第88話「人狼狐・夜の襲撃 ベアトリクスVS暗号熊」
「暗号熊、いまさら言い訳はねーだろうが……、遺言があんなら聞いてやるゾ」
皇になりたいと思っていなかった。
いや、そもそも、皇がどういうものかすら分かっていない……、なんなら、クマとそれ以外の種族の区別すら、よく分かっていなかった。
やっと親離れしたばかりの、生後間もないと言っていい女児だったアルティは、それこそ、必死で頑張った。
それは、言葉の表現などではなく……、事実として、命を脅かされる環境で。
そして、それを作っていたのは、この暗号熊だったと判明している。
「グマグマグマ、先に死ぬ奴に託す言葉は遺言とは言わない、メイドの土産って言うんだグマ」
「相変わらず、口が減らねー奴ダゾ」
「ま、皮肉と当て付けを持っていけグマ。……お前のせいで種族がだいぶ減った」
「けしかけたのはお前ダゾ」
「そう、原因は俺だ。だが、種にあだなす原因を取り除くのは皇の務め。排除が出来なかった時点で、お前の責任なんだグマ」
それは、幼女ですら眉をしかめるド正論。
原因が誰かなんで関係ない。
他種族の侵攻、自然災害、人間、そして神。
意思の疎通ができない脅威など挙げればきりがない。
そして、それに対処するのが皇種という存在だ。
「こんなガキが勝機だ?溶嶽熊は根性なしになっちまった。チィーランピンにやられて、下半身があんなにも細くなっちまってよ。アレならお前の小さい穴にも余裕で入るグママ」
「唐突に下ネタいれてくんなダゾ」
「大事なことだろーがよ、女なんて孕んでなんぼ。そこらのメスですらできる種の貢献すら疎かにしてるお前にゃ、ほとほと、生かす価値がねぇグマ」
女の役割は子を産み、種を残すことだ。
そうでなければ、種は滅びるしかない。
たった一匹しかいない、麒麟のように。
「恋、愛、交尾、世界平和はラブ・&・ピースだグマ。つーことで促して見りゃ、お前は逃げ回ってばかり」
「暑苦しく交尾を迫って来る奴も、お前の差し金かダゾ」
「感謝して欲しいくらいだグマ。未熟だろうが何だろうが、ヤルことやってりゃ文句は出ない。子供だろうが不満だろうが、種が無けりゃ孕みようがねーグマ」
理屈は分かるし、事実、ベアトリクスもそうだと思っている。
……だが、怖かったのだ。
皇になったと言えど体の小さいベアトリクスが、屈強なオスに組み敷かれる。
それが正しい行為なのかもわからなかった。
もしかしたら、皇の義務に偽装した殺害工作、ハニートラップの可能性だってあり得るのだ。
「確かにそうかもしれねーけど、でも……」
「だってもデモこっちのセリフだグマ。さっさと種付けして貰ってりゃ、クマ族は安泰だったグマ。俺みてーによ」
「……?お前はオスだゾ?」
いくら交尾の経験がないと言えど、オスが孕まないことくらいは知っている。
流石に抱いた違和感、そして、別の種に思い至る。
「木星竜の種子か、ダゾ。あんなもの無い方が良いんダゾ」
「森で生まれ、森で育ち、森を捨てて言う言葉がそれかよ。アルティ、お前、人間と宜しくやってるようグマ」
「何が良いたいんダゾ。他種族との共存関係は悪い話じゃ……!」
「ねぇよなぁ。ねぇんだよ、木星竜や金鳳花との共生も、本質は同じグマ」
「他者の力を借りるって所は、同じ……ダゾ」
「なら、いいじゃねぇか。今までのままで。これからも同じで。なぜ、今まで共生していた木星竜の加護を袖に振る?ダルダロシア大冥林という秩序を何故、乱そうとする」
「それは……」
「溶嶽熊がお前に見た夢。人化、神と同じ姿になれるってのはそんなに凄いのか?不可思議竜の逆鱗に砂をかけてまで種族に必要なものなのか?」
暗号熊は、前代の皇・溶嶽熊の親友だ。
先々代のベアトリクス・アラサルシの時代から眷皇種だった、溶嶽熊、暗号熊、落撃熊、混響熊、この熊達は互いに意見を戦わせながら、それぞれのやり方で、種族の繁栄を願っていた。
「そんなもん、オイラだって……、逆に聞きたいんダゾ。溶嶽熊の記憶では、オイラを育てろと言ったのはお前になってるゾ」
「託せとは言ってねぇ、グマ」
「くっ、そんなんだから、ひねくれ者の暗号熊なんて言われるんだゾ……!」
『強きに媚びて増長させ、弱きを叩いて減退させる』。
助けを求めた者に手を差し伸べることはなく、むしろ、嬉々として虐げる側に回る。
自分本位のひねくれ者、それが、ベアトリクスが皇の知識を調べて得た暗号熊の評価だ。
「落撃熊、混響熊も言ってたゾ、暗号熊は小細工が好きなひねくれ者だって」
「自覚してるが?それがなにか??グマ」
「くっ……、」
「小細工は悪いもんじゃねぇ、結果が伴わないのが問題なんだ。そしてお前は人間にすり寄った、あろうことか、親の仇にだ。裏切りだ、裏切りでしかねえぇよ、そんなもん」
「裏切り、オイラが……」
「そんで出たか?結果。どうだ?種族に対してどんな恩恵があって、どんな利益がでた?どうだ?教えてくれよ、クソに塗れて、どんな結果が出たんだよ」
「クソじゃない……ゾ」
「クソだろうがよ。ユルドルードに媚びて、無駄に時間を使い、結果、ヴァジュラコックに隙を突かれて大勢死んだ。住処を追われた仲間も大勢死んだ、人間に襲われてだ。それでお前は何を得た?仲間の命をクソに塗れさせてまで、何を手に入れた?グマ」
間違ったことぐらい、アルティにも分かっている。
皇に覚醒したアルティを探して群れの中心まで連れて行ったのは、暗号熊、落撃熊、混響熊の3匹だった。
訳も分からず恐怖で動けなくなったアルティを背中に乗せた落激熊、恐怖で震えるアルティに陽気に話しかけた混響熊。
そして、どういう状況なのかをアルティに説明して理解させたのは、暗号熊だった。
その時に言ったのだ、「皇の務めを果たせ」と。
「これじゃ溶嶽熊も死に切れねぇ。繁栄させるどころか、クソがこびり付いちまってんだからな、グマ」
「クソじゃないって、いってるゾ」
「グマァ?」
「ユニクルフィンも、テトラフィーアも、サチナも、リリンサも、ワルトナも、みんなオイラの大切な友達ダゾ。クソなんかじゃない」
ぴりっ……、と空気が張り詰めた。
低く唸るようなアルティの威嚇、それは、この世界の支配者が所有するもの。
人間のみに与えられるその『声』は、世界を揺るがし、魔法次元への扉を開く、絶対強者の証明。
「さっきからお前、何様のつもりダゾ」
「ひねくれ者の暗号熊様だグマー」
「でも、さっきのご高説、痛み入るゾ。オイラがやらなくちゃいけなかったのは、仲間を、友達を、馬鹿にする奴をひねり潰すことだったんだゾッ!!」
――ようやくだ、ようやくだぜ、溶嶽熊。
ようやく結果が出る。俺達の計画の結果が。




