第119話「恋人狼狐・昼の化かし合い⑤ 二つのクイーン」
「ようこそ、おねーさまの世界へ」
カツン。っとハイヒールを鳴らし、レジェリクエが空中を闊歩する。
眼下には漆黒の床で這いつくばるテトラフィーア。
そんな無様を晒す友人に向かい、容赦のない嘲笑を下げ渡す。
「くすくすくす……、カーペットが敷かれていない冷たい床の感触はいかがかしら?」
「陛下の方こそ、人を見下す姿が随分と様になっていらっしゃること。前々から思っておりましたが、随分と耳障りな声ですわ」
一歩一歩、階段を下りるように歩んでくるレジェリクエの背後、叩き割られた空間の亀裂が静かに閉じた。
花の開花を逆再生したかのような光景。
そして、完全に密閉された第四魔法次元層に光が灯り、床しかない広大な空間が姿を現す。
「改めて説明するまでも無いでしょうけどぉ……、ここはロゥ姉様が作った戦闘フィールド。外部からは干渉されず、内部からは脱出できない。内緒話をするにはうってつけの場所よ」
「音の反響で察しておりますわ。この物質は魔法プレートに使用される金属と同じもの。床の下には大量の魔法陣が仕込まれておりますわね」
「タヌキをブチ殺す為に改良を加えたんだけど、まさか狐女をハメるために使うことになるとはね。って笑ってたわぁ」
テトラフィーアには取り繕った女王の仮面など無意味。
どうせ感情を聞き取られるのだからと、レジェリクエは普段通りの笑顔を零す。
「ロゥ姉様が本気で作った、それこそ、殺意の塊みたいな所だけれどぉ……。ここに招待したのは、あなたと腹を割って話がしたかったから。どうかしら?嘘偽りのない本音を語っているつもりなのだけど?」
「騙されませんわよ。陛下が持つ『支配声域』、その効果は心理状態の強制同調。その声を、言葉を、『正しい』と錯覚させる力でしょう」
レジェリクエが対外的に発表している支配声域の効果は、『過去の心理を撤廃して、無抵抗な状態で言葉を交わす』だ。
まったく既知のない相手と電話で話すようなものであり、友好も嫌悪も無い真っ白な心を好きな色に染め上げる支配者の声だとされている。
だがそれでは、通信機越しに魔法を発動できる理由にならない。
周囲の者はレジェリクエの支配声域によって語られた理由を信じ、蒙昧になっているが……、同じく世絶の神の因子を持つテトラフィーアだけは疑問に思っていた。
「陛下の声には、これが正しいと思わせる力がありますわね。その影響力はそのままの意味で世界レベル。なにせ、魔法システムすら誤認させてしまうのですから」
「ロゥ姉様ですら、余が打ち明けるまで気が付かなかったのに。流石は大陸一の耳年増ぁ」
「男性を食い漁っている陛下の方がよほど下劣ですわよ。ローレライ様も眉をしかめていらっしゃるのでは?」
「内緒話だから覗かないでってお願いしてあるものぉ。言ってるでしょぉ、腹を割って話したいと。余達の真っ黒な内側なんて見せられる訳ないじゃなぁい」
そう言って油断させて、唐突に表れたローレライが強襲をしかける。
その程度の悪事を躊躇するはずがないと、テトラフィーアの目が僅かに細くなる。
「いいでしょう。確かにこの場には私達しかおりませんし。それで、何のお話がございまして?」
押し付けることで、相手の感情を掌握するレジェリクエ。
聞き取ることで、相手の感情を掌握するテトラフィーア。
お互いに世絶に神の因子による心理掌握ができず、だからこそ信頼できたのだと。
親友の顔を真っすぐに見つめたレジェリクエが、そう切り出した。
「信頼?はは、苦笑しか出ませんわ」
「いいえ、本当に信頼していたのよ。貴女が座りやすいように玉座を整えておくくらいには」
テトラフィーアは困惑した。
レジェリクエの言葉に何が仕込まれているか分からない以上、簡単に信用すべきではない。
そして、心を許してしまいそうなこの感情こそが騙されている証拠だと、身を引き締める。
「安いブラフですわね。自分の出生を隠し、国の施政を身内で固めていたのが何よりの証拠ですわ」
「その点の弁明をする気はないわ。行方しれずのロゥ姉様が再び王位を望む可能性があったんだもの、それは何より優先される。だからこそ、貴女には黙っていたの」
「それはなぜ?」
「ロゥ姉様の存在を仄めかせば、貴女はその可能性を潰そうとし、余はそれを潰そうとする。それこそ、ブルファム王国の前にフランベルジュが消し炭になるわ」
「何を根拠にそれができると?隷属連邦樹立前のレジェダリアとフランベルジュの国力では、ウチの方が上でしてよ」
レジェリクエが三国間戦争に介入したのは、食料貿易でブルファム王国の管理から脱却するためだ。
逆に言えば、フランベルジュ国がブルファム王国側に付いた場合、レジェンダリアは一気に苦境に立たされることになる。
「あぁ、語弊があったわね。消し炭にするのは国そのものではなく、国としての基軸……、つまり王家。レジェンダリアでやったのと同じように一族郎党皆殺し。ただし、余の手にレーヴァテインは無い。本当に殺すことになるわね」
「何を馬鹿な、そんなことをすれば」
「誰から非難を受けるというの?支配聖域を使い正当性を主張する余の言葉に誰が異を唱えられるのかしら?それこそ、大聖母くらいしか居ないわよ」
レジェンダリア国の繁栄は、レジェリクエの努力の結果だ。
だが、国の中枢に入り込んでいるワルトナこそ、大聖母の意図そのもの。
既にレベル99999を超え、なおかつ覚醒神殺しを持っていたであろうワルトナを止める手段は、この時点では存在しない。
「話を戻して、結論から言ってしまいましょう。余はレジェンダリアの玉座に執着していない。ロゥ姉様に迷惑が掛からない様に立ち振る舞っていただけで、誰かに明け渡す前提で動いていたわ」
「嘘ですわね。頂点を簡単に手放すなど信じられませんわ」
「強欲、それがあなたの無色の悪意なのね。余に当て嵌めてそれっぽく言うとぉ、色欲かしら?」
「色欲?らしいですわね」
「くす、分かってなさそうね。愛も友も『情』なのよ。幼い余が身を焦がすほどに憧れ、追い求めたそれは『他者との遊楽』。ロゥ姉様との遊び。王位も、侵略も、その延長線上に過ぎないわ」
「……では、過程を楽しんでいるだけで、結果はどうでもいいと?」
「そうなるわね。ロゥ姉様と再会し、玉座を欲していないと分かった今、この椅子にあまり魅力を感じていない。それどころか足枷とすら思っている。あぁ、これも言ってなかったけど、ホロメタシスと婚約したのよぉ」
「っ!?狂っているとしか思えませんわ。ローレライ様がこちらの大陸に戻ってきたら、どうするつもりですの?」
「こっちで楽しく暮らせばいいじゃない。どのみち、暫くは王を辞められそうにないものぉ」
レジェリクエが持つ剣の先端が、床を引っ掻いた。
チリチリ……、チリチリ……、とまるで火花が走るがごとく。
「もともと、ロゥ姉様が王位を望む可能性は低いと思っていたしぃ……、テトラが望むならあげても良いと思っていたわ。外務大臣と国軍総指揮官の権限を与えていたのも布石」
「言葉を返すのが嫌になるくらい、はっきり聞き取れますわよ。その言葉が嘘であると」
「くす……。そんなやる気のない余だけれどぉ、狐に騙されるバカ女に差し出せてしまう程、不愛想じゃないわ」




