第218話「羨望の無尽灰塵⑥」
「歯を食いしばって!!」
「え」
ドスゥっと響く、殴打音。
無抵抗な腹に突き刺さった杖での渾身の薙ぎ払いは、ワルトナのみならず……、バランスを崩したリリンサも前に倒れ伏した。
「げほ、げほ、……リリン、重い」
「重くない」
「どいて」
「どかない」
互いに前のめり――、抱き着くように体を重ねた二人、だが、杖を振るった勢いがある分、リリンサが優勢となった。
そのまま大地に押し倒し、ワルトナの両手をしっかりと握って拘束。
場所が場所なら『百合百合しい』と言われてしまうような、そんな光景も、死力を振り絞った二人からしてみれば気にならなくて。
「約束した。私が勝ったら全て話すと」
「したね」
「そしてワルトナは負けを認めた。だから……、貴女が思っていること、全部、話して欲しい」
馬乗りになった勝者の、懇願。
縋るようなリリンサの問いかけに、ワルトは苦笑を返した。
僕もまだまだ未熟だな。
最期の最後で、手に入りもしない欲望を求めるなんて。
生きたいって思ってしまうなんて、悪意の伝達者失格だ。
「リリン、僕のことが憎いかい?」
「当然」
「そうかい。じゃあ、ちゃんと殺してくれるかい?」
「……絶対に、やだ!!」
リリンサの手の締め付けが強くなる。
『絶対に逃がさない、諦めない』
そんな強い瞳にどうやって勝てばいいんだろう。
そう思うワルトナは、欲する未来の為に、やれるだけのことはやろうと悪辣に笑った。
「僕は無色の悪意の伝達者、君の敵だ。これから先も事あるごとに君を狙う。あの子との幸せなら、なんだって犠牲に出来る」
「うそ」
「嘘なんかじゃないさ。事実、僕は温泉郷を危機に晒した。訪れている人は1万人を下らない。そんな大勢を殺そうとしたんだよ」
「知らない。少なくとも、私は見ていない」
「テトラフィーアやセブンジードが死んだよ。サチナだって重傷を負った、ヴェルサラスクやシャトーガンマも。他にも大勢の人が傷ついたよ。そんな敵をそのままにして良いのかい?」
「レジェやカミナがいる。サチナの時の権能もある。大丈夫なようにしてある、そうでしょ、ワルトナ」
あぁ、ダメだ。
こうなったリリンは止まらない。変わらない。
もう、僕の願いは叶わない。
僕はね、取り返しが付ないんだよ。
今、犠牲が出ていなくとも、過去は違う。
僕のせいで数十万人、いや、もっと多くの人が亡くなった。
あの子だって、君の人生が歪んだのだって、僕のせいだ。
だからね、僕が得ることが出来るハッピーエンドは、償って死ぬことだけなんだよ。
一番の被害者である君に裁かれて、そして、遥か先の未来でいいから許して欲しかった。
死にたくないよ。
でも、生きたくないんだ。
君に、友達に、恨まれながら生きたくない。
「ワルトナは考えすぎ」
「え……」
「色んな事を考えすぎて、訳が分からなくなっている。だからね話して、隠している事実、知られたくない事、つらい感情、全部話して。約束だから」
リリンサには分かっていた。
ワルトナに勝つ気が無いこと、本気で命を狙っていないこと。
私を逆上させて、殺されようとしていること。
5年もの間一緒に過ごしてきたから、顔を見るだけで分かった。
未来を諦めている。私に譲って死のうとしている。
そんなの許さない。
だからこそリリンサは、勝者の報酬として『全ての告解』望んだ。
最後の切り札を使う前の、望んだ未来を確定させるために。
「ワルトナ」
「……だって、ずるいじゃないか」
「ずるい?」
「僕はもう、君やユニの隣にいられないのに。あの子に頭を撫でて貰う資格なんて、最初からないのに。もう、絶対無理なのに」
「それはなぜ?」
「分かってるだろ!!全ての元凶は僕だ。僕を、ワールドトナーを、物語の中心に添える為に……、金鳳花が仕組んだことなんだから」
時系列が違うのだと、ワルトナは言った。
あの子が天命根樹の毒に犯されたから、ユニクルフィン達が旅立ち、ワルトナに出会ったのではない。
無色の悪意をユニクルフィンとリリンサに植え付けるために、天命根樹を仕掛け、20万人のもの人間を虐殺したのだと。
「あの子が亡くなったのも、君の人生が歪んだのも、そもそも僕のせいだ」
存在を喪失させる毒を蟲量大数なら打ち消せる、そういう風に大聖母ノウィンの認識を歪めたのも。
ユルドルードがヴィクトリアに出会わない様に細工をしたのも。
蟲量大数と戦うしかないと、英雄達を唆したのも。
『無色の悪意を植える土壌づくり』
リリンサとユニクルフィンの物語に植え付けた無色の悪意を育てる為、フランベルジュ国を中心とした三国間戦争を起こさせた。
その布石の、レジェンダリアの革命も。
触発された周辺国家の争いも。
数えきれない数の争いに、金鳳花は関与してしている。
名を変え品を変え念入りに……、1000万を超える人間が不幸になったのも。
『無色の悪意の成長を促す為』
「世界中の人が僕を恨んでる。許さない。だけど、そんなことはどうでも良いんだ」
「じゃあ、何が嫌?」
「ひっく、君やユニに嫌われるのは、やだ……」
ポロリと、ワルトナの目から涙が零れる。
重力に従い頬を伝い、そうして出来た感情の大河は留まることなく流れ続ける。
「嫌なのに、こんなことをしたの?」
「だって、ずるい……」
「どうズルいの?」
「キミやあの子がユニと一緒に居るのは良い。まだ許せる。でも、3番目は僕の席だ。でも僕は諦めなくちゃならないのに、他の奴が座るなんて絶対やだ……」
「だから、テトラを巻き込んだ?」
「うん。他の女はどうにかできても、テトラフィーアは無理だった。あの子の思い出がすり替わっているんじゃなく、ちゃんとユニに恋しているから。だから、僕が死んだらその席に座る。死を悼むふりして笑うだろう。そんなの許せる訳ない……」
絞り出したワルトナの声が本音であることも、リリンサには分かっている。
そして、この策謀の強制こそが、無色の悪意に後押しされた結果であると。
「質問する。貴女は知っていてユニクや私を騙したの?天命根樹の正体も、蟲量大数がどういう存在なのかも、金鳳花が何をしようとしているのかも、全部知っていながら、私達と旅をしたの?」
「……知らなかったよ」
「ん」
「違和感は前からあった、だから、アンジュから距離を取って答えを探していた。それが卒業試験のように思えたから」
「確信したのは、いつ?」
「ホーライ様の話を聞いた時。金鳳花、指導聖母・品財、ブルファム王国の出自、ノーブルホーク家とラウンドラクーン家、無色の悪意、カーラレス・リィーンスウィル。一個でも疑わしい情報がたくさん出てきて、そして、その存在の行き着く先は、君だった」
「私……?」
「大聖母の一番の役割は、神と共に物語を鑑賞すること。娘が主演女優の舞台を熱心に見ない親なんていないさ」
「私がヒロインってこと?」
「ははっ、そうだね。そして僕はヒロインを苦しめる悪役なんだ。ユニを、リリンを、あの子を裏切り、最後に断罪される純粋悪。……ひどいよね」
僕だって、ユニに恋をしていた。
リリンを友達だって、本気で思っていた。
あの子も、セフィナも、ノウィン様だって、大切な家族だって、みんな僕が守るべき大切な存在だって、思っていた。
なのにさ、僕は敵なんだよ。
家族の幸せを脅かした、敵。
最初から決まっていた、そういう風に育てられた……、生まれついての敵なんだ。
「こんなの酷い……、あんまりだ……。ひっく、僕だって本当はキミと一緒に居たい、ユニやあの子に頭を撫でて貰いたい。褒められたい。幸せになりたい」
「ワルトナ、あなたは間違った」
「ひっく、何をだよ。間違いようがないだろ、こんな破綻のしようのない人生」
「私に相談しなかった。私じゃダメなら、レジェやカミナ、メナファス。セフィナやお母さんだって絶対に力になってくれる!!」
痛いくらいに握られた手。
そんなものが断罪だったら、どれだけ良いだろう。
ワルトナは、はにかんで笑った。
苦笑、失笑、諦めから来るその笑顔で、力なく、今この瞬間に全てが終わってしまったかのように。
「話せる訳ないだろ。……知られたら終わりなのに」
「なんでそうなるの。私はワルトナを嫌いになったりしない!!教えて貰った過去も、全部ワルトナは悪くなかった!!あんな話で恨むなんて出来るはずがない!!」
「そうじゃない、そんな簡単な話じゃないんだよ。人の心は」
「心って何?私がワルトナを裏切るって思ってるの?」
生きていれば、心変わりなんて何回でも起る。
米を食べに入ったお店で、展示されていたパンとスープにつられて、つい頼んでしまった時の様に。
ほんの些細な感情の揺らぎは、人である以上、絶対に失くせない。
そしてね、僕も君も、その時にこう思うんだ。
「また……?」 って。
君が狙っていたケーキを僕が食べちゃった時、ユニに構って欲しくて策謀を巡らせた時、僕が先にユニの子を授かった時。
ほんのちょっとの嫉妬のせいで、君は僕を疑うだろう。
無色の悪意に踊らされたと分かっていても、それを許したつもりでも、疑ってしまう。
「そしていつの日か、君は僕を嫌いになる。だって僕の罪は、言葉で許してお終いなんて軽いものじゃないから」
「だから、諦めるというの?」
「そうだよ。数年後、リリンやユニに見捨てられる。そんなことを考えただけで、足がすくむ、心が裂けそうになる。……そうなるくらいだったらさ、思い出の中だけでも一緒に居たいって思ったんだ」
これで全部、言ってしまった。
隠していたもの全部、知られたくない過去も、あさましい感情も。
これでもう、おしまい。
リリンは僕を許せないだろう。
その証拠に、僕の手からリリンの手が離れていく。
やだよ、寂しいよ。
どうして、どうしてだよ、リリン。
どう転んでも僕は幸せになれないのなら……、君の手で終わりたかったのに。
「ワルトナ」
「ぐすっ……、はい」
「私は諦めない。だって、あなたの悩みなんて、簡単に解決できるから」
ワルトナが見上げる先で、リリンサが自分のポケットに手を入れる。
取り出されたのは、小さな箱。
そして、そっと蓋を開け、美しい布に包まれた金色のペアリングを見せた。
「これはユニクから貰った指輪。初めてのプレゼント」
「……やっぱり僕のこと嫌いなんじゃないか。自慢なんて」
「違う。これは絆の証明。使用者の心を繋ぐ、神すら欲した真実と締結の指輪」
リリンサはワルトナの手を取った。
そして、自分とワルトナの左手の薬指に、それぞれ指輪をはめる。
「もう、ワルトナには嘘をつかせない。これから先の未来は、楽しい時も、健やかな時も、病める時もずっと一緒」
あまりの急展開で固まるワルトナを差し置いて、リリンサは再び手を重ねる。
互いの左手にはめた指輪が、カチリ。と音を立てた。
「《覚醒せよ、神欲輪廻・ゼーヴァオート》」