第72話「ホウライ伝説 終世 六日目 モノローグ・ヴィクトリア⑥」
「金鉱の買取店は……、こっちの道だったっけ?」
ヴィクトリアが拠点にしている町の一つ、『マザーフィッシャー』。
ノーリギョーフに属するこの街は5万人の人間が住む、中規模都市の一つ。
高ランク生物の秘境に近く、それを目的とした冒険者で賑わっている。
そんな場所へ足を踏み入れたヴィクトリアは、3か月ぶりの街並みを見渡しつつ、目的の店へ足早に進んだ。
蟲量大数の口ぶりから、長く待たせると大量の俸物を要求されかねないと判断したからだ。
「この看板を曲がるとすぐ……、あれ?」
そこにある筈だったのは、黒い外壁の古物商店。
魔道具を主に取り扱っている店だが、修理困難な物を解体して再錬成し、鉄金塊へ戻す仕事も請け負っている。
蟲量大数と旅を始めた初期、両親から金の価値を聞いていたヴィクトリアは、それを金策にしようと考えた。
金鉱は簡単に手に入った。
蟲量大数が大金脈の場所を知っていたからだ。
そして、偶然出会った冒険者に金の買い取り場所はどこですか?と聞き、この店の常連となったのだ。
「お店……、無くなってる!?」
だが、ヴィクトリアの金策は頓挫した。
店舗が有った場所は空き地となっており、その代わりに『不安定機構・管理地』という看板が立っている。
「どうしよう……、ここしか知らないのに」
胡散臭い外見の店だったが、店主は優しそうな雰囲気の老人。
少女が高価な金鉱を何度も持ち込むという可笑しな状況にも眉一つ動かさず、相場の4割引きの値段を提示。
食料と生活必需品が買えればいいヴィクトリアと、莫大な利益を手にする店主、そのどちらにも利のある取引だった。
「んん?こんな所で何してるんだ?ガキ」
「あ、えっと。このお店って」
「潰れたよ。なんでも金の不正相場操作に関与してたとか?」
「えっ」
「手広くやってた爺さんも、相手が指導聖母じゃ手も足も出ないか」
愕然としているヴィクトリアへ声を駆けたのは、通りすがりの冒険者。
その精錬され尽くした佇まいは、冒険者に馴染みの無いヴィクトリアであってもカッコイイと思う程だ。
「あの、お兄さん……?」
「おう!なんだよく見りゃ可愛いちびっこ。俺に惚れちまったか?」
「この金鉱の買取って、何処に行けばして貰えますか?」
奉納祭より2年の時が経ったヴィクトリアは、愛烙譲渡の正しい使い方を編み出していた。
それは、上目遣いでのおねだり。
成人男性はもとより、成人女性であってもお願いを絶対に達成したくなるという、ヴィクトリアの新しい必殺技だ。
「んおぉう!?そ、そりゃあ簡単だぜ、不安定機構に行けばいいんだ」
「不安定機構?」
「不安定機構っつーのは、俺ら冒険者を管理している組織で、国よりもデカイなんて言われてる。爺さんの所に卸してた金も、最終的には不安定機構に行く訳だな」
「そうなんですか、えっと、それは何処にありますか?」
「その口ぶりじゃ冒険者登録してねぇよな?ライセンスが無いと売れねぇぞ」
冒険者という職業がある事は、ヴィクトリアも知っている。
幼馴染がなりたいと言って両親に説教を貰っていたのを見た事があるからだ。
だが、それがどんな実態なのかは知らなかった。
「冒険者になるには、既に冒険者をやってる奴の推薦が必要だ。見込みがある奴とパーティーを組みましたー、育てますー、だからライセンスを発行してくださいーってのが流れだな」
「そんな……、私は頼れる人なんていないのに」
「俺がいるだろ?」
「えっっ」
「俺は超高ランクの冒険者だ。レベルを見てみろ、すげぇだろ?」
―レベル65182―
ランク6の双短剣士。
腰に差した2本の魔法ナイフ、それが男の持つ揺るぎない自信と自負。
「とりあえず俺の家に行くぞ」
「えっ、どうして?」
「そんなワンピースで冒険者になれるか!!皮鎧とか杖とか、それっぽい外見にしなくちゃ話にならねぇよ」
17歳になっているヴィクトリアだが、その外見は15歳時と殆ど変っていない。
そして、15歳の時ですら、3歳下の妹分たち……、エリウィスと並んでも違和感がない程に幼い顔立ち。
一生懸命に選んだ可愛い服を馬鹿にされたと思って頬を膨らませている姿など、児童にしか見えない。
「あの、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「ガキが好きだからだよ」
「えっっ」
「お前とは15は歳が離れてるだろ?なら、冒険者を引退するのは俺の方が15年早い」
「そうですね?」
「そん時に飯をたかりに行く為に、ガキに片っ端から声を掛けてんだ。月に一回くらいなら飯を奢ってくれるよな?」
「……たぶん?」
「なら、30人育てておけば、無限に暮らせるって寸法よ」
冒険者という職業は、決して、机の上だけで学び切れるものではない。
相手が知恵を持つ生物である以上、必ず想定外が発生する。
そして、それを上手に対処する知識は金に変えられない価値がある。
だからこそ、この男が言うように新人に恩を売っておくというのは、有効な人生戦略だ。
「ほら、遠慮しないで入ってくれ。椅子は一脚しかねぇから、ベッドにでも座ってろ」
「はい」
「女用の皮鎧は……、お、あったあった。ほれ、着てみろ」
ポイっと投げ渡された皮鎧は、相応に痛んでいる品だった。
脇腹にはナイフが貫通した跡、内側に布が縫い付けられているものの、防御力は無いに等しい。
「なんか汚い。変な匂いもする」
「文句言うなよ。新人が新品を持ってちゃおかしいだろ」
「……どうやって着るんですか」
「そっからかよ!?しゃーねーな、そら、後ろを向け」
胸と胴を守るタイプの皮鎧は、エプロンの様な形状をしている。
首に上から輪を引っ掛けて通し、胴体を巻くように固定紐を2周。
丈は短く、足の動きを邪魔しないように股関節を覆う程度の長さしか無い。
ヴィクトリアの後ろに立った男は、それを慣れた手つきで着せた。
何回も洗濯されたことによって柔らかくなった皮が、ふわふわだったワンピースを身体の形に密着させる。
豊かとは言えないが、確かにそれは女の身体。
そして男は舌を舐め、皮鎧の内側に縫い付けられた魔法陣へ魔力を通した。
「かふっ……!?」
ヴィクトリアの脊椎へ、鋭い電気ショックが奔る。
突然の衝撃に出来た抵抗は、身をのけぞらせただけ。
一方、男は慣れた様子で身体を前に押し込み、そのままベッドに押し倒す。
「いっ、痛い!!痛いっっ!!なんでこんなことするのっ!?」
「一目見た瞬間に思ったぜ。あ、抱きてぇってなァ!!」
振り返ったヴィクトリアが見たのは、豹変した男の表情。
それは、奉納祭の時によく見かける光景。
その年に成人になる夫婦が楽しげに騒いでいる時のものだった。
「爺さんに金を卸してるのが、まさかこんなガキだったとはな。そりゃ、口を割らずに逝っちまうわけだ」
「ひ、ぐぅ……。あなたが、お店の人を殺し」
「まぁな。金鉱換金は指導聖母・品財様の領分、爺さんやガキには過ぎた世界だぜ」
ピリピリと背中が痺れ、足がまともに動かせない。
ベッドに這いつくばるように身体を預けたまま、ヴィクトリアは視線を男に向ける。
「私が身体を捧げる人は、世界最強だけ。あなたじゃない」
「はぁ?誰だか知らねぇが、この俺に勝てる冒険者なんていねぇよ」
「そんなこと無い。離して」
「やなこった」
「……良いから離せっ!!」
蟲量大数を呼べば、間違いなく窮地を脱する事が出来る。
だが、その対価は敵対者の命、場合によっては無関係な町の住人にも被害が及ぶ。
だからこそヴィクトリアは、自力の脱出を試みた。
白くて小さな女が啼く。
愛烙譲渡を宿したその声で。
……だが、その声に返されたのは、嘲笑混じりの興奮。
ねぶるような視線に晒され、ヴィクトリアは小さく息を飲む。
「うそ、なんで……言うこと聞いてくれないの」
ヴィクトリアも男を完全に信用していた訳ではない。
だが、愛烙譲渡という会話が成立した時点で勝利が確定する能力がある以上、実害を受けるとは思っていなかった。
だからこそ、さっきの声には全力で愛を込めたのだ。
「あー、惜しいなァ。一回しか楽しめないなんて」
「ひぃっ!?やめて、やめてっ、それで何を――、ひぎぃッ!!」
ぷっちんと、ヴィクトリアの軟肌が突き破られた。
男が抜いたナイフが向かった先は、皮鎧に縫い付けられた布地。
目印であるそこは、何度も何度も何度も何度もナイフを通した、死の傷口。
「いっ……、はっ、ぅ……」
「艶めかしい、エロイ、はぁー滾ってきた」
皮鎧に込められた役割は二つ。
一つは、電気ショックによる対象の拘束。
そしてもう一つは、確実にナイフを急所に刺す為に、身体のラインを浮き彫りにすることだった。
内蔵の位置は、その人間によって異なる。
生活習慣や年齢、さらにその時の姿勢によって体内を移動するからだ。
危険生物はただ殺せば良い。
だが、男の目的を果たすには、動けないほどの致命傷でありながら、十数分間は存命する必要がある。
「たまらんな、その喘ぎ声。へっへ、直ぐに天国に連れってやるぜ」
自分自身の装備品を外しながら、男が自慢げに語りだす。
腹部をナイフで一突き。
そこは人体の急所、刺されると大量出血をもたらし、死に至る。
だが、ナイフを抜かなければ直ぐには死なないのだと。
「ナイフの能力の一つ『癒着』。傷口に張りつくから大量出血には至らない」
激痛に身を焼かれながら、ヴィクトリアが視線を向ける。
熱を帯びていく脇腹から突き出したナイフ、そこに男が指を這わせた。
「ひぎぃっ!!」
「だからこそ、確実に死ぬ。二つ目の能力、刀身からにじみ出る神経毒が血流に乗って全身を巡り、極度の興奮状態へと誘う。本来は危険生物の理性を奪い、高い心拍数で活動させて衰弱死させるもんだが」
「はっ、はっ、はっ……!!」
「これを人間に使うとどうなると思う?興奮して一時的に強くなると思うだろ?だが違うんだなぁ、まさかの強い催淫効果になっちまうんだ」
なんで、どうして、私に攻撃できるの!?と、ヴィクトリアは思った。
今まで出会ってきた人間、特に、奉納祭以降に出会った人間は、ヴィクトリアに無条件の好意を抱いていたからだ。
それが愛烙譲渡による強制された感情であると分かっていても、人の好意を蔑ろには出来なかった。
いや、ヴィクトリアはそれを利用し、甘えながら生きてきた。
失った愛の代わりに。
「なん、で……、こんな、」
「度を超えた痛みによるものか、はたまた、死に際に命を残したいという本能か。まさかこんな事になるとは思わなくてよぉ。自分に刺して生き残ったは良いが、めでたく俺は性犯罪者になっちまった」
ヴィクトリアへの返答は、望んでいた言葉では無かった。
だが、確証を得ることは出来た。
愛烙譲渡が通じない人間がいるのだと。
「俺だって好きでヤッタ訳じゃねぇッ!誰がチームメイトの……、ずっと面倒見てきて、やっと婚約まで行かせた妹分と弟分を襲いたいと思うんだよ。セレインはともかく、クロイムは男だぞッ!?最悪だッ!!」
「そんな俺の蛮行を止めて、そのまま後見人になってくださった品財様には恩がある」
「だけどなぁ!!仕事だったけどなぁ!!また恩が増えちまったぜ!!」
失敗を悟るも、ヴィクトリアは唇を緩ませしかできなかった。
男がナイフの柄に指を這わせる度に、身体に激痛が奔る。
そしてそれが、幼い少女の身体を火照りで蝕んでゆく。
「はっ、っはぁ、はぁっ……ん」
「一丁前に女になったじゃねぇか。ほれほれ」
「ひぐぅっ!!」
「痛いだろぉ?身体を揺さぶれば揺さぶる程、すっげぇ締りが良くなるんだぜ。大体、10分くらいしか使えねぇのが欠点だがなぁ」
準備を終えた男が、ヴィクトリアの腰に手を掛ける。
そしてそのまま手を下げた後、太ももを持ち上げた。
「今度も好きな女を抱くんだ。俺は正しい。俺は間違っていない。俺は、俺は、俺は……ッ!!」
男の頭の中を埋め尽くしているのは、『純粋無色な、愛欲』。
他者からの愛が入り込む余地がない程に、無色の悪意が詰まっていて。
「やっ……!?」
「その反応、生娘だなッ!?よっし捧げろ、俺に、お前をォ!!」
持ち上げられた太ももの振動で、ナイフが揺れ動く。
そんな小さな動きでさえ、身体の中に溜まった火照りを零れ落ちさせるには十分で。
「ひひ……ひひ、いくぞ」
「やだっ、や、やめてやめてやめて……、たすけてっ、ホーライちゃんっ!!」
ずぶり。 と。
ヴィクトリアの身体が前に沈んだ。
バランスを崩したせいで姿勢が変わり――、その瞳に世界最強が映り込む。
「あっ、やっ……、ぁ」
「何があった?ヴィクトリア」
「こぽ……っ、……む、りょう…た、……」
「ふぅむ、毒か?粘り気があるな」
「……////っっッ!?!?」
ヴィクトリアは横たわり、その腹部にはナイフが刺さっている。
上気した呼吸と、高い血圧による紅潮。
それが、命が死に絶える瞬間の最後の輝きであると、蟲量大数は既に見抜いている。
「先程の人間にやられたか。慢心していたようだな」
「……、いのち、ささげられなく……」
「謝る必要などない。なぜなら、今夜も捧げて貰うからだ」
「ごめんなさ……、わたしは、死……」
体内に響く激痛、ドクドクと心臓は脈打ち、身体の至る所が痙攣している。
それは明らかな死の兆候だと、経験が無くとも理解できた。
だってもう、目の前だって真っ白で――。
「案ずるな。我が輩が不可思議竜を見つけて殺し、お前に命を与えるまで……、そうだな、一分も掛らん」
「い、の、っち……を?」
「何も無い白亜の砂漠だ。ただ待つのも退屈だろう。俸物のメニューでも考えておくがいい」
白亜の砂漠と言われ、ヴィクトリアは始めて気が付いた。
死にそうだから、世界が眩しく見えたのではない。
死にそうだから、蟲量大数が輝いて見えたのではない。
実際に周囲は、白一色。
見渡す限りの白亜の虚無、全ての物質が燃え尽きた真っ白な砂漠の上に、ヴィクトリアは横たえられていて。
「……これが、世界最強。本物のホーライちゃんの力」
我が輩が本気を出せば、文明など瞬時に粉微塵にできるぞ。
しないでください。カブトムシトラップの材料が買えなくなります。
そんな会話は冗談だと思っていた。
まさか本当に街を粉微塵にできるなどと、信じられる訳がなくて。
「直ぐに戻る。それまで耐えろ。ヴィクトリア」
「……行ってらっしゃいませ、私の主様」
白くて小さい女が言う。
愛を宿した、その声で。




