第22話「憶測」
「ユニク。不測の事態が起こったのは承知している。だから、穴から出てきて?」
「ぐるぐるげっげーぐるぐるっげーぐるぐるげっげ―ぐるぐるげっげーぐるぐるっげーぐるぐるげっげ― ぐるぐるげっげーぐるぐるっげーぐるぐるげっげ― ………」
「……。あ、タヌキ」
「ひぃぃぃぃ!!」
「ちゃんと聞こえているなら、そろそろいい加減出てきて? さもないと、その穴にタヌキを放り込むよ?」
「……はい、出ます………」
今、俺は穴に入って震えていた。
あの異形のタヌキが去った後、特に何か有った訳ではない。
ただ、あいつがもたらした恐怖感が後から押し寄せ、心細くなってしまったのだ。
そしたら、ほら。
リリンが魔法をぶっ放した後のいい感じな穴があったもんで、つい身を隠したい衝動に駆られてしまったのだ。
そして今、無事リリンに保護?されたと。
「さて、ユニク。何があったの?」
「……タヌキが出たんだ」
「……。将軍とは別?」
「あ、あぁ!そうなんだよッ!!いきなり鳴き声がしたかと思ったら、将軍を一撃で気絶させやがった。んで、転移魔法使ってどっかに消えたんだ!!」
「ごめん。ちょっと意味が分からない……転移魔法?」
「そうだ、魔道具の転移陣によく似たもんを魔法で呼び出して、その中に入ったとたんに消えた」
「……ユニク。転移の魔法と言うのは、超高度な魔法だよ?タヌキは普通、使わないよ?」
「いや、でも間違いないと思うんだが……」
「……。頭ごなしに否定はしない。けど、聞いて。転移陣と召喚魔法、そして転移魔法では同じように見えて手順が全然違う。当然、難易度も段違い」
「手順?」
「そう。転移陣は、転移陣Aと、相手となる転移陣Bをあらかじめ描き、相互転移契約をすることで成立している」
「へぇー」
「召喚陣は、召喚対象に召喚紋を刻み、魔法で受け取り側の召喚門を起動させることで召喚される。当然、召喚門は魔法で構築する為、難しくなる」
「ふむふむ」
「そして、転移魔法だけど、これは転移魔法陣A、Bともに魔法で構築し、瞬時に転移契約を成立。そして起動して転移と、一度に複数のプロセスを踏むことが必要であり、非常に難解。前にイノシシを飛ばして見せたけど、私でも、見えている距離に飛ばすのが精いっぱい」
「そう言えばイノシシ飛ばしてたな。よく見てなかったけど」
「で、もう一度聞くけど、タヌキが何したって?」
「………………。」
「………………。」
「本当にあのタヌキがやって見せたんだよッ!俺の、目の前で!」
「うーん。信じたいけど信じられない」
今、リリンの説明を聞いても、やっぱり転移魔法だとしか思えない。
暗緑色の魔法陣は見事なものだったし、あの異形なタヌキならやってもおかしくないと心の底から思う。
リリンに信じてもらうべく、俺は必死になって特徴を話した。
だが、話せば話すほど、普通のタヌキだった。
違ったのはただ一つ、額に『☆』マークがあった事だけだ。
「……あるとすれば、可能性が二つ。一つはユニクがタヌキに殴られすぎて、おかしくなってしまった可能性」
「おい」
「二つ目は、その現れたタヌキが、すごく魔法の得意なタヌキだった可能性」
「……なにか知っているのか?」
「知らない。けど、実はトンデモナイ事が起こっている」
「?」
「私が発動させた『失楽園を覆う』が突破された」
「なんだってッ!?」
「この魔法は結構な強度がある。なのに突破、しかも力ずくで破られた。これを破るには少なくともランク7くらいの魔法は欲しいというのに」
「マジか……」
「だからその星タヌキの正体は分らないけど、転移魔法が使えるくらいなら失楽園を覆うを突破しても不思議じゃない。とりあえず、ユニクが無事でよかったと思う」
「ホント恐かったけどな。一目見て逆らっちゃいけないってわかるくらいだ」
「そんなに?……あ、レベルは見たの?」
「すまん。それが見ていないんだ。あんまりにも衝撃的すぎてな」
「そう。それは仕方ないけど、レベルを見る癖は付けて。危険予知は大切だから」
「了解だ。あんな体験はまっぴらごめんだからな!」
「おーけー。じゃタヌキの事は後でワルトナにでも聞くとして……帰ろう?」
そう言ってリリンは俺の手を取り、穴から出てくる手助けをしてくれる。
一人で出られない事もないが、せっかくだし手を貸して貰いながら脱出すると、リリンの足元にある籠が目に入った。
モゾモゾ動く茶色い物体。
地味だと思っていたがまじまじと見てもやっぱり地味で。
だが、意外と愛嬌のある顔をしている。
そうだな、これで綺麗な鳴き声で鳴くなら言う事無いんだが、残念な事に、コイツは酷い鳴き声だ。
「ぐるぐるげっげー!!」
今回の戦犯こと、鳶色鳥である。
もし依頼じゃなかったら、間違いなく焼き鳥にしていただろう。
コイツさえいなければ、あの異形のタヌキに出会うこともなく、決着もついていたのだ。
正直思う所もあるが、まぁしょうがないか。
「リリン、これで任務達成だな!」
「うん。無事見つかって良かった。というか、タヌキとの決着の時に現れるなんて本当に焦る。あのままだと確実に殺ってた」
「あーやっぱりギリギリだったのか」
「本当に危なかった。あの将軍タヌキを逃がさない為、爆心地から50mは消し飛ばそうと思ってたし」
「危ねぇなッ!?!いや、鳥がじゃなくて俺がね!? 普通に巻き添えじゃねえかッ!」
「大丈夫。第九守護天使は突破できない……はず」
「いやそこは自信を持ってくれよッ!?疎かにしちゃいけないだろッ!!?」
「冗談。うん、ユニクのツッコミのキレも元に戻ってる。これで一安心」
まったく、油断も隙もない。
まぁ、最後こそ変なのに出くわしたが、将軍との戦いはいい経験になった。
決着こそ付かなかったものの、お互いを出し抜く為の戦略合戦など、勉強になったことも多い。
あぁ、タヌキ将軍よ。
次、お前に会うまでに俺は強くなっておくぜ。そして今度こそ圧倒し、初めての勝利を飾らせてもらうからな!
……なお、異形のタヌキは来なくていいです。
俺が煌めくプラチナの空を手に入れた頃、お越しください!
こうして、予想外の強敵に出くわしたものの、ゲロ鳥自体はあっさりと捕獲できた。
日暮れまでまだ時間がある。
せっかくだからハイキングでもしながらゆっくりと帰ろうというリリンの提案に、俺は頷いて答えた。
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「ぐーるぐるげげー!ぐーるぐるげげー!!」
「……何をしているんですか?シスターファントム」
「ひゃぃ!!あ、びっくりしたー!!サヴァンかー」
未だ奇妙な鳴き声で純黒の髪を揺らしていた少女は、その必死さもあってか背後から近づく女に気が付かなかった。
急に声が掛けられたことに驚き、その実、内心では恥ずかしい所を見られた事と周囲の警戒を怠っていたという焦りがさらに声を上擦らせる。
少女はこほん。と仕切り直しの咳払いをして空気感を誤魔化し、自分の視線を従者のサヴァンへと向けた。
「それで、おねーちゃんは町で見つかった?」
「いえ。ですが、森に任務に出ていると確認が取れました。この森ですよ」
「あ、そうなの?それは好都合だね」
シスターファントムはラッキーと笑うと、今まで悲壮感漂う声を上げていたことなど、おくびにも出さずに元気を取り戻した。
そのはしゃぎ様は、純粋無垢な物。
たとえそれが捜索対象に先に見つけられた揚句、鳴き声が「率直に言ってヘタクソ」と切り捨てられるという大失態を犯していても、本人は知る由もないから変わる事はない。
「でさ、この森のどこにいるか分かるの?」
「本来ならば人海戦術となりますが、さきほど高魔力反応を感知し、それが光系統の大規模雷光魔法だと判明しております。間違いなく、リリンサ様のものでしょう」
そして、この従者はとても優秀だった。
確かにリリンサが発動した雷人王の掌は非常に目立つ。
だが、展開された魔法陣だけを見て、その性質を見抜く事が出来るのは『魔導鑑定士』と呼ばれる非常に潤沢な知識を必要とする職業の人間か、魔法の術者と同等以上のランクの魔導師のみ。
そして、説明されたシスターファントムですら聞き逃してしまったが、大規模雷光魔法だとこの女は言ったのだ。
これは、より詳しく、それこそ魔法陣が何を意味しどんな効果を及ぼすべきなのか理解している証拠。
本来ならば、『大規模殲滅魔法』や、『広域殲滅魔法』などと曖昧な表現するのが正しく、そこから先の情報は憶測でしか語れない。
だが、この女は大規模雷光魔法だと言いきっている。
決して通常では有り得ないほどに正確な鑑定眼が、この女の底が決して浅くはないのだと証明しているのだ。
「それじゃ始められるね!よっし、おねーちゃん!いっちょ勝負だ!!」
「えぇ、始めましょう。盗賊共の”狩り”の時間です」
屈託なく笑う少女。
その言葉と笑顔を受け取り、どうとでも取れる言葉を返しながら、女も、笑みを返す。
そして、「では、行きましょう」と付け加え歩き出そうとした女に、関係無い事、言ってもいい……と少女が切り出した。
「ねぇ、サヴァン。関係無い事、言ってもいい?すっごく変なタヌキがいたんだけど……」
「は?タヌキ?」
「うん。さっき見かけたんだけど、変なの!」
「どう変なのですか?」
「ちっさいタヌキが大きなタヌキをお説教してた!」
「……。もしかして、頭に何か模様がなかったですか?」
「あったね!お星様が付いてたよ?」
「しかも星の方ですか。はぁ。運がいいのか悪いのか……」
「え?」
「その星タヌキは本当に珍しく、この大陸中を探しても数えるほどしかいません。そして、恐ろしく強いので絶対に手を出しちゃいけませんよ?」
「そーなの?でも、星付いているの二匹いたよ?あとは『×』ばっかりだったけど」
「星が2匹に、×が複数……これは、いけませんね。シスターファントム、さっさとリリンサ様と盗賊をぶつけてしまいましょう」
「うん?早い事に越したことはないもんね。でも、タヌキに何か有るの?」
「えぇ、下手をすると、近隣の生態系がガラリと変わるかもしれません。タヌキ・大戦争です」
「タヌキ・大戦争? へぇー野生って、大変だなぁ」
純黒の髪を手慰みにしつつも、そこそこの真剣さで話を聞いていた少女は、特に深く考えるでもなく「大変だなぁ」と息を吐いた。
それに女は、乾いた笑みで答えるしかない。
タヌキ大戦争とは、タヌキを頂点とした生態系への革命。
当然その生態系の中には人間も含まれることなど、シスターファントムを含むほとんどの人類は知らない。
そして、最底辺からの下剋上。
その衝撃は半端な物ではなく、人類は町から追い出され、山・森・町が一体となった楽園タヌキ帝国が建国される事となるのだ。
必要以上を少女に説明して怖がらせるのも忍びないと女は考え、それゆえに何も言う事はなかった。
それに、起こる可能性も低い。
だが、実際には起こらないであろう憶測を考えては憂鬱になるのを、女は幾度か繰り返したのだった。