第93話「人狼狐・夜の襲撃 オタクと少女③」
「では、自己紹介をさせて頂きます。私の名前はエアリフェード。不安定機構に在籍する、しがない魔導師の一人です」
ブルーベリージュースで潤した喉で自己紹介を語り、エアリフェードが一礼する。
滑らかな動きで行う、気品ある立ち振る舞い。
その挨拶を見た誰しもが、彼を高位の貴族だと勘違いするほどに美しい。
「ご丁寧にありがとう。超越者さん?」
「おや、やはり分かってしまいますか」
「うん。私は感覚がとても鋭いの。色んな世界最強に慣れてるからね」
エアリフェードが看破されたのは、自身のレベル100000だけではない。
彼が息を切らしていた真の理由、それは、世絶の神の因子『五十一音秘匿』を戦闘用に最適化していたから。
日常生活で使用する便利魔法をすべて捨て、一撃で皇種を葬れるような殺傷力の高い魔法陣を収納。
かなりの魔力消費というリスクを背負ってでも、そうするべきと判断した結果だ。
「これは失礼しました。改めまして、超常安定化のエアリフェード、ノウィン様の直属の配下です。貴女のお名前をお伺いしても?」
「ヴィクトリアです」
「おや貴女が?」
芝居がかった口調で大仰に驚き、目の前の少女の反応を伺う。
エアリフェードの注目点は大きく分けて二つ。
・ダウナフィア達が探していた『ヴィクトリア』本人、もしくは、彼女を知っていて名を騙っている者かどうか。
・現在の目的。
最低でもこの二つの情報を確保し、可能であれば友好を築いた上でノウィンへの橋渡しがしたい。
少女は大聖母と直接的な交流はないようだが、ペットのゴモラは知っている。
声色を聞く限り敵意はなく、それが最良だと判断した。
「シーラインが言ったように、私達にも敵意はございません。この地に来たのはダルダロシア大冥林の恐怖結界の異常を正すため。もしもこの一件に貴女が関与しているのだとしたら……、できうる限りの譲歩をしたいと思います」
「え?ちょっと待って、私のせいじゃないよ!?」
少女はとても鋭い感覚で嫌疑を感じ取り、慌てて否定。
白い髪を左右に揺らして頭を振り、必死になって弁明する。
「私も偶然ここに来ただけ。それで皇種たちが騒いでいたから様子を見てたの」
「では、金鳳花、この名に心当たりは?」
「!!……またここで何かをするつもりなの?」
「また?」
「昔にちょっとね。知らないんなら、その方が良いよ。あんまり楽しい話じゃないから」
超常安定化に属しているエアリフェードは、改竄された史実書を閲覧する権利を持つ。
当然、それらには目を通している。
だが、その量は膨大であり――、彼女の否定を受ける前に思い出せなかった以上、そのチャンスは先延ばしとなっている。
「なるほど。貴女は先ほどの種子を求めていると」
「ここに住む生物なら誰でも種子を持っているけど、何でもいい訳じゃなくて……、私が欲しいのは皇の権能に触れている種子なんだ」
「強力な力を持つ物が望ましいと?」
「命の権能だけあってもしょうがないの。私はヴィクティム様みたいに世界最強の魔力を持ってないから」
「その御方は確か、世界最強の?」
「そう。権能は神が与えし種族の特権だからね、扱うには相当量の魔力が必要になる。だから、必要なエネルギーも一緒に欲しいんだ」
エアリフェードは、少女の言葉に隠された真意を半分も理解できていない。
なぜ、命の権能が必要なのか?
ヴィクティムという存在が持つ、世界最強の魔力とは何なのか?
そもそもどうして、種子とエネルギーを奪うことができるのか?
これらの疑問を抱くことなく、ただ、言葉通りの意味を理解するだけ。
それはまるで、愛は盲目だとでもいうように。
「さきほど、気になることを仰っていましたね。種子を貰い代金を支払うと?」
「食物連鎖は自然の摂理。とはいえ、皇種襲撃なんて大変なこと私はしたくないの」
「えぇ、同感です」
「だから、ちゃんと許可を貰うことにしたの。まぁ、事後報告になっちゃうんだけどね」
いつしか、種子を噛み砕く音が消えていた。
エアリフェードとシーラインがソレを認識した瞬間、少女の背後に濃密な魔力が蠢く。
「「なッ」」
「大丈夫。あなた達に危害を加えるつもりはないよ」
その声色は、最大級の警戒をする身体を簡単に解きほぐした。
そうして弛緩し動けない彼らは、呆然と見る事となる。
新たな生命の誕生。
意図的に引き起こされる命の育みを。
「《命の権能・解脱転命》」
ぎょろり。と張り付けられていたタングニョルニルの目が動いた。
光を失っていた瞳は見る見るうちに輝きを取り戻し、ガチガチガチと歯が鳴り、指の先に力が戻っていく。
やがて、ヴィクトリアが手をかざしている先で、タングニョルニルは息を吹き返した。
いや、様々な意味で、彼の肉体は生前のものではない。
ただ魂が同じなだけの、輪廻転生だ。
「……?メェー??」
「タングニョルニル。あなたは命を落としたの。分かる?」
「……メェ」
「そしてそれを私が拾って、生き返らせた。皇の資格は次代へと受け継がれ、身体能力も普通の舌噛羊脂吐と同じくらいになってる。それでも、頑張り次第で皇の資格を取り戻せるよ」
「メェェン」
「記憶以外の全てを私にくれるのなら、代わりに、新しい生を与えましょう。どうかな、受け入れてくれる?」
心を震わせる声色で、少女が優しく微笑んだ。
その親愛を抱く声に、表情に、雰囲気に感化され、ただの舌噛羊脂吐となったタングニョルニルは涙をこぼして肯定のいななきを放つ。
そして、蹄を返し、自ら結界の中へを消えていった。
「ふぅ。受け入れてくれて良かった」
「ちなみにですが、断られた場合は?」
「ちゃんと埋葬します」
「なるほど。死者を軽んじて、化けて出られたら厄介ですからね」
確かに合理的な方法だと、エアリフェードは思った。
命の権能を持つ種子をエネルギーごと摂取し、自分のものとする。
それを用いて相手を蘇生し、新しい命という代金を先に支払うことで納得させた。
その仮定で命の権能のテストもできるという、無駄のない行いだ。
論理感を度外視すれば。
「貴重なものを見せて頂きありがとうございます。ぜひとも、何かお礼がしたいですね」
「お礼?えっと、そんな悪いです」
「そうですね、ハーブティーやジュースを気に入っていたようですし、近くの温泉郷でお食事でもどうでしょう?」
「あっ、それは……。なんか凄いことになってて、すこし困ってて」
「温泉郷ができたのはここ数年ですからね、外大陸に居たのなら知らなくても仕方がない。今はチケットを持ってないと入れないんですよ」
「そうなんだ……。あの、お金」
「大丈夫ですよ。何を隠そう、このオタクはロリに奢るのが趣味なのです。何でもご注文していただいて構いません」
一応言っておくが、我がおめぇに奢るのは研ぎ澄ました剣筋だけだ。
ははっ、無駄ですよ。私はロリコンですから、おじさんの凄みなど効きません。
軽い冗談を交えつつ、エアリフェード達は思考を切り替える。
この少女を仲間に引き込めた場合、得られるアドバンテージは途方もない。
だが、結界の再建という最優先事項が残ったままだ。
「結界の再設置が完了次第、温泉郷に向かうとしま……ッッ!?!?」
その恐怖の波動は唐突に、空から放たれた。
神経に針を刺して引っ搔き回されるような、想像を絶する畏怖と不安と錯乱。
そして、まさしく絶句する彼らの脳内に、絶望をもたらす声が高らかに響き渡る。
『《アップルパイシェルター!!》』
音速を超えて飛来した何かが、エアリフェード達と少女の間に突き刺さった。
彼らを分断するように建造された盾の壁。
それが何なのかを、エアリフェード達は知っている。
だが、理解は出来ていない。
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「あ、しまった。あっち側に行けばよかったね」
目の前の壁を触りながら、少女が呟いた。
その声はエアリフェード達に向けたものではない。
彼女の横に立った、姫に仕える兵へ向けたものだ。
「お望みとあらば、すぐに破壊を」
「ううん。しなくていいよ。ダンヴィンゲン」
「御意」
「それにしても……、ゴモラがアップルルーンを動かしてるって事は、本当に終生レベルの事態なんだね。少し調査をした方が良いかも」
そして少女は兵の肩に飛び乗り、視線を森の奥へ向けた。
その瞳に写っているのは――。
「おーにさんこちら、手ーのなる方へー。なんてね」
白くて小さな蟲が鳴く。
愛憎を宿したその声で。




