第50話「ベアトリクスの主張④」
「んごっ、んごっ……。ぷはぁ!不味い、もう一杯!」
纏っていた溶嶽熊の亡骸の腕からエイワズニールの角を奪い、先端のキャップを外す。
そうして酒を手に入れたアルミラユエトは、躊躇なく口を付け……、ベアトリクスを怒らせた。
「おい。何勝手に酒盛りを始めてんだゾ!?」
「おめーも飲むか?勝者の美酒って奴をよぉ」
「いらねーゾ!!そんな腐った汁!!」
アルミラユエトが持っているのは、いわゆる口噛み酒と呼ばれるものだ。
米や果実を噛んでほぐし、それを発酵させることで酒にする。
誰でも製作できるものの、失敗するとただの腐った汁にしかならないという、問題の多い酒である。
「アルミラユエト。なんでオイラの縄張りに入って来た?配下まで連れてきてる以上、迷子じゃ済まさねーゾ!!」
「お狐様のお通りだァ」
「あ”ダゾ?」
「そこのアプリコットの娘に命の保証をさせろ。エイワズニールみてーに両断されちゃかなわねー」
亡き友を背もたれにして座り込み、胡坐をかいて頬杖も突く。
何処からどう見てもおっさんにしか見えない姿勢も、真っ白な兎がしていれば、それなりに愛嬌がある。
そんなことを思いながら、リリンサが歩み寄った。
そうしてベアトリクスの横に立ち、「分かった。あなたが戦闘態勢を取らない限り、命の保証をする」と頷く。
「あんがとよ。けっ……、死んだんじゃなかったのかよ」
「何の話?」
僅かに目を細めたリリンサ、その胸中は「お父さんと面識がある?」だ。
アプリコットとユルドルードは大陸中の皇種と戦ったとワルトナから聞いているものの、具体的な話は教えて貰っていない。
英雄ホーライ伝説で少しだけ語られているが、そこにアルミラユエトの名前は無く、詳細は不明だ。
非常に興味をそそられているリリンサ、だが、話の主導権をベアトリクスに譲った。
仕方がないとはいえ、友達を殺した相手を簡単に許すはずがないと思ったのだ。
「おまも気づいたろうが、木星竜が根を張っててよぉ」
親指で指示されたのは、アルミラユエトが脱いだ溶嶽熊の残骸。
その断面には、無数の木の根が埋め込まれている。
「あれはなんダゾ?お前やエイワズニールだけには見えないゾ」
「奴の背の上で育った果実を食った奴は、全員、種を持ってんだ」
「!?いや、それはおかしいゾ。オイラの中にはそんなもの……」
否定したベアトリクス自身、その可能性を疑っている。
だが、身体能力向上の権能を持つ以上、自身の状態を把握できなければ話にならない。
そして、何度も体内を探り、それが見つからないことに恐怖を抱く。
「まさか、権能で見つからないほど、巧妙に隠されてるのか、ダゾ!?」
「安心しな。おめーの中にゃねぇよ。たぶん」
「そうなのかダゾ!?」
「発芽前の種は体内に蓄積しねぇのよ。しばらくすりゃ、ぷりっと出るんだわ」
発芽する以上、体内では種子として存在していなければならない。
一方、体内に吸収されるということは、消化され、エネルギーとして取り込まれている。
故に、種子のまま体内組織に取り込まれることはない。
「オイラは温泉郷で飯を食ってる。だから種子はない、のかダゾ?」
「調理じゃ種子は死なね。食材を森から取ってるなら、腹ン中にあるけどな」
「いや、材料は他の街から仕入れてる。サチナが警戒してた理由はこれか、ダゾ」
流石だゾ。と感心するベアトリクス……、だが、リリンサの顔は青ざめている。
既に温泉郷は無事ではないと気が付いたからだ。
「カミナに、連絡……」
リリンサは心無き魔人達の統括者として活動していた時、カミナに衛生観念の基礎知識を叩き込まれている。
その知識は深く、『血液や排泄物がなぜ汚いとされるのか』という、根本的な疑問を解決。
その答えとして『微生物やウィルスなどの有害生物が著しく繁殖しやすく、僅かな接触で体内に侵入する』からだと教えられている。
「連絡は……、できない……!」
わんぱく触れ合いコーナーには、ダルダロシア大冥林に住む生物が出入りしている。
そして、体内に種子がある状態でで死んだ場合、血液などと一緒に撒き散らされ、冒険者の体内に侵入している可能性がある。
だからこそ、リリンサはカミナに連絡を取ろうとしてーー、思い至る。
もしも、カミナが敵だった場合、リリンサが仕掛けに気づいた事を知られ、事態が悪化する。
温泉郷の衛生管理はカミナの設計であり、そこに悪意が加算されれば、誰にも取り返しが付かないからだ。
一方、カミナが味方だった場合は、徹底した衛生管理により、何もせずとも無効化している可能性がある。
友人を疑わざるを得ない嫌な状況、それでも、リリンサは思い付く限りの最適解を選択する。
「アルミラユエト。私も話し合いに参加したい」
「あん?」
「私は情報が欲しい。何かしらの交換条件を飲んでも良い」
「てめー……、いや、厄介な。はっ、そっちの後ろにゃ天王竜に白銀比様、アプリコットに、那由他様。……あん?」
次々に加護を言い当てながら、アルミラユエトが何かに気づく。
鋭い前歯をギリリと鳴らし、真っ黒な瞳をリリンサに向けた。
「ダルダロシア大冥林以外に、俺ら兎の特別保護区を用意しろ。あんだろ、そういうの」
「承知した。不安定機構を動かして、冒険者も立ち入れないようにする」
「ほーん、で、何が聞きたい」
リリンサが求めているのは、木星竜と金鳳花の関係性。
既に皇種が動き出している以上、ホーライの奉納祭も同様の手口で発生した可能性が高いと判断したのだ。
「さっきから言っている狐とは金鳳花のこと?」
「そうだ。ん、なんだそれ」
「素直に答えてくれるたびに、貢物を用意する。これは高麗人参で作ったお酒」
はい、これ。滋養強壮にいいお酒ぇ。ユニクぅとの初めての夜のお供にオススメよぉ。
そんな大魔王のささやきと共に渡されていた酒を有効活用し、強かに情報を探りに行く。
「へぇー。ごくごっ……きゅ……っ!?んんっ!???!?」
「もっと飲みたいなら質問に答えて欲しい。あなたが受けていた影響、それと、知っている木星竜と金鳳花の情報の全てを教えて」
香る人参の甘さ、隠されたリンゴとはちみつが織り成すハーモニー。
そんな未知の体験をしたアルミラユエトは不敵に笑い、そっちもありったけ出せやと呟いた。
「木星竜はダルダロシア大冥林そのもの。つーか、奴の背中の上が森なんだわ」
「えっ……」
「で、奴は金鳳花と組んでる。神に捧げる物語って奴を作るためにな」
この世界の存在理由は、神に捧げる物語を作り続けること。
それを理解している上位生物は、三つの選択肢の中から、一つを選ばなくてはならない。
・金鳳花と組むことで、物語を起こす側となり、有利を得る。
・金鳳花と対立し、物語の被害者となり、不利を押し付けられる。
・自由に生きる。
始原の皇種や、階級を持つ強者であれば、3つ目の選択肢を取れる。
だが、大多数の皇種にとって、それは存在しない可能性だ。
「この世は弱肉強食、つえぇ奴が生き残る。そんな中でダルダロシア大冥林はマシな環境なんだわ」
「命を握られているのに?」
「知ってんだろ、那由他様。敵うはずのねぇ化けもん達が、木星竜には手を出さねぇ。これで十分なのよ」
「そういうこと。共生関係にあるんだね」
始原の皇種・那由他は暴虐の絶対君臨者として、皇種の中で恐れられている。
那由他の機嫌を損ねた種族の辿る未来は、絶滅だからだ。
「金鳳花が動くのは……、100年くらいに一度。人間の寿命に合わせてるから、そんくらいだ」
「なぜ人間の寿命に合わせる?」
「皇を入れ替えんのよ。セフィロ・トアルテの時もそうだって聞いたぜ」
リリンサの心臓が、跳ねた。
それは、薄っすらと分かっていたことだった。
自分の過去。
あの子の死に、金鳳花が関わっていることは。
「……セフィロ・トアルテを襲ったのは、『天命根樹』。植物の皇種だった」
「あん?植物の皇種ぅ?はっ、ありえねぇ」
「何がありえない。教えて欲しい」
「皇種を持たない種族が皇を得るには、他種族の皇種を殺すのが条件。植物がどうやって殺すんだよ。大抵の皇は自然毒なんか効かねぇのに」
アルミラユエトの言葉に、ベアトリクスが肯定を重ねた。
『皇』は、自らが王を名乗る者。
意思なき植物には、資格が無いと語る。
「天命根樹という皇種が、そもそも偽りだった……?」
「一応、神がそういうのを作った可能性はあるけど、それは低いと思うゾ。ユルドルードは、皇種に覚醒してすぐだと権能は碌に使えないのを知ってるから最速で倒したって言ってたけど、たぶん勘違いしてるゾ」
「……違和感はあった。植物の皇種の権能が、なぜ、人格を消失させる毒なのか。なんで、白銀比様の権能に似ているんだろうって」
あの子が受けたのは、『記憶を蝕み、人格を破壊する毒』だ。
アプリコットもそれを受けており、白銀比に相談するまで原因を突き止められなかったと聞いている。
そして、その毒は、白銀比だけでは解けなかった。
幾重にも張り巡らされた認識改変、毒を受けた者はおろか、上位互換の権能を持つ白銀比すら勘違いした理由。
神が『この毒の解毒薬は、混蟲姫・ヴィクトリアなら生成できる』と言った理由。
それが『命と時の権能で作り出された、化合毒』だからだと、気が付いた。
「……そう。天に根付いた私たちの仇は、あなただったんだね、輪廻を宿す木星竜」
「リ、リリンサ……、魔王シリーズの波動が漏れてる、ゾ……?」
森を睨んだリリンサの圧力が、空気を軋ませている。
それをベアトリクスに指摘されたリリンサは、無意識で行っていたそれを止め、二匹の皇に謝罪。
特に、即座に距離を取ったアルミラユエトには深く頭を下げた。
「ごめん。セフィロ・トアルテは私の故郷だったから、つい」
「うぜー。次やったら殺すかんな。ちっ、酒もっとよこせ」
「お団子も付ける。それで、木星竜の種子が芽吹くとどうなるの?」
「後先を考えねーバカになる」
「……。」
「今まで駄目だと思ってたことも、まぁいいか。って思っちまう。理性の枷が外されちまうんだ」
その供述は、無色の悪意について考察したワルトナの結論と同じ。
自身の欲望に忠実になり、理性を度外視して行動に移させる。
そうして引き起こされる破滅が、金鳳花が望む物語。
「同じ皇の治世が続くと生態系は安定し、やがては争いを避けるようになる。下剋上とか、領地拡大とか夢見るのも若い内だけだ」
「だから、金鳳花は皇種の交代を望むと?」
「そうなんだろうよ。今の時代はな、平和すぎる。ユルドルードが皇種をぶん殴りまくったせいで、誰も争わなくなった。このつまんねー世界を変えるには、皇を殺すか、ユルドルードを殺すか」
「世界を存続させるには、皇種による被害が必要不可欠だったと?」
「さぁな、それこそ、神のみぞ知るって奴だろうよ」




