第63話「ホウライ伝説 終世 五日目 ②」
「迎えに来たぞ。ヴィクトリア!!」
そして、ホウライは笑った。
子供の様に、無邪気に。
幼馴染の家を訪ねた時と同じように。
「……っ!!」
45年の時を経た、幼馴染との逢瀬。
焦がれて、焦がれて、叶ったこの瞬間は彼らにとって何物にも替えがたい一瞬。
その思いは同じはずだと、ホウライは一人、拳を握る。
「……欲しかった、のに」
長き沈黙の末、俯いたヴィクトリアが口を開いた。
徹底的に感情を殺した、蟲の様な鳴き声で。
「……のに。なんで……」
「久しぶりなんだ。声をさ、もっとちゃんと聞かせてくれよ」
「つっ……!死んでて欲しかったのにッ!!」
僅かに漏れ出た感情を悟られないように、精一杯に声を張る。
そんなヴィクトリアの声ですら、ホウライにとっては愛おしく。
「おう、手厳しいぜ」
「なんで来ちゃうの……。あのまま、サヨナラで良かったのに。もう二度と逢いたくなかったのにッ!!そんな、そんなにボロボロになって」
「カッコ悪いよな。馬鹿みたいな蛇に噛みつかれちまってさ、このザマだ」
にへらっ、っと力無く笑ったホウライは、擦り切れてしまった羽織を広げて見せた。
そして、見事な意匠と赤黒い染みを見たヴィクトリアが息を飲む。
「結構いい値段したんだぜ。絵梨紫苑工房っていう老舗の――」
「そんな話をしたいんじゃないッ!!」
何度も何度も、練習したのに。
無条件で愛させてしまう愛烙譲渡の制御の仕方。
やっと使いこなせるようになってきたはずなのに。
どうして、こんな……、こんな時ばっかり……ッ!!
「なんで……、来ちゃったの……」
「愛しているからだ」
「っ!!いまさら、こんな時になって言う事じゃない」
「俺とお前が二人揃ってここに居るんだ、おかしい事じゃないだろ」
「もうおかしいんだよッ!!」
隠しきれなくなった感情を、せめて悟られないように。
白くて小さな蟲が鳴く。
愛憎を宿した、その声で。
「私と貴方はもう、一緒に居るべきじゃない」
「種族も違う、価値観も違う、力も、考え方も、持っている能力だって何一つとして同じものはない」
「私はもう、貴方の知ってるヴィクトリアじゃないんだよ」
その声はまるで、自分に言い聞かせているように。
『”ホーライ”ちゃんと、ずっと一緒に』
それが幼いヴィクトリアが抱いた将来。
だからこそ、確固たる意志を以てヴィクトリアはホウライに示す。
もう、一緒には居られないのだと。
「何だそれは、お前はお前だろ、ヴィクトリア」
「……。」
「黙るなよ。お前はヴィクトリア、そうだよな?」
「違うよ、今の私は、”混蟲姫”ヴィクトリア」
「混蟲姫?」
「もう、私は人じゃない。蟲になったんだよ」
かさり。と、空気が軋む。
それはヴィクトリアの背後、何もない空間から発せられた音。
「……おい、そっちのお前」
「我が輩に言っているのか?」
「決まってんだろ。お前がヴィクトリアをおかしくしたのか?」
「ふぅむ、お前だなどと呼ばないで貰えるか?我が輩にはヴィムティムという名があるのだ」
「んだと?」
世界を旅してきたホウライは、地方で使われる方言にも詳しい。
その記憶の中にあるヴィクティムの意味は……、犠牲。
それも、人間を生贄に捧げる時に使う隠語だ。
「何が犠牲だ。それを強いられているのはヴィクトリアの方だろうが」
「ふぅむ?良く分からんな。この名はヴィクトリアから贈られたものだぞ」
「なに……、んな訳ないだろうがッ!!誰がテメェなんかに名前を」
「やめて。」
発せられたそれは、害を成した虫を躊躇なく殺す時の冷ややかな声。
今まで聞いた中で、いや、ホウライの人生の中で最も冷たい音の羅列、それを口にしたヴィクトリアは表情までも冷めきっている。
「ヴィ、ヴィク、トリア……?」
「ヴィクティム様を馬鹿にしないで」
「何で庇うんだよ。そいつはお前を攫った奴だぞ」
「違う。攫ってなんかいない。守って貰ったの」
「守った、だって?」
「そうだよ。貴方の代わりに守って貰ったの。だから御礼に名前を贈ったんだ。永遠に仕えるという意味を込めて」
今までの暴走が嘘のように、ヴィクトリアの声は澄んでいる。
そこには愛も情も含まれていない。
酷く無機質な、怒りで上書きされた声。
「我が輩は永遠という言葉を好んでいる。ヴィクトリア、自身の口から出したからには嘘にはさせんぞ」
「はい。ヴィクティム様。私がこの世にある限り、その名は不変です」
膝付いて頭を下げ、恭順を示す。
誰が見ても理解せざるを得ない上下関係、納得できないのは世界でただ一人、ホウライだけ。
「何してんだよ、なんでそんな奴に礼を尽くす?そいつはお前をそんなにした奴なんだぞ……?」
かさりと、空気が軋む。
今度はヴィクトリアの周囲全体から、幾つもの瞳が睨み付けているように、鋭く。
「侮辱しないで」
「侮辱じゃないッ!!だって俺は知っているんだ、奉納祭でそいつがお前を攫った所をこの目で、見て……」
しまったと、ホウライは思った。
失敗の言い訳をする、それは幾度となくホウライが通ってきた敗北フラグ、ヴィクトリアの逆鱗。
「そんな近くに来てたんだ」
「そうだ」
「でも、何も出来なかった」
「つぅ!!」
「出来る訳ないよ。だってこのお方は、世界最強。正真正銘のホーライなんだから」
「そいつが、遥か彼方の頂きに居るのは分かってる。俺じゃ並び立つ資格すらない事も。だけどそれはお前も同じだろ!?そんな化物に関わること自体が……!」
ギシリ。と空気が軋む。
ヴィクトリアが噛みしめた奥歯と同時に、6本の亀裂が背景である森に穿たれて。
その音がホウライに届く頃には既に、そこは砂漠と見間違うほどに崩壊していた。
「……何度、ヴィクティム様を馬鹿にしないでって言えば分かるの?」
苛立ちに任せて、激情を発散させる。
そんな子供じみた癇癪を起こしてなお、ヴィクトリアの怒りは収まらない。
「私の夢は、世界で一番強くてカッコイイひとに全てを捧げることだった。心も、身体も、全て委ねて奉納して、愛して、愛されて。そういうのに憧れていた」
「知ってんだよ、それは。だってそれは……ッ!!」
「貴方のものになる筈だった。私の世界で貴方が一番強くてカッコ良かったから。あの日までは」
でもね。
そうヴィクトリアは続けた。
愛を宿したその声で。
「無色の悪意に首を絞められながら、何度も何度も助けを呼んだ。助けて、ホーライちゃんって。でも、貴方は助けてくれなかった」
「金鳳花に植えつけられた知識は、私の価値観を変えた。ホウライちゃんは一番じゃないんだって」
「それを知った時、凄くがっかりしたし、どうでも良くなった。神の因子が覚醒して分かってしまったから、大体の生物は、私の下なんだって」
「だから、出会った生物に聞いた。貴方は最強なのか。だったら私を食べて、その最強で終わらせて、と」
「皇種じゃない生物は、絶対に最強だと名乗れない。だから、私の奉納を受け取る資格が有るのは皇種だけ」
「失望しながら森を進み、目の前に大きな『熊』が現れた時、私の始めてを捧げる相手はこの子なんだと思った」
「口を開けて私の身体を望んだ熊皇。だから、帽子を脱いで顔を晒して、その時を待ち焦がれて。でも、それは永遠に来なかった」
「私は熊皇のものにはならなかった。蟲量大数・ヴィクティム様が全てを奪ってくれたから」
愛おしそうに語るその声に含まれているのは、愛情。
紛れもない好意、かつて、少年ホーライが得る筈だったもの。
「熊皇を一撃で倒したヴィクティム様は、我が輩こそが世界最強だと言った。だから私の主になって貰って。その証明に、ヴィクティムって呼ばせて貰ってるの」
「それが犠牲と何の関係があるんだよ」
「そんな意味じゃないよ。ヴィクトリアの支配者。世界最強『蟲量大数』であらせられるヴィクティム様に、私は全てを捧げたの。身も、心も。人に見切りを付けて蟲になってしまうくらいに」
「……人をやめたって言うんだな、あろう事か、人間の皇になった俺に」
「そうだよ。嘘付きのホウライちゃん」
約束を守れなかったのは、嘘と同じ。
助けて欲しい時に来なくて、興味が無くなった後に出て来て、騒いで。
あの夜に愛は失っていたけど、最低限の好意すらなくなっちゃった。
「もういいよ。死んでくれて。貴方が居た所で役に立たない。むしろ邪魔なの」
「……あぁ、確かにもういいな。お前の下手な嘘はウンザリだ」
「ん、」
「言葉を止めても遅ぇよ。俺は分かるんだ」
「何が?」
「嘘を吐く時のお前から、どんな匂いがすんのか」
「におっ……!?」
「別に嘘だけじゃねぇぜ。嬉しい時、悲しい時、怒ってる時、どんな匂いだったのかを俺は覚えてる」
「なにそれっっ!?そんな変態みた……」
「ははっ、本音でいうなし」
「つぅ!?!?」
「なぁ、謝るチャンスをくれよ。ヴィクトリア。お前にそんな辛い思いさせてる馬鹿に、最期のチャンスをさ」
頼む。
そう言って、ホウライは手を差し出した。
許して欲しいと、切実に願いながら。
「……ううん。ダメだよ」
「なんでだよ」
「人の皇が蟲と一緒に居るのはおかしいよ」
「関係ない。これは人の皇と蟲の姫の話じゃなく、俺とヴィクトリアの話だ」
「じゃあ、なおさらダメだよ」
「なん……っ!!」
そこにあったのは、濃密な死の匂い。
たったの一匹ですら容易に世界を破壊する、滅亡の大罪。
揺らぐ6つの蟲の顎は、ヴィクトリアから伸びていて。
「だってもう決めたから。私の一番はヴィクティム様だってっっ!!」
傲慢 強欲 嫉妬 憤怒 色欲 暴食。
あらゆる負の感情は、愛の裏返し。
自分を愛し、傲慢に。
物品を愛し、強欲に。
利益を愛し、嫉妬に。
評価を愛し、憤怒に。
異性を愛し、色欲に。
快楽を愛し、暴食に。
そして、それらをヒトに与え続けたヴィクトリアには、怠惰が残った。
他人を愛し与え続けた彼女には、諦める事しか許されなかった。
「もうすぐ世界は終わる。私達が終わらせる」
「何を……!!」
「だから、私が貴方をこの手で殺す。そして……ッ!!」
白くて小さな蟲が鳴く。
愛情を宿した、その声で。
皆様こんにちは(こんばんわ)、青色の鮫です!
本日で今年最後の更新……、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!!
ホーライの物語、いかがでしょうか?
シリアス展開多め(タヌキを除く)をしていて、今までとは作風がだいぶ違うように思えますが、楽しんで頂けているのなら嬉しい限りです!
それでは皆様も、お体に気を付けて年末年始をお過ごしください。
来年も、応援よろしくお願いいたします!!




