第190話「御神楽幸七・久遠竜鬼-こおりおに-蟲の胎動⑤」
「ようやく理解できたようだな。お前達に勝ち目などないと」
身を震わせるサチナを指差し、ダンヴィンゲンに芽吹いた竜顎が嘲笑う。
神の影響を受けていない、世界最強の原生生物、ダンヴィンゲン。
その背に根付いた蕾――、木星竜は吸い上げる養分の高さに紅潮し、饒舌に喋り出す。
「このダンヴィンゲンは、古の惑星竜が束になって勝てなかった王蟲兵を、更に融合させたという尋常ならざる化け物よ」
「……知ってるです。ホロビノが手伝ったことも、その後、エデン達が殺し切れなかったことも」
温泉郷にタヌキが蔓延る少し前、那由他の助言を貰ったエデンとゲヘナは、サチナに会いに行っている。
その時の邂逅の感想は、『カツテナイ』。
時の権能・竜の権能共に未覚醒だったサチナは、遥か高みの頂としてエデンとゲヘナを記憶した。
そして今、目の前の存在がそれを上回っている。
その光景が、信じられなくて。
「答えて欲しいです。ダンヴィンゲンは木星竜兄様じゃ、どうしようもねーはずです。意識=魂=魔力なのは、竜の権能を持つ者ならば誰だって分かるはずです」
「身体に二つの魂がある場合の主導権の話か?笑止、結果が全てであろうとも」
「答えになってねーぞ、です。それとも、雑草脳じゃ説明できねーです?」
エンシェント・森・ドラゴンの逆鱗、『雑草扱い』。
サチナは、わんぱく触れ合いコーナーに出没する森ドラをなだめた時に聞いた禁句を叩きつけて煽り、激情を呼び起こす。
「良いだろう、そこまで言うのなら答えてやろう。なぁに簡単な話よ、ダンヴィンゲンは自ら私との融合を望んだのだ」
「ありえねーだろ、です」
「くっくっく、一寸の虫にも五分の魂とは言うが、所詮は淺知恵。私が敗北した場合はこの身をくれてやると言ったら、無言で私の背に座りおった。養分にされるのを承知の上でなぁ!」
「もう、救いようがねー、です」
そう零したサチナの表情は、路傍で死にゆく者を見つけた時のソレ。
温泉郷には、人生の最後の思い出を作りに来る者が混じっている。
「……ダンヴィンゲンの望みは、時と命の権能をサチナから奪うこと。木星竜兄様は唯の過程です」
「は?」
「その為に騙された振りをしているだけ、です」
真っすぐ見つめてくるサチナの瞳に揺らぎはない。
彼女を乗せているホロビノも同じ目をしている。
自分を憐れむ、上からの目線。
何が、どうなって、そんな目が出来るのか。
何が、どうして、自分が見下されなくてはならないのか。
木星竜は分からなった。
だから聞こうとする。
『声が出ない』
そんな事実が、答えだった。
「ダンヴィンゲン、それが神奪の権能なのか、です」
「いかにも。タヌキが食事を、キツネが遊びを求めるように、蟲という種は奪う事に喜びを感じる」
「木星竜兄様はどうなった、です?」
「私が奪ったのは肉体と権能だけだ。器無き魂の行方など、知る所ではない」
事も無さげに答えたダンヴィンゲン、その言葉が終わると同時に、背に生えていた木星竜が枯れ落ちる。
踏まれ、にじられ、終える徒花の姿のままクリスタル化し、地上の点となった。
サチナがそれに気が付いたのは、ダンヴィンゲンの思考が読めてしまったから。
木星竜が対策していた記憶閲覧、それが出来た事実こそが、木星竜の影響からの脱却を意味している。
「改めて聞くぞ、です。お前の目的はなんだ?です」
「ヴィクトリア様にはもう、時間が無い。人の身体に蟲と竜の力を宿す。いかな愛の力であろうとも、限界はある」
「……。それでいいと、ヴィクトリアは言っただろです」
サチナの瞳の写った、ダンヴィンゲンの絶望。
愛の喪失、それは、この世で最も受け入れがたい感情。
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「ダンヴィンゲン、私が死んだらね、木星竜の背の上に埋めて欲しいんだ」
「……なぜ、そのような事を?」
「ヴィクティム様は馬鹿でデリカシーの無い虫ケラだから、きっと忘れるか、余計なことをすると思う」
「いえ、そのような意味では」
「なんとなく分かるんだ。命の権能だけじゃ、もう限界なんだろうなって。もちろん、死にたい訳じゃないよ。でも、みんなに迷惑をかけてまで生きながらえたくもないんだ」
「生とは奪う事です。料理の一つで数十の命が消費されている。それは仕方の無いこと」
「だよね。500年も生きてるのに、今更だよね。でもね、色んな事を忘れちゃっても、これだけは覚えてるんだ。私の命は最後に木星竜に返すべきなんだって」
とある日の、何の変哲もない日常。
木漏れ日が差す大樹の下で空を見上げるヴィクトリアの視線の先には、何もない。
「もう思い出せないけど、大切な人の誰かが、木星竜の上で亡くなったんだと思う。時代によっては、冒険者が頻繁に出入りしている時もあったし」
「それは……」
「人間にとってはね、500年ってとても長い時間なんだ。いろんな経験をすることになって、その時に笑って、泣いて、喜んで、悔しがって。愛絡譲渡があるから一線を超えることは無かったけど、実はね、家族になりたいって思った人もいたりして」
「人。ヴィクトリア様は、ひと……」
「だからお願いね、ダンヴィンゲン。変な事をしでかそうとするヴィクティム様を止められるのは、貴方と那由他ちゃんくらいなんだ」
「死ななければ、我と共に生きていれば、良い」
「そうだね。私もその時まで頑張るから……、約束だよ」
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「木星竜兄様の身体を奪ったのにも、意味があったのかです」
「約束は違えられぬ。だが、私にも欲はある。ヴィクトリア様の愛を一身に受けたいという、欲が」
「歪んでるぞ、です」
「歪んでなどいない。ヴィクトリア様は人として終わりたいのだ。墓を作り、弔い、愛した者たちと永遠の時を過ごす。そんな終わりに憧れている」
「それは……」
「なら、私で良いはずだ。500年のもの愛を受けた私には資格があるはずだ」
「サチナには、まだよく分からないです」
幼子であるサチナには、生死感など備わっていない。
周囲の人々よりも駆け足で経験を積んでいるものの、親しい者を亡くした経験など昨日までなかったのだ。
だからこそ、ダンヴィンゲンの記憶の中に巣食う悪意に恐怖する。
そこには金鳳花が仕込んだ記憶――、ヴィクトリアを蘇生させうる、たった一つの実例があったから。
「主様が特別なのは、サチナも気づいていたです」
「命の権能は未来への進化、つまり、加算なのだと金鳳花は言った。そして、ヴィクトリア様の不調は、重ね過ぎた命のせいで肉体が押し潰されているのだともな」
「だからって、金鳳花姉様に加担するのかです」
「前代の人間の皇の子は、時の権能を用いる事で新しき肉体に記憶を移植するという。ならば、この腕などいくらでも振るおう。私にできる暴力で奪い取れる未来があるのなら」
ダンヴィンゲンに根付いた無色の悪意が求めるもの、それは、シンプルにして究極の願い『愛欲』。
愛する者と寄り添いたい。永遠の時を歩みたい。
その実現に必要なのは、リリンサという実例と、より上質な時と命の権能を持つサチナの身体。




