第100話「ホウライ伝説 終世 六日目 終わりの次へ」
「……そうかよ、那由他様は知っていたんだな。ヴィクトリアの生存も、裏に何があるのかも。何もかも全て分かっていて俺を助けたッ!!」
ヴィクトリアの記憶は、ホウライが抱いていた数々の疑問に答えを示した。
なぜ、自分達の村に金鳳花がやってきたのか。
その正体が誰だったのか、自分は何処で判断を間違ったのか。
金鳳花によって狂わされた世界にも、村人を救う手段はあった。
事実、世界の頂点に君臨する始原の皇種と関わらなくとも、エリウィスは生き残っている。
自分が成しえなかった願いを成功させた親友を誇らしく思い、そして、その分だけ自分が不甲斐なくて、情けなくて。
「……アイツは助けただけだってのかよ。俺の代わりに、金鳳花からヴィクトリアを」
それはただの偶然。
蟲量大数が求めた『勝利者の果実』に少女がくっ付いていただけ。
何か一つ言葉が違えば誤解は解け、それですべて終息していた。
善悪の偶然の交錯。
冷静に言葉を選べるだけの余裕があれば良かっただけの話だった。
「俺が立ち直ったのは奉納祭から2年後、突然消えた街の噂を聞く前。間に合ってはいたんだ、時期的には」
「……だけど。俺はまた、お前を助けられなかった」
金鳳花の罠に掛り、命の灯火が消えようとする直前まで、ヴィクトリアは『ホーライ』の名を呼び続けていた。
『ホーライ』に助けを求めていたという事実は嬉しくて。
それ以上に、心を深く抉られて。
「過去話にしたって壮大過ぎて、俺にはちっとも理解できねぇ。でもヴィクトリア、お前は全部聞いたんだな。こんなにも記憶に残るくらいにしっかり聞いて、受け止めていた」
無色の悪意の出生は、ラルバから託された情報にも記憶されていない。
おぼろげだった唯一神、そして、蟲量大数と那由他を筆頭にする理の埒外に君臨する始原の皇種。
それらと人類が起こした終焉神話を聞き終えたホウライの目から、憧れと妬みが止め処なく流れ落ちる。
「どうしようもない。本当にどうしようもなかった……」
「何がだ?」
いつしか目覚めたホウライは、耐えきれずに慟哭を漏らした。
後悔、嫉妬、憧れ、歓喜、憐憫、憤慨、強欲……、ヴィクトリアによって見せられた映像の場面が移り変わる度に、抑えようのない感情がホウライの中に湧きあがったのだ。
悪夢にうなされた少年は、温かな布団の中でそれが夢だったと理解し、安堵する。
だが、ホウライには安堵が訪れる事は無い。
今見た光景の全てが事実、揺るぎようのない――、後悔の証拠。
「……お前らタヌキが教えてくれりゃ、こんな事にはならなかったんだ」
「あん?」
「だってそうだろうがッ!!お前らが、那由他が、俺に教えてくれさえすれば、ヴィクトリアはあんな顔をしなくて済んだんだッ!!」
『あんな顔』には様々な意味が込められている。
愛する人が、泣き、叫び、助けを求め、絶望する光景を誰が望むというのか。
だが、ホウライを追い詰めるのは、ヴィクトリアの苦悶だけでは無かった。
自分の知らない所で、笑い、怒り、拗ね、頬を膨らませる。
ホウライのものだったそれを他者が得ている。
ヴィクトリアが溢す笑顔が、耐え切れないほどに、悲しくて。羨ましくて。
「なぁ、俺なんかを助けるんだったら、ちゃんと最後までしてくれよ。どうして助けたんだよ、どうして、お前らは、『ヴィクトリアは生きてる』って、教えてくれなかったんだ……」
目の前に居るタヌキは、知識の皇、那由他の眷皇種・ソドム。
故に、ホウライが見た映像も余すことなく理解している。
縋りつくようにホウライはソドムに手を伸ばした。
お前らが、お前らのせいで、俺は幸せになれなかったんだ。と。
「離せ。俺は雑魚と群れるのは好きじゃねぇ」
皺がれたホウライの手の中から、するりとソドムが抜け出る。
それを視線で追ったホウライは、まるで希望が手から零れ落ちてしまったかのように絶望し、教え子から託された剣を握りしめた。
「やる気か?ホウライ」
その手にあるのは、神へ抗う為の力。
第十の神殺し犯神懐疑・レーヴァテイン。
『全てを偽り否定したい』という、人間の心。
「……しねぇよ。あんな昔話を見せられちゃ、逆恨みにしかならない」
ホウライの力なく垂れさがった手が、事切れたように地面へ堕ちる。
糸の切れた終えた操り人形のように力無く座りこみ、虚ろな瞳も地面へ落とす。
「金鳳花が悪いってのは理解してる。アイツが諸悪の根源だってのは」
「だけどさ……、俺が一番悪いじゃねぇか」
絞り出した声は震えていた。
ホウライ自身ですら驚いてしまう程に弱々しく、そして、皺がれていて。
「那由他様は俺にチャンスをくれたんだ」
「ヴィクトリアを取り戻せるように俺を助け、鍛え、生き抜く知識をくれた。直接的に教えてはくれなくても、ヴィクトリアへ続く道を用意してくれていた」
「失敗したのは俺だ。俺がもっと強くなっていれば、蟲量大数を倒せると自惚れるくらいに強くなって、奴に戦いを挑んでいれば、結果は違った」
ホウライは那由他と別れる時に、これから何をするじゃの?と問い掛けられている。
……さぁ?
それが彼が返した答え。
振り返って歩いてゆく那由他の表情は今でも覚えている。
「勝手に決め付けたんだ。全部、終わっちまってるって」
「もっと注意深く周囲を見ていれば、エリウィスの生存に気付けた。そうすればヴィクトリアの痕跡にだって辿りつけた」
「激甚の雷霆ホーライ。この名をもっと広めていれば、ヴィクトリアの方が気づいて会いに来てくれたかもしれない」
幾つもあった可能性、それを自らの手で閉ざしていた。
那由他は中立だっただけ。
金鳳花にも、ヴィクトリアにも、蟲量大数にも肩入れせず、ただ、一週間の飯のお礼にホウライを助けただけ。
それ以上を望んではならない。
だってそれは、俺が自分で見つけなくちゃいけないものだったんだから。
「結局、俺はいつも中途半端なんだ。惜しい所まで行くのに、あと一歩届かない」
「今だってそうだ、人類最強?人間の皇種?そんなもんになった所で、何の意味もない。もう既に、人間という種は滅んじまってる」
「此処が何処だか知らねぇが、俺は遅すぎたんだ。もう何も、たった一つの可能性すら残って――」
『諦めないよ』
「……えっ?」
ホウライの耳に声が届いた。
それは、白くて小さな蟲の声。
『私達は諦めない』
『例え相手が唯一神だろうと、絶対に生き残ってみせる』
『それが、命の権能を持つ私の願いだから』
思わず頭を上げたホウライの目に、愛するひとの姿が映る。
それは、ソドムが出現させたリアルタイムの映像音声。
悪喰=イーターに保存されてゆく、現在の知識。
「なにを……」
「ちょうど始まるみてぇだな。終世の七日目が」
「ッ!!」
目の前に映し出されている映像は荒廃した地上だ。
それは、ホウライが生きた時代の終着点。
白くて小さな少女と共に、世界最強の蟲が神と対峙している。
「……お前に見せろと言われたのは、ヴィクトリアの過去の記憶だけだ」
『全ての事実をホーライちゃんに見せて、諦めさせて』
「それが、俺がヴィクトリアから預かってきた、お前に向けた『愛』だよ」
突然、目の前のタヌキが不遜な顔で、愛のキューピット的な事を言い出した。
白い羽根の生えた天使どころか、茶色い尻尾が生えた毛皮はどう考えても悪魔寄り。
思わずイラっとするホウライ。
だが、言葉の意味を理解し、その目から揺らぎが消えた。
「だからこそ、こっから先は那由他様が見た映像で、お前の為のもんじゃねぇ」
「……あぁ」
「しっかり諦められたんなら隅っこの方でじっとしてろ。程なくして俺らの皇が神を殺す。それまで吠え面かいて後悔し、次の人生の計画でも立ててろ」
次。
そう、目の前の『知識の眷族』が口にした。
『次』があるのだと、ホウライに告げて――。
……。
…………。
………………世界(悪食=イーター)の中心で、愛を語るタヌキ。




