第116話「恋人狼狐・昼の化かし合い②」
「今なら、まだ間に合うんじゃないかしら?怒ったメルテッサに睨まれる前に、ごめんなさいした方が良いと思うわよぉ」
『どうしよう!?私のせいで、私のせいで……、どうすればいいの!?テトラフィーア御姉様っ!!』
『シャトーだけじゃないよ、私たちのせいだよ!!どうにかしてよ!!テトラフィーア御姉様っ!!』
脳内に響く、レジェリクエの甘い声。
自分のせいで戦いが不利になったと思わされたシャトーガンマは動揺し、指が震えて動かない。
絶対音階を発動し、温泉郷内のほぼ全ての音を拾っているテトラフィーアの耳は、レジェリクエが仕掛けた不安を煽るストレス攻撃を距離による減退無しで拾い上げてしまう。
本来ならば、それは問題にならない。
世絶の神の因子を持つ者は、その能力で傷つかないように耐性を持つからだ。
だが、今回のように魔法で意識を繋げている場合は違う。
テトラフィーアは直接的な感情の刺激を受けずとも、意識を繋いでいるヴェルサラスクやシャトーガンマはそれぞれの耐性で身を守るしかないからだ。
最も、これはテトラフィーアが失念したわけではない。
支配声域と絶対音階の相性を見抜いたレジェリクエは日常的に、声による精神コントロールがテトラフィーア越しに漏れないように細心の注意を払うことで、情報封鎖を仕掛けていたのだ。
『落ち着きなさい。陛下の言葉は嘘ですわ。戦局はこちらが有利、メルテッサも生きてはおりません』
レジェリクエの意図を聞き取ったテトラフィーアは、その言葉を精査した上で否定した。
メルテッサが生きている?
ワルトナ様が裏切っている?
……ありえませんわ。
私が持つ世絶の神の因子・絶対音階を欺ける者はいない。
声、心拍数、足音、些細な仕草から出る衣服の擦れた音。
数多の情報を全て偽るなど、幾ら英雄といえど出来る訳がありませんわ。
人類の頂点であるユルドルードですら、感情を垂れ流しにしていたのですから。
『陛下の声は、言葉に嘘偽りがないと思い込ませる力。ただのブラフです』
『『でも!』』
『不安が拭えないのも無理のない話。いいですわ、ヴェルサラスク、貴女も支援に回りなさい』
テトラフィーアとヴェルサラスクが磔を演じている理由は、ユニクルフィンという最強の手札を手に入れるため。
『人間が最も恐れるものは喪失だ。一度、失ったと思った君が生きていた。なら、次は絶対に守ろう。そうしてユニは、君と僕の都合のいい英雄様になる。永遠にね』
そんな嘘のないワルトナの戦略を実践するためには、テトラフィーアが捕らわれ、無防備を晒す必要がある。
だが、ヴェルサラスクの役割は違う。
彼女は良いタイミングで撃ち殺される、ユニクルフィンへの煽り役。
彼女達までもう少し……、そんな所で狙撃され地面に落下。
取り零した光景を見せて焦らせる為の、囮だ。
「かふっ……」
血を噴出したヴェルサラスクが、磔台ごと力なく崩れる。
当然それは、テトラフィーアが計画した演劇。
潜伏しているセブンジードが放った弾丸によって拘束具が破壊され、あらかじめ仕込んでいた偽物の血液を噴き出させる。
鮮血に塗れながら落ちていくヴェルサラスクは……、ユニクルフィンから見えない位置になった瞬間に身体を翻し、観光客の中に溶けて消えた。
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『すぐに行くよ、シャトー。《精霊拍節器》、テンポ208っ!!』
一つに束ねたポニーテールを揺らし、ヴェルサラスクが走り抜ける。
その動きは、幼い女児とは思えない卓越した軍人のソレだ。
ヴェルサラスクとシャトーガンマは、心拍節器という神の因子を持っていた。
自律神経の中心である心拍数を操作する能力であり、この力を持つ者は、いつでも最高のパフォーマンスを発揮できる。
そんなありふれた神の因子には、隠された力が存在する。
金鳳花の影響を受けたテトラフィーアによって調律されたことで、心拍節器はランク2へと進化。
『精霊拍節器』
心拍節器・精霊拍節器を持つ相手に自分の鼓動リズムを同調させ、一つの思考で動く二人にする。
それは、数十年寄り添った熟練のパーティーですら、成し得ない境地だ。
思考を魔法で繋げても、攻撃のタイミングを完璧に合わせるのは難しい。
どちらか一方が相手の動きを常に観察し、動きに合わせる支援役となった上で、癖や思考を考慮する必要があるからだ。
だが、精霊拍節器を持つ者同士の共鳴は、精神を完璧に同調したリズムへ整える。
彼女達は繰り返す。
音を刻むメトロノームがそうであるように淡々と、互いの意志を何度も何度も反復させ――、この世界で最も早い速度、神経速で通信するのだ。
『戦局修正、速度が出る魔法推進実弾をセット』
『レジェリクエ確認、距離332』
『『ファイア!』』
ワルトナの神殺しによる狙撃は一撃必殺であり、絶対に防がなければならない。
それはレジェリクエ達も分かっている。
だからこそ、優先度を低く設定しなければならないヴェルサラスクとシャトーガンマの狙撃こそが、勝敗を決める要因となる。
二人が装填したのは、火薬の代わりに魔法が詰め込まれた特性弾丸。
魔法効果を推進力にのみ使用することで相手の感知に引っかかりにくく、弾丸の材質に水銀、ヒ素、カドミウム、鉛、スズなどの有害な金属を使用することで、着弾後に魔力の流れを乱れさせる効果を持つ。
『神殺しは強力な武器だが、弱点が無い訳じゃない。真なる覚醒状態では使用者の魔力が循環しており、肉体状態の影響を色濃く受ける。つまり、アンチバッファが有効って事さ』
それは古代魔道具にも当てはまり、国同士の戦争においても有用な情報の一つだ。
ブルファム王国との決戦の為に数年前から研究されていた理論であり、この弾丸も十分な数が用意されている。
『っ!?』
『っ!!』
二つの銃口が別の角度からレジェリクエのこめかみを狙う。
ヴェルサラスクとシャトーガンマ、さらにワンテンポ早くセブンジードの弾丸は発射されており、ワルトナによる認識阻害の矢による隠蔽効果も効いている。
ヴェルサラスクが参戦したことにより、手数は1.5倍。
流石のローレライも迂回を余儀なくされる……、それはまるで逃げ惑う弱者のふるまい。
圧を掛けられていたシャトーガンマは遠ざかったレジェリクエに安堵し――。
「銃はな、ガキのおもちゃじゃねぇぞ」
突然、右手が痛んだ。
向けた視線の先には、中指と薬指がない掌と、地面の上で跳ねる銃。
それは、シャトーガンマに経験のない痛みと恐怖を突き付けた。
あまりのことに声が出ず、茫然と、吹き出す血を眺めて。
真紅の髪を揺らして現れたその女は、ただただ真っすぐに、歩いている。
街中を気軽に散策するような自然体。
硝煙が噴き出す銃を持っていようとも、自分の矜持を捨てて子供の手を吹き飛ばした直後でも。
”日常”の中を、メナファスは歩んでいる。
「ひぃっ!!いぐぁあ”ぁぁぁ……」
「銃を持っちまったらよ、もう、ガキじゃいられねぇんだ」
言葉よりも先に発射されている追加の弾丸は、既にシャトーガンマの眼前に迫っている。
走馬灯すら行えない絶命の導火線……、それが爆ぜた。
「お前か。ガキに殺しを覚えさせたのは。セブンジード」
「どうだかな?……が、銃の扱い方を教えたのは俺だわな」
シャトーガンマに迫った弾丸を打ち落とし、セブンジードはやれやれと肩をすくめた。
背後には抱き合って泣きべそをかいている、二人の幼子。
「一つ確かなことは、俺の仕事は子守りだよ」




