第62話「ホウライ伝説 終世 五日目 ①」
《わたしの、命を、欲すならば》
《無限の果てを見せてー、欲しい》
《この身体に唇を這わせたいの、ならば》
《たったひとりに、なって欲しい》
《私が愛す、その、”ひと” は、》
《きっと、きっと、特別なひと》
《融け合う様な、永遠の愛の夢》
《叶うことの無い、永劫の愛の幻》
《このちっぽけな愛を、たったひとりへ捧げましょう》
《最も強い――、愛しき、私を愛したひとへ》
終世・五日目の朝。
その日、”始まり”の森の中で、愛の歌が奏でられた。
混蟲姫・ヴィクトリアが口ずさむその歌は、世界を終焉へ導く鎮魂歌。
愛烙譲渡を含ませた歌声により、僅かに残っていた生物種の全ては『愛』に恋焦がれた。
そして、それを手に入れる為の行動を開始したのだ。
『至上の愛、ヴィクトリア』
彼女こそ……、終わりゆく世界へ残された希望、最高にして最後の『俸物』。
白くて愛しい蟲が鳴く。
求愛を宿したその声で。
生きとし生きる全ての生命が、欲して止む事がない。
最期の奉納祭を、ヴィクトリアは願ったのだ。
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「そうか。お前はそこで待ってるんだな。ヴィクトリア」
終世・五日目の朝。
生き残っている生命はもう、数えられる程度になっている。
そして、音を介して世界に広がった愛烙譲渡の効果により、僅かばかりとなった生命体は、ヴィクトリアを手に入れる為の行動を起こした。
ありとあらゆる手段を使い、一斉にヴィクトリアへ殺到するように仕向けられたのだ。
これは世界を舞台にした『蟲毒の壺』。
ヴィクトリアを手に入れられるのは、たったの一匹。
世界で最も強きひと――、”ホーライ”。
それを決める為の戦いへ、『名もなき老爺』が参戦する。
「ははっ、まるで夢の様じゃな。まさに願い焦がれたあの夜、そのもの。鼻に付く匂いも、淘汰精錬された化物揃いと来ておる」
生き残っている生物は、種族の頂きに立つ強者のみ。
平均値化された能力にいち早く対応し、それぞれの優位性を見い出す理知が必要不可欠。
それが出来なければ、徒党を組んで押し寄せる世界絶食の使徒に抗うなどできない。
故に、奉納祭に参加する資格があるのは、皇種、眷皇種、超越者……、並々ならぬ尋常なる者。
ホウライの行く手を阻むのは、腕の一振りで数万の命を奪える未曾有の化物だ。
「運命とは皮肉じゃな。よくぞ懲りずに出てきたと褒めてやろう、獅子の皇よ」
アサイシスやエリウィスと別れた後、ホウライは己を見つめ直す事に時間を使った。
己の出自、意思、願い。
研鑽して秘めた力の全て、託された想い。
それら全てと向き合い、理解し、一つにまとめて心臓に宿したのだ。
そんな万全に整えたホウライに前に現れたのは、奇しくも、新しき獅子の皇。
獅子水皇マーラディオの後を継いだ、『不動獅皇・シーサリオン』。
「人間が争う気か?我を誰だと思って――」
「争いになるなどとは、片腹痛い。この儂を誰だと思っておる」
それはたった一秒の逢瀬。
そうして獅子の皇は尽きて、逝く。
ぱりっ……と振るわれたホウライの左腕によって、断末魔すら残せずに、塵芥へと炭化して。
「儂とて、皇ぞ。同格ならば、この手を阻める道理なし」
ホウライの格好は、黒い着物の正礼装。
黒羽二重・紋付き長着羽織と黒染めの袴で全身を覆っている。
その姿は、今まさに婚姻をあげようとする新郎の姿そのもの。
ホウライが知る最も格式が高い呉服屋へ赴いてあつらえた、一世一代の勝負服。
「埃一つ付けさせはせん。ヴィクトリアに笑われてしまうからな」
己を見つめ直したホウライは、ラルバから託された皇の資格を理解した。
それがどれほどのものであったのかは、その心臓に宿った皇の紋章の輝きが克明に語る。
皮膚や服を貫通するほどの光輝、そこから湧き続ける激情がホウライを『世界最強』へと押し上げてゆく。
「……狼」
『日切狼皇・マーナガルム』
八つの脚で獲物の万策を狩り殺し、その死者の肉で腹と感情を満たす。
悠々と天に上って月を獲物の血で塗れさせ、太陽すらも喪失させる闇の皇狼。
「……鹿」
『贋魔鹿皇・グレイズュニール』
その生を司る右角、相手の死を司る左角。
それらが混ざり合流する頭蓋に穿たれた瞳に魅入られし者は、魔を司る皇鹿の周りで踊り狂う。
「……兎」
『月齧兎皇・アルミラカミラ』
かつて竜の聖地と呼ばれた山麗は赤く紅く染め上げられた。
その中に存在する黄一点、金色に輝く皇兎は戯れに、竜命が尽きるまで遊び続ける。
「……鰐」
『流船鰐皇・セベクテルベ』
湧き出る川と呼び讃えられた、尋常ならざる巨体。
一噛みで村を砕き滅ぼし嚥下する、異常にして異形なる鰐皇は飽きることなく喰らい続ける。
どれもこれも、戦いにすらならなかった。
僅かな差異として、ホウライが振るったのが、右手か左手かの違いしかない。
後は皆、獅子と同じく塵芥へと炭化したのだ。
「……!」
すん、っと小さく鼻を鳴らしたホウライは、直感に従って地面へ身体を伏せた。
刹那、自身の頭が有った位置の空間が上下に開斬。
その奥から這い出た長大すぎる黒鱗、見覚えがあるそれを睨みつける。
「……、あん時の蛇か」
轟々と湧き出る蛇鱗、それが出現している空間の裂け目は一つでは無い。
視認出来るだけでも十か所以上、それがホウライの行く手を堰き止めた。
「しゅろろ……。……タヌキめ、面倒そうなの育てやがって。後で絞める」
放たれた怨嗟はお互い様。
忌々しそうに鎌首を持ち上げた蛇、そして、ホウライも腰へ差した二本の剣へ手を伸ばす。
「今ならよく分かる。お主、黒塊竜よりも遥かに強いな?」
ホウライの鼻を突く覇気は、先程までとは比べ物にならない。
目の前に居るのは、明らかな格上。
彼の脳裏によぎっているのは、蟲量大数や那由他と同じ始原の皇種――。
「恒河沙蛇、死んだとされておるんだがのぅ。いやはや、儂は本当に運がないわ」
「……しゅるしゅるしゅる」
「が、今度は超えさせて貰うぞ」
「しゅるり……、《第8空間次元層、解放》」
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「来たようだな。お前を欲する者が」
世界を染める鎮魂歌、その歌声を遮り告げる。
蟲量大数・ヴィクティム。
静かに歌を鑑賞していた世界最強が、生命淘汰を潜り抜けし強者が現れたと告げたのだ。
「……どの種族の皇ですか?」
歌に全能力を集中させていたヴィクトリアは、その存在を認識できていない。
だが、歌を止めた今でも、自らの能力を使って正体を探ろうとしなかった。
どんな種族が来ても、結末が変わることは無い。
そう思っているが故の無関心。
その声には愛が宿っている、されど、情など微塵も含まれていない。
「キツネの白銀比、もしくは、麒麟の―― ぇ」
現れた老爺を見た瞬間、俸物は小さく悲鳴を上げた。
愛情が宿った、その声で。
「……ようやくじゃわい」
血塗られた姿のホウライ。
破けて肌蹴た着物、露出した上半身、その姿はまさしく餓鬼そのもの。
「迎えに来たぞ。ヴィクトリア!!」
そしてホウライは笑った。
子供の様に、無邪気に。
幼馴染の家を訪ねた時と同じように。




