第44話「リリンサの主張⑦」
「千海山を握する業椀の所有者、アルカディアか。一戦交えてみてぇが……、オレンジ料理ってなんだ?」
「アルカディアの好物。わんぱく触れ合いコーナーで戦うには、好物を差し出すのがルール」
「そりゃ動物の話だろ」
「……。彼女は私たちのペット枠」
「おめぇ、魔王友達は極悪だけど、人の道は外れていないとか言ってなかったか?」
アルカディアの正体がタヌキであることは、ユニクルフィン以外には周知の事実だ。
セフィナもゴモラ経由で知らされている。
だが、リリンサが直接的にタヌキだと言及したことはない。
それがアルカディアとの約束だからだ。
「オレンジジュースでも絞ってあげれば良いんじゃないですか。そんなことより……」
「最後はロリコンの番。セフィナは私と同じ純粋な魔導師、こともあろうに人類最高の術師『黒魔導主義』などと呼ばれているのなら、その実力を見せて欲しい!!」
アストロズが放った殴打により、人形兎の群れは凄惨たる最期を迎えた。
爆裂したゴム風船の如く散り散りとなり、そして……、撒かれた血液がさらなる危険を呼び込んでいる。
「ほぉ、これは珍しい。黒締嵐蛇ですか」
リリンサ達を中心に放射状に染まった景色。
その一方向だけは、深緑のままとなっている。
血濡れを嫌った『風の支配者』により、撒き散らされた飛沫が弾き飛ばされたからだ。
ズルり。
巨木に巻き付いていた巨体が、うねりを上げた。
全長35m、頭部の太さ80cm、レベル99999。
文字通りの意味で鎌首を持ち上げたそれは、まごうことなき、巨蛇。
「黒締嵐蛇にしては大きいです。かなりの年月を生きていますね。それで、私はどうしましょうか」
リクエストの受付したエアリフェード、その片眼鏡で隠された目がリリンサを値踏みする。
弟子の成長はどれほどか。
自分と同じ境域にたどり着いているのか。
そんな彼の興味にリリンサが答える。
「魔法十典範はいくつ使える?」
「原典に宿りし魔精王は使えますよ。私は創星魔法系ですので」
「……原色を照らす太陽王と原審を下せし戦陣王も使えるのは分かっている。そうじゃないと、
あなたの得意魔法『絶望の雛』が成立しない」
かつて、幾億蛇峰の胴体を分断せしめた究極の光魔法『明星殲滅』。
その威力は幼いリリンサに『これが英雄』と思わせた、……人生で初めて目に見える形で示された憧れだ。
そして今、リリンサの興味は別のものに向いている。
エアリフェードが本気の戦闘を行う際に必ず出現させる漆黒の球体、『絶望の雛』。
彼の肩書きのモデルとなったそれこそが、幼いリリンサでは気づけなかった理解を超えた先にある……、異質。
「私と違い、セフィナは創星魔法系。すごく忌むべきことに、ロリコンと同じ」
「うん。リリンサおねーちゃんとは違うって、ゴモラに教えて貰ってるよ」
「系統の違う私ですら、ロリコンの戦い方は為になった。セフィナにとってはもっと為になる」
「じゃあ、おねーちゃんが闘技場でやってた、魔法をバンバン使う戦い方って!?」
「ロリコンから学んだ方法。これから魔法を戦いの軸にしていくセフィナにとっては、欠かせない技術」
リリンサは魔導師の師匠であるエアリフェードを『忌むべき変態』と呼ぶ。
そう、忌む『べき』変態。
本来ならば近づくべきではない……、なのに交流を続けざるを得ない程、莫大なメリットを持つ存在。
切り捨てたいけど、それをして損するのは私の方。
だからこそ、リリンサはエアリフェードを、尊敬と軽蔑を込めて『忌むべき変態』と呼ぶのだ。
「おやおやおや、これだけ期待されて答えないのは、ロリコンの矜持に反しますね」
「私はもう16歳で成人している。子ども扱いは許さない」
「はぁ。何を言っているのですか、16も61も大差ありません。等しく妙齢とでも呼んでおけば宜しい。今の言葉はセフィナの期待に応えるということですよ」
「……くす、そうだね。60歳の誕生日が来ないあなたには、区別がつかなくて当然。」
リリンサから発せられた、絶対零度の微笑ましい殺気。
それを横で見ていたシーラインは、「お?魔王シリーズが無くてもコントロールできるじゃねぇか」と感心した。
「さてさて。黒締嵐蛇は風を操る蛇なのですが……、リリンサは知っていますか?」
「わんぱく触れ合いコーナーにいた偽物しか知らない。図鑑にも載ってないし」
「そう、一般冒険者の認知度は限りなく低い。それはなぜでしょう?」
「……個体数が少ないだけなら、珍しい物好きの冒険者が放っておく訳がない。だから、遭遇後の生存率が著しく低く、報告自体が少ないんだと思う」
「正解です。『魔導師殺し』、それがあの蛇の異名ですよ。シーライン、アストロズ。手出し無用ですが、備えておきなさい。奴の戦闘時には魔法詠唱が困難になりますから。では行ってきます。《二四刻を繰する王装、解放》」
「!そういうこと。そのマントも千海山シリーズなんだね」
エアリフェードのシンボルである漆黒のマント、それが超常の魔道具だという認識は幼いリリンサでも持っていた。
だが、その正体が神殺しの試作機であると気づいた今、秘められた破格の性能も理解する。
本来ならば、短時間で消えてしまう魔法を保持する魔道具、かな。
魔方陣を記録して適正外の魔法を発動できる魔道具とは、根本的に違うっぽい。
マントの内側に張り付いていた星空。
それがエアリフェードの陰に落ち、そして、漆黒の球体へと変貌する。
「ふむふむ、むやみに仕掛けず、策を弄して有利を形成する理知。あなた眷皇種ですね」
「しゅるしゅるしゅる……」
「アマタノが色んな意味で有名ですので目立ちませんが、古来より大型蛇による壊滅的な被害は存在します。特徴的に、アングルバミュの森にいるとされる個体ですかね」
「しゅっしゅっしゅっ……。しゅぃぃぃぃぃ……」
「空気圧縮による気圧変化。これにより声質が変わり、詠唱に必要な呪文が変わってしまう。魔導師殺したる所以がこれですね」
甲高くなったエアリフェードの声は、変声期前の美少年のように美しい。
魔導師の男女比率で女性が圧倒的に多いのは、声変わりすると必要な呪文が変化してしまうからだ。
魔法詠唱が声紋を重ね合わせて魔方陣にするというシステム上、声質の変化=魔方陣の変化となる。
声変わりの振れ幅が小さい女性の方が修正が容易であり、余った時間を研鑽に仕える為に大成しやすい。
そんな理由から、魔導師の数は女性が圧倒的に多くなるのだ。
「通常個体の3倍以上の大きさ、蓄えられる空気の量も桁違いですね」
「しぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
「砂で汚れた服って、洗濯が面倒でしてね。こちらも風を使うとしましょうか」
ぬるり。
黒締嵐蛇が行ったそれは、疑似的な脱皮。
全身の吸気口から発した爆風が、周囲の物質を取り込んで砂塵の蛇と化した。
怒り狂う二匹目の黒蛇、その鱗は鉱石混合。
万物を取り込みながら進むそれが向かった先にあるのは、絶望。
「《神風払》」
その短い詠唱に、リリンサは二重の意味で驚いた。
一つ、変わった声質では詠唱が成立しないから。
そしてもう一つは、唱えられたのがリリンサと同じ創生魔法系の『原語を謳いし天空王』から派生した魔法だからだ。
エアリフェードが腰から引き抜いた指揮棒、魔導杖としては短か過ぎるそれに従い、不純物を含まない白の風蛇が踊る。
黒と白の風蛇の挙動は、鏡写し。
互いの中心点で対消滅する光景まで、完全同一だ。
「しっッ!!」
天空から降る大質量、猛烈な勢いで突撃したのは黒締嵐蛇の頭部。
蛇として真っ当な攻撃方法、噛みつき。
熟知されている挙動であるからこそ、黒締嵐蛇は囮を用意し、必殺技へと昇華させている。
魔法を封じ、不意を突いた二段構えの攻撃。
音速を超える噛みつき、その先端は太さ20cmもある極太の双牙。
動きが鈍い人間に避けられるものではない。
更に、この黒締嵐蛇は、油断や奢りを欠片も抱いていない。
この攻撃は、当たればどんな生物でも致命的な傷を負う。
だが、竜などの高位生物は即死しない。
だからこそ、その口内には、死を確定させる為の麻痺毒が充満している。
「《九肢鉈姫》あなたは蛇です、地を這うべきでしょう」
グシャり。と頭が斬り潰された。
鉈でぶつ切りするようにあっけなく、9つに分かれた胴が地面にめり込んで停止する。
「みなさん、30秒ほど息を止めておくように。毒やら気圧やら、諸々の処理がありますので」
そんな注意は、リリンサには意味が無かった。
彼女は既に、息を飲んでいる。
エアリフェードの背後で起こっている、様々なランクの魔法が同時に発動する光景。
それは正真正銘の英雄、アプリコットの技術。
発動に失敗するどころか、呪文が存在しない完全な無詠唱。
リリンサですら完全に使いこなせていない、魔導師の極致だ。
「……解説を所望する。洗いざらい白状して欲しい!!」
平均的にふてぶてしくなった声で、リリンサがエアリフェードに詰め寄った。
その後ろにはセフィナ。
姉妹どころか、ペットのゴモラまでもが目を丸くしている。
「絶望の雛は光を吸収して魔法を発動する技だと、以前に聞いた。アマタノを焼き切った明星殲滅もそう。なのに、今使ったのは風魔法系統で矛盾する」
「いえ、矛盾はしませんね」
「なら、星・光・火、三つの魔法系統を生み出す技ではない?むぅ……?悪食=イーターのパクリ?」
ゴモラと契約したリリンサは、理解しがたい現象を悪食=イーターで調べる癖が付いた。
タヌキ帝王が当たり前に行っているチートを躊躇なく使い倒しているのだ。
だが、今のつぶやきは悪食=イーターを呼び出すものではない。
絶望の雛、その性質が悪食=イーターに似ていると思ったのだ。
「悪食=イーターとは何でしょうか?」
「那由他の権能」
「!なるほど。正解です」
「だとすると、絶望の雛の役割は、取り込んだ太陽光で魔方陣を描くこと。むぅ、だから黒魔導主義」
「魔法で魔導書を生み出すというのは、私の発案です。それを見て歴史書と名付けたのは、大聖母であるあなた達のお母さんですがね」
「……ロリコン呼びはお母さんの指示だった?」
「バレてますからねぇ、性癖。ま、それはお互い様ですがね」
※補足1
この黒締嵐蛇はハナちゃんとは別個体の、普通の黒締嵐蛇です。
なお、眷皇種でありながら、アマタノの言うことを聞かないチンピラ蛇。
※補足2
アカムの両親の仇はコイツ。




