第82話「ホウライ伝説 終世 六日目 プロローグ・アンバランス⑤」
「勝てる、訳がない」
「はぁ、はぁ、ノワル、さま……」
「神に等しき能力に加え、俺達の優位性であるはずの魔法の技量で上回られた。勝負になるはずが、ねぇんだ……」
人は、天に唾吐く行為を『自暴自棄』だと笑ってきた。
今現在、思い付く限りの魔法を撃ち乱し、それら全てを無為に消費させられたノワルだってそうだ。
空に向かって鍔を吐けば、己の身を汚すのみだと痛感している。
それがこそが、カーラレスと対峙したノワルの感想。
七賢人の長、カーラレス・リィンスウィル。
あまねく人々の頂天に立ち、なお、己が欲を優先させた――、稀代の咎人。
「唯一神様に遇されてなお、この程度か。ノワル、シアン」
「……てめぇも、力を貰ったんだろうが」
「そうだとも。だが、研鑽に費やした刻に途方もない差があった。そして、その可能性を考慮できなかった愚者を弄して、なんの問題があろうか」
研鑽に費やした時間、だと。
どこにそんな時間があったんだよ。
俺が神官になった時には既に、お前たちは酒池肉林の限りを尽くしていたじゃねぇか。
……いや、違う。逆なんだ。
俺が神官を目指した10年前には既に、七賢人達は研鑽を終えていたんだ。
もうこれ以上ないくらいに力を研ぎ澄ましてしまったが故の、退屈。
強さへの興味を失ってしまう程の万能感。
だからそんなにも、つまらなそうな顔してんだな。
「これが神のお導き、神託って奴かよ」
「言うにこと欠いて、唯一神様への罵倒か?到底、許されることではないぞ」
「俺は敬虔な神の信徒のつもりだよ。なにせ、神さんのおかげで、まだ心折れずに戦える」
時間を稼いで、思考を回せ。
勝利に必要なものはなんだ?
絶対にある筈だ、決定的な見落としが――っ!
「この局面こそが唯一神が望んだ物語」
「何の話だ?」
「はっはっは、確かに俺達は愚者で盲目だった。『一方的な戦いなんてつまらない』確かにそう聞いていたんだから」
――ノワル、一方的な戦いなんてつまらない。結果が見えているからね。
何ですか?唐突に。
――だからこそ、神は、人間という種の肉体性能を野生動物に劣るように設定した。どうしてだと思う?
神さんのお言葉を借りるなら、その方が面白いから。高位神官がタヌキに敗北するのは、流石に笑えませんがね。
――あれはあれで面白いだろ、お前も部下を笑ってたじゃん!タヌキ、賢いなァってさぁ。
「神が望んだのは俺達の拮抗。どちらが勝つか分からない激闘だ。そして、盤面には未だ、多くの伏せられたカードが存在している」
「それが答えか?」
「神の因子、魔法、皇種、レベル表記、神が生み出した概念は他にもあるかもしれない、それらを利用し尽くして、初めて勝機が見いだせる。そうなんだろ、神さん」
人間は弱い。だが、世界の頂点に立っている。
それは知恵があるからだ。
多彩な魔法を、技術を、己の支配下において振るう理知、それがあるからこそドラゴンにだって勝ってきた。
「お前が四日目の神だというのなら、俺は悪魔にでもなってやる」
「ほぉ」
「もう手段を選ばない。エンターティメントは終わりだ。カーラレス」
状況を利用しろ。
まだ、カーラレスは俺を殺せない。
これが神を楽しませることで世界の存続権を得る戦いである以上、幕引きは最高潮に盛り上がった後でなければ意味がない。
神さんの性格上、一方が余力を残す勝利じゃ満足しない。
だからこそ、カーラレスは圧倒的な力を持っていても、一人になるまで攻勢を仕掛けられなかった。
……分かるぜ、長い付き合いだからな。
「遅くなってしまい、申し訳ございません。ノワル様」
ノワルが思考を立て直した瞬間、背後に幾つもの影が立った。
それぞれが得意な武器を所持する彼らは、神官というには余りにも戦闘に特化し過ぎている。
「ゼンタ、お前達には苦労を掛けてばっかりだな。すまんが、助けてくれ」
「仰せのままに」
地上に点在していた七つの守護聖牢。
そこに集められた多くの神官・住人に見送られたのは、七人の高位神官。
彼らは、世界を旅したノワルに雇われた私兵。
カーラレスのその先、始原の皇種を葬るべく集められた彼らは一芸に秀でる者ばかり。
ノワルは神の因子を知らなかった。だが、直感していたのだ。
この世界には、魔法理論では説明できない本物の強者がいると。
「その者が、お前の仲間か」
「どうです?立派な奴らでしょう」
目を細め懐かしさを物語る表情で、カーラレスが笑った。
それは、その程度かという嘲笑の様にも、よくぞという称賛の様にも思わせる。
「試してみるが良い。このカーラレスを超えられるかをな」
ゼンタと呼ばれた青い髪の剣士が、湾曲した巨大なタルワールを振りかぶる。
そして、一瞬で消えてしまう筈の剣の軌跡を左手で掴み取った。
「その杖には魔法を保存してあるそうですが、現象を『保存』できる私と、どちらが上でしょう」
一対となったタルワールを構え、ゼンタが誇る。
未だ名がつけられていない、己の中に眠る世絶の神の因子を。
「戦闘指揮はシアンが取れ、……できるな?」
「……っ!!はい、必ずや、御期待に答えて見せます」
そしてノワルは、最も重要な指揮権をシアンに任せた。
彼女の真価は戦闘力では無い。
心の中にすっと融け込む声、そして、最善手を選び続ける判断力の高さ。
ただ馬鹿みてぇな量の魔力を持つだけの俺とは比べ物にならないと、ノワルが口角を釣り上げる。
「いくぞ、お前らッ!!」
「「「「「「「「はい!!」」」」」」」」
空を切り裂き、天を駆け、虚空を穿つ。
ノワルとシアンを含めた総勢9名の軍勢が放つは、魔法を中心とした大規模な殺意。
それらが向かうは、宇宙の支配者。
「《五十重奏魔法連・風雲金竜ッ!!》」
「《魔導皆既》」
高位神官が生み出した暴風竜へ向けて、カーラレスが杖を振るう。
ランク9の魔法であった竜は杖に痕跡すら付けること無く、消失。
形状を書きかえられて純粋なエネルギーと化したそれが、ルーンムーンへ吸収されてゆく。
「ゼンタ様、お願いします!!」
「おぉおおおっ!!」
シアンによって促された魔法無効化の認識共有、その次に試すのは魔導剣による斬撃。
ゼンタが持つ世絶の神の因子は、物質の形態変化を固定させるというものだ。
例えば、剣を振った直後の高速空気流動を固定し、真空の刃を作る。
そしてそれらは攻撃の度に増え続け……、圧倒的な武器数、それがゼンタの能力だ。
「手数は良いが、錬度が足りぬ」
「それはどうでしょう、かッ!!」
カーラレスの身を守る鈍銀色の防御魔法が、ゼンタの斬撃を跳ね返す。
キラキラと光る、鋭く尖った槍状の斬撃。
360度に撒き散らされたそれこそが、シアンの狙い。
「今です!!」
「《五十重奏魔法連・永久の西風ッ!!》」
「《五十重奏魔法連・静寂の夜想曲ッ!!》」
まさしくそれは、針のむしろ。
一斉に叩きつけられたそれは、大規模戦略魔法によって打ち出された針激弾丸。
毬栗のめいたカーラレスの防御魔法、そこに中身は――、入っていない。
「上です!!」
「《五十重奏魔――》」
「遅い」
ずん、っと叩きつけられる重力。
全身の血液が身体から押し出されるような衝撃に、詠唱をしていた者達が一斉に喉を詰まらせる。
だが、戦槍杖をもつシアンとノワルだけは、不完全な詠唱でも発動可能だ。
「《原審を下せし戦陣王ッ!!》」
「《原初に統べし雷人王ッ!!》」
天に翳された、一墜の神槍。
カーラレスの頭上30cmの所に創造されたそれへ、さらなる神の雷が飛来する。
「……!」
根源たる魔法十典範を重ね合わせ、師に振り下ろす。
モウモウと湧き上がった空気が焦げ付く匂い。
それを訝しみながら、カーラレスが笑い出す。
「今のは良い連携だった。儂以外の七賢人ならば成す術がなかったろう」
カーラレスは無傷だ。
僅かに変化したのは、ルーンムーンの先端に煤が付いたのみ。
「これでも、か……」
「大丈夫です。大体の法則が分かりました」
「シアン?」
「ルーンムーンが無効化できるのは、杖に記憶されている魔法のみ。それ以外の攻撃は魔法で防ぐ必要があります」
そして、星を操る力には、二つの弱点があります。
・星の外からの影響であるが故に、効果を発揮するまでタイムラグがある。
・その影響範囲にカーラレス自身も入っている。
「だからこそ、おじい様は星導四日神盤を使う際に、防御魔法を発動しなければなりません」
「後出しなら対応できるのか。なら、俺も防御に回るか?」
「いいえ、それでは――」
「何を呆けておる?」
たった一人を除き、心臓が跳ねた。
確かにそれはカーラレスの声だ。
だが、注視している目の前の人物から発せられたものでは無く。
「《原始を守りし抱擁王――ッ!!」
……予兆。
そう、予兆がある筈だったのだ。
この戦いを神が見ている限り、自爆で引き分けなどという最もつまらない結末は起こりえないと。
だが、宇宙は焦熱で染め上げられた。
太陽の熱量6000度、タンパク質はおろか、金属まで気化する熱量がノワル達を蹂躙する。
「呆けたくもなるさ。それが賢人のやることか、カーラレスッ!!」
背後から掛けられた声へ、ノワルが言葉を返す。
振り返った彼の瞳に映ったのは、仲間であるはずの高位神官。
「……それが、おじい様の本気のお姿なのですね」
生者と死者の区分は明確に分けられた。
防御魔法が間に合ったのは、半数の四人。
ノワル、シアン、魔法に秀でた高位神官が二人。
そして、高位神官の一人が黒い法衣の老獪へと変化する。
この瞬間、ノワルが悟った。
隠していた最後の手札を切った――、もう俺を殺せるのだと。
「聞け、ノワル」
「つっ!!」
「お前は七つの原罪に例に出し、儂らを愚弄した。だが、その罪の正体は『慈愛』『謙譲』『忍耐』『勤勉』『自制』『純潔』、七つの美徳。善悪で呼び名を分けているに過ぎん」
「馬鹿な、そんなことは……」
叩きつけられた焦熱によって、地上には甚大な被害が出ている。
生き残った高位神官が残した防御魔法内以外は全滅。
その中であっても、死者の方が多い惨状だ。
そして、絶望する人へ向けて、カーラレスが口を開く。
『ひとは、愚かでなければ生きられない』と。
「人間は生まれながらに傲慢だ。殺しは良くないと言いながら、毎日、肉を食す。広義で語れば植物にも命がある。他者の命を奪わなければ生きられない」
「異性を抱くことの何が悪い?男女の区分がある以上、女は二人以上の子を産まなければならぬ。でなければ滅びてしまうぞ」
「強欲で身を飾り、傲慢に振舞い、他者に嫉妬する。何が悪い?手に入れた財を誇る、力を鼓舞する、さらなる高みに憧れる。目指すべき目標なくして向上などありえぬ」
「怠惰、憤怒、それら感情選択の何が悪い?休んだのならば再び歩き出せば良かろう。強い激情なくして発展などありえぬ」
「平和な世に生まれたお前達では分からぬのだろう。七つの原罪の真の名は『文化』。人間という動物が『ひと』と成るための鍵だ」
朗々と語るその声に、ノワルは打ちのめされた。
分かってしまったのだ、何が過ちだったのかを。
「だからこそ、我ら七賢人は俗物を演じていた」
「七つの原罪を自ら犯すことで、お前達に幸福を教えていたのだ」
「人は、愚かでなければ、”ひと”では無くなってしまうのだから」
真理であり、暴論。
だが、人々はカーラレスの言葉を受け入れることなどできない。
認めてしまえば、七賢人を糾弾している自分達こそが悪だと理解してしまうから。
「なんだよその言い訳、最悪じゃないか……」
「みんなの幸せにアイツらは関係ない」
「誰かどうにかしろよ。アレを」
「憎い。憎い。どうして俺達がこんな目に、七賢人のせいで」
「……殺せ。殺せ。奴らは敵だ。殺せ!!」
かつては世界の頂きに立ち、人々を平和へ導き続けた七賢人の長『カーラレス・リィンスウィル』。
六人の友と共に世界を巡り、争いを止め、代わりに幸福を授けて回った稀代の聖人。
彼らが女を抱くのも、酒に溺れるのも、絢爛豪華な衣服や住居を持つのも。
それらの三大欲求が、すべて、世界から争いを無くす為の舞台装置。
生物が持つ最も根源的な欲、『他者への虐欲』を抑える為に行ったことだ。
「ひとは愚かであろう。なぁ、ノワル」
「……貴方は、貴方達だけが、人の本質を知っていたっていうのか。答えてくれ、カーラレスッ!!」
湧き上がる民衆からの罵声の中、ノワルだけが真実に気付く。
カーラレスを筆頭とした七賢人こそが『ひと』を案じ、自らがモデルケースとなることで、人々を幸せに導いていたこと。
それは、いつの日にか必ず訪れる破綻を前提にした、仮初めの平和。
そして、それを自らの手で速めてしまったこと。
「俺は、取り返しのつかない間違いを……!」
民衆が抱いた敵意は、カーラレスだけに向けられる訳ではない。
仮にカーラレスが死んでも、湧きあがった『罵声』は消えやしない。
民衆は止まらないのだ。
その心を染めた『虐欲』がある限り。
**********
それからノワルに出来たのは『カーラレスを取り逃がすこと』だけだった。
怒りの矛先をたった一人に押しつけ、自分達はのうのうと生き残る。
これが『愚か』で無いのなら、なんなんだ。
瓦礫の山の上、ノワルが見上げた空は、何処までも高く。
唐突な次回予告!
歴史に名だたるクソタヌキーズ、爆誕!!




