第105話「人狼狐・夜の襲撃、姫と狐」
「もう少しで、解けそう、です……っ!!」
白銀比の自室に籠城しているサチナが、誇らしげな声を上げた。
その嬉しい報告にテトラフィーア達の沈んでいた空気が一気に向上する。
「テトラフィーア御姉様、ナナ、助かる?」
「ねぇ、助かる?ナナ助かるんだよね?テトラフィーア御姉様」
「えぇ、無事に目が覚めたら、みんなでお祝いをしないといけませんわね」
ユニクルフィンとワルトナがレジェリクエ達へ強襲を仕掛けている最中にサチナに与えられた役割は、意識を失っているセブンジードとメイの解放だ。
無色の悪意に従いメナファスを襲撃したセブンジードとメイは、ヴェルサラスクとシャトーガンマを人質に取り、ユニクルフィンに交渉を持ち掛けた。
『ヴェルサラスクとシャトーガンマの死体を晒し、テトラフィーア共に揺さぶりを掛ける』
それを見て見ぬ振りをしろという要求に激怒したユニクルフィンにより、彼らは返り討ちに遭い、絶命。
そして、サーティーズが蘇生を試みるも……、金鳳花の仕掛けにより、彼らは昏睡状態のままとなっている。
「解き始めて僅か2時間。サチナちゃんの才能には、この私も耳を疑いたくなりますわ」
「サチナ自身が似たような状態を経験してる、です。その時に母様に解き方を教わってたのが、大きい、です!」
「くすくす、金鳳花ですら無色の悪意の撤廃は不可能という話でしたわね。それが出来てしまうのは、竜が持つ命の権能を使ってるからですの?」
「そうなの、です。ホロビノと一緒に研究した技、です!」
二人いる意識昏睡者の内、セブンジードが優先された。
テトラフィーアの従者であるメイよりも、セブンジードの方が戦力としての能力値が高い。
超越者の中で抜きん出る実力を持つ相手と敵対する以上、多彩な技術を持つセブンジードの獲得は急務だからだ。
「金鳳花姉さまが植え付けた無色の悪意と、チャラ男の分離作業が終わった、です……っ!」
「溶け込んだ魔力を仕分けたんですのね。流石ですわ」
生命が死亡した場合、魂と肉体が切り離された状態となる。
その時点で、魂に根を張っている無色の悪意も肉体と切り離され、そして、蘇生することで魂が肉体と結びついても、無色の悪意が再結合することはない。
新しい無色の悪意を植え付けられないのも、既に存在するからだ。
だからこそ、金鳳花は無色の悪意に魂と肉体の再結合を邪魔する仕掛けを施した。
時の権能を持ち、容易に生と死を覆せる狐が複数いる以上、それが当然だとでも言うように。
「あとは、無色の悪意を取り除けば……、目が覚めるはず、です!!」
「乱暴でも構いませんわ。女の子に叩き起こされるのは、チャラ男の誉れでしてよ」
「起、き、ろ、ですっ!!」
軽く握った拳を振り上げたサチナが、セブンジードの腹に鉄槌を振り下ろす。
温泉宿という男女の秘め事が日常な環境で過ごしていても、母の情事には目を覆う。
ましてや、一夫一妻が基本だと思っているサチナにとって、恋人と一緒に母の部屋を訪れるチャラ男の論理感は全く理解できないものだった。
そんな背景から、サチナの拳にはちょっと多めに力が籠った。
そして、ボグゥルゲェ!!という痛たたましい鳴き声と共に、セブンジードが目を覚ます。
「死、しぬ……、げほっ……?」
「ナナっ!?」
「ナナっ!!」
腹に響く鈍痛と、口の中に広がる苦い味。
その刹那に思い出されたのは、ユニクルフィンが振るった剣が首を通り抜けていく感覚だ。
そして、二人の幼姫に全力で抱き着かれた衝撃と、頭の下にある幼女の太ももの感触。
春夏秋冬と喜怒哀楽がいっぺんに来たような体験、それでも、セブンジードは悪くないと思った。
「ななっ、ななっっ、」
「なな~~ぁ!!」
「へいへい、ナナですよっと。悲しませたのは謝るから、とりあえず離れてくれ。サチナちゃんが困ってる」
作業性を上げるためにセブンジードの頭を膝に乗せていたサチナは、追加された二人分の重みで身動きが取れなくなっている。
難しい仕事を終えた直後で気を抜いた。
ましてや、目覚めた直後のセブンジードに抱いていた警戒も杞憂となった後でなおさらだ。
疲労と安堵と誇らしさ。
そんな思いから、サチナは薄っすらと笑みを零し――。
「ひぃ、ぎぃっ……ッ!!」
乾いた2発の銃声に貫かれ、悲痛を叫んだ。
「ごめんね」
「でも、みんなの為だから。ごめんね」
冷え切った四つの目が、サチナを見つめている。
ヴェルサラスクとシャトーガンマの手に握られているのは、セブンジードが自衛用に与えた小型銃。
幼い身を守るはずだったそれが傷つけたのは、同じ歳のサチナの両足。
「……ッ!?目覚ましにゃ、度が過ぎんぞッ!!」
耳元で発された射撃音により、セブンジードの三半規管は甚大な損傷を負った。
だがそれでも、幼女二人を跳ねのけ、サチナを抱えて逃げるなど造作も無い。
「セブンジード!こちらへ来てくださいまし!!」
「ちっ、何がどうなって……」
無色の悪意に煽られて起こした行動であっても、その時の記憶は残っている。
セブンジードは欲求の為に、ヴェルサラスクとシャトーガンマを殺そうとした。
それは確かに自分で起こした行動だ。
だからこそ、二人に命を狙われたのが自分だったのなら、セブンジードは納得した。
サチナの両足から吹き出す血液、それは確かな銃創。
それも、ゼロ距離から放たれたであろう、紛れもないサチナへの敵意。
二人ともが狙いを外すなどありえない。
彼女達が持つ射撃技術は、レジェンダリア正規軍と比べても決して見劣りしないのだから。
「どういう状況か分かりかねますが……、こんな修羅場は経験したくなかったぜ」
苦痛に顔を歪めるサチナを抱き上げたセブンジードが、テトラフィーアとメイを守るように立ち塞がった。
恨めしそうに睨み付けるヴェルサラスクとシャトーガンマへ視線を向け……、「幼いと言えど女は怖ぇ」 そんな軽口を叩きつつ、左手で銃を構える。
「この間までお姫様だったもんな、気が動転するのも当然か」
「……。」
「……。」
「言いたくないが……、悪いのは俺だ、サチナちゃんじゃない」
大国の姫を殺すと宣言した、それは死刑を意味する。
それが覆しがたい罪であることは、セブンジードも理解していた。
チャラ男として紳士であることを信条に掲げているセブンジードは、求められたら死んで詫びようと、目覚めた瞬間に思い至っていたのだ。
あとは主人であるテトラフィーアの判断次第。
願わくば、俺に罪滅ぼしの機会を。
ヴェルサラスクとシャトーガンマ、そしてセブンジードが生きていなければ、その機会は訪れない。
「……ナナは、悪くないよ」
「……そうだよ。ナナは悪くない」
「あんがとよ。けどな」
「「そうだよね、テトラフィーア御姉様」」
ヴェルサラスクとシャトーガンマの縋るような視線。
それが自分に向けられていない、その事実にセブンジードは戦慄する。
「そうですわね。悪女はこの私でしてよ」
セブンジードの首筋に、金色の尾が巻かれた。
それは紛れもない、金鳳花が用意した『狐の証』。
サチナが必死になって取り除いた――、無色の悪意を宿した狐の尻尾。
「どういう、こと、なのです……」
「見たまんまですわよ。サチナちゃんが無色の悪意を取り除いてくださったおかげで、もう一度、セブンジードを手中に収めることができましたわ」
「なんで、です……?」
「なぜそんなことが出来たのか。いや、どうやって狐であることを隠し通したのか。サチナちゃんが聞きたいのはこちらですわね?」
サチナの声には、様々な疑問が含まれている。
ここに居る人の素性は保障されていた。
だから、もっとも堅牢な白銀比の部屋に籠城し通路に罠を張ることで、最大限の安全を得たつもりだった。
さらに、サチナ自身にも疑問が湧いている。
銃弾がふとももに埋め込まれるという経験のない痛み、そんな状態となった以上は権能による即時回復が発動する。
だが、時の巻き戻しも、命の復元も起こらず、ただ気持ち悪い意識混濁が延々と続いているだけ。
「流石は始原の皇種と七源の皇種の掛合わせ。効いてくるまで時間が掛かるようですわね」
「効く……、です……?」
「酔いですわ。そちらの銃弾は対サーティーズ用に制作した酩酊弾。飲酒経験のないお子様には少々お辛いかも知れませんわね」
ここ最近のサチナが眉をしかめるトップ3、母、チャラ男、そして……酒。
身内の醜態と問題を起こす冒険者、その両方に共通する酒をこっそり試してみたことがあるサチナは、その時の感覚を思い出し……、露骨に顔をしかめた。
「サチナの……、負け、です……?」
「損切りを美徳と教えたのは私でしたわね。潔く負けを認めたご褒美を考えなければなりませんわ」
姿勢よく立つテトラフィーアの前に跪いたセブンジードが、力なく抱かれているサチナを差し出した。
歪む感覚と、揺らぐ心。
必死に立て直そうとしても、疲弊している身体は思うように動かなくて。
「もう勝敗は決しましたもの。《これから先の苦痛は不要なものでしかありません》」
「……!詠唱も無しの、回復魔法、です……」
サチナの脚に手を翳したテトラフィーアが微笑むと、零れていた血液が消失した。
時間逆行の魔法に酷似する、だが、詠唱無しの魔法行使など、それこそ神の御業だ。
「勉強熱心なサチナちゃんへのご褒美に答えましょう。このままだと気になって、いつまでも眠って頂けなさそうですもの」
「どうやって、サチナ達を騙しやがった、です……」
「ワルトナさんが提案した無色の悪意の見分け方。サチナちゃんが封印されている記憶の有無を調べ、私が嘘を看破する。これで不備のない判定ができる、と」
「……やられたです。それじゃ、大臣の嘘は誰にも見抜けないです」
「正解です。私は無色の悪意を封印していない主犯の片割れ。この舞台を用意したのも金鳳花様ではなく、私達ですのよ」
ユニクルフィンやリリンサが受けた尋問を、テトラフィーアとサチナは受けていない。
互いの役割に替えが効かない以上、2つの調査を行うことは不可能だ。
そして……、そのことを気付かせない様に誘導できるのは、その場にいて主導権を握っていた者だけ。
「茶番じゃねーか、です」
「そうでしてよ。私達は嘘をつき放題。お馬鹿なユニフィン様が気付くはずもなく、鋭いリリン様は蚊帳の外。あとは陛下とメルテッサを始末すれば、チェックメイトですわ」
「お前らが6匹、残りの3匹の狐は、……、金鳳花姉さま、紅葉兄さま、紫蘭兄さま、です?」
「えぇ、人狼には様々な配役がございますの。村人、騎士、霊媒師、占い師、人狼、背徳者、狂人、妖狐。その中でも、重要な役割の騎士と占い師であるユニフィン様と陛下。この二人を出し抜けるかどうかが、勝負の分かれ目ですわ」
「サチナは、死んだ人を調べる霊媒師……、優先して守るべきなのは確定確率確立で占えるレジェリクエ……。騙されたです」
「くす。我こそが占い師だと宣言するのは、人狼の常套手段です。まんまと罠に嵌ってくださって嬉しい限りですわ」
「ちくしょう、め、……です……」
「騎士は占い師の所に赴き、そして、無防備だった霊媒師への襲撃は成功した。今夜は私達、人狼側の勝利です」
薄い笑みを浮かべたテトラフィーアが、サチナの頬に触れた。
今にも眠りに落ちそうな幼子を愛でるように、優しい声色で語りかける。
「さぁさ、お眠りなさい。何も怖いことはありませんわ。目が覚めたら、また楽しい毎日が始まります」
「……ほんとうに、です?」
「えぇ、きっと」
揺らぎ、混ざり、溶けてゆく意識で最後に見たのは、いつものテトラフィーアの笑顔。
課題を達成したサチナに向ける表情と同じそれに、安堵して。
これは、人狼ゲーム。
食い殺された村人は決して蘇ることのない、死のゲームだ。




