第6章プロローグ「神が選んだ獣」
「たぬふぃふふぁ、もふどふふ!!んぐ……」
もぐもぐと口の中に入っている焼きそばパンを飲み込みながら、神は一人でツッコミを入れている。
ついでとばかりによく冷えた麦茶で喉を潤して、ぷはーと息と言葉を吐きだした。
「まったく、世界広しといえど、タヌキと共闘して森ドラを倒した事がある奴なんて、どこを探してもいねーよ!神ですらツッコミを入れざるをえない超展開だよ!まったく!!」
神は予想していなかった超展開に苦言をこぼしつつも、表情はすごく楽しげだ。
それは見尻にたまった笑い涙が、顕著に物語っている。
「そもそもタヌキってのは極端な生物だ。一番上に立つ奴がやる気無いせいで、統治も組織もバラバラ。弱いタヌキはそれこそ生態系の最底辺なくらいに弱いし、強い奴は成り立てホヤホヤのザコ皇種なんぞじゃ相手にならない。ユニクルフィンと一緒に戦った奴は弱い方にしちゃ強いと思うけど、ただそれだけだね。度々現れるソドムが話に絡んで来ると面白いんだけどなぁ」
神はさらに面白いストーリーとして、タヌキ将軍アルカディアを従えているタヌキ帝王・ソドムに期待を寄せている。
かつての世界の覇権を賭けた大戦『 枢機魔導霊王国・ソドムゴモラVSタヌキ』の戦いを思い出しているのだ。
「ま、タヌキはタヌキで気まぐれだし、本筋には絡んで来ないか。それよりも神の因子を持つ人間が出てきたね」
ふむ。と興味深げに顎先に指を当てると、空いている方の手で空間に映し出された映像を操作し、拡大する。
そこに映し出されていたのは……カミナ・ガンデだった。
「見た所……彼女は神の因子を多く持っているみたいだね。カミナなんて名乗れるくらいだし、相当な数だ」
「神の因子というのは、つまり、全知全能であるボクの能力を細かく分けたもの。それはすなわち、神が与えた才能。そして、その因子を持つ人はつまり、神の劣化コピーであるわけだ」
「だけど、それでどうのこうのと言う事は無い。彼女もそうだけど、この世界にはとても多い人数が神の因子を持っている。人間だけだけどね」
「なぜ人間だけなのか。それはボクが地上に長く降臨する為の『器のモデル』にする為で、世界で一番多くの因子を持った人を完全複製したものがボクの仮初の肉体となるわけだね」
「……ま、それも関係ない話か。現状、ボクが神として降臨する予定もないし、器のモデルとして彼女が選ばれる事もない。カミナ・ガンデなんて比較にならない程に多くの神の因子を持った人間を、ボクはもう既にこの目で確かめている。恐らく……彼女ほど神の因子に愛された者はいない」
……なんてね。
そう言って神は再び麦茶を啜り、空間に移し出された映像を切り替える。
「本筋は僕の因子を持つ人間、カミナガンデがメインだった。じゃあ、ボクが直接選び出し、祝福を与えた獣はどうなっているのかな?」
切り替わった映像の先、そこに映し出されていたのは、褐色肌の幼い女の子。
後頭部で二つに結えられたツインテールを揺らしながら、何やら不満な表情でやかましく騒いでいた。
**********
「メシ!メシ!メシ!ハラ減ったのじゃーユールード。はーやーくー」
「あーうるせえってんだよ!食器を叩くな!行儀が悪いだろ!!」
深い森の奥、斬り倒した切り株を机がわりにして、体を突っ伏している少女が一人と、その脇で肉を煮ている男が一人。
少女・ナユと英雄・ユルドルードだ。
その二人の態度こそ正反対なものだが、抱いている感情は共に似通ったものだ。
空腹に苛立ちを見せているナユ。
ナユに苛立ちを見せているユルドルード。
切り株に置かれた直径1mの皿の端をガンガンと叩いているナユと、いそいそと料理を作っているユルドでは、苛立ちの温度差にずいぶんと差がある。
「もー我慢ならん、生煮えでいいから儂の分を出せ、それを食いながら待つとするのじゃ」
「……待つ?何を?」
「無論、料理の完成に決まっておるじゃろ」
「自分の分食っておいてそれ言うッ!?」
コイツ!……と目をむくユルドルードなどお構いなしに、なおの事ガンガンと皿を鳴らすナユ。
その光景にユルドルードは「今日の料理はもの凄く手間をかけて作ろう」と心に決め、目の前の鍋に視線を落とした。
「なー、今なら皿にどんな物を盛られても喰えそうじゃー。多少不味くても文句は言わんからー」
「……俺が食事の礼儀を重んじる英雄様で良かったな。じゃなかったら今頃、その皿に泥でも持ってるところだ」
「泥かのー?ちゃんと味付けしてあれば、それはそれで……」
トンデモナイ事を言いだしたナユに、「流石に泥は喰えねえだろッ!?」とユルドルードは振りかえった。
そこではヤル気なさそうに机に伏しながらも、視線だけは大皿に向けられ「お?」っと声を漏らしているナユの姿。
そんなナユの表情はユルドルードには見慣れたものだったが、一つ見慣れないものが存在していた。
用意していた皿いっぱいに、魔法陣が展開されていたのだ。
「ちょっと待て!?なんだそりゃ!!」
「……空間転移の魔法陣じゃの」
いきなりの異常事態に持っていたオタマを真正面に構えるユルドルード。
卓越した技術があるユルドルードならば、オタマ一つでこの世界の殆どの生物と対等以上に渡り合える。
そして、魔法陣が一際輝きだした。
その光景をごくりと唾を飲みながら、身構えるユルドルード。
どんな状況であれ、油断しないという事が強き者の絶対条件なのだ。
反対に、ナユはまったく警戒などせずに、好奇心のみの瞳で魔法陣を眺めている。
そんな風に二人の視線を集めながらも、粛々と転移魔法は進んでいき、やがて……魔法陣から一匹の獣が召喚された。
「ヴィギルア!」
「……。」
「……。」
「おい、ナユ。ほら、メシが召喚されたぞ。丸々してる良いタヌキだな!」
「……。」
皿の上に召喚されたのは、タヌキだった。
それも、タダのタヌキでは無い。
タヌキを統べる強き者、タヌキ将軍・アルカディアだ。
「いやー助かった。まだまだ料理には時間がかかる」
「……。」
「これで俺も料理に専念できるってもんだな!ふふーん」
「……。」
「さ、ほら、タヌキでも喰って待ってろ。今なら何でも喰えるんだろ?ん?」
「……《根源までの破壊》」
「オタマぁァァァァッッッッ!!」
いつもの仕返しとばかりに、ユルドルードはナユに向かって野次を飛ばした。
ナユはそれこそ、生物ならば何でも喰らう。
それが川で捕った稚魚だろうと、一種族を統べる皇種だろうと等しく平等に美味しく喰らう。
だが、タヌキだけは絶対に喰らう事は無い。
その事をユルドル―ドは分かった上で、野次といて飛ばしているのだ。
その結果、いつもはやられる側だったユルドルードは勝手が分からず調子に乗り、ナユによって手にしていた『強きオタマ』が尊い犠牲となった。
「ふむ、見慣れない顔じゃな。可愛らしい顔立ちをしておるの。して、名前は何と言うのじゃ?」
「ヴィギルア!」
「ほう?お前がアルカディア……いや、今は『アルカ』と呼ばれておるんじゃったか。名前を短くして貰ってよかったの!」
「ヴィギル?」
「して、今日来た理由は定期連絡じゃの?『エルドラド』の奴はどうした?風邪でも引いたのか?」
「ヴィーッギロギア!ヴィギーギルア!」
「なんと、そうなのかの?それは楽しみじゃ」
「……おい、ナユ。俺は未だタヌキ語が得意じゃねえから殆ど聞き取れなかった。が、一つ気になる単語があったんで質問するぞ?」
皿の上からアルカディアを抱え上げ、自分の膝に乗せたナユ。
モフモフで温かな感覚を存分に堪能しながら、ナユはアルカディアを撫でまわしている。
普通に見れば、心安らぐ光景だろう。
しかし、その少女の正体を知るユルドからしたら、恐ろし過ぎる光景だった。
そして、その感情を誤魔化すように、気になった事を口にしたのだ。
「今、『エルドラド』って言ったよな?失われたはずの、不安定機構の宝物庫がある島の名前が、どうしてここで出てきた?」
「なんて事は無い、ソドムゴモラと同じじゃの。エルドラドとは儂が名付けたタヌキ将軍の名前で、当然、島を奪った時に授けたものじゃの」
「なんてこった!伝説クラスの秘宝がよりにも寄って、タヌキの手に!!」
衝撃の新事実が発覚し、驚きのあまり鍋をひっくり返しそうになるユルドルード。
もっとも、そんな事をすればナユの怒りを買い大陸が一つ消し飛ぶので、必死になって鍋を受け止めている。
「……はぁ、過去の事はどうしようもねぇから置いといて、そいつは何を言ってるんだ?報告っていや、ユニクの事だろ?」
「勿論じゃの。なんでもこのアルカは、遊び呆けていた罰として儂に直接報告しに来るように命じられたらしいの」
「遊び呆けていた?」
「そうじゃの。お前さんの子ユニクと見知らぬ女と一緒に、森で狩りをして遊んだらしい」
「何それ!?どうゆう状況ッ!?」
「いや待ておかしい、見知らぬ女ってリリンちゃんじゃないのか?」とユルドルードが口にし、その問いにアルカディアが首を横に振ることで答えた。
そしてユルドルードは、「……え?まじで?」っと言葉を詰まらせている。
「もう一度聞くが、その女ってのは、青い髪の可愛らしい女の子じゃないのか?」
「ヴィギーヴィギルア!」
「違うと言っておるの」
「ユニクの奴……いくら記憶が無いとはいえ、違う女に手を出したのか?」
「ヴィーギー。ギギロギア!」
「それも違うと言っておるの」
「……なに?それは本当か?」
「ヴィーギギロ、ヴュギルア!ヴギィルーア、ヴィギルルア!」
「……っぷ。なんじゃその……とんでもない奴じゃの、お前さんの子はの!」
「は?何だその気になる言い方。良いから話せよ」
ナユは爆笑を始めながら、バシバシと切り株を叩いている。
空腹だとか適当な事を言って不機嫌だった、さっきまでと同一人物だとはとても思えない。
その光景を見て、ユルドル―ドは言いようのない不安を感じていた。
英雄と言っても、恐れるものはある。
そしてその一つが、「ナユの爆笑」。
ユルドルードがその光景を見て心が平穏を保てた事は一度もないと、経験が語っているのだ。
「くくく。ユルドも、お前さんの子を見習うべきじゃの!」
「は?何を言ってやがる?」
「この子、アルカが言うにはお前さんの子ユニクはの……『ロリコンで、ケモナーで、巨乳好き』だそうだの!!」
「……すまん。もう一度言ってくれ」
「何度でも言ってやるの!お前さんの子はぁ、『ロリコンでぇ、ケモナーでぇ、きょぬー好きぃ』……じゃの!!!!」
「どうしてそうなったぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?」
くわッっと眼球を飛び出さんまでに見開き、歯ぐきを全開に見せながらの驚愕の声。
その風圧で目の前の薪が爆裂し、深い森の中を突き進んでいく。
そして断崖絶壁に突き当たり、新たな洞窟が15個も生成された。
なお、鍋の中身は無事。
ナユが防御魔法を張り、世界一丈夫な鍋が誕生したからだ。
「……なぁ、ナユ。ちょっと聞いてくれよ……」
「なんじゃの。急に改まって」
「いやな、昔のユニクは相当にマセガキだったんだ。両手に花どころか背中にまで背負い込んで、『三人まとめて、俺の嫁にする!!』とか言っちまうくらいだった……」
「それは相当じゃの」
「それでもよ、親としちゃ応援してやりたくてな。リリンちゃん達も、嫌じゃなさそうだったし」
「ふむ、お前さんも相等の親馬鹿じゃの」
「まぁ、それを聞いたアプリコットの奴が激怒して 「私もね……娘たちの幸せに理解が無いわけじゃありませんよ?ですが流石に欲張り過ぎでしょう?ええ。こんなに可愛い、世界一可愛い私の娘たちを根こそぎ皆、手に入れようだなんて……。ユルド、私と決闘しなさい!今すぐにです!!」 とか言いだして、魔法次元まで出向いて決闘したのは良い思い出さ」
「なんじゃ、娘の親も親馬鹿じゃったか。しかも、ド過ぎた大馬鹿じゃの。個人のケンカで魔法次元に出向くとは、果てしない大馬鹿じゃ」
「あぁ、そうさ。それなのに……。真っ当に育ててやれなくて御免な、ユニク。今この瞬間、育児放棄したのを初めて後悔したぜ……」
「ま、そういう風に育てたホーライが悪いの。儂的には願ったりだがの!」
「………………。確かにッ!!おい、じじぃ、なんて事してくれてんのッッ!?!?」
ユルドルードはあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”と声にならない声を漏らし、「どうすんだよッ!ノウィンさんにバレたら洒落にならねぇんだけど!!」と絶叫している。
その光景を見て、コロコロと笑いながら眺めるナユと、タダならぬ覇気に身を縮み込ませるアルカディア。
ひとしきり混沌とした時間が過ぎ、段々とその場は平常を取り戻していく。
「儂がこんなにアプローチを掛けても、まったく手ごたえが無いユルドの息子とは思えないの。そら、お前もそう思うじゃろ?」
「ヴィギルア!」
「タヌキに同意を求めるんじゃねえよ。何を言ったって絶対服従だろうが……ん、そう言えば、変だな」
平静を保つために、しょうもない雑談でお茶を濁そうとユルドルードは画策した。
そして、丁度いい題材を見つけたのだ。
ユルドルードは、今も気持ちよさそうに、ナユにブラッシングをされているタヌキ将軍に視線を落とし、「どういうこった?」と疑問を口にする。
……なお、この「どういうこった?」には二重の意味が込められていた。
一つはそのままの意味で、将軍といえども、一匹のタヌキ風情がナユにブラッシングされて気持ちよさそうにしているという事。
もう一つは、ナユがタヌキをブラッシングするのに使っているのが、異次元空間に収納していたはずのユルドルードの櫛だという事。
そして、ナユは前者の問いに答えた。
「ふむ……儂の正体を知らんようじゃの」
「は?タヌキなのにか?」
「儂は放任主義じゃからの。タヌキ将軍如き、儂の名前と顔を知らなくても不思議はあるまい。今も人間の姿じゃしの」
「いや、流石に問題あり過ぎだろ……」
「確かに、これから連絡係をするのに不都合があるかもしれんの。ほれ、アルカ。儂の匂いを嗅ぐが良い」
「ヴィギルア?」
そうナユに促され、疑問の鳴き声と共に、薄い胸元に鼻をよせるアルカディア。
クンクンとひと嗅ぎし、そして……
「ヴィギ……ル……ア……」
「………。」
「………。」
「………おい、タヌキが死んだぞ?……ナユ、お前どんだけクセぇんだよ?」
「失敬じゃの!ちょっと驚いて死んだふりしとるだ……。《命賭した幸運》」
「おい。何しれっと、創生魔法使ってんだ!?しかも、今の確実に蘇生魔法だろッ!?」
「さあの。変な言いがかりを付けるでない」
あぁ、常識が通用しねえと、心の中でユルドルードは苦言をこぼす。
魔法をそれなりに使えるとはいえ、魔法次元乗の隅から隅まで記憶していたアプリコット程では無く、ナユが使った魔法にイマイチ確証が掴めないのだ。
もう少し勉強しとくべきだったかと後悔しながらも、成り行きを見守る事しかできない。
「ヴィギルルるるるるるるる、ヴィギルルるるるるるるるる……」
「一応生き返ったみたいだが、すげぇ動揺しているな」
「ま、始源の皇種に抱かれる機会など、そうあるものでは無いしのー。ブルブルしてマッサージ機みたいじゃ!」
「あー可哀想で見てらんねぇ。どっこいしょっと」
ユルドルードはおもむろにナユに接近し、膝の上で緊張のあまり超振動を繰り出していたアルカディアを片手につまんで持ち上げた。
そしてそのまま自分の後頭部に持っていくと、アルカディアを肩車するように座らせる。
アルカディアは、ナユに対するあまりの恐怖のせいで、抵抗するどころかしっかりとユルドルードの頭に腕を回し、やがてタヌキ頭巾となった。
滑稽なタヌキ頭巾を見てナユが再び爆笑するも、ユルドルードはまったく気にしていない。
「あーこの重量感、すごく懐かしいな。昔はこうしてユニクやリリンちゃんを肩車したものだ」
「タヌキで父性を感じるとは、なんだ、お前さんもケモナーじゃったか」
「人の思い出を土足で踏みにじるような事を言うんじゃねえよ!ったく。ほら、鍋が蒸れていい感じになってるし、とりあえず飯にしようぜ?」
このままだとよくない流れになりそうだと思ったユルドルードは、即座に別のエサをナユの前に放り込む。
その手際は、ずいぶん慣れたものだった。
……もちろん、続きます。