貰う事になるから宜しく」
「はぁ。もう逃げられない運命だという事ですか。……その任務って、死にます?」
「あぁ、相応に危険だね。だって、手を抜いたら僕がキミをぶち殺しに行くからね」
「それほど重要な案件ですか……。はぁ……」
「キミにはこの『ゆにクラブ』カードに記された”偽ゴールド”について調べて欲しい。このカードはね、神の力で創られたものだ。数が増えるなんて絶対にあり得ないはずなんだよ」
「神の力……もしや、『神の情報端末』ですか?もし、そんな物に干渉出来たとするならば、それは神の力を宿す者の仕業という事。……あぁ、分かりました。私に死ねと言っているんですね?」
「賢いねぇ、バリアブル。このカードは正真正銘『神の情報端末』で作られたものさ。でも、キミなら調べてくれると信じているよ」
シスターバリアブル。
以前は指導聖母・悪典としてこの大書院ヒストリアを治めていた人物だ。
彼女の戦闘能力は、無いに等しい。
せいぜいがいっぱしの冒険者をかろうじて抜きん出た程度で、それなりの強者と真っ向から戦えば簡単に競り負けてしまう。
だが、彼女は不安定機構”黒”の中でも上位の立場にまで上りつめている。
それは類稀なる記憶能力と知識、そして卓越した判断能力があっての事だった。
そして、その判断能力が彼女に訴える。
ここでの選択肢は、肯定が正解であるのだと。
「分かりました、引き受けますよ。それが最も最善手ですから」
「本当に賢くて嬉しいね。さぁ、これで懸念にも対策を打った。後は実行に移すだけだ」
その言葉を聞き終える前にバリアブルは歩き出す。
そうと決まれば一刻も早くここを出た方が良い。情報は一秒の違いで失われる事があるのだと、バリアブルの経験が語っているからだ。
扉を後ろ手に閉めながら振り返ると、いまだ席についているワルトナの声がシスターバリアブルの耳に届いた。
「今度はキミが、僕の物になっておくれよ。僕の大好きな、ユニ……」
唐突な次回予告。
次回から、ユニクルフィンサイドに戻ります。
『普通の冒険者の冒険編』スタートです!