第70話「人狼狐・夜の襲撃 ロリコン・フェチ・オタク②」
「では、始めましょう。《五十一音秘匿》」
パチン。と指を弾けさせたエアリフェードのマントが棚引く。
内側に宿っているのは、波紋が広がる漆黒宇宙。
マントに擬態させていたそれこそが、エアリフェードの世絶の神の因子。
「隠し事は疲れますので、もうやめにします。どれだけ止めても無駄ですよ」
マントの内側から浮かび上がった油膜のような漆黒が、エアリフェードの意思に従う。
楕円形へ折りたたまれていくソレ、直径が10cm程の円盤状になるまで圧縮された結晶は、宇宙をガラスに閉じ込めたように美しい。
そして、それに手を翳すエアリフェードが、真剣な眼差しで結界を指さした。
「《仮説誘拐》」
右手で指さした結界に向かい、奇妙な円盤が飛ぶ。
そして、触れる直前まで接近すると、円盤の下方から謎の光を照射した。
「まるでB級小説の一幕だな。さしずめお前はエーリアンってか?エアリフェード」
「お黙りなさい。外見で言えば、あなたの方がよっぽど宇宙生命体ですよ、アストロズ」
全身が隆起しまくっているアストロズの外見は、ボディビルダーが法衣を着ているという驚愕の姿だ。
街を歩けば10人中9人は振り返るという、人間としては異形の部類に属している。
そんなアストロズからの冗談は、その心情を隠すためのもの。
彼は、自分と同格の理解者だと思っていたエアリフェードが、得体の知れない正体を隠していたことに驚愕している。
『《解析中・・・・・・、解析中・・・・・・、進捗率65%》』
「円盤に描かれている進捗率が100%になった瞬間、結界の消失が始まります。アストロズ、シーライン、準備は良いですか?」
「この後に及んで、森林破壊がどうとかつまんねーこと言わねぇよな?」
「言いませんよ。思う存分やりなさい」
「あっそ。じゃ、俺様は蓄積衝撃機構全開で行こうかね」
人類最高の肉体、アストロズ。
またの名を、『幽玄なる筋肉』。
その肉体に秘められているのは、幾億蛇峰アマタノとの戦いの時から蓄えられてきた、彼が行使した破壊力。
通常の現象では、拳が衝突した際のエネルギーは殴られた物質と拳の両方に均等に発生する。
それらは互いを駆け抜け――、弱き物質を崩壊させた後、余剰エネルギーは世界へ帰る。
だが、アストロズはその理を拒絶した。
彼が望んだのは、世界へ帰るはずのエネルギーを自身の肉体に保存しておくという、異常すぎる性癖だ。
鍛え上げた肉体、そのベースは『才能』と評される神の因子。
『筋肉の質が良い』『神経伝達速度が速い』『疲労物質が溜まりにくい』などの、一般的な才能をアストロズは一通り持っている。
だが、たったそれだけでは、人類最高の肉体を名乗れはしない。
「迸れ、俺様の筋肉。《蓄積衝撃機構、解放ォ》」
若かりし頃に出場した武闘大会で、アストロズは名乗らぬ老爺と戦った。
その老爺は骨と皮ばかりで、吹けば飛ぶような弱弱しい身体でしかなかった。
筋肉こそが全てと思っていたアストロズは、その老人から受けた一発の掌底で沈んでゆく自分の体の中に、武の神髄を見た。
ほっほっほ、儂に何をされたのか、分かるかな?
挑発を残して去った老爺と再会したのは、アストロズが人類最高の肉体として大聖母ノウィンに仕えた時。
彼はその時に確信したのだ、『肉体の質が違い過ぎる』と。
だからこそ、アストロズは自身の肉体を見つめ直すことができた。
名乗らぬ老爺と自身を比べ、比べ、比べ、積み上げた研鑽は、彼が持っている殆どの神の因子をランク2へ覚醒させるという異常な結果を生み出している。
「やっぱり人間じゃないですよ。気合を入れると筋肉が2倍に膨らむとか、フィクションの宇宙戦闘民族もびっくり」
「人間って変身できるのか……、すげ~~」
「ほらね、兎の皇すらドン引きですよ」
生物の筋肉は伸縮機能を持っている、だが、体の大きさを決める骨格は不変だ。
アストロズの変化は、骨同士の間にある僅かな筋線維が膨張した結果だ。
「進捗率、89、90、91……そろそろです」
「結界の外周を辿って行く。せっかくだ、シーライン勝負しようぜ」
「あ”?勝負だァ??」
「95、96、余裕ありますねー、98、」
「どっちが多く進めるか。負けた方が飯を奢る、いいだろ?」
「面白れぇ。乗った」
「99、再結界の詠唱を開始します《繰り返す日常、明日に夢見た希望は、絶望へと転化せん――》」
結界の秘匿が完了した瞬間、魔力ブースターに添って結界が消失してゆく。
秒速28m、常人ですら目で追える程度のスピードでしかないそれは、二人の武人にとっては遅すぎる部類に属している。
そんなアストロズは、エアリフェードの詠唱に重ねるように魔法の詠唱を始めた。
「≪彼の英雄になりてぇなんて誰が言った?そんなもんに興味はねぇ。俺様は彼の英雄を超えるぜ。この肉体を以て全を統べ、暗澹たる世界にて、あの老爺をぶっ飛ばす。晦瞑刻限・夜叉月見尊、発動≫」
『晦瞑刻限・夜叉月見尊』
対象者の五感、すなわち視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を奪い、意識を幽閉する幻惑魔法の最高峰である晦冥刻限は、生物に対して行使する大規模殲滅魔法だ。
だが、幾億蛇峰アマタノには通用しなかった。
だからこそ、アストロズは開発したのだ。
魔法の対象を生物から環境へと変更し、人間が理解できる五感情報の変化を習得する。
それは月夜に照らされた世界が、万人に様々な感嘆を抱かせるかの如く。
空高く輝く二つ目の月、アストロズが発生させたその月の残光が、ダルダロシア大冥林の闇を照らし出す。
「感覚は繋がってるか?シーライン」
「おうよ、じゃ礼な。≪英雄ってぇのは、良く分からねぇ。強きを挫くだけなんざ、この刀にだってぇ出来うることだ。だから我ぁ、おめぇを倒して英雄と名乗る。剣聖無頼・出雲雷男命≫」
『剣聖無頼・出雲雷男命』
かつて剣聖と呼ばれた男が、その身一つで国と語るために、極め尽くした叡知と剣技を元に作り出した人類最高峰の剣撃魔法、剣聖無頼。
この場に存在する全てのエネルギーを吸収し、持ちうる刀剣を伝説へと昇華させる大規模殲滅魔法だ。
だが、伝説を打ち滅ぼせるだけの力も、当たらなければ意味が無かった。
剣皇国に訪れた、不遜すぎる食客。
年若い娘を試すためにその老爺は、シーラインの住む城を突如として訪れた。
誰の許可を取ることなく雷の速度で城壁を駆け上り、城の頂点の天守閣の中で待つという屈辱的な訪問方法は、ジャフリートの全剣士に喧嘩を売る行いだ。
当然、激怒したシーラインは城を駆け上り、その途中、若い娘に出会う。
あんの雷爺をぶった斬る。邪魔すんな。
殺意を剥き出しにした若い娘、その鋭い視線はシーラインの脳裏を焼き付かせた。
シーラインにとって、女子供など、フィクションの中で愛でるだけの存在だ。
これ以上ない才能だと思ったミオ・ロゥピリオドを育てても、女性の骨格や筋肉量の不利のせいで、凡人から抜け出る程度の実力にしかならなかったからだ。
現実は時に、小説より奇なり。
雷を宿し、文字通りの雷人と化して戦う老爺と、雷をぶった斬り続ける若い娘。
これこそが武の極致。
肉体に魔法を宿して戦う、それを諸共しない美しい剣技。
その両方にシーラインは憧れた。
「んおっ!?いつ食らってもびっくりすんな。コレ」
「心臓の裏側、背中にあるそのツボは魔力循環の要だ。これで魔力は切れねぇ」
シーラインがアストロズの背中に刺したのは、剣聖無頼・出雲雷男命を纏わせた小太刀。
周囲の環境からエネルギーを吸い上げ続けるそれは、どんな生物と相対したとしても魔力を上回せる外部バッテリーと化す。
「そろそろか」
「だな、詠唱の最終説だ」
「《――これそが英雄の威光。人を超えし原拠は虚無を拒絶する。明星殲滅・観照皇爺」
その詠唱は、エアリフェードを以てしても省略することが出来なかった。
故郷の安寧を想う英雄によって作り出された、いくつもの魔法十典範を組み合わせた至上の結界魔法は、全ての音が揃うことで初めて意味を成す。
名もなき老爺は忘れていないのだ。
全てが終わった朝の光――、その明星の中で見た絶望と、それごときに滅されてしまった己の意志の弱さを。
だからこそ、詠唱という形で残したのだ。
「行ってくるぜ。てめぇもヘマこくなよ、エアリフェード」
「誰に物を言っているのですか?私は既に英雄の領域いるのですよ」
「でけぇ口を叩けるのもあと1時間だ。我らは狩るぜ、皇を」
「それは頼もしい。弟子に先を越されたままだと、師匠の沽券にかかわりますからね」




