第18話「"ウマミ"無き者」
ガサッ。
「……またか」
「もう何度目か分からない。確実に何かが潜んでいる」
近づいた茂みが不自然に鳴る音が聞こえるようになったのは、いつからだろうか。
俺達が森の奥深くに立ち入り、通常の道から細い獣道に入った辺りではまだだった気がする。
もっとも、俺は大声で「ぐるぐるげっげー」と叫んでいた。
リリンから、「先ほどから茂みの動きが変。何かがいるみたい」と告げられて初めて気が付いたんだけど。
「あぁ、流石におかしいよな。でもさっきは確認しても、何もいなかったぞ?」
「……もしかして、私達に見つかる前に逃げ出している?」
「動きが早い?つーことは鳶色鳥なのか?」
「鳴き声には反応がないけど……」
俺達は茂みが音を立てる度に、鳶色鳥がいないか確かめに行っていた。
だが、一度たりとも成果はなく、茂みの中には何もいない。
気のせいかと最初の内は思っていたんだが、こう何度も続くと絶対に違うと言い切れる。
リリンは少し考えた後、いくつかの魔法を使って意地でも探し出すと言ってきた。
どうやら、巧妙に隠れている動物はリリンの琴線に触れてしまったらしい。
……ご愁傷様だな。こうなってしまった以上、上手く隠れていようと、どうにもならないだろう。
リリンには辺り一面を消し炭にしてしまえるほどの威力の魔法『雷人王の掌』がある。
ひとたび魔法が発動されれば、目標の殲滅など容易いのだ。ふはははは。
……そんな事にはならないよな?ならないで欲しい。
「まずは逃げられないように囲む。《失楽園を覆う 》」
リリンは周囲に魔法で障壁を作り、謎の生物を閉じ込めた。
補足説明によると範囲は周囲500m。これで範囲内を出入り出来なくなり、逃げられる事はなくなったわけだな。
リリンから絶対に逃がさないという強い意志を感じる。
閉じ込められた側からすると、鳴き出したい気分になるだろう。
鳴いても良いんだぜ?ぐるぐるげっげー!
「そして、次は獲物の確認。《多層魔法連・戦線の見取り図・主雷撃・戦線の身取り図》」
ふむ、これはクマを探す時に使った魔法だな。
近隣の地形を把握する魔法だが、連続して使えば地形が変わった場所、つまり、何者かが移動した事が把握できるという。
今回は戦線の身取り図の間に主雷撃を挟み込み空中の爆破もしている。
リリンが言うには、茂みに隠れているであろう動物を音で驚かせ、移動させるためだとか。
そして、目論見は成功し、茂みは音を立ててざわめき始めた。
だが、そのざわめきは俺の思っていたよりも、遥かに大きいものだったのだ。
可能な限り視界を広げて辺りを見渡してみても、蠢いていない茂みが見当たらないほどに。
「リリン……どうなっているんだ?こんなに隠れていたってのか!?」
「小さいのが、数えたくないほどにいっぱい……。あれ?、この動きは……」
「そんなにいるのか……!?くっ!!」
俺は苦し紛れに背負っていたグラムを構え、戦闘に備えた。
リリンも星丈―ルナを召喚し、杖を構えている。が、なぜか楽しそうに微笑んでいるんだけど。
なんだ?何が起ころうとしている?
俺は事態が飲み込めず、一人取り残されている気分だ。
だが、なぜだか知らんが俺の危険信号が、凄まじい勢いで警報を鳴らしているのだ!
なにか、とてつもない事が起ころうとしている。
俺が身構えたのと同時に、それは始まった。
……それは、悪魔の大合唱とも呼ぶべき、災いの凶報。
「ヴィアギィィィイィィィィ!」
「「「「ヴィギィィィィィィィィィィ!!」」」」
「ヴィギュリィィィィィィ!」
「「「「ヴィゲラギュィィィィィィィ!!」」」」
ひ、ひぃぃぃぃ!!
これは間違いない、タヌキ!!タヌキの鳴き声だッ!!!!
魂すら震わせる悪魔の雄叫びは、なおのこと続く。
最初こそ統制がとれていたものの、いつしか段々とズレが生じ、聞くに堪えない騒音へと変貌していったのだ。
「ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!う"ぎぃ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!う"ぎぃ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!ヴギィ!う"ぎぃ!」
きぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
怖い怖い怖い怖い怖いッ!!
一匹ですら怖いつーのに、一体何匹いるんだよッ!?
そこらじゅうから聞こえてくるタヌキの鳴き声。
そして真に恐ろしいのは、一匹たりとも姿を見せていないという事だ。
何かが違う……このタヌキ達は何かが違うぞ!!
俺は錯乱し近くの茂みにグラムを振り降ろした。
むなしい手ごたえ。
確かに今さっきまでそこから鳴き声がしていたというのに、もうそこはもぬけの殻だったのだ。
ちっ、ちくしょうッ!!
俺は悔しさのあまり舌打ちしつつ、もう一度位置を探るため、鳴き声に耳をすます。
そして、またも俺のすぐ近くから鳴き声が聞こえてきた。
う、近い!!
俺の右側スレスレの位置。やばい!接近を許してしまったか!!
間に合うか!?と身構えつつ視線を向ければ、そこには可憐な少女がいた。
「…………。」
「…………。」
「……リリン?」
「……う"ぎぃ?」
「そういうのはやめてくれッ!!今はちょっと余裕がないからッ!!」
「和ませようかと……失敗したみたい?」
やめてくれよッ!ホントにもうッ!!
だが、リリンの茶目っ気たっぷりな鳴きマネのおかげか、ほんの少しだけ意識を取り戻せた気がする。
そうだ、落ち着け、俺。
いくら数が多かろうと、タヌキはタヌキ。
強くてもレベルが2000にも届かないだろう。今の俺なら楽勝だし、なんだったらバッファの魔法も有る。
恐れる事はない。
そう思い直すことに成功し、取り戻した余裕を確かなものにする為、リリンに話しかける。
「あー吃驚した。ったくタヌキかよ。驚かせやがって!!」
「うーん。でも、これは侮れない。ほら見てユニク。あの奥の、一際大きいタヌキを」
「ふぇ!?」
あ、侮れない……だとッ!?
この、理不尽系爆裂少女のリリンをもってしても、侮れないだとッ!?!
そんなバカな……。
俺が視線を向けた刹那、その動きに呼応するように悪魔の騒音はピタリと止んだ。
そして、視界の先にうっすらと見えていた『姿』が、だんだんとハッキリしてくる。
ただただ悠然と、それが当り前であるかのように。
視界の先に真っ直ぐに伸びる獣道の真ん中を歩む、黒い獣。
見るからに筋骨隆々な体躯を揺らしながら、俺達に向かってくるのは、タヌキ。
タヌキ。そう、タヌキだ。どこからどう見てもタヌキなんだ。
確かに体は大きいし、普通に比べて毛並みも黒っぽい。
しかし、自信たっぷりな歩く姿なんて、タヌキそのものといった感じじゃないか。
だが、おかしな点が一つ。ソイツのレベルは……5桁だった。
―レベル56422―
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
なん、なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?
なんだよ!?なんなんだよッ!?
タヌキじゃないのかよ?!?
どう見てもタヌキだろ?!?!?タヌキなのになんなんだよッ!!?!?
レベルが5桁って、なんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!
「リリリリリリリン!?!、アレはなんだ?アレは……」
「あのタヌキは、『ウマミタヌキ』なんかではない」
「ウマミタヌキじゃない!?じゃ、じゃあなんだって言うんだよッ!??」
「見て、あのタヌキ、おでこに『×』マークがある。あれは強さの証」
『×』マーク!?
あ、本当だ!タヌキの額の毛並みが一部白く変色し、大きな×マークになっているッ!!
ちくしょう!!タヌキのくせにめちゃくちゃカッコイイッ!!
「確かにある!もしかしてアレは特別なタヌキなのかッ!?」
「恐らくそう。あれは、タヌキにしてタヌキを統べる者。一つの地域に一匹は存在していると言われるけれど、滅多なことでは人前に姿を現さない、幻のボスタヌキ」
「幻の……ボス……タヌキ……。」
「そう。そして、その戦闘力はあまりにも高い。駆けだしの新人冒険者なんて瞬殺。何年も経験を積んだベテラン冒険者でさえ複数のパーティーでやっとまともな戦闘になり、討伐には多大な犠牲を払うしかないという、通常の"ウマミ"タヌキではあり得ないコスパの悪さも相まって、こう名づけられた」
「新人……、瞬殺……。ベテラン……、犠牲……。」
「奴の名前は、『ウマクナイタヌキ』。そして、時には1,000匹のタヌキを統べる事も有るという事から、こうも呼ばれている」
「1,000匹……、統べる……。」
「『タヌキ・将軍』!!」