第217話「羨望の無尽灰塵⑤」
「《鎮魂の雨奏》」
動作不良を起こした魔神の脊椎尾が、重い。
リリンサの戦闘を支えてきた超兵器も、駆動系が機能不全してしまえば、ただの足枷でしかなくて。
バランスを崩したリリンサの視線の先で、ワルトナが弓を引き絞っている。
弦を引き、尾羽を手放し、放たれた矢が向かうは――。
「……い、ご、に!!」
① ⑤ ②、それはエアリフェードから貸し出されている五十一音秘匿へ向けた命令。
それぞれ大規模殲滅魔法を収納している未確認飛行物体が、リリンサのマントの裏から出現。
一切の出し惜しみ無しの全力投入、それを行わせたのは、ここが勝負所だというリリンサの直感。
「おや?エアリフェード様の世絶の神の因子じゃないか」
両者の中央で炸裂した大規模殲滅魔法により、周囲の空気が熱膨張。
矢とリリンサの両方を押し戻し、結果、首を掠めることなく遠ざかった。
「なぜそれを君が持ってるんだい?」
「貰った!!」」
疑問の声を上げたワルトナ、だが、既にそれに向けた興味を手放している。
エアリフェードの正体を知っているワルトナは、五十一音秘匿がどんな能力かを既に理解しているのだ。
『魔法すらも収納できる便利ボックス』
転じて、アホの子に持たせておくと碌な事にならないビックリ箱。
そんな悪態を心の中で吐いた瞬間には、全ての未確認飛行物体にシェキナの矢が突き刺さっていた。
「貰った、ねぇ?いつまでも経っても、他人の力を使うばかりで成長が無い」
「む”ぅ!?」
全機墜落した未確認飛行物体が炎上する中、ワルトナが妖艶に笑う。
クリスタルに映し出されている過去――、薄汚い盗賊を見下した時と同じ、ゴミを見るような目で。
「魔神シリーズも、タヌキの権能も、魔法も、そして命も、君が持っている物は全て借り物だ」
「そんなこと……、ない」
「じゃあ、何割だい?一割?二割?そんなに少なくないだろう」
「そんなの、知らない」
「考えた事もない……だって?ははっ、これはこれは、トンデモナイ太々しさだね。僕が、ノウィン様が、レジェが、カミナが、メナファスが、ユニが、そしてあの子が貸した力があったからこそ、ここに立ってているんだろうに」
――揺らせ。リリンの感情を。
もっともっと、理性なんて消し飛ばしてしまうくらいに。
僕が想像した未来を、創造する為に。
「リリン。いい加減、返しなよ」
「……何を?」
「全部だよ。今の君が持つ幸せの全て。あの子が得るはずだった人生と思い出を、返せっ!!」
言葉尻を強めた恫喝と共に、無数の矢が虚空を切る。
リリンサを傷つけ悲しませる言葉こそが、ワルトナにとっての最大の武器。
激昂した感情は視界を狭め、理性と戦略を喪失させる。
そして、鋭い犬歯を噛み鳴らしたリリンサの咆哮と共に、魔神の右腕が振りかざされた。
「なんで、そんなこと言うの……、ワルトナァーー!!」
リリンサががむしゃらに振り回した魔神の右腕が、迫る矢を切り刻んだ。
悪食=イーターによる観測と演算によって、リリンサの身に及ぶ矢を自動で迎撃するように補正が掛かっているのだ。
感情に身を任せ、細かい動作に荒さが目立つようになっても、リリンサは勝機を見失ってはいない。
『ワルトナの身体に直接、一撃を叩き込む』
戦略は至ってシンプル。
だが、それを実現させるには、ワルトナが立つ城壁を崩さなければならない。
「さんざん言ったじゃないか。僕とあの子の為に死んでくれ、リリンッ!!」
ワルトナが言葉を重ねる度に、リリンサの激情が沸き立っていく。
嫌い、嫌い、嫌い、嘘つきのワルトナなんか、大っ嫌い。
そんな嘘までついて私を怒らせたいというのなら……っ!!
「《五十重奏魔法連×五十重奏魔法連×五十重奏魔法連ッ!!》」
「想像力に長けた僕の前で、同じ技を二度使うとは。愚かだねぇ、疎かだねぇ」
12万5000発に分裂していく魔法陣が天に輝き、二人ぼっちの世界を照らす。
悪食=イーターの演算では、リリンサの最大最強技である拡張魔法を適用した魔法の瞬間的火力は殆どの神殺しを上回る。
だが、それは、対策されなければの話だ。
「《鏡花月の雨》」
リリンサが好む魔法をワルトナは知り尽くしている。
『雷人王の掌』
最もお気に入りな大規模殲滅魔法が来る、そんな想像をしたワルトナの読みが――、破綻した。
「《魔導書の閲覧!!》」
「なんっ……」
「く、ら、えっ!!」
分裂していく魔法陣の中に召喚された、リリンサがワルトナと協力して集めた100冊以上の魔導書。
その一つ一つに、思い出がある。
現在進行形でクリスタルに映し出されている光景の中、手に入れた魔導書を抱いたリリンサとワルトナが、朗らかに笑う。
「流石はアホの子、僕の想像を軽々と越えてくる!!」
鏡花月の雨は、雨上がりの水溜まりの様に魔法を写し取り跳ね返す矢だ。
規模の大きい魔法であればあるほど鮮明に複製できるそれは、リリンサの拡張魔法に対する切り札としてデザインしている。
12万5000発の魔法陣、それらがランダムに100以上の魔導書を写し取った。
鏡花月の雨という対策を用意したワルトナ、いや、使用者のリリンサすら把握できていない、真の意味での暴虐。
何が起こるか分からない。
そんな筆舌しがたい破壊が、二人がいる地面に向かい落下する。
「やけっぱちかい?良くないねぇ、欲求不満だねぇ」
破壊の渦中を走り回って距離を取ろうとするワルトナと、追い詰めるリリンサ。
互いに魔法を避け、撃ち落とし、切り裂き、砕け散っていくクリスタルの中を駆け巡っていく。
「今、君が蹴飛ばした思い出は、始めてレジェに出会ったサーカス」
「んっ」
「その横はトマトリベリオン、そっちは一緒に受けた不安定機構・黒の試験、あぁ、ドラゴンフィーバーもあるね」
「みんな私の大切な思い出」
「僕の、だろ。今までは君と、これからはあの子と、一緒に過ごした僕の思い出だッ!!」
苛立ちを態度に出した、強引な乱射。
360度全方向に向かい放つ飽和攻撃によって、咲き乱れる魔法が一斉に撃ち消える。
キラリ。
ワルトナの背後で光った何か、それは、右手を振り上げ特攻を仕掛けようとしているリリンサ。
やれやれ、なんて雑な攻撃だ。
秘かに溜息すらついたワルトナは弓を引き絞り――、その想像が間違いだと気が付いた。
「……魔王の幻覚かッ!!」
「《悪なる私が命じる、ワルトナを、全力で、ブチ転がして!!》」
昔使った認識阻害の仮面を脱ぎ捨てながら、リリンサは魔王に命令を下す。
囮として使った魔神の首冠を除く、残り5個を尾に集約させ、破損していた駆動部を再起動。
思いの丈を込めたありったけの一撃を、ワルトナに。
「《篠突く雨ッ!!》
一本一本に力の限りを込めた、無数の矢群。
欠け、砕け、蜂の巣の様に変貌していく魔神の尾、それでも、命令を遂げようと突き進む。
「いっけぇええええええ!!」
「させるかぁあああああ!!」
ワルトナに辿り着くまで、あと、1m。
最も良い結果を出した魔神シリーズ最後の欠片に矢が刺さり、自律行動不可能な残骸となって終える。
事前に受けた破損さえなければ、届いたかもね。
そんな感想を零したワルトナの右手が弾けた。
「つぅ!!」
「《食べ尽くして、悪食=イーター!!》」
咲き乱れる魔法も魔神シリーズによる特攻も、ブラフ。
リリンサは状況を分析するソドムの悪食=イーターを残し、ゴモラの悪食=イーターを収納していた。
そして、もっともワルトナの警戒が緩む、『私が失敗した直後』に狙いを定め、シェキナの強奪を狙ったのだ。
ワルトナのすぐ横に出現させた悪食=イーターが、無防備なシェキナに食らいつく。
音を発する弦に刃を食いこませて振動を封じ、そのまま手ごと食い千切らんと嚙合わせる。
ギリギリのタイミングで手を離せたワルトナ。
されど、シェキナとの接続が切れたことにより、神殺しから得ていた恩恵すらも手放して。
「《サモンウエポン=聖刻杖・ルーンムーン!!》」
走り寄ってくるリリンサが杖を召喚する。
使い捨てると決めた魔神シリーズから回収していたのだろう、その輝きには一片の曇りもない。
そして、そんな光景を見たワルトナは、心の底から……、嗤った。
そうだよ、リリン。それでいい。
僕は見ての通りの丸腰さ、なんなら、防御魔法の一つすら掛けちゃいない。
どんな魔法でも叩き込まれれば、全てが終わる。
お別れだね。リリン。
寂しいけれど、後悔はないよ。
だってユニと約束しているからね、全部終わったら、僕の頭を撫でてくれるって。
何度も、何度も謝ってくれるって。
僕の死を、悼んでくれるって。
これが僕の、最期の悪辣。
『友達殺し』
悪意の染色者として贈る、忘れられない最低のプレゼント。
ずっと悩んで。僕を忘れないで。でも幸せになって。
これが僕の望み。
無色の悪意に煽られた、僕が求めた最高の未来。
そして君は……、君らは、また僕を置いて……?
「……嫌だ。そんなの。僕だって、本当はっ!!」
既に覚悟を決めたはずだった。
この戦いでリリンサに敗北し、覆せない死を受け入れる事で、今までの罪を雪ぐ。
『ずっと騙していたけど、復讐もされた』
人生を歪めた罪には、人生を以て償いを。
それが、ワルトナが出した答えだった。
だからこそ、自分でも理解できなかった。
なぜ、この手に魔導杖なんか握っているのか。
「《サモンウエポン=黒杖・ススキ!!》」
それは、思い出の中で何度も振るった、ワルトナの相棒。
リリンサの青白い星杖・ルナと対になる様に選んだ、黒と金で彩られた魔導杖。
「わ、る、と、なぁあああ!!」
「リリンッ!!」
互いの距離は5m、魔法の打ち合いをするには無いに等しい距離だ。
リリンサが振りかざした杖の動きに従い、雷光槍が迸る。
だが、ワルトナが用意した氷結槍が迎え撃ち、両者対滅。
吹き上がる湯気を纏わせて、二人ともが口早に魔法を唱えていく。
それはまるで、思い出を確かめ合うように。
時には重ね、時にはぶつけ合ったそれぞれの得意魔法。
条件反射で対策を用意できるのは、リリンサはワルトナを、ワルトナはリリンサを、互いに熟知しているから。
「《超高層雷放電!》」
「《磔刑の氷樹!》」
今回も互角、炸裂する氷と雷の礫が周囲を蹂躙するも、致命傷にはなり得ない。
そして、打ち合わせた訳でもなく、二人が同時に詠唱に入る。
それぞれがお気に入りの大規模殲滅魔法。
使ったそこが歴史の展開点となって来た、そんな思い出を。
「《雷界に渦巻く生よ、覚めよ―、雷陣・起動》」
「《氷界に吹雪く死に、眠れよ―、氷陣・起動》」
「《我が古より相対する盟友よ、お前が求めるものはなんだ?》」
「《永遠・繁栄・戦い。なんであろうな?いつぞやに、忘れてしまったものだ》」
「《ならば教えてあげる。その願いは、温かな感情。凍てついた心を溶かす光の温もりだ》」
「《戯言だね。だが、もしそうであるというならば、示してみせろ。お前の『願いの雷槍』で》」
「「《生誕の雷光よ、臨終の氷塊よ、今、一つとなり願いを勝ち取れ!!》」」
「《雷人王の掌!!》」
「《氷終王の槍刑!!》」
交錯する雷氷。
吹きすさぶ熱と冷気の蹂躙。
互いに満身創痍、度重なる魔力の酷使によって、まともに立っているだけで精いっぱいで。
そして、ほんの少しだけ、リリンサが勝った。
勝敗を分けたのは、24時間以内に使用した魔法を低コストで発動できるという、聖刻杖・ルーンムーンの能力。
「私の勝ちだよ、わる、とな……」
「あぁ、そうみたいだね。リリン」
「覚悟、して……」
ルーンムーンを振りかざし、リリンサが口を結ぶ。
使う魔法は、やっぱり、雷光槍だろうか。
なんだっていい、最期に友達の勇姿を見られるなら。
「歯を食いしばって!!」
「え」
ドスゥっと響く、殴打音。
無抵抗な腹に突き刺さった杖での渾身の薙ぎ払いは、ワルトナのみならず……、バランスを崩したリリンサも前に倒れ伏した。