第91話「人狼狐・夜の襲撃 オタクと少女」
「私?私は蟲だよ。最果ての蟲の姫」
白くて小さな蟲が鳴く。
愛を宿さぬその声で。
「なん……」
ぞくりと。背筋が凍った。
シーラインの蒸気している身体は一瞬で強張り、氷像にされたかのように硬直する。
『……シーライン、どんな要望をされたとしても必ず受け入れて下さい』
『あ?』
『私がそちらに行くまで絶対に敵対してはなりません。たとえ命を差し出せと言われたとしても、そのようにしてください』
『そいつぁ……』
『ふっ、相手はロリですよ。本望でしょう、そういうの』
冗談じゃねぇ、これのどこがロリだよ。
だが、共通点はあるな。一瞬も目を逸らせられねぇ。
脳内に響いたエアリフェードの声に悪態を吐きつつ、状況を観察。
敵対してはならないという意見は一致している、ならば、取る行動は一つだけだ。
「座らせてもらうぜ、さすがに疲れた」
腰が抜けたように地面へ座り込み、胡坐をかいて一呼吸。
ぽたぽたと落ちる汗を袖を使って拭い、異次元ポケットの魔法陣が刻まれているブレスレットから瓶を二本取り出す。
そのまま片方の蓋を開けて口を付け――、そうして無防備を晒し、敵対する意思はないと態度で示す。
「……で、それは何をしてるんだ?」
心臓を上下に裂かれて絶命しているタングニョルニルは、未だに二本の足で立っている。
年齢で言えば15歳にも満たない、華奢な少女に支えられて。
「種子を探しているの」
「種子?」
「命の権能で作った種子。……よし、とれた」
タングニョルニルの腹に腕を突っ込んでいた少女は僅かに微笑み、華奢な腕を引き抜いた。
取り出されたのは、完熟りんごのような――、真っ赤な果実。
そして彼女は、手のひら程の大きさのソレを満足げに眺めた。
「へぇ……、それが?なんに使うものなんだ?」
「食材だよ。美容と健康に良いの」
シーラインは馬鹿ではない。
彼女の手に収まっているそれが、人知を超えた存在であることくらいは分かっている。
だが、少女の答えを否定もしない。
確かに尋常じゃない魔力を感じる、だが、目の前の少女がそれを食う化け物でない保証はどこにもないのだ。
「食うのかよ。かかっ、確かに美味い食材ほど、見た目が良くねぇってのは相場だわな」
「あ、普通の人は食べない方が良いと思うよ。お腹を壊すかも」
腹を壊すっつーか、腹を突き破ってバケモンが生まれても不思議じゃねぇだろ。
良く見りゃ、卵みたいな形だし。
「腹は壊したくはねぇが、割って話がしてぇ。まず、我に敵意はない。お前の邪魔をするつもりもねぇ。だが、興味はある。こっちの腹はそんな所だ」
タングニョルニルを倒したのはシーラインであり、死体の所有権は彼にある。
だがそれは冒険者のルールでの話だ。
相手が人間の少女に見えていようとも、同じ常識を持っているとは限らない。
「一応、そいつを狩ったのは我だが……、あぁ、いい!いい!別にそれが欲しくて殺した訳じゃねぇ、くれてやる」
「……ありがと」
「だが、お前ほどの実力者なら、こんなやり方をしなくても手に入れられるだろ?なぜ、我がこいつを殺すのを待っていた?」
シーラインが抱き続けている疑問は二つ。
一つは、タングニョルニルよりも目の前の少女の方が強そうという点。
そしてもう一つは、少女が手を放しても、タングニョルニルは空中に張り付けられているように立ったままだ。
「対価を支払うためだよ。この種子をもらう代金みたいなものかな」
「……?代金って、死んだ奴にどう払うって言うんだ」
「だからこそ、だよ。《命の権能・転生の抱卵》」
少女は持っていた種子に視線を落とし、そのまま宙に放り投げた。
高さは2m程、頭上にいる誰かに果実を投げて渡した、まさにそんな光景だ。
だが、それに続いた光景は理解しがたいものだった。
放物線を描いた種子が落下を始めた瞬間、唐突に消えた。
……いや、シーラインには僅かに見えていた。
それが消失ではなく、見えない何かに捕食された光景を。
「くった、のか……?」
「こっちの歯じゃ食べるのに時間が掛かっちゃうし。結構おいしいんだけどね」
自分の口に指を当て、少女が微笑む。
誰が、何を、どういう風に、なぜ、食うのか?
湧き出し続ける疑問、その中のいくつかは、話を聞いているであろうエアリフェードなら知っているかもしれない。
だからこそ、シーラインは一つだけ問うことにした。
「食うとどうなる?」
「色々あるけど……、一番重要なのは長生きできること、かな?」
「温泉卵みてぇなこと言いだしやがって。一個食えばで7年寿命が延びるってか?」
「100年だよ」
「ひゃ……」
「神奪の権能で奪った能力の使用期限は100年。だから、木星竜にお願いして定期的に食べさせて貰ってるの」
ごり、ごり、ごり……。
少女のとの会話中にも、種子が噛み砕かれる不気味な音は続いている。
その音を聞きながら、シーラインは強者を装って思考を回した。
この音が止まった時が、我の命運の分かれ目か。
今の所、敵意は感じねぇが、逆に言えば、敵意を発するまでもねぇって事だろうな。
「その種子を食う、100年長生きできる。なら、少なくとも100年以上は生きてるって事だよな?敬語でも使った方が良いか?」
「そういうのいいから」
「おっと悪い悪い。女に年齢を聞くもんじゃねぇわな。侘びと言っちゃなんだが、茶でも飲むか?」
シーラインは取り出していた瓶の片方を差し出し、少女はそれを受け取った。
中身は疲労回復用に砂糖と果実が加えられているハーブティーだ。
「いただきます。……あ、おいしい」
「種子とどっちが美味い?」
「こっち」
「即答かよ」
「これ、なんていうお茶?」
「毒気の抜けるハーブティー。我は今からそう呼ぶぜ」




