第71話「人狼狐・夜の襲撃 ロリコン・フェチ・オタク③」
「走り出して10分、そっちの様子はどうだ?シーライン」
『集まってきてるな。この調子だと……、そろそろ来るぜ』
エアリフェードが新たに張り直した結界の最先端に追従するように、アストロズが疾走している。
彼が発動した晦瞑刻限・夜叉月見尊は、発生させた月光が届く範囲の情報をアストロズとシ-ラインに伝えるものだ。
それは、人間が感じる五感に変換された情報。
視・聴・嗅・味・触の五つの感覚……、掌に載せた小さな森を観察するように、精密な変化を彼らに伝えている。
「結界に接触している皇種の領地は10ほど、それ以外の内側に住む皇種は、縄張り侵犯になるから仕掛けて来ねぇ」
『そこから、5分以内に結界へたどり着ける奴なんて一握りだが……、先回りして結界が消えるのを待ってる賢い奴がいやがるな』
別々の方角へ進んでいる二人が会話できるのも、晦瞑刻限・夜叉月見尊による効果。
呟く程度の声であっても、しっかりと相手に伝わっている。
「地面が湿って草木が腐り始めた。どうやら情報通りの湿地帯に入ったらしい」
『うさ皇にたっぷり礼をしねぇとな。じゃ、つまんねー油断で死ぬなよ、アストロズ』
他愛ない会話をしながら進むのもここまで。
互いに予定されている皇種の縄張りに入り、それぞれの脳裏で皇種に関する情報を探った。
危険生物図鑑を思い出し、該当生物の情報を洗い出そうとしているのだ。
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『御霊溺死』
*動物界
*脊椎動物亜門
*両性網
*矢毒蛙科
*御霊溺死族
御霊溺死と呼ばれる蛙の種類がいる。
劣悪な火山性地帯に出来た沼地に生息しているオタマジャクシ、および、それが成長したであろう蛙の呼称だ。
全長10cmにもなる黄金色のオタマジャクシであるそれは、一目見た人間の魂を抜き取り、三途の川で溺死させると言い伝えられて来た。
発見される遺体は誰しもが沼の中でうつ伏せに倒れ、その顔は水死体のように変色し、酷く爛れているからだ。
そして近年、呪物生物のような扱いを受けて来た御霊溺死の謎が解明された。
それは、この生物が排出している硫化硫黄による即死だった。
恐るべきことに、生後1週間の御霊溺死ですら、周囲50cmに即死の毒煙幕を張る。
成長するにつれて範囲は広くなり、オタマジャクシから生体の蛙に成長する頃になると、周囲5mもの広範囲が超高濃度の硫化硫黄で汚染されることになるのだ。
故に、この蛙の成体を見ることは不可能に近い。
生きている姿どころか、その死体ですら常人は近づいただけで絶命。
完全防毒装備の科学者であっても、衣服に毒が浸透した瞬間に死ぬからだ。
かのカエルの鳴き声は、まさしく、死の合唱。
ボコボコと沸騰する沼は、地獄の釜と呼ぶのにふさわしい。
脅威度は『SSS』クラス。
※速やかに不安定機構の上級使徒を呼ぶべし。
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……そこらにいる雑魚蛙ですら、まさしく、クソ仕様って感じだぜ。
俺様とは相性が良いが、シーラインの奴とはすこぶる悪い。
そんな毒蛙の皇に関する記録は、確かこうだった。
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『蛙皇合葬・ヘカトンヘケト』
種族 御霊溺死
年齢 推定80歳
性別 オス
称号 蛙音合葬・ヘカトンヘケト
危険度 確実な死
『基礎情報』
ダルダロシア大冥林北部に存在する山岳沼地にて、少なく見積もって数十名の遺体痕跡が発見された。
それはドロドロに溶けた、粘性の高い硫化物だまり。
強力に汚染され液状に溶けたそれの中に、腐食耐性の強い魔道具の欠片があったのだ。
直ぐに調査団を派遣した不安定機構は、ランク8を筆頭にした有能な冒険者100名を失うことになる。
魔法による通信ですら碌な情報を残せなかった事実から皇種の関与を疑った大聖母は、英雄パーティーを派遣した。
『戦闘能力』
ここから下は、俺の個人的な所見になる。
なにせ、奴に近づけるのは毒性を破壊できるグラムを持つ俺だけだった。
蛙皇合葬・ヘカトンヘケトと名乗ったこいつは、御霊溺死の成体が皇種化したもんだ。
全長は2mに満たず、巨大化する傾向が強い皇種にしては小型ではある。
レベルは202881。
……だが、戦いにくいったらありゃしねぇ。
まず、コイツは全身から猛毒を噴出している。
アプリによると硫化硫黄とかいうらしいが……、とにかく臭い温泉のアレが沸騰させた湯みたいにボッコボコ吹き出してやがる。
それがこいつの権能だった。
『硫化の権能』
自分自身が分泌する毒液(硫黄)と周囲の物質を融合させ、変質させる。
それにはヘカトンヘケトの魔力が多分に含まれており、意志を持つスライムのような挙動をする。
奴の周囲では、呼吸を始めとする体外から成分を取り込む生命維持を行えない。
無呼吸状態での短期決戦が強いられる上に、奴自身の身体はゼリーで覆われていて、あらゆる攻撃がめちゃくちゃ滑る。
体表から湧き続ける毒ガスの流動に、剣や魔法が絡め取られるからだ。
体感になるが、毒ガスを吸い込めば即死、皮膚に1秒以上触れても即行動不能のち死亡。
捕獲するなら10km以上離れた所から光速以上で接近して地面に叩き込んで埋め、上から水を流し込んで凍結、
魔力が切れて権能が使えなくなるまで、消耗させろ。
なお、好戦的ではあるものの理性的で、停戦協定にも同意したので生かしてある。
身体能力は超音速戦闘程度、跳躍を駆使した殴打張り手は大地を深さ5mくらいは消し飛ばす。
それと、俺みたいに真正面から行くと、硫黄で防具やられて全裸で戦う羽目になるぞ。注意しろ。
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まさしくクソ仕様って感じだが……、ユルドルードは勝利している。
それに、こんだけ情報があれば対策は容易だ。
光速で突っ込むとかいう意味不明なことをしなくても、十分に勝機はあるぜ。
アストロズが戦略を立て終えた瞬間、晦瞑刻限で習得している感覚が殺気で塗りつぶされた。
思わず足を止めそうになる圧迫感、だが、それこそがヘカトンヘケトの思惑であると理解する。
「っ。」
アストロズは、息を吸いも吐きもせずに止めた。
それは、人間の種族特性である魔法詠唱を捨てる行いだ。
だが、彼の攻撃に支障はない。
幾億蛇峰アマタノと戦ってより過ぎた年月、その全てが彼にとっての詠唱時間だ。
その肉体に秘められている莫大なエネルギーは、アストロズの血肉と融合している。
それの解放は熱エネルギーとなって、全身の毛穴から噴出。
そして、彼自身が両方の掌を叩きつけて空気圧縮で引火させれば、露出している肉体を覆う炎の鎧と化す。
『幽玄なる肉体』
アストロズが本気で戦う時に見せるこの姿は、まさしく炎の幽霊のごとき風貌と得る。
全身を余すことなく包む爆炎は接触した物質を熱変質させることで無力化し、また、アストロズの挙動を後押しする加速装置の役割を持つ。
再構築されていく結界を一気に走って追い抜いたアストロズは、月光で見つめる視野で黄金色の蛙を捕らえた。
呼吸を止めて15秒、まだまだ息は保つ。
勝利条件は、エアリフェードが張った新しい結界に接触させること。
迫ってくるそれに向かって、2m弱の蛙を思いっきり蹴り飛ばせば済むだけの事だ。
「ゲッッ!?」
結界から抜け出ようとしていたヘカトンヘケトへ目掛け、アストロズは爆炎で加速した回し蹴りを放つ。
ただの生物であれば瞬時に爆散する威力、それに耐えたヘカトンヘケトには確かに皇種としての格が備わっていた。
「ゲゲーッッ!?」
ヘカトンヘケトは敵襲・攻撃を察知し、挙動が遅い硫化毒液で迎撃するのではなく、防御を選択。
反射的に背後へ飛ぶことで威力を最小限になるまで殺して受け、無傷でアストロズの実力を調べ終えた。
大した実力者ではない。
大地に着地した瞬間に前へ跳躍し、舌の先端に作った硫化硫黄の結晶槍で貫く。
舌は急所であるために忌々しい英雄には使えなかったが、この程度の雑魚なら躊躇う必要はない。
そんな戦略を立てたヘカトンヘケトが、大地に降り立つ。
そこは既に、エアリフェードが張り直した恐怖結界の中だと知らずに。




