第210話「愛情の戦略破綻⑨」
「ワルトナ。貴女はユニクルフィンに対して、特別な思いを抱いていますね?」
「えっ……」
むぅ”!
大聖母ノウィンの正体がダウナフィアであると認識した今、目の前で繰り広げられている光景は実母が娘の恋敵に探りを入れている様にしか見えない。
流石にお母さんでもどうかと思う……と、口をもごもごさせながら、だが、ワルトナの困り顔が珍し過ぎて目が離せない。
「えっと、その……、はい」
「ふふ、責めているのではありませんよ。ユニクルフィンと添い遂げるために頑張っていることも、大変に微笑ましいものです」
「む”ぅ!?」
む”ぅ!?
今度のうめき声はワルトナとシンクロし、二人ともが苦々しい顔をした。
リリンサが暫定ラスボスなら、大聖母ノウィンは超絶難易度の裏ボス。
真っ当に戦って勝てるはずも無く、事前準備を駆使してようやく対等になる……、そんな存在がチート防止プログラムでガチガチに固められているような状況に、思わず涙がこぼれそうになる。
「ノウィンさん、ワルトが困ってる。手加減してやってくれ」
「ふふ、そうですね。この状況は手当たり次第に女性に粉を掛けたユニクルフィンとその親に責があること。ワルトナは被害者の一人でしかありませんものね」
「むぅ”!?」
「む”ぅ!?」
む”ぅ!?
今度のうめき声は三重奏。
野太い成人男性の重低音な声が虚構礼拝堂に響き渡る。
「それはともかく、ワルトナ。貴女のその感情は、ユニクルフィンだけに向けた純粋なものではありません」
「……はい?」
大聖母ノウィンが切り替えた声のトーンに合わせ、室内の雰囲気に規律が戻る。
静かに、そして、張りつめた空気を感じ取ったワルトナは、ワザとしていたユルドルードへのじゃれ合いを止めた。
「それはどういう事でしょうか?ユニを好きな気持ちに嘘なんてありません。あ、好きだけじゃなくて、ちょっと妬んでるとかそういう事ですか?」
「いえいえ、感情とは複雑なもの。清濁あって当然であり、それら全てを総合して『好き』となるのでしょう」
「じゃあ……」
「全ては私に責があること。そして、ここから先は私の咎の告解です。初めに、これから先の未来でリリンサとの同行を拒否しても、いかなる罰を与える事は無いと宣言いたします」
大聖母ノウィンが頭を下げる。
そんな光景をワルトナは一度たりとも見たことが無かった。
それは、向かい側に座っている金鳳花も同様、交わされた視線に映っているのは、驚愕に染まった互いの顔。
「指導聖母・悪才を同席させたのも、ワルトナが私やリリンサと決別する未来を選んだ際に後ろ盾になって頂く為。少々過剰な教育費を支払ったのはその為です」
「条件を後から追加するのは、褒められるビジネスではありませんね」
「では、別契約を結びましょう。前回と同じ金額を、もう一度お支払いするという条件で構いませんね?」
やめてぇ!!これ以上、借金を増やさないで!!
悲痛な叫び声をあげそうになったワルトナと、脳内で計算をする金鳳花。
そして二人は、同意の握手を交わした。
「ワルトナ、貴女がユニクルフィンに向けている恋慕の情には、別の人に向けるべき感情が混じっています」
「え……?」
「先だって管理を任せたユニクラブカード、そこに封印されている記憶は彼だけではありません。あなたやリリンサ、セフィナ、ユルドルード……、メンバーに登録されている者以外にも、多くの人の記憶が封印されています」
核心に触れようとするその声に、リリンサは食い入る様に聞き耳を立てる。
置かれている状況――、これが隠れているワルトナを探すゲームであることを忘れるほどに。
「その記憶はとある人物、私にとって最愛の一人と言って差し支えない存在に関するもの」
「ノウィン様……、もしかして、僕にとっても大切な人ですか?」
「っ!!えぇ、そうです。思い出の中の大きな存在を取り除いてしまうと記憶に影響が出ます。それに対する措置として、近しい存在……、ユニクルフィンが行った事として認識をすり替えてあるのです」
「じゃあ……、ユニとの思い出の何割かは、その子と一緒にしたってこと?」
「そうです。それを行ったのは私と夫のアプリコット。他者の記憶を歪めるという禁忌、それを犯してまで手に入れたい未来があったのです」
リリンサは、ユニクルフィンと過ごした思い出を失っている。
大聖母ノウィンの話では説明が付かない、だが、情報を整理すれば答えを導き出すのは簡単だった。
① 思い出の中の大きな存在を取り除いてしまうと記憶に影響が出る
② 近しい存在……、ユニクルフィンが行った事として認識をすり替えてある
だからこそ、取り除かれた記憶の中にユニクルフィンがいない場合、すり替えは発動しない。
そして、リリンサは――、『あの子』がユニクルフィンと出会う前からの親しい関係だと理解する。
「発端は、セフィロトアルテに植物の皇種が誕生したこと。当時の私の家族が住む街であり、そこにユニクルフィンは頻繁に遊びに来ていました」
「ユニが……。それで!?」
「ユルドルードと旅をしているユニクルフィンは、圧倒的な戦闘力を有しておりました。私の娘達と遊ぶ時は手加減に苦慮し、結果的に負けてしまう。そんな日常でしたよ」
「ユニ、優しいもんね」
「愚かなことに、私は多大な期待を抱いていました。彼もまた、娘達と同じ7歳の子供であることを忘れて」
7歳の子供。
リリンサはその時の記憶を、ほとんど覚えていない。
あるのは母や父、セフィナ――、家族で遊んだ記憶のみ。
「セフィロトアルテの中心に生えている天命根樹。シンボルでしかない木が突如として意思を持ち、街に攻撃を行いました。今のワルトナなら分かるでしょう、皇種の攻撃がどういう物であるのか」
「……想像を絶する被害、ですか」
「結果的には人口の2%、20万人ほどの犠牲者で済みました。この結果は良好、いえ、最も幸運な結果であったと大聖母である私は宣言しています」
「え、だって、それは……」
「そうです。割合など被害者と遺族には関係がない。ですが、被害減少に尽力なさってくださったユルドルードやユニクルフィン、そして多くの冒険者への感謝を軽んじる、それは許されざる行いです。当時の私は街にすらおらず、ただ、事後報告を聞いただけだったのですから」
僅かに強くなった語尾。
テーブルの下で握られた拳。
大聖母ノウィンの後悔は、どこまでも深く、果てしなく。
「2%という被害の少なさは、天命根樹の異変に気が付いたユルドルードが、攻撃の98%を破壊なさってくださったから。もしも彼がいなければ、被害は」
「だがよ、最上の結果には程遠い。不意を突かれ、手間取っちまった。すまない」
天命根樹が放ったのは、空に逆さまに根付いて広げた樹葉から種子を打ち下ろすという、大規模無差別破壊だった。
原因が分からない異常に対し先制攻撃を仕掛ける、それはつまり、人が敵対を選んだという事実。
もしも、『異常』に敵意が無かった場合でも戦闘が確定する……、だからこそユルドルードは天命根樹の動きを観察し、後手に回るしかなかった。
惑星重力制御で種子弾丸の威力を削ぎ、絶対破壊で消滅させる。
そんな迎撃を放ち、2%も撃ち漏らした。
破壊した種子が撒き散らす花粉に含まれる幻覚作用により、僅かな種子を見落としたのだ。
「大地で炸裂した種子弾丸は、破壊した瓦礫と共に種を水平に巻き散らしました。そして、その災禍に私の娘達とユニクルフィンは巻き込まれたのです」
「ユニでも防げなかったんですか……?」
ワルトナはユニクルフィンの戦闘力を知っている。
それは巨大な化け物やカツテナイ化け物に互角以上の戦いを繰り広げた光景を、ラグナガルムの解説付きで見ていたからだ。
「俺と同じくユニクも失ぱ……」
「ユルドルード、その先を言ってはなりません」
「……そうだな。悪い」
「ユニクルフィンは私の娘達を庇おうとしてくださいました。武器すらない状況です、身を盾にするしか手段は無かったでしょう」
ユニならそうする。
そう思ったワルトナは納得した。
だが、リリンサが抱いたのは、守られるしかできなかったという強い無力感。
「位置的な問題、偶然の産物でしょう。あの子はユニクルフィンよりも種子弾丸に近い所に居た。そして、彼と同様に身を挺して庇おうとしたのです」
「!!ユニを守ろうしたの!?」
「ふふ、彼を負かしてしまうくらい活発な子だったんですよ。互いを守ろうとする優しさ、ですが、運は味方をしてくださいませんでした。あの子は腹部に種子弾丸を受け、出血と共に意識を失ってしまったのです」
皇種は死の代名詞だ。
冒険者と交流を行っているワルトナは、攻撃を受けて生き残っただけで凄いと思った。
「ユニクルフィンの尽力により、即死は免れました。娘達を担ぎ、治療院に駆け込む。困難を乗り越える事が出来た……はずでした」
「……はず?」
「天命根樹の種子弾丸には、体内に受けた攻撃を認識できないという隠蔽能力が込められていました」
「攻撃を受けたのに、分からない?痛いはずじゃ」
「一次被害者は即死、もしくは、傷の深さを認識できずに動き回ったことによる出血死。そして重要なのは、状況分析と解決策を提示したアプリコット――、私の夫も、種子弾丸を受けてしまっていた」
「それじゃあ!!」
「判断を誤りました。死因が最も多いのは、遅行性の毒が起こす人格破壊による生体機能の停止。簡単に言うならば、人を植物人間にしたのちに死に至らしめる毒です」
経済には食べ物……、植物の知識は重要だ。
だからこそ、人間を長期的な栄養素にするための攻撃であることを、ワルトナは理解する。
「襲撃時に亡くなったのは9万人、そして、残りの11万人の怪我人を一か所に収容できる医療機関など存在しません。各国に協力を要請し、セフィロトアルテの人口1000万人の移民を決行。もちろん、重傷者の治療を行った上でです」
「そんなの、僕だってそうします。治療したのなら、後は個人の回復力に任せるしかない」
「私は、あの子や被害者が元気を取り戻していく光景に安堵してしまった。少なからず死亡報告があったのに、そこに目を向けなかった。後発の死亡者が5歳以下の児童に偏っていることなど、気付きもしなかった。愚かです」
「!!」
死亡者が子供に偏っている。
抵抗力が弱い幼児が亡くなりやすいというのは当たり前であり、異常な事態になるまで、大聖母に報告されることはない。
「一度は回復した子供達が、次々に意識を失っている。それは、睡眠時間の長期化から始まり、数分の意識障害、数時間の昏倒と段階を経て悪化していきました。私自身、あの子の異常に気が付いた後で調べ、そこで同様の事態の多発を認知したのです」
「そんなの、気付きようがないです」
「原因を調べようにも手掛かりすら入手できませんでした。攻撃を受けたはずのアプリコットですら、よく分からないと。私自身もあらゆる力を使い調べましたが、徒労に終わりました」
「……でも、さっき、死因は遅行性の毒が起こす人格破壊による生体機能の停止って」
「この世には、人間など比べ物にならない叡智をお持ちの方がいらっしゃいます。その御方であらせられる白銀比様に希望を託しました」
極色万変・白銀比という名は、ワルトナも知っていた。
金鳳花が与えた危険動物図鑑、その中に記述があったからだ。
「ユルドルードやユニクルフィンと共に白銀比様の元を訪れ、事情を話し、あの子を診せました。次第に言葉を詰まらせてゆく彼女の表情を、私は忘れることが出来ません」
「じゃあ……」
「手遅れだと、白銀比様は仰いました。種子弾丸は肉体に溶け込み、記憶を破壊する遺伝子として根付いている。切除は不可能で、私達は最後のチャンスを逃した。もう、あの子やアプリコットの死は確定しているのだと」
「そんな……。でも、だって」
「諦めろと。白銀比様は愚かな私を窘めてくださいました。子を失う気持ちは分かる。何度も泣いたこともある。だからこそ言う。必ず立ち直れる……と」
子の喪失は悲劇だ。
だが、有り触れている。
世界を旅し、人の悲劇に触れてきたワルトナであるからこそ、分かってしまうのだ。
もがけばもがくほど、苦しみは長く続くのだと。
「理屈では分かっていても、まだ、この手に抱くあの子には温もりがある。生きている。私は納得できなかったのです、そして、それ以外を蔑ろにする道を選んだ」
「それが、ユニとおじさんと……、あの子の旅」