第74話「人狼狐・夜の襲撃 ロリコン・フェチ・オタク⑥」
「譲ってやってもいいぜ、だぁ?それどころじゃ、ねぇっぅんだよ」
アストロズの独白を聞き流し、目の前の脅威に集中する。
一瞬でも気を抜けば、それで御終い。
召喚した二本目の国宝十本刀・極狐逆撫・胸千花にも魔力を通し、眼前の羊と睨み合う。
『羊骨皮皇・タングニョルニル』
種族 舌噛羊脂吐
年齢 推定450歳
性別 オス
称号 羊骨皮皇・タングニョルニル
危険度 大国滅亡の危機
『基礎情報』
舌噛羊脂吐といえば、最高級羊肉として有名だ。
その肉はひとたび噛めば肉の油が舌に絡みつき、食した者の吐いた息まで甘くなるという、極上の体験をさせてくれる。
そんな舌噛羊脂吐の群れが、ダルダロシア大冥林の南東にある草原で発見された。
当時、美食を謳っていた小国の王の命令により、1万の軍人を動員した大規模な捕獲作戦が決行。
そして、娘の婚約式を派手に祝いたいと意気込む王は、捕獲どころか帰還者ゼロという、未曽有の大災厄に舌を巻いた。
『戦闘能力』
ジンギスカンってなんだ、親父ー?
ガールフレンドに自慢されまくったらしい可愛い息子の疑問に答えてやるべく、俺はダルダロシア大冥林にやってきた。
今回はアプリも一緒、つーか、強引に連れて来た。
どう考えても、お前んちでジンギスカンパーティーする流れだろ。
羊に限った話じゃないが、厳しい環境に住む生物は油や栄養を蓄える性質がある。
丸々太った奴なら、まず間違いなく美味い。
「前に食べた奴の方がおいしかった」なんて言われた日にゃ、息子の、ひいては俺の立場がねぇ。
そんな訳で最高品質の肉を狙いに来たら……、皇が出てきた。
そう言えば羊の皇とは協定を結んでいなかったと思い直し、適度にしばき倒しておこうと思う。
『転写の権能』
……とんでもねぇ、舐めてかかるとこっちが殺される!!
それが、戦闘直後に抱いた俺とアプリの感想だ。
羊は人間の家畜として、長い歴史を共に歩いてきました。
その中で生み出された羊皮紙や羊毛織物は、骨董品扱いで現存しています。
それは大体が高位の魔道具で、現代では失われた魔法技術が詰まっていたりする訳ですね。
アプリの解説によると、コイツはそれを自分の身体に転写できるらしい。
生きる魔導書とは洒落てるじゃねぇか。
全身の羊毛で魔方陣を描き、雷神王の掌を始めとしたバッファ魔法や防御魔法を駆使した近接戦闘を仕掛けてくる。
羊の癖に二足歩行なのも、羊毛で出来た服を転写しているからだろうな。
皇種の身体能力を魔法で強化しているだけあって、ただの殴打で大地を割る。
動きも音速を超えてるし、防御力も高い。
あと、羊毛が使われている服は着ていくな。
コイツは自分に移すだけじゃなく、羊毛側にも転写できる。
せっかくモリブデンで作った鎧も、内側を爆破されちゃ意味がねぇ。
「ふむぅ?人間、君の願いはなんダネ?」
「あ”?」
「毛を刈らせ、皮を剝がせ、肉を食らわせる。私達は人間の願いに答えて来た。先日も、君らの皇が私たちの肉を求めて来たヨ」
「……めちゃめちゃ、恨まれてるじゃねぇか」
「あぁ、良いのだヨ。この世は弱肉強食。他者を食うのは私達だって同じこと、お互い様だろう?」
その笑みは、無色の悪意に満ちていた。
同じなのだと。
同じ重さの命のやり取りだからこそ、私達が人間の毛を刈り、皮を剝ぎ、肉を食らっても良いのだと。
その為に結界を超えてやって来たのだと、目を細めて笑う。
「《転写の権能・シアンの羊皮紙》」
ギュルリとタングニョルニルの羊毛が蠢く。
肩から腕に流れていく文字列、それが集約して魔法陣となり、かの両腕を”剛腕”へと変貌させた。
「ひき肉は好きかね?」
「嫌いだよッ!!」
振るわれた羊蹄に浮かんでいる、何らかの魔法陣。
シーラインが剣の先で小石を引っ掻けて放り込むと、それが、高位の風魔法であると判明する。
木っ端微塵かよ。
バッファどころか、攻撃魔法も完備してるじゃねぇか。
ユルドルード相手に使わなかったのは、情報の流出を防ぐためか。
……そうかよ、我を生かして返すつもりはねぇと。
「おぉ!!良い動きをするネ、人間!!」
「かふっ……!!」
音速で迫った回し蹴りへの対処は間に合った。
剣を滑り込ませ、手首と腕と肩を使って衝撃を殺し、即座にカウンターを決めるはずだった。
吹き飛ばされたシーラインの膝が笑う。
それでも、だらりとぶら下がった左腕に比べればマシだ。
「レベル29万は伊達じゃねぇわな、……ぺっ」
衝撃で切れた口の中から血を吐き捨て、シーラインは思い出す。
幾億蛇峰が放った打ち下ろしは、こんなものじゃなかったと。
「《武人技・天羽々斬》」
シーラインは握った剣が宿していた魔法陣を覚えている。
選択した天羽々斬は、正真正銘、人生最高の一振り。
そして彼は、過去のそれを超える為に鍛錬を続けて来た。
「……改め、《天十握剣》」
右手に魔法を刃紋へ写す、億邪落涙・菊紋。
左手に時を裂く光速太刀、極狐逆撫・胸千花、……だけではない。
リリンサが持つ殲刀一閃・桜華の物質強度改変を始めとする、選び抜いた十本の魔剣の能力を束ねて、握る。
剣という武器は、振り回すことを前提に作られる。
故に重量の制約が付きまとう。
理想の能力を全て搭載された剣など、それこそ――、神に逆らう行いだ。
「・・・・・・?」
「まさか、羊の毛刈りに使う羽目になるとはな。これだから人生ってのは面白れぇ」
カチン。とシーラインの腰にぶら下げた鞘が鳴る。
そして彼は心の中で息を吐く。
視界が赤く染まったか、目の毛細血管が切れたみてぇだな。
脚にも痺れが出ている、こりゃ、エアリフェードの結界に追いつくのも一苦労しそうだぜ。
「か、かはっ・・・・・・、胸が気持ち悪い、なんだね、これは……?」
「今のでズレたぜ」
「ズレ……、ッ!?」
「お前の心臓だよ」
「が、が、がぼぼぼッッ!!!!」
どくん。っとタングニョルニルの心臓が跳ねた。
水風船を横に叩き斬ったように、上下に分かれて爆ぜ逝く。
シーラインが行ったのは、抜身の刀で放つ、光速の抜刀術。
空気を魔法で固めて鞘を作り、刀身を滑らせた。
蛇峰戦役での敗因は、悠長すぎる準備時間。
過去最高の太刀筋を、いつでも、どんな体勢からでも放つ。
それが、我がたどり着いた剣の極地。
「はぁ……、ちっ、走るしか――ッ!?」
「すごいね、今どきの人って、こんなことが出来るんだ」
冷え切った声が、シーラインの背中を刺す。
物理的に刺された訳ではない。
それでも、本能の底からの恐怖によって、冷や汗が噴き出している。
「がぼっ、がぼっっ、がぼっぼぼおおおおお!!」
「あ、ごめんね、痛いよね」
シーラインが見た、おぞましい光景。
少女がタングニョルニルの血で赤く染まっていく。
その胴体に腕を突っ込み、何かを探すようにかき回して。
「おい、誰だ?いや、お前はなんだ?何をして……」
タングニョルニルは崩れ落ちていない。
二方向から血を噴きださせながらも、支えられて立っている。
「私?私は蟲だよ。最果ての蟲の姫」
白くて小さな蟲が鳴く。
愛を宿さぬその声で。




