第17話「影リリン」
「さぁ、お遊びはここからだ。ここは僕の感じた感覚、僕の見た景色、僕の世界。全てが揺らぎ形の無い不安に満ちたこの空間で、キミは何を導にして生きるんだい?」
「さぁな。よく分からねぇから、これだけは間違いないと思う事だけ言っておくぜ。……危害を加える気、満々じゃねぇかッッ!!」
「くすくす。そういうマイペースなツッコミもすごくキミらしい。まぁ、せめての情けに教えてあげると、この空間では『全ての現象が揺らぐ』。せいぜい気を付けたまえよ」
俺は今、絶体絶命のピンチに身を置いている。
ワルトから放たれた魔法をなんとか処理し、動揺を誘おうと心理戦を仕掛けたのが最大のミス。
俺の言葉は軽くあしらわれ、そして、ワルトは普通の『テンプレ魔導師』から『心無き魔人達の統括者・戦略破綻』へ変貌を遂げてしまったのだ。
当然、その言葉には実力行使が伴う。
ワルトは《大規模個人魔導》を発動させ、あろう事か現実までも捻じ曲げたらしい。
見渡す限り一面の、床、壁、天井の全てが水面のように波打ち、俺とワルトが立つ足元からも波紋が広がっている。
壁や天井まで波紋が広がっては乱反射する光景が俺の不安感を激しく刺激し、やっちまったな……と後悔を抱く。
……どうみても、悪魔な魔法です。
どんな効果があるか全く想像できないが、ワルトのヒントじゃ『全ての現象が揺らぐ』らしい。
もう少し情報が欲しいな。探りを入れるか。
「こりゃまいった。二日酔いみたいだ」
「おや?お酒を飲んだ事があるのかい?いけないんだー」
「……あれは、事故だったんだ。村長の野郎が……、ってそんな話をしたいんじゃねぇよ!この気持ち悪い空間が二日酔いに似ているって話だ」
「二日酔いねぇ。カミナも似たような事言ってたし、そうなんだろうね。で?なにが言いたいんだい?」
「……あわよくば、情報をこぼさないかなーって」
「なんだい、そういうのが欲しかったのかい。しょうがないなぁ……教えてあげるよ」
「教えてくれるのかよ!!」
え!?いくらなんでもサービスし過ぎだろ!!
そんな事をして、ワルトに一体何のメリットがあるんだ?
「この空間では現象が揺らぐ。それは言葉通りの意味だ。ちょっとそこでジャンプしてみなよ。何回か連続でね」
「……?いち、にぃ、さぁんんぉおうッッ!?!?」
俺はワルトに言われたとおり、その場で軽く飛んでみた。
一回目。地面に体が沈みこむ感覚。普段より飛べない。
二回目。逆に今度は地面から反動が来ていつもより高く飛んだ。
三回目。これも二回目と同様、いつもより高く飛んだ。……あとついでに雷光槍も飛んできた。油断も隙もありゃしない。
「ふっざけんな!いきなり攻撃してくるんじゃねぇよ!!常識ってもんを考えろッ!!」
「いやいや、戦闘中に相手の言いなりになるキミの方が非常識だろう。馬鹿なの?」
「確かにその通りだが、このタイミングで言われるとものすごく腹が立つ!!」
だがこれで、ワルトの思惑がはっきりしたぜ。
ワルトは勝敗よりも、面白い展開になる方を選んでやがる。
そして俺は、戦略破綻さんの掌の上で踊らされているって事だ。
……舐めやがって。それならば、こっちも利用させて貰うぜ。
「だが、ワルトが意図した事は分かったぜ。確かにジャンプした結果が揺らいだ。つまり、通常の事象をゼロとして、プラスかマイナスかの補正地が掛るってことだろ?」
「理解が早いねぇ。そう、この空間内では”常識”が消滅する。起こした行動に対してどんな結果が帰ってくるかは運次第で、全ての戦略が破綻するのさ」
「なるほどな……そいつは厄介だ。んで、もう一つ、懸念事項があるんだが?」
「なんだい?僕に答えられることなら何でも答えてあげるよ」
「なんなんだその、理不尽を模したような真っ黒い奴は?……どこからどう見ても、リリンじゃねぇか」
ワルトの横には黒く塗りつぶされた人影が立っている。
その姿というか、シルエットはまさにリリンそのもの。
手に持っている杖だけはワルトの持つ杖と同じものだが、それ以外にリリンと違う所は見当たらない。
表情こそないものの、髪のはね具合やキッチリした服の着方まで寸分の狂いもなくリリンと同じだ。
「この子は、この杖『三つの仕掛けの杖』の能力で作った『操り物質《パペット・マタ―》』だよ。どうだい?リリンそっくりに作ってみたけれど、中々のものだろう?」
「あぁ、惚れ惚れする出来だぜ。で、リリンの姿である事に意味はあるのか?」
「そうだねぇ、この姿ならユニは戦いにくいかもって思う程度かな。あ、でも、そういう事ならタヌキの方が良かったかなぁ」
「リリンでお願いします。……お願いします!」
「なら、リクエストに答えてこのままにしておくよ。ちなみに、本物のリリンより少しだけ胸が大きく作ってあるのは、巨乳フェチなキミに対するちょっとしたサービスのつもりさ」
「いらねぇ心遣いをありがとうッ!!」
「さて、別に教えた所で全く困らない情報を与えた所で、そろそろ戦闘を始めようか」
「しまった。またペースを掴み損ねた!!」
「無理無理。悪辣さで僕に勝とうなんて、100年早いよ」
ちくしょうめ。さっきは10年だったのに。
影リリンに関する重要な情報を何も手に入れられないまま、ワルトは戦闘再開を宣言した。
その刹那、沈黙を貫いていた影リリンは俺目がけ走り出す。
走る速さは、戦闘時のリリンと同様。
飛翔脚と瞬界加速を使った状態と同じで、瞬きの間に俺に詰め寄る。
「っく!やっぱ早い!!」
「…………《氷槌》」
なに!?魔法を使っただと!?
影リリンはグラムが届かないギリギリの所まで近づくと、杖を振りかざし魔法を唱えた。
杖の先から直径50cmの氷柱が出現。
もともとの長さも含めれば3m以上となった杖を、上段から俺の頭に向かって振り降ろそうとしている。
「殺意がむき出しすぎる!だが、迎え撃つ!!」
「……えい」
どう見ても重量100kgはありそうな氷の塊 VS 俺。
普通なら、目を背けたくなる光景まっしぐらだろう。
だが、重力を制御出来るグラムの敵では無い。
突き出したグラムの先端が氷柱に刺さると同時に、重量をゼロにしてそのまま右側にブン投げた。
だが、俺の思ったように飛んで行ってはくれなかった。
右側へブン投げた氷柱と影リリンは、何故か左側へ吹き飛んで行ったのだ。
「……なんでだよ!!プラスマイナス関係ないじゃん!」
「あれ?ホントだねぇ。まぁ、そういう事もあるさ」
このヤロウ……!始めから誤情報を流してやがったのか。
俺は今この瞬間、理解した。
ここから先のワルトの言葉は信用してはならない、と。
「おや?どうしたんだい?タヌキに化かされたような顔をして」
「いや、戦略破綻さんに騙されてな」
「あくまでも僕は嘘をついていないよ。キミが勝手に勘違いしただけさ。それに、これこそが僕、『戦略破綻』の全力戦闘だ。戦闘ってのは何も攻撃力だけが全てじゃない。戦況を掌握し有利な状況を作るのが僕の役割だからね」
確かに、言われてみればその通りだ。
俺は何を文句を言っているんだろうか。
そんな事を言っている暇があったら、真正面から強行突破でも仕掛けた方がいいよな。
「ふっ。」
俺は息を小さく吐いて気持ちのリセット。
倒すべき敵を見据え、思考を開始する。
まず、厄介なのは影リリンだ。
今の所、影リリンの身体能力はリリンに準じたものだが、リリン以上の動きをしないとも限らない。
ワルトの性格の悪さも考慮して、影リリンがいきなり狸に化けるくらいの事は想定していた方が良さそうだ。
次に、目標たるワルトの攻略。
今、俺達がやっているのは『魔導鬼ごっこ』。勝利条件はは第九守護天使を破壊し、素手でワルトに触れること。
これは意外に簡単だと思う。
なにせ、俺の手には魔法ですら切り裂くグラムがある。
グラムの刃を当てて絶対破壊付与を発動させた時点で第九守護天使は破壊されるのだから、耐久力が無くなるまで攻撃をし続けるよりよっぽど楽なのだ。
だがその前に、影リリンが立ちふさがっている。
結局、影リリンを倒さない限りは俺に勝利は無い。
俺は影リリンを見据えて足を踏み出した。
……ぶにょん。
「うわっ!そう言えばワルトの魔法もあったんだっけ……」
走り出してから足に不快感を感じ、咄嗟に視線を地面に向けた。
ワルトの魔法はしっかりと効果を及ぼしているらしく、足が地面に触れるたびに波紋を広げ、不確かな結果を生み出している。
右足で地面を踏む。ぶにょん。移動速度が10%下がった!
左足で地面を踏む。ねぇばぁ。俺のやる気が10%下がった!
再び右足で地面を踏む。ばしゃん。……水。俺のやる気が30%下がった!
再び左足で地面を踏む。ぐるぐるげっげー!俺のテンションが50%上がった!
「うぉぉぉぉぉ!!」
「雄叫びを上げながらの猪突猛進。愚直だねぇ」
「……《雹弾雨》」
影リリンは杖を高く掲げ、氷っぽい魔法を唱えた。
雹弾雨。
聞き覚えのない魔法だが、その効果は一目瞭然。
空中に数え切れないほどの氷の粒が出現し、それらすべてが統率された動きで回り出す。
規則的に反時計回りに回転を始めた氷粒は周りの空気を巻き込み始め、瞬く間に物理的な殺傷能力を秘めた竜巻へと変貌した。
だが俺は、意に介さずに突き進む。
「グラム……道を切り開け」
俺はグラムを竜巻に差し込み乱雑に振り払った。
グラムの絶対破壊の機能が作動して、剣跡に何も無い空間が出来上がる。
そしてもう一度。
今度はより深くグラムを食いこませ、出来たスペースに体を潜りこませながら、何度でも、何度でも、敵に手が届くまで、何度でも繰り返す。
「うおらぁ!」
「あは、凄いよユニ。強引に突破するなんて」
「このくらいやれなきゃ、リリンの前に立てねぇからな。さて、グラムで斬れば影リリンも消えるんだろ!?さっさと決着を付けさせて貰うぜ」
「おや?意外と躊躇ないんだねぇ。そんなそっけない態度じゃ、嫌われてしまうよ?」
「……。」
俺は竜巻を切り抜け、影リリンへ迫る。
杖を高々と掲げていた影リリンは、グラムの刃先があと数cmの所まで近づいた所で、急速に動きを見せた。
いつも通りの、滑らかな挙動。
連鎖猪や三頭熊と遊ぶ時に見せる細かな足裁きで、見事に俺のグラムを回避しきったのだ。
……なんで影リリンはこの空間の中でいつも通りに動けるんだ?
走るにしたって、足を取られて動きにくいはずだが……?
俺はグラムで攻め続ける振りをして、影リリンの足元に視線を向ける。
あれ?波紋が広がって無い。
というか、足が地面についていない?
「なるほど、空中に魔法で足場を作れば魔法の効果を受けなくて済むのか」
「見破られたか。そのとおり、飛行脚を使って足場を組めば魔法の影響を受けなくて済む。もっとも、その足場自体が魔法の影響を受けて脆かったりするから注意が必要だね」
「解説どうもありがとうってな!」
ワルトは、誇らしげに解説をすると、親指を立てて「ナイス!」とよく分からない挙動をしている。
……なんか凄く怪しい。騙されている気がする。
だがしかし、試してみる価値はありそうだ。
俺は目の前の影リリンへ向かってグラムを振り回し、距離を確保。
隙を見計らって自分の足元に意識を集中させ、魔法を唱えた。
「《飛行脚!》」
俺は未だに、空を踏む事は出来ない。
だが、それは練習をする時間が無かっただけだ。やればできるはずだ。
そう自分に言い聞かせ、意識を磨ぎ澄ましてゆく。
地面の上にもう一枚、ガラスの板があると思うと良い。
リリンがそんな解説をしていたの思い出し、イメージを膨らませて。
四角い30cm四方のガラス板。厚さは俺の体重を支えるくらいだから、えーと、どのくらいだ?
つーか、ガラスの板自体を踏んだ事がないからよく分からねぇんだけど。
理屈とか小難しい事を戦闘中に考えるとか、ほんとに皆、そんな事をやってるのか?
……いや、そんなはずはねぇな。
だって、似たような魔法をタヌキ将軍が使っていた。
あの間の抜けた面のタヌキが使えるんだ。俺が使えないはずがない。
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
「《ふ・ら・い・とぉぉ!!・す・てぇぇぇ・ぷ・ぅぅぅッッッ!!!》」
理屈なんか度外視。要は一瞬でも足場に出来るようなもんが出来れば良い。
ふっきれた俺は、我武者羅に足をバタつかせ、やがて、足裏に堅い何かが触れる。
一度経験すれば、後は早かった。
俺の足は地面に着地することなく空中で留る事を覚え、ワルトの魔法の影響下から脱出したのだ。
「はっ!やればできるもんだな。ワルト、俺は今、空を踏めるようになったぜ!!」
「なんだよー、攻撃魔法を使わないユニ相手じゃこの魔法は殆ど意味がないってのに、アンチバッファまで効かないんじゃ無駄になっちゃうなぁ」
ワルトは若干いらだった雰囲気で杖一振りさせて、影リリンの動きを止めた。
そして、影リリンはゆっくりと俺に視線を向けると、今まで光を灯していなかった瞳を赤く輝かせる。
表情はいつにも増して平均的な無表情。
しかし、輝く瞳の奥には|敵(俺)を映し、ポツリと呟いて、炎っぽい魔法を発動させた。
「……《烈火裂割》」
「壊させて貰うぜ。《重力破壊刃!》」
「……《多層魔法連・空盾―逆行する時間と約束―歪曲する真実の虚偽》」
俺の持つグラムと影リリンの持つワルトの杖が衝突し、バチバチと激しく火花が散る。
だがそれも一瞬のうちに消え去り、空気の焦げる微かな匂いだけが残った。
これはチャンスだな。
俺はそのまま力任せに影リリンを掻き消そうとグラムを押し込む。だが、見えない何かに阻まれた。
この感触は、グラムの切れ味を試していた時にリリンが使った、逆行する時間と約束・歪曲する真実の虚偽。
空盾に対して使用したようだが、この魔法があったとしてもゴリ押しで壊す事が出来る。
このままいくぜ!!
「おっと、僕を放置するなんて悲しいなぁ。混ぜておくれよ《氷界殴打》」
「っく!《幽玄の衝盾!》」
ちぃ、あと一歩の所で……!
俺の背後から現れたワルトナは、両腕で杖を振り抜き、俺の左腹を狙った。
俺はそこに左手をネジこませ、幽玄の衝盾で緊急防御。
右手のグラムの先には影リリン。
左手の先にはワルト。
一瞬の均衡の最中、ワルトとリリンは同時に大きく息を吸い、声を発した。
どうやらここで一気に勝負を決めに行くらしい。
「《……英雄の弟子よ。俺はなぜ杖を取った?》」
「《……その杖を選んだ事こそが心理なのだ。悪しき俺よ。答えなぞ聞かずに知れた事だろう?》」
聞くからに大技の詠唱。
恐らくは一撃で俺の第九守護天使を破壊し、勝利するためのものだろう。
……させねぇよ。
俺はグラムに力を込めて、そのまま影リリンの胸へと刃先を押し込む。
空気を押し出す肺を潰せは、声は出ない。
確かな手ごたえを感じ、これで呪文は続けられまいと確信を得て、そして……
詠唱は、止まらなかった。
「なんでだ、なんで止まらないッ!?」
「《俺は、私は、ただ……止めたかったのだ。焔炎と続く怨嗟の戦を》」
「《さぁ、これで終わらせよう。大地に染みた血の一滴までをも、永劫に凍てつかせて》」
影リリンは無表情だった顔を歪めてリリンらしくない表情を作り、瞳だけで俺に訴えかけて来た。
『……残念だったね、キミの戦略は破綻させてもらった』と。
「ちくしょうッ!《結晶球結界!!》」
「「……発動。《氷終王の槍刑》」」
苦し紛れの、防御魔法。
何か思惑があった訳では無く、本能的に第九守護天使だけでは足りないと感じたが故の判断だった。
……結果的には、その判断は正しかったと言える。
だが、判断は正しくとも、有効では無かったのだ。
氷とは思えないほどに研ぎ澄まされた千万の槍。
その槍が降り注ぎ始めてすぐ、結晶球結界は弾け飛び、消えた。
一秒の後、体を伝う激しい衝撃に危険を感じ、そして悟ったのだ。
あと10秒もしないうちに第九守護天使は破壊される、と。
だが、分かっていても打破する術が見つからない。
そんな俺に構うこと無く激しさを増すばかりの槍の雨の外に、今まで存在しなかった二つの光が見えた。
寄り添う二つの絶望の影と共に。
赤のオーロラを握る影リリン。
青のオーロラを握るワルト。
恐らくはあの鋭い形のオーロラこそが、この『氷終王の槍刑』の本体。
俺の動きを封じている怒濤のような千万の槍撃は、序章に過ぎないのだ。
「うぉぉぉぉぉぉッッ!!」
苦し紛れの、雄叫び。
刻一刻と迫る終焉の時に抗う気持ちを、無理やり高ぶらせるためのきっかけ。
そんな不確かな行動は、俺にトンデモナイ思いつきを閃かせた。
「俺の魔力を全部くれてやる!だから、この状況を打開しろ、グラムッッ!!」
グラムには当然、意思は無い。
だからこの言葉は、俺自身に向けたものだ。
何の根拠もない、唯の思いつき。
だが、俺は絶対の確信と共に叫んでいた。
「……轟け!《重力流星群ッッッ!!》」